チベットの騒乱以来、世界精神は少しずつ、正気を失いつつある。
世界に漂っている空気は、中国とロシアは許しがたいという雰囲気であり、その雰囲気は世界各地のさまざまな“紛争地帯”で小規模な衝突事件を引き起こしている。
今回のグルジアの紛争についても、聞こえてくるのはロシアの侵略という言葉のみだ。
誰が始めた戦争なのか?という冷静な考えすら、「ロシアの侵略」という言葉の前にはすっかり声をひそめている。
また欧米社会はグルジア政府がそれが自国の自治州であるという理由で南オセチアの住民を無差別に虐殺する権利があるというのであれば、中国政府がチベット独立運動を弾圧することにあれほどヒステリックに反応することはおかしいのではないか?
欧米社会は、すでに、統一的な世界政策をもってはいない。ある場合は、少数民族の分離独立に賛成するかと思えば、ある場合には、これを武力で弾圧することに賛成するのだが、その場合、場合を考えていけば、浮かんでくるのは、中国やロシアがやることは許しがたく、中国やロシアに打撃を与えることは歓迎されるべきことであるという思想である。
すでに中国もロシアも社会主義とはなんの関係もない国になっているのに、欧米社会はいまだに昔の、すなわち冷戦時代の思考にとらわれている。というよりも、そのような不毛な考えにしがみつきたがっている。
その理由は言うまでもなく、欧米の資本主義が行き詰まっているからにほかならない。世界各地で労働者が自分たちの生活を守るために、闘いに立ち上がろうとしているなかで、いわゆる小ブルジョアインテリ層はこの深刻な事態から必死になって目をそらしたがっている。
もちろん、目をそらし、忘れようと努力しても、それぞれの国の事態は悪くなることはあってもよくなるはずもないのだが、労働者の目を国内の悲惨から外国の脅威へとすり替え、“社会主義”の恐ろしさを労働者に教育する意味でも、中国、ロシアの脅威論を朝から晩までくどくどとテレビで放映したり、新聞であることないこと書き立てることは、もっとも手っ取り早いやり方なのであると考えている。
かくして時ならぬ、“冷戦時代”の再来となったのであるが、世界の“良識”なるものが姿を消し、知識階級が現実を直視する能力を喪失して、幻想と狂信の世界に沈殿していくとき、われわれは新たな世界戦争の足音が近づいてくるのを聞くのである。
ブルジョア諸国家間の対立が非和解的であるとするなら、小ブルジョアインテリ層がいうように、この世界(彼らの言うところによれば民主主義)の真の脅威が、中国であり、ロシアであるというのであれば、脅威を取り除いて、世界に平和をもたらすためには、地球上から、ロシアと中国を抹殺するほかあるまい。
われわれは少し前に、第三次世界大戦の可能性について語ったが、ここ数ヶ月の間にその可能性はますます現実味を帯びはじめている。つまり、ここ数ヶ月で世界資本主義は急速に矛盾を深めどうにもならないところに追い込まれようとしているのである。