労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

ヘーゲル法哲学と歴史法学派

2008-08-22 00:30:28 | Weblog
 このところマルクス主義がどのように形成されたのか、というテーマでいくつか文章を書いていますが、今日は『ライン新聞』に掲載されたマルクスの歴史哲学批判を取り上げたものを「労働者のこだま(理論)」にアップしました。

 基本的にはマルクスの歴史哲学(フーゴー)批判は、ヘーゲルの『法の哲学』に掲載されている歴史哲学(フーゴー)批判と同じもので、彼(マルクス)がまだドイツ観念論の「尻尾」にとどまっていた頃の面影を残しています。

 マルクスがこの歴史法学批判を書いた数ヶ月後に、彼は例の「森林窃盗法」と関わりを持つことによって、転機をむかえることになります。

 そのことは次回にアップする予定です。

 

戦争の足音

2008-08-16 01:09:56 | Weblog
 チベットの騒乱以来、世界精神は少しずつ、正気を失いつつある。

 世界に漂っている空気は、中国とロシアは許しがたいという雰囲気であり、その雰囲気は世界各地のさまざまな“紛争地帯”で小規模な衝突事件を引き起こしている。

 今回のグルジアの紛争についても、聞こえてくるのはロシアの侵略という言葉のみだ。

 誰が始めた戦争なのか?という冷静な考えすら、「ロシアの侵略」という言葉の前にはすっかり声をひそめている。

 また欧米社会はグルジア政府がそれが自国の自治州であるという理由で南オセチアの住民を無差別に虐殺する権利があるというのであれば、中国政府がチベット独立運動を弾圧することにあれほどヒステリックに反応することはおかしいのではないか?

 欧米社会は、すでに、統一的な世界政策をもってはいない。ある場合は、少数民族の分離独立に賛成するかと思えば、ある場合には、これを武力で弾圧することに賛成するのだが、その場合、場合を考えていけば、浮かんでくるのは、中国やロシアがやることは許しがたく、中国やロシアに打撃を与えることは歓迎されるべきことであるという思想である。

 すでに中国もロシアも社会主義とはなんの関係もない国になっているのに、欧米社会はいまだに昔の、すなわち冷戦時代の思考にとらわれている。というよりも、そのような不毛な考えにしがみつきたがっている。

 その理由は言うまでもなく、欧米の資本主義が行き詰まっているからにほかならない。世界各地で労働者が自分たちの生活を守るために、闘いに立ち上がろうとしているなかで、いわゆる小ブルジョアインテリ層はこの深刻な事態から必死になって目をそらしたがっている。

 もちろん、目をそらし、忘れようと努力しても、それぞれの国の事態は悪くなることはあってもよくなるはずもないのだが、労働者の目を国内の悲惨から外国の脅威へとすり替え、“社会主義”の恐ろしさを労働者に教育する意味でも、中国、ロシアの脅威論を朝から晩までくどくどとテレビで放映したり、新聞であることないこと書き立てることは、もっとも手っ取り早いやり方なのであると考えている。

 かくして時ならぬ、“冷戦時代”の再来となったのであるが、世界の“良識”なるものが姿を消し、知識階級が現実を直視する能力を喪失して、幻想と狂信の世界に沈殿していくとき、われわれは新たな世界戦争の足音が近づいてくるのを聞くのである。

 ブルジョア諸国家間の対立が非和解的であるとするなら、小ブルジョアインテリ層がいうように、この世界(彼らの言うところによれば民主主義)の真の脅威が、中国であり、ロシアであるというのであれば、脅威を取り除いて、世界に平和をもたらすためには、地球上から、ロシアと中国を抹殺するほかあるまい。

 われわれは少し前に、第三次世界大戦の可能性について語ったが、ここ数ヶ月の間にその可能性はますます現実味を帯びはじめている。つまり、ここ数ヶ月で世界資本主義は急速に矛盾を深めどうにもならないところに追い込まれようとしているのである。

 

 

 

 

ヘーゲル哲学

2008-08-08 00:59:08 | Weblog
 「労働者のこだま」(理論)にヘーゲル哲学の記事を掲載しました。

 哲学というあまりなれていないテーまでしたので“難工事”でしたが、ようやく記事をアップすることができました。

 あと2回このような記事を掲載する予定です。

 ① 夕暮れの哲学から哲学の夕暮れへ (済み)

 ② 青年マルクスの歴史法学派批判  (工事中)

 ③ マルクスと森林窃盗法 (予定)

 

 

 

戦力の逐次投入は戦争の一番下手なやり方

2008-08-05 00:52:40 | Weblog
 先ほど発足した日本の“籠城内閣”は経済対策に本格的に乗り出すという。

 漁業で燃料費高騰に苦しむ人々へプレゼント。

 農業で価格低落に苦しむ人々にもプレゼント。

 中小企業で資金繰りに苦しむ人々へもプレゼント。

 等々、インフレと不況が併存するスタグフレーションへと突入しはじめている日本には、それこそ困っている人は山ほどいるわけだから、そういう人々に少しずつ政府の善意のプレゼントを配っていたら、それこそ税金はいくらあっても足りないし、本当にこういうプレゼントがそういう人々の苦境を救うのかも定かではない。

 というのは、これらの人々の苦境の原因はスタグフレーションというよりも、日本の産業構造のゆがみに根ざしている場合が、多々あるからだ。

 そういう日本経済のゆがみを矯正することなしには、これらの人々への日本政府の善意のプレゼントも実を結ぶことはないであろう。むしろ砂浜に水をまくようなものにしかならないのではないか。

 そしてそれ以上に経済的な危機はまだ始まったばかりであり、この危機がどの程度の深さをもっているものであるのかということを認識できている人はいない。

 経済学者といえども予言者ではないのだから、危機の全体像はまだだれにも見えないのである。ただ、日々発表される経済統計や経済ニュースが厳しい状況を伝えるのみであるが、この統計も一ヶ月も二ヶ月も前のもので現在の情況を伝えるものではなく、過去の情報を伝えるものでしかない。

 日々の経済は株式市場や外為市場、商品市場、などのそれぞれの市場に投影されているはずであるが、この“市場の世界”は思惑の世界でもあるので、経済状態をそのままきちんと投影しているわけではない。

 こういう時に、現象の一つ一つを取り上げて、あっちでも困っている人がいるからプレゼント、こっちでもプレゼントなどとやっているのは、あちこち出没している敵にに対して、小兵力を逐次投入して、各個撃破され、兵力を消耗させて
いるだけの無能な指揮官に似ている。

 90年代に日本政府はこのようなトゥー・リトル・トゥー・レイト方式で日本は財政赤字の山を築き、ついには国の財政も地方公共団体の財政も破綻させてきたが、この財政の逐次投入でえたものはあまり多くない。

 国家の財政状態はすでに破綻状態なのだから、このような方式は取りえないはずであるが、今回それをやろうというのは、どうせそのうち消費税を上げるのだから、少しぐらいバラマキをやってもいいのではないか、という甘い考えがあるのであれば、それは“取らぬ狸の皮算用”というものであろう。

 そもそもこの“籠城内閣”が国民から求められているのは、このようなことではないはずだ。日本の国民が今求めているのは、政府のささやかなプレゼントなどではなく、解散総選挙であり、自分たちの手でこの困難をどのように克服するのか選択したいということであろう。

 

 

 

内閣改造で総選挙が遠くなる?

2008-08-04 00:35:26 | Weblog
 今回の内閣改造が労働者の関心を引いていたのは、敵(自民党)がどのような布陣で総選挙に臨んでくるかだった。

 しかし、内閣改造後にも自民党の選挙責任者に留任した古賀氏が強調するのは選挙は遠くなった、ということである。

 つまり、福田首相が自民党の大ボス・小ボスを“人質”として内閣にとり組んだのは、逃亡を許さず全党体制で決戦に臨むためではなく、決戦を避けて籠城するためであったというのである。

 また麻生氏を幹事長にすえたのは、彼の祖父吉田茂が日本軍国主義の敗戦処理係を行ったように、万が一自分が政治決戦に臨んで敗北をした時に自分の骨を拾ってもらうためではなく、籠城困難な場合には、後を麻生氏に託して逃亡するためなのだという。

 しかし、すべての政治勢力が総選挙に向けて走り出そうと言うときに、決戦はない籠城あるのみであるというのは、いかにも芸がない。

 おそらくこのような福田氏の戦略が明らかになれば、なるほど政党としての自民党は死んでいくであろう。


 

 

 

 

意図せざる内閣

2008-08-02 01:13:14 | Weblog
 第二次福田内閣が誕生した。

 今回の内閣改造はもともとは日本のキングメーカーを自認する森元首相が福田氏をつついて、行わせたものだが、この人事果たして森元首相が意図したものだろうか?

 森元首相が意図していたのは、チンドン屋を集めて、笛や太鼓を吹き鳴らして、労働者をペテンにかけ、来るべき総選挙に突入しようということだったろうが、顔ぶれを見るとそのようになっていない。

 もちろん派閥の大ボス、小ボスをかき集めて挙党態勢をつくってはいるが、むしろこういった連中は逃亡を防ぐための“人質”として閣内に閉じこめられているのであり、はやり目玉は麻生氏の幹事長再任だろう。

 そして福田氏が麻生氏に期待しているのは、もちろん、彼の祖父が果たしたような役割である。

 そういう点ではこの内閣は落城覚悟内閣ともいえるのだが、福田氏が森氏や中川氏や小泉氏のような無責任な連中の誘いに乗って、「リスクテイク」内閣をつくらなかったことは評価できる。

 そして敵が敗北を覚悟して、背水の陣を敷いて臨んでくる場合、実は、敵を陥落させることは案外とむずかしいのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

これからどうなる?

2008-08-01 05:35:41 | Weblog
 今年の後半は日本の歴史の転換点となる可能性が高くなりつつある。

 一つは、今日内閣改造が行われて、政治は解散総選挙に向けて一気に走り出そうとしていること。

 基本的に、これから3ヶ月程度の“事前運動”(公職選挙法では事前運動は禁止されている)というか準備期間があって行われる選挙では、おそらく自民党は衆議院でも多数派を維持することはむずかしくなりそうな結果になりそうであるし、われわれもまたそのような結果になるように政治闘争を強化していく必要がある。

 二つ目は、世界経済のかなりきびしい局面が、秋から年末にかけて訪れるであろうということ。(これはもう避けられない)

 そういう点では、われわれはまさに日本史上、世界史上の大きな転換点にたっているのであるが、この嵐の時代、“日本丸”がどこへ行くのか、その答えをもっている人はいない。

 こういう状態では、おのおのが自分の信じる道を歩むほかないであろうし、過去においては、そうすることによって新しい道は切り開かれていったのである。

 できることならば、この人類史上の“破滅と再生のドラマ”をテレビで見ているだけではなく、より多くの労働者が“主人公”として参加してほしいものだ。