労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

自民党の代わりに民主党という選択

2007-02-28 20:58:58 | 経済
 先回わたしたちは、労働者の組織という観点に立って、自民党と民主党は大差がないといいました。
 
 しかし、わたしたちの主張には、主権者である有権者がどのような投票行動をとるべきかという訴えは含んでいなかったと思います。この点、誤解があるのであれば、わたしたちの説明不足を率直におわびいたします。
 
 私たち自身が今回の今回の政治闘争(参議院選挙を頂点とするもろもろの選挙)には、力量不足で参加できないといっているのですから、われわれがこの選挙で、労働者に向かって、君たちはどうすべきか、どうすべきでないかということ自体が僭越というものです。
 
 ですから、当然、自民党を落とすために民主党に投票するとか、共産党や社民党に投票する、という労働者の選択肢は尊重されるべきことがらであると考えます。わたしたちは労働者がこういう選択をすることは望ましいことであるとさえ考えています。(ただ政治不信を棄権という形式で表現しようとするのは、それこそ本当に自民党を喜ばせるだけですから、推奨いたしません。)

社民党は何もわかっていない

2007-02-27 02:34:14 | Weblog
 現在、すでに日本の政治は7月の参議院選挙に向けて動き出している。ところがわれわれ赤星マルクス研究会はこの公然たる政治闘争に参加しない方針である。
 
 われわれがこの公然たる政治闘争に参加しない理由は、一つには、われわれの力量不足もあるが、それ以上に、われわれは今回の政治闘争では自民党を追い落とすために活動しようという熱意がないからである。
 
 われわれにそのような熱意がないのは、現時点で「自民党を追い落とすために活動する」ということは、事実上、民主党を支持すると言うことを意味するからである。
 
 そして、われわれ赤星マルクス研究会は、民主党が先の国会で防衛庁の防衛省への昇格に賛成したり、民主党自らが「愛国心」を掲げて安倍晋三政権による教育基本法の破壊、(これはブルジョア民主主義教育の破壊でもある)を黙認したことは断じて容認できないことであると考えている。
 
 民主党が自民党とさほど変わりがない政党であるなら、労働者が民主党のために活動しなければならない理由は何一つないであろう。
 
 ましてや参議院選挙後に“政界再編成”がささやかれ、民主党のある部分と自民党のある部分が合流するということであれば、今の時点で「自民党を追い落とすために活動しよう」と労働者に訴えることは無責任なことであろう。
 
 またわれわれは、われわれが“ブルジョア民主主義”と呼んでいるものを破壊しようとしている勢力とは闘うが、“ブルジョア民主主義”を守るためには活動しないということも明言している。むしろわれわれは“労働者の民主主義”を指向しているのであって、そういう観点から、何の民主主義であれ(どのような階級関係に基づく“民主主義”であれ)、民主主義の諸原則そのものを形骸化したり、否定したりする勢力は容認できないと考えているからである。
 
 だから、われわれは今回の参議院選挙を“ブルジョア民主主義”防衛の「最終決戦」として闘おうとしている人々とも今回は一緒に活動することを見送ることにした。
 
 そしてわれわれが参議院選挙(これはひょっとすると衆議院選挙との同日選挙になるかもしれない)を頂点とする公然たる政治闘争に参加しないと決めた以上、あれこれの政治問題について発言することはあまりいいことではないと考えるので、われわれは必要最低限のものに限って、重大な問題に限って発言することにしたいと考える。
 
 社民党が『社会新報』に掲載した「主張」はそんなわれわれが見逃すことができない一つなので、今回あえて取り上げることにした。
 
 『社会新報』の「主張」では、
 
 「(六ヵ国協議の)合意文書には、初期段階措置として北朝鮮が60日以内に、寧辺にある核施設の稼動停止・封印し、国際原子力機関(IAEA)の査察を受け入れた上で、すべての核計画を申告するよう明記した。他の5ヵ国は60日以内に、重油5万トンを提供し、米国のテロ支援国家指定解除などの議論を開始する。さらにすべての核施設解体などの追加措置を取れば最大で重油95万トンに相当するエネルギー支援と人道援助を行なうことを明記し、日朝国交正常化など5分野の作業部会の設置を盛り込んだ。初期段階措置が実施された後、6ヵ国外相会議を開くことでも合意した。」
 
と述べられている。
 
 この党(社民党)はまったく不正確で理解力のない政党で、これだけの文章の中だけでもいくつもの誤りがある。
 
 最初に、60日以内に行われなければならないのは、寧辺にある核施設の「停止」であって、「封印」ではない。「停止」の意味は、稼働している核施設の運用をやめることであり、「核施設の稼動停止」のことである。
 
 これに対して、「最大で重油95万トンに相当するエネルギー支援」が行われるのは「核施設の閉鎖」であって、「核施設の解体」ではない。「核施設の閉鎖」の意味は核施設にセメントを流し込んだりして「封印」し、再使用できない状態にすることである。(北朝鮮には原子炉を解体する技術力がない。)
 
 それ以上に問題なのは、「他の5ヵ国」ではなく、「他の4ヵ国」であることだ。
 
 われわれが2月18日の『赤旗』の議事録を引用したように、正確な合意事項は
 
 「アメリカ合衆国、中華人民共和国、ロシア連邦、大韓民国は各国政府の決定に従って、(共同文書)第二条5項および第四条に規定された朝鮮民主主義人民共和国に対する支援負担を、平等と均衡の原則に基づき分担することに合意し、日本が自国の憂慮事項が扱われ次第、同一の原則に従って参加することを期待し、またこの過程で国際社会の参加を歓迎する。」となっている。
 
 
 六ヵ国協議は、確かに、六ヵ国(北朝鮮、アメリカ、中国、ロシア、韓国、日本)で行われたが、合意したのは北朝鮮と「他の4ヵ国」(アメリカ、中国、ロシア、韓国)の5ヵ国であり、日本は合意国には入っていない。
 
 これは日本政府が「自国の憂慮事項」(拉致問題)を抱えており、この問題ゆえに合意国には加われないと主張したからである。
 
 中国とロシアが、「拉致問題の重要性を理解する」と言っているのは、日本が拉致問題を理由にして、5ヵ国合意に加わらなかったという日本の立場を理解するということであり、もっと簡単に言えば、日本が5ヵ国合意に加わらなかったことを根拠にして日本を非難したり、制裁の対象にはしないということである。
 
 またアメリカのチェイニー副大統領や国務副長官がわざわざ来日して、“日米同盟”と“拉致問題”の重要性を確認するのは、アメリカもまた日本が5ヵ国合意に加わらなかったことを根拠にして日本を非難することはないと日本政府に説明するためである。
 
 日本が5ヵ国合意に加わらなかったことを公然と批判した韓国を除けば、中国、ロシア、アメリカは日本の立場を理解するといっているのであり、日本の立場を支持すると言っているのではない。(この点で安倍晋三政権には大きな誤解がある。)
 
 だから、合意文書では、「日本が自国の憂慮事項が扱われ次第、同一の原則に従って参加することを期待」するとなっており、中国、ロシア、アメリカ、韓国は日本が「自国の憂慮事項が扱われ次第」(すなわち、日朝作業部会が開かれた段階で)「同一の原則に従って参加することを期待」するともといっているのである。
 
 これは中国、ロシア、アメリカ、韓国は日朝作業部会が開かれるまで、日本が5ヵ国合意に加わらないことを容認し、猶予を与えるということでもある。
 
 ところが安倍晋三政権は「同一の原則に従って参加する」時期を、拉致問題が前進を見たとき、といい変えており、「拉致家族会」会長の横田滋は「前は“拉致問題が解決した時”といっていたが、今は“拉致問題が前進した時”といっている、どう違うか安倍晋三に一度聞いてみたい」といい。これを受けて政府はあわてて“拉致問題が解決した時”と言いかえている。
 
 そして塩崎官房長官によれば“拉致問題の解決”というのは①拉致被害者とその家族の帰国②拉致事件の真相究明③拉致関係者の日本への引き渡しを意味するといっている。
 
 こういった塩崎が提示した条件すべてを北朝鮮政府が受け入れることはまずないことを考えると、日本が「他の4ヵ国」と「同一の原則に従って参加する」日が来ることはありえないであろうという当然の結論が出てくる。
 
 つまり、「他の4ヵ国」(中国、韓国、ロシア、アメリカ)は日本の特殊な事情を考慮して、日朝作業部会が開かれるまで、六ヵ国体制からの日本の脱落を容認しようというのだが、日本政府は日本が六ヵ国体制に復帰することはもうないと世界に向かって宣言しているのである。
 
 そして社民党は、「今回の合意文書には、社民党が00年以降、韓国、モンゴル、中国など周辺国の首脳と会談し提唱し続けてきた北東アジア非核地帯設置と同総合安全保障機構創設を含む『21世紀の平和構想』と合致する内容が盛り込まれており、6ヵ国の合意を歓迎する。日本政府は、積極的に北東アジアの総合安全保障機構創設に努力すべきである。」といっている。
 
 しかし北朝鮮の核開発を契機に開かれた「六ヵ国協議」は北東アジアの主要国がもれなく参加しているという意味において、すでに事実上「北東アジアの総合安全保障機構」となっている。そして日本はこの地域的な「北東アジアの総合安全保障機構」から完全に脱落してしまって、復帰する見込みはまったくないのである。
 
 日本の国際社会からの孤立はすでに決定的なのである。

     

平和の代償  (ロシア革命③)

2007-02-24 03:02:56 | Weblog
 レーニンのボルシェビキは労働者にパンを、農民に土地を、兵士に平和を約束して政権の座についた。
 
 したがって、革命政権の最初の難関である憲法制定会議を乗り越えるとレーニンは直ちに、ドイツとの休戦交渉に入っている。
 
 しかし、ドイツ側は休戦の条件としてポーランド、ウクライナ、ラトビア、リトアニアの分離を求めていたのでボルシェビキの中でもドイツの提案は飲めないという意見が多かった。
 
 この問題では、レーニンは完全に少数派であった。
 
 ブハーリンを中心とする休戦反対派(彼らは「左翼反対派」とも呼ばれている)は、ドイツは帝国主義国家であり、これと戦うのは共産主義者の神聖な義務であるというあまりよくわからない理由で、「革命戦争」を主張していた。世界帝国主義戦争を世界革命戦争に転化せよ、というのは昔の赤軍派のスローガンであったが、この主張の原型はこの時のブハーリンのような「左翼反対派」にある。
 
 もちろん、このような極左的な空文句は、「大ロシア主義」という日和見主義を隠し持っていた。彼らはロシアの支配下にあったポーランド、バルト3国、フィンランド、ウクライナという辺境地帯(ロシアにとっての辺境)を「敵」(ドイツ)に渡すことをいさぎよしとしたかったのである。
 
 これに対してトロツキーは「戦争でもない。講和でもない。」という立場を取っていた。(ドイツの提示した講和条約に調印することは拒否したが、戦争の終結を一方的に宣言した-1918年2月10日)
 
 しかしこのどっちつかずの政策はかえってドイツ軍に足元を見られ、ドイツ軍は再び進撃を開始して、ロシアの都市を次々と奪っていった。
 
 これに対してレーニンは訴える。
 
 「問題は根本的なものである。ウリツキー(※)の提案は驚くべきものである。中央委員会は、革命戦争に反対した。だがわれわれは、戦争もしなければ、講和も結ばずに、革命戦争に引きずりこまれつつある。戦争をもてあそんではならない。われわれは車両を失っており、われわれの運輸は悪化している。いまではまつことはできない。なぜなら、情勢はまったくはっきりしているからである。・・・・・・
    
 (※)ウリツキー ボルシェビキの中央委員で10月革命時の軍事革命委員、この時は革命戦争を支持していた。この数ヶ月後、エス・エル左派のテロによって暗殺される。
 
 いまや、どっちつかずの決定は不可能である。革命戦争に決定するならば、それを宣言し、復員を中止なければならないが、そういうことはできない。(兵士である農民はすでに自分たちの故郷に大量に帰還しつつあるので、今さら戦争継続はできない)・・・・
 
 歴史は言うであろう。君たちは革命を売りわたした。われわれは革命をすこしも危うくしなかった講和に調印することができたのだ、と。われわれは、なにももっていない。われわれは退却にあたって、爆破作業をおこなうことさえできないだろう。われわれはできるだけのことをやり、フィンランドの革命を助けてきたが、今はできない。今は覚え書を交換するひまはないし、形勢を観望することをやめなければならない。・・・・
 
 ブハーリンは、自分が革命戦争の立場にうつったことに、気がつかなかった。農民は、戦争を望んでいないし、戦争には応じないだろう。革命戦争に応じるよう、いま農民に向かって言うことができるだろうか。だが、それを望むならば、軍隊の復員はできないわけである。永続的な農民戦争は、空想である。革命戦争は空文句であってはならない。われわれに準備ができていないなら、講和に調印しなければならない。いったん、軍隊の動員が解除されるならば、永続的な戦争をうんぬんするのは、おかしな話である。内乱と比較することはできない。百姓は、革命戦争に応じないだろうし、公然とそれを口にするものをだれでも、おっぽりだすだろう。ドイツの革命はまだはじまっていないし、われわれは、わが国でも、われわれの革命が一挙に勝利したのではないことを知っている。
 
 ドイツ軍は、リヴォニアとエストニアを占領するであろうと、この席上で述べたものがあったが、われわれは革命のために、この両地域を引きわたしてよいのである。フィンランドからの軍隊の撤退を、ドイツ軍が要求するならば、さあどうぞ。革命的フィンランドを占領するなら、するがよい。われわれがフィンランド、リヴォニア、エストニアを引きわたしても革命はほろびない。昨日、同志ヨッフェ(講和会議の初代講和代表団長、トロツキー派、この時は講和代表団長はトロツキーに代わっていた)がわれわれをおどすために持ちだした見通しは、少しも革命を破滅させるものではない。・・・
 
 昨日、ドイツ軍がわれわれに提案した講和にわれわれは調印するように、私は提案する。」
(『ボルシェビキ中央委員会での演説』1918年、2月18日)
 
 この2月18日の中央委員会ではこのレーニンの提案は1票差で否決されてしまったが、その後レーニンはトロツキーを説き伏せることによってようやく講和の調印を中央委員会に認めさせている。
 
 こうして3月3日にかろうじてブレスト・リトフスク条約が結ばれて講和が成立した。
 
 しかし、ドイツとの講和は実は長く続く内戦の始まりとその後のロシアの苦難の道の始まりでもあった。
 
 第1にこの講和条約締結の過程で露呈したのはボルシェビキ指導部の脆弱性であった。ボルシェビキの中央委員の中で現実的にものごとを考えられるのはレーニンだけであり、後は付和雷同(スターリン)か、観念的な左翼主義者(ブハーリン)か、小手先の政治主義者(トロツキー)のような連中ばかりであるということはロシア革命の行く手を限りなく暗くしている。
 
 第2に、ドイツとの講和に反対していたのはブハーリン派(「左翼反対派」)だけではなくボルシェビキと連立政府を組んでいたエス・エル左派もそうであり、彼らは講和に反対して政権を離脱すると、急速に先祖返り(エス・エルの先祖はナロードニキ)してしまった。つまり、テロルを常套手段とする小ブルジョア急進派へと純化して、各地でボルシェビキに個人的テロを加えたり、農民蜂起を扇動したりして反ボルシェビキ運動を展開した。
 
 第3に、ロシアが単独でドイツと講和を結んだことはドイツと戦っていた連合国(イギリス・フランス・アメリカ・日本)にロシアに干渉する口実を与え、これらの国が軍隊を送り込み、ロシアの旧勢力と結びついて「白軍」と呼ばれる反革命勢力を生み出した。
 
 
   

日本は六ヵ国協議に賛成していなかった!

2007-02-19 00:42:00 | 政治
 われわれは情報不足でマスコミの報道を信頼するしかないので、先に行われた六ヵ国協議において日本は合意に賛成し、国内向けにゴチャゴチャ言っているだけだと思っていた。
 
 しかし、2月18日の『赤旗』に発表された六ヵ国協議の議事録ではそうでなかったことがわかる。『赤旗』の議事録ではこうなっている。
 
 「アメリカ合衆国、中華人民共和国、ロシア連邦、大韓民国は各国政府の決定に従って、(共同文書)第二条5項および第四条に規定された朝鮮民主主義人民共和国に対する支援負担を、平等と均衡の原則に基づき分担することに合意し、日本が自国の憂慮事項が扱われ次第、同一の原則に従って参加することを期待し、またこの過程で国際社会の参加を歓迎する。」
 
 これをみると今回の六ヵ国協議の合意は、北朝鮮、アメリカ、中国、ロシア、韓国の5ヵ国の間でのみ行われており、日本政府は合意事項に、参加を期待される立場であることがわかる。
 
 つまり、北東アジアの安全保障の枠組みを話し合う六ヵ国協議から現在のところ日本は完全に脱落してしまっており、残りの5ヵ国によって復帰を期待されている存在なのである。
 
 こういう極めて重要なことを伝えなかったことはマスコミの日本国民に対する背信行為であり、その責任は極めて重大である。
 
 もちろん、日本政府が言う「自国の憂慮事項」とは「拉致問題」のことで、4ヵ国(アメリカ、中国、ロシア、韓国)はこの問題が「扱われる」、すなわち、日朝の作業部会が開かれた段階で、日本が国際社会に復帰することを期待するといっているのだが、日本政府の説明、もしくは意向では「拉致問題で何らかの進展があれば」復帰するということになっている。(この復帰の時期の食い違いについても日本政府とマスコミは口を閉ざしている。)
 
 そして「拉致問題」の進展は、現在の日本政府のやり方ではほぼ不可能であることを考えると、日本が六ヵ国マイナス一ヵ国協議に復帰する日はもうないということでもあろう。
 
 われわれは日本政府とはいかなる利害関係も持っていないので、基本的に日本政府にあれこれと指図したり、指導したりするという立場ではない。日本政府がこれでいいというのであれば、好きにすればいいのだし、結果については、すべて日本政府が一身で責任を負うべきことがらであろう。
 
 つまりわれわれの立場は、日本政府が国際的に孤立して破滅の道を歩もうとも、そういうことにコミットしないという立場である。(われわれは安倍晋三政権が誕生する以前に安倍晋三政権が誕生すればこういうことにしかならないという警告はすでに何度も行っている。)そもそも一国の政府というのは国民がそこまで手取り足取り面倒を見なければならないものなのか?
 
 われわれが言いうることは、こういうことをやっているようでは日本資本主義の総体的な破産はそんなに遠くない日にやってくるだろうということのみである。  

10月蜂起の直後に行われた憲法制定会議の選挙 (ロシア革命②)

2007-02-18 02:53:15 | Weblog
 ロシアでは10月25日(11月7日)の蜂起直後の11月中旬から12月にかけて憲法制定会議の選挙が行われている。
 
 このロシア最初の、“自由な”普通選挙の結果は以下の通りである。
 
党派               得票率
 ボルシェビキ            23.9%
 エス・エル(社会革命党)      40.0%
 メンシェビキ             2.3%
 カデット(ブルジョア自由主義者)   4.7%
 
 結果から見ると、レーニンのボルシェビキは第2党だが、都市部と前線(兵士)の票では第1党であり、10月革命の主力が都市部の労働者と前線の兵士たちであったことが得票にもよく現れている。
 
 これに対してエス・エル(社会革命党)は都市部ではカデットにも惨敗しているが、農村部では圧倒的な支持をえている。エス・エルが第1党になったことは当時(1917年)のロシアは依然として農民が人口の多数を占める農業国であったことを示している。
 
 これに対して、ボルシェビキによって倒された臨時政府の中心を担っていたメンシェビキの退潮は著しいものがあり、1917年の2月に誕生した臨時革命政府は、労働者農民の支持を失い、倒れるべくして倒れたことを示している。
 
 カデットの都市部での健闘は意外であり、いくつかの地方都市では第1党におどり出ている。これらの地方では革命に反対する勢力がまだ健在であり、それらの勢力はカデットのまわりに集結していることを示している。
 
 この選挙結果をもとに議席が配分され1918年の露暦1月5日(西暦1月18日)に憲法制定会議が開かれることになったが、それ以前にこの問題については決着がついていた。
 
 というのは、12月4日に第2回全ロシア農民大会が開かれて、権力を憲法制定会議に移行させるというエス・エル(社会革命党)の提案が否決されたからである。ロシア革命は形式的にはレーニンの「すべての権力をソビエトへ!」というスローガンのもとに労働者・農民が武装蜂起して政権を奪取したものであり、そのロシアの新しい主権者である農民ソビエトが権力はソビエトが掌握し続けるべきであると判断をくだしたのだから、憲法制定会議の存在意義は開催される前に消失していたといえる。
 
 選挙時には、農民の圧倒的多数がエス・エル(社会革命党)を支持していたのに、どうして エス・エル(社会革命党)の提案は否決されたのだろうか?
 
 それは10月革命の勃発とともに多くの前線の兵士たち(彼らの多くはボルシェビキを支持していた)が帰郷し、それとともに農村のソビエトが急速に増大しつつあり、革命の影響が農村にもおよびはじめたからだ。
 
 だから多数派であったエス・エルはこの農民大会の過程で右派と左派に分裂し、エス・エル左派はボルシェビキと連立政権を組織することになる。(1918年のはじめには革命政府=人民委員会会議の構成はボルシェビキ14人、エス・エル左派7人)
 
 1月5日の憲法制定会議では、議題をめぐってボルシェビキと左派エス・エルと右派エス・エルが対立し、ボルシェビキと左派エス・エルは憲法制定会議からの脱退を宣言した。(ボルシェビキの代議員は憲法制定会議は「革命の前日」を代表しているにすぎず、革命後の状勢の変化を代表していないという脱退宣言を読み上げて会場を去った。)
 
 こうして憲法制定会議はボルシェビキと左派エス・エルが退場して定足数400人を大幅に下回る中で深夜まで行われ、休息に入った。次の日、右派エス・エルの議員たちが会場に向かうと入り口には機関銃と野砲が据えつけられ、場内は軍隊によって占拠されていた。こうして憲法制定会議は革命政府によって強制的に解散された。
 
 この憲法制定会議の解散をめぐってはいろいろな意見がある。
 
 代表的なものは、ボルシェビキ(レーニン)が憲法制定会議を解散させたのは民主主義を否定するものであるという見解である。
 
 もちろんここで一つの民主主義は死んだが、その一つの民主主義というのはブルジョア民主主義である。
 
 憲法制定会議は決してロシアにおける唯一の正当な代表としては生まれていない。憲法制定会議が招集される以前に、ロシアにはもう一つの民主主義、労働者と農民の民主主義がすでに存在しており、それはソビエトという労働者・農民の自主的で民主的な機関を持っており、ロシアの革命はこのソビエトによって遂行された。
 
 憲法制定会議が真にロシアの民主的な機関として成長したいと欲したのであれば、この労働者と農民の民主主義との共存こそ図られなければならなかったであろう。ところが憲法制定会議、というよりも右派エスエルはこの機関を労働者と農民の民主主義を否定し、葬り去るために活動しようとした。
 
 また、「憲法制定会議は『革命の前日』を代表しているにすぎず、革命後の状勢の変化を代表していない」といったボルシェビキの代議員の発言は間違ってはいない。10月の蜂起以降、ロシアの政治情勢は激動しており、選挙後わずか数週間のうちに、その選挙結果そのものが陳腐化するような事態が進行しつつあった。結局、右派エスエルはこの急流に乗り切れずに時代に取り残されてしまったのである。
 
 また、ロイ・メドベージェフは選挙を延期してもっと後で行うべきだったというが、それは歴史の後知恵でしかない。
 
 そんなことをすればそれこそ党利党略の選挙であろう。
 
 選挙前に決められていたこととはいえ、革命直後に約束通り選挙を行ったことの中にこそ、ボルシェビキの民主主義の精神を読み取るべきであろうし、選挙の結果はその当時の革命ロシアの民衆の政治意識が正直に投影されているのである。
 
 (もっともボルシェビキの幹部連中の中で、レーニン以外はこういうことにまったく無関心であったことはその後の革命の推移に暗い影を投げかけている。)

革命に勝利したのは誰か?

2007-02-16 02:09:30 | Weblog
 1917年11月6日(露暦10月24日)から始まったボルシェビキの蜂起はその日のうちにロシアの首都ペトログラードの主要機関を制圧して、7日の冬宮の占領で終わる。
 
 ロシアの皇帝の玉座を占領した兵士はまさに革命を成功させた人である。
 
 そしてこの絵は不思議なことにロシア革命の世界史的な謎を解くカギを与えてくれてもいる。
 
 もちろんその謎というのはロシア革命で本当に勝利したのは誰だったのか?という謎である。
 
 もちろん20世紀の諸政党にとってこれは謎でも何でもないものであった。勝利したのはレーニンであり、ボルシェビキであり、労働者であり、社会主義である。これは20世紀を通して左翼の不動の観念であり続けていた。
 
 しかし、銃を持っている兵士をよく見てほしい。彼は確かに腕に赤い腕章をつけているが、どう見ても労働者ではなく、コサックであり、農民である。
 
 戦前の日本軍がそうであったように、当時のロシア軍も下級兵士の多くは農村の出身者で占められていた。
 
 したがってこれは革命ではなく、兵士が反乱を起こして首都を占拠したのだと言おうと、クーデターが起こって政権が倒れたと言おうと、その主力は農民だったのだ。
 
 そのことを一番よく知っていたのはレーニンで翌日(8日)の第二回全国ソビエト大会では、「平和の布告」とならんで「土地の布告」の採択を求めている。
 
 この「土地の布告」は社会革命党(旧ナロードニキ)の政策をまるごと取り入れている。つまり、この政策は地主から土地を没収して農民に分配するものであり、その内容からして社会主義的なものは何一つ含まれていない。むしろこれはブルジョア民主革命の課題であり、農民の土地所有を容認するという点で私的所有の存続を認めるものであった。
 
 レーニンのボルシェビキは、なぜ社会革命党(旧ナロードニキ)の政策をまるごと“盗んだ”のか?
 
 それはいうまでもなく、ロシアは農民人口が圧倒的に多い農業国で、直接的に社会主義に移行することは問題にもならなかったからである。
 
 遅れた農業国で農民が中心になって革命が起こった場合、農民に受け入れられる政策だけが革命政権が取りうる政策であろう。したがってロシア革命は最初から社会主義革命としてではなくブルジョア民主主義革命の要素を多分に含んだ、労働者の革命として出発したのである。  

「拉致問題」はすでに国内問題

2007-02-15 18:41:10 | 経済
 北朝鮮の核問題をめぐる六ヵ国協議が閉幕した。
 
 今回の六ヵ国協議では北朝鮮の核施設の稼働停止とその見返りに北朝鮮にたいする石油の援助が合意された。
 
 ところが日本政府は、日本国内では「拉致問題」が解決されなければ石油の援助はできないと主張している。
 
 もちろんこのような主張が意味をもつのは日本国内だけであり、対外的には何の意味もないタワゴトである。
 
 日本政府が、本当に、このような見解(「拉致問題」が解決されなければ経済援助はできないという見解)に立っているとするなら、六ヵ国の合意文書に署名すべきではなかったろうし、せめて合意文書の署名の際に保留条件をつけるべきであったろう。
 
 ところが日本政府は何もせずに、何も発言せずに六ヵ国協議の合意文書に署名しておきながら、今さらになって、「拉致問題」が解決しなければ、石油の援助はできないなどと主張している。
 
 北朝鮮に対する石油の援助は5ヵ国の共同責任によって行うことになっており、日本だけがその責任から逃れようと言うのは、「条約は誠実に履行されなければならない」という国際信義則に完全に違反している。
 
 もちろんこのようなことを実際に日本政府が行えば、国際的に大問題となろうが、その心配はないであろう。なぜならば六ヵ国協議の合意文書では、日本政府は「拉致問題」を棚上げにして、核問題で北朝鮮と合意したのであり、その真意を残り5ヵ国は十分に理解しているからである。
 
 そういう点では、日本政府の「拉致問題」が解決されなければ経済援助はできないという見解は、対外的なものというよりも、国内向けのものであり、「拉致問題」は外交問題から国内問題へとすでに変質しているのである。
 
 では国内問題としての「拉致問題」とは何か?それはいうまでもなく、「拉致問題」を利用して、民族主義、排外主義を煽り、日本を軍国主義に導くための道具とすることである。
 
 しかし、現在は安倍晋三政権の反動政治、国家主義に対する人々の反発が日々大きくなっている。このような状況の下では、「拉致問題」は日本軍国主義の道具とさえなることができないだろう。
 
 安倍晋三は「拉致問題」を政治的に利用して、政権の座を射止めたが、今、逆に安倍晋三政権の没落とともに、「拉致問題」も没落しようとしている。これはもう誰にも止められないであろう。
 
      

マルクス主義同志会の賃上げ反対論

2007-02-14 02:12:07 | 政治
 客観的に言えば、マルクス主義同志会(旧社会主義労働者党)の時代はとっくに終わっている。
 
 20世紀最後の年であった2000年から、われわれ赤星マルクス研究会が登場する2005年まで、この組織が果たそうとした役割は労働者にとってまったく許しがたいものであった。
 
 この5年間は日本資本主義の再建の5年間であり、日本の失業者は300万人を越えていた。
 
 この日本の労働者階級が大きな困難を抱えていた5年間に、林紘義氏を筆頭とするマルクス主義同志会は、マルクス主義そのものを葬り去ることによって、左翼運動や労働運動そのものを葬り去ろうとした。
 
 彼らのこの試みが失敗したことはすでに明白なものになっている。彼らのマルクス主義からの逸脱は、むしろ彼らの社会的孤立を深め、労働者からの影響力を喪失させるのに役だったのみである。
 
 そこで彼らは再び装いを新たにして同じことを繰り返そうとするのだが、今では彼らのやることなすことすべてが喜劇的にしか見えないのは、この組織がすでに没落の最後の段階に到達しようとしているからである。
 
 この「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」というマルクスの有名な言葉(正確には、「ヘーゲルはどこかで、すべての世界史上の大事件と大人物はいわば二度現れる、と言っている。ただ彼は、一度は悲劇として、二度目は茶番として、とつけ加えるのを忘れた。」[『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』]という言葉)については、誰かがヘンなことを言っていたのでもう少し説明が必要なのかも知れない。
 
 誰か(名前は忘れた)は、このヘーゲルの言葉とマルクスの言葉を一緒にして、これが史的唯物論(?)であるというのだが、ヘーゲルとマルクスでは使い方はかなり違っている。
 
 ヘーゲルがこの言葉を使ったのは『歴史哲学』の第3部である。
 
 「共和制はローマでは、もはや存続することは不可能であった。キケロを読めば一番よく分かることであるが、公共の事がらがいかに勢力者の私的声望によって、その権力によって、その富によって左右されたことか。また一切のことがいかにケンカずくで処理されたことか。
 
 こうして共和国のなかにはもはや何の支柱もなく、支柱はただ一人の個人の意志のなかに見出されうるにすぎなかった。
 
 カエサルはローマ的合目的性を身につけたその好個の典型であり、最も正しい知性によって決断を下すとともに、少しの私情、私心もはさむことなしに、その決断を勇猛果敢に実行に移した人であるが、そのカエサルこそ個人生活と公共生活との媒介をなし、当時の状勢が必然的に要求したところの共同生活の支柱、政治的団結の手段と方法とを供することによって、世界史的な役割を果たしたのである。
 
 カエサルの事業は二つの面に分けてみられる。すなわち、国内の対立を鎮定したと同時に、国外関係でも新生面を開拓したことである。
 
 これまではローマの世界制覇はアルプスの圏内に限られていたのであるが、カエサルはさらに新しい舞台を開いたからである。すなわち、彼は今後、世界史の中心点になるはずの舞台を、ここに建設したのであった。
 
 それからまた、ローマの中だけでは解決されないで、全ローマ世界を征服することによってはじめて勝負がつくような戦を通じて世界の支配者となったのである。
 
 かれはなるほど共和制に反対したには違いがない。しかしそれは実は共和制の幻影に対して反対したまでである。というのは、そこには共和制が残存していたというだけで、そのすべてはもはや名目にすぎなかったからである。
 
 ポンペイウスや、元老院に加担した連中はみな、実は自分一身の地位と権威、個人的な野心を、共和国の権威という美名の下に満足させようとしたにすぎなかった。したがって、共和制の護持の必要を叫んだ中立の連中も、やはりこの美名に迷わされていたのである。
 
 カエサルはこのかけ声の手の内を見抜き、その形式主義にとどめを刺し、自ら主権を握ることによって、こういう手合いの個人的な野心を腕力を持っておさえ、もってローマ世界の統一をうち立てたのであった。
 
 にもかかわらず、ローマの最もすぐれた人たちでさえも、カエサルの支配を偶然的なもの見、個人的野心に基づくものと見、当時のローマの全運命がすべてカエサルの個人の野心によって左右されようとしたかのように考えた。
 
 キケロがそうであったし、ブルトゥスやカッシウスもそうであった。彼らはこの一人の人物を除けば、自ずから共和国が蘇生するものと思いこんだのである。
 
 このとんでもない誤解から、極めて高潔な人物であったブルトゥスと、キケロよりはずっと実行力のあったカッシウスとは、彼らが誰よりもその徳行に敬意を表していたその人を暗殺したのである。
 
 けれども、ローマの国家は、もはやただ一人の人間の指揮に待つほかないものであったことは、その後早速、証明され、ローマの人々もまた、これを思い知らされねばならなかった。
 
 一体に国家革命などというものは、それが繰り返して行われる時にはじめて、世人を納得させるものであることが、これを見てもわかる。
 
 この意味で、ナポレオンは二度、敗北する必要があったし、ブルボン王朝は二度、廃止されなければならなかった。
 
 要するに、はじめは単に偶然的、可能的なものとして見えなかったものも、反復されることによってはじめて現実的なものとなり、確認されることになるのである。」(『歴史哲学』)
 
 名前も思い出せない人の批判をするのは本意ではないので、簡単にいうのだが、その人はこのヘーゲルの言葉をそのままマルクスの言葉として、「民主主義は堕落して、必然的に独裁に転化する」というようなことを言っていたと思う。
 
 しかし、ここではヘーゲル自身が、なぜカエサルが死んで、カエサル(ローマ初代皇帝、オクタビアヌス)が出てきてのかということに答え切れていない。
 
 確かにヘーゲルは、古代ローマがイタリア半島を越えて世界帝国になりつつあり、都市国家の制度である古代民主主義とは違う統治形態を必要としていたということを見ていたが、古代ローマの民主制の基礎であった、自営農民であるとともに、軍事力の中心であった重装歩兵でもあった平民が没落して、参政権だけを持っていたプロレタリー(無産市民)に転落してしまっており、古代民主主義の基礎そのものが消失していたことを見ていない。
 
 だから、ヘーゲルは可能的なものは必然的であるという弁証法の真実を語りながら、その内実を語れないでいる。
 
 だから単にヘーゲルのマネをしているだけの彼も何の根拠も示さずに、「民主主義は堕落して、必然的に独裁に転化する」などというのである。
 
 これに対してマルクスはなぜ「歴史は繰り返す、一度は悲劇として、二度目は喜劇として」なのかということを『ヘーゲル法哲学批判』の中でくわしく説明している。
 
 「近代的諸国民にとってさえ、ドイツの現状の固陋(ころう)な内容に対するこの闘争は、無関心事ではありえない。
 
 なぜなら、ドイツの現状は旧制度のいつわらざる完成であり、そして旧制度は近代国家のかくされた欠陥であるからである。
 
 ドイツの政治的現在にたいする闘争は近代諸国民の過去に対する闘争であって、この過去のなごりにこれらの国民はいまだに悩まされているのである。
 
 彼らの国で悲劇を体験した旧制度がドイツの亡霊として喜劇を演じるのを見るのは、彼らにとって教訓深いことである。
 
 旧社会が世界の既存の権力であり、これにたいして自由が個人の思いつきであったあいだ。ひと言で言えば、旧制度が自分で自分の正当性を信じ、また信じないではいられなかったあいだは、それの歴史は悲劇的であった。
 
 旧制度が現存の世界秩序として、やっと生まれかけてきた世界と戦っているあいだは、旧制度の側にあったのは世界史的な誤謬であって、けっして個人的な誤謬ではなかった。それの没落は、だから悲劇的であった。
 
 これに反して現在のドイツの制度は、一つの時代錯誤であり、一般に認められた公理にたいする明白な矛盾であり、すなわち衆目にさらされた旧制度の空しさであるが、それは自分自身を信頼していると思いこんでいるだけなのに、世界にも同じように思いこむことを要求しているのである。
 
 もし自分自身の本質を信頼しているのであれば、その本質を別の本質の下にかくそうとしたり、偽善や詭弁に逃げ道を求めたりするであろうか?
 
 近代の旧制度は、もはや、本当の主人公たちがすでに死んでしまっている世界秩序の道化役者でしかない。
 
 歴史というものは徹底的であって、古い形態を葬るときには、たくさんの段階を通るものである。世界史の形態の最後の段階は、それの喜劇である。
 
 ギリシアの神々は、アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』のなかですでに一度傷ついて悲劇的に死んだのであるが、ルキアノスの『対話』のなかでもう一度喜劇的に死ななければならなかった。
 
 なぜ歴史はこういう道筋を通るのか?それは、人類がその過去と明るく別れるためである。こういう明るい歴史的運命を、われわれはドイツの政治的諸勢力にも要求する。」(『ヘーゲル法哲学批判』1844年)
 
 1844年というのはマルクスがようやくマルクス主義者になりかけた時期であったので、言葉遣いが後年のものと比べて違う。ここでマルクスが言う「旧制度」というのは、フランス革命前のアンシャン・レジームのことである。
 
 つまり、マルクスはアンシャン・レジームがフランス革命の中で没落していったのは、悲劇的であったが、アンシャン・レジームに近代的な装いをこらしただけのドイツの「旧制度」(1844年当時のドイツ)は喜劇的であるというのである。
 
 ここでマルクスはそのドイツの旧制度に対して、「もし自分自身の本質を信頼しているのであれば、その本質を別の本質の下にかくそうとしたり、偽善や詭弁に逃げ道を求めたりするであろうか?諸君たちは、もはや、本当の主人公たちがすでに死んでしまっている世界秩序の道化役者でしかないではないか」と断罪しているのである。
 
 そしてその言葉はマルクス主義同志会の諸君にそのままあてはまる。
 
 なぜなら彼らの本質は18世紀の「リカード派社会主義」そのものだからである。
 
 18世紀のリカード派社会主義は資本主義擁護論によって資本主義を克服するという、完全な自己矛盾の中で解体していったが、その解体は資本主義的生産様式を乗り越える論理をまだ社会主義が持たなかったという時代的な制約の下では一つの悲劇でありえた。
 
 マルクス主義は、彼らの欠陥の克服の過程で生まれたのである。
 
 ところが21世紀の「リカード派社会主義」はマルクス主義の偽装の下であらわれている。すなわち、「リカード主義同志会」が「マルクス主義同志会」を僭称しているのである。
 
 しかし、彼らがいくらマルクスを自称していても彼らが何ものであるのかは、春が来ればたちまち明らかとなる。
 
 彼らマルクス主義同志会は春闘の時期になると「賃上げ」と「革命闘争」を対置し、労働者に「賃上げ」ではなく「革命闘争」を選べと言いながら、自分たちは「革命闘争」はやらないと公言しているのだから、結局のところマルクス主義同志会は労働者に何もするな、賃上げ闘争をするなと言っているに等しい。
 
 彼らの労働者の賃上げ闘争にたいする憎悪はまさにリカードのものである。賃上げは資本家の利潤を減少させるという恐怖こそ、彼らをして労働者の闘争圧殺に駆りたてる衝動そのものである。
 
 そのためにありとあらゆる誹謗と中傷が動員される。賃上げ運動を指導しているのは組合主義者や共産党の日和見主義者である、わずかばかりの賃上げで格差はなくならない、大企業の労働者が賃上げすれば格差はもっと広がる、賃上げで景気の回復などできない、云々と。
 
 しかし、組合主義者や共産党の日和見主義者が賃上げ闘争に取り組まなければならないのは、そうしなければ彼らが労働者から見すてられるからであり、労働者が賃上げを求めるのは、格差を縮小させるためでもなく、景気を回復させるためでもなく、自分たちの生活を維持するためである。
 
 つまり、生活そのもの(資本主義的生産様式の下で労働者が強要されている生活そのもの)が彼ら労働者を賃上げ闘争に駆りたてているのである。
 
 だから春一番が吹けば、毎年、労働者からしてみれば、「なんだあいつらは?」という話になる。こういったマルクス主義同志会の異様さはまさに現代の喜劇であり、「一つの時代錯誤であり、一般に認められた公理にたいする明白な矛盾であり、すなわち衆目にさらされた旧制度の空しさ」そのものであろう。
 
 しかし、マルクスはこの喜劇に対してこうもいっている。「なぜ歴史はこういう道筋を通るのか?それは、人類がその過去と明るく別れるためである。」と。
 
 だから、労働者階級が明るくマルクス主義同志会に別れを告げる日はもうすぐやってくるであろう。
 
 
     

人命の尊さこそ知らしめよ

2007-02-12 00:58:44 | 政治
 前回は、現代版曾我兄弟仇討ち物語(刑事訴訟法の改悪)であったが、今度は、現代版「殉職物語」である。
 
 何というか、現在の日本の社会は確実に病んでいる。
 
 事態が深刻であるのは、この病には自覚症状がないために、悪くなくなることはあってもよくはならないということである。
 
 ここで新日本軍国主義のチョウチンをもってドンチャン騒ぎをやっているのは、一部のマスコミ、特にテレビ朝日の報道ステーションである。
 
 報道ステーションでは、連日のように、東京で列車事故のまきぞえになった警官を“美談”として報道している。
 
 しかし、第一に、線路内に女性が入った時、事故にあった警官が、列車を止めようとはしないで、女性を止めようとしたのは必ずしも正しい判断であったとはいえないということ。
 
 第二に、救助活動や救難活動、救命活動はつねに二次災害を防止するという観点からなされるべきで、一つの命を救うためにもう一つの命が失われるということでは救助活動の意味がないということ。そういう点ではこれは“美談”ではなくて、救助活動が失敗した例であろう。
 
 第三に、これが一番重要なことだが、こういう話が“美談”として伝えられると、マネをする人が必ず出てくる。もし誰かがこの警官のマネをして線路に飛び出してその人が列車にはねられて死んでしまった場合、誰が責任をとるのか。報道ステーションにこういう事態に対して責任をとる決意はあるのか?
 
 第四に、こういう話を“美談”として報道するということは、どのような事情があろうとも、線路の中に入ってはいけないという社会の不文律を犯すことになる。実際に、線路に飛び出すことは、生命に関わる重大な結果をもたらすのであるから、こういう行為は無謀であり、やってはいけないことなのだということこそマスコミが伝えるべき真実であろう。
 
 これは不幸な事故であって、このようなことが再び起きないように再発防止を訴えることが社会の公器であるマスコミのなすべきことではないであろうか。
 
 報道ステーションがこのような社会に対する責務を忘れて、現代版「殉職物語」に熱中しているのは、国民に“自己犠牲”の精神を訴えるためである。
 
 戦前の軍国主義教育では、国家主義とともに「人命は鴻毛のごとく軽し」(鴻毛=こうもう、おおとりの羽毛の意味で軽いもののたとえ)ということを教えることが重要な教育目標であった。つまり、人間の命というのはゴミのようなものであるから、国のためにいつでも投げ出せるようにしておけ、ということを幼い頃から子どもたちにたたき込むことが学校の仕事であった。
 
 日本のバカ・ファシスト安倍晋三も、国のために命を投げ出す人間を作ることが教育の目的であると平然と語っている。
 
 しかし誰かが誰かの犠牲によって生きており、社会が一部の人の犠牲によって存立しているような社会は、健全で民主的な社会とは言いがたい。
 
 民主社会は人命の尊重によって成り立っており、一人一人の人間を人間として大切にするということから出発している。
 
 そういう点からするなら、自己犠牲の精神を“美徳”または“規範意識”として、平然として国民に押しつけようとする国家は、もはやファシズム国家そのものであろう。
 
 安倍晋三が首相になってまだ半年もたっていないが、この政権のもとで確実にブルジョア民主主義は死滅に向かっている。
 
   

壊死に向かう日本のブルジョア民主主義

2007-02-10 01:54:38 | 政治
 民主主義が国民の不断の努力によって維持されるものであるとするのであれば、民主主義を守ることに熱心でない国民のもとでブルジョア民主主義が形骸化し、変質していくのは避けられない。
 
 とりわけ現在の日本の社会の支配的勢力である資本の勢力が衰退期を迎え、退廃を深めていく時には、彼ら自身が民主主義を桎梏と感じており、その形骸化のなかにこそ、安住の地を見出しているのであれば、なおのことブルジョア民主主義が変質して、壊死していくことは避けられない。
 
 そして、多くの誤解を持っている人々がいるようなので、このさいはっきりと言っておくが、われわれ赤星マルクス研究会もまたブルジョア民主主義の守り手ではない。
 
 われわれはこのブログで民主主義の諸原理に何度も言及しており、その諸原理が変質していくことに反対しているが、われわれの立場は変質したものを元に戻せという立場ではない。
 
 われわれは近い将来に、労働者の民主主義を獲得するために、ブルジョア民主主義を学んでいるのであり、労働者が受け継ぐべきものと、そうでないものをつねに取捨選択するために、民主主義の原理に立ち戻ってブルジョア民主主義を見ているのである。
 
 資本主義の上部構造としてのブルジョア民主主義は、当然のことながら、資本主義的生産様式と運命をともにするのであり、歴史的に限定された統治原理である。
 
 もちろんそれは奴隷制に基礎をおいていた古代ローマやギリシャの民主主義よりも、はるかに強靱で広範な基盤を持っているが、それでも資本と賃労働という敵対的な階級関係に基礎をおいている民主主義である以上、限界のあるものであり、人類普遍の原理というわけにはいかない。
 
 そういう点では、民主主義が真に花開くのは、社会の成員が真に平等で自由であるような社会であり、そのような社会は社会の成員があらゆる桎梏から解放されることによってのみ建設することが可能であろう。
 
 そして現在の日本の状況はこの特有の狭さを持っているブルジョア民主主義ですら、その守り手がいないために壊死しようとしているのである。
 
 その一例が、最近さかんにいわれている「被害者の権利」というものである。
 
 法務省はこの「被害者の権利」を保護するために、被害者が裁判に参加して、被告人に質問したり、検察官に代わって求刑することを認めるのだという。そのために刑事訴訟法の改正が今国会でなされるのだという。
 
 犯罪被害者にある程度の訴訟上の当事者能力を持たせるというのは、それほど問題のあることではない。被害者しか知りえない事実もあろうし、被害者しか知りえない情状もあろう。
 
 しかし、それが義務である場合、問題が生じることもある。被害者感情としてもう二度と加害者の顔を見たくないという場合もあるのではないか。実際、感情のもつれから犯行がなされた場合、犯行後も感情はもつれたままで修復不能になっている場合が多いのではないか。
 
 個人的なことでいえば、私は20年前にある人物から言葉たくみに北朝鮮に密入国することを勧められ、断ると無理矢理連れて行こうとし、それもできないとなると殺害しようとさえした。
 
 もしこの人物の刑事裁判が行われ、あなたも私のとなりに座りませんかと検察官にいわれたとしても、私は当然お断りする。正直言って、私はこの人物の顔を二度と見たくはないし、この人物がどうなっても私の知ったことではないのだから、私が二度と会いたくないと思える人物の顔を何度も強制的に見なければならない精神的な苦痛に耐えなければならない理由は何一つないからである。
 
 しかし、実際には、「被害者の権利」として語られているのはこのようなことではない。ここでいう「被害者」というのはもっぱら被害者の遺族のことである。
 
 つまり被害者の遺族が「被害者」を詐称して、法廷をリンチの場にしようというのを国法として認めようというのである。
 
 個人を基礎とするブルジョア民主主義のもとでは、犯罪は個人対個人の行為であり、当事者というのは直接被害をもたらした人と被害をもたらされた人に限定され、直接被害をもたらした人を加害者と呼び、被害をもたらされた人を被害者と呼ぶ。
 
 もちろん、一つの犯罪によって間接的な被害をこうむる人もおり、その人のためには違法行為による損害賠償という民法上の救済制度もある。
 
 つまり、犯罪によって間接的な被害をこうむった人は損害賠償請求訴訟によって裁判上の当事者になる道がある。
 
 ところが被害者の遺族のなかにはこの道を嫌うものもいる。一つは加害者は逮捕され拘禁されているので、生活力がないため賠償金の支払い能力がないということ。二つ目は、裁判が長引くということ。三つ目は、カネで解決するよりも被害者に直接報復してやりたいと思っていること。
 
 であるそうである。
 
 もちろん、一つ目の件については、被害者に支払い能力がなく、遺族にも生活能力がない場合は、国家なり自治体がある程度犯罪被害者の遺族に対して経済的な支援を行う必要があるであろう。
 
 二つ目の対しては、これは理由にならない。憲法では司法は迅速な裁判を国民に約束しているのであるから、司法はこれに答える義務がある。できないではすまされない問題だ。
 
 三つ目に対して、これが一番問題であるが、こういう被害者の遺族の報復感情を日本の司法は容認し、屈服を続けている。
 
 「被害者の遺族の報復感情」というのは、飾られた言葉であって、この言葉の本当の意味は「仇討ち」であろう。つまり、日本の司法は江戸時代の封建主義道徳を容認し、これに屈服しているのである。
 
 これは法の主体が、個人から、家族へと移行することでもある。親の敵を討つことや子どもの無念を晴らすことが封建社会で美徳とされたように、現在の日本でも失われた家族のために犯人を死刑にしてくれと法廷で絶叫することが美しい家族愛とされ、司法がそれを追認し、行政と立法、すなわち政治がそれを追認して法廷を被害者遺族の報復の場にしようとすることによって日本から「法の正義」は消滅しようとしている。
 
 これは戦前の天皇を中心とした家族主義を復活させることでもあり、戦後民主主義が死滅する過程でもある。
 
 こういうことがいいことであるという政党ばかりであるという現状では、そのようになるしかないであろう。
 
 日本の社会はますます体制変革以外に出口のない隘路に入り込もうとしている。
         

“柳沢失言”の何が問題なのか?

2007-02-08 02:07:13 | 政治
 ようやく野党も出席して国会審議が始まったが、少子化問題をめぐる理論は奇妙な空転をしている。
 
 失言の張本人である柳沢は、一方的に謝罪し、何をどう謝罪しているのかさえ理解できない。
 
 他方の野党も単に言葉だけ問題にして何がどういけないのかという追求すらできない状態だ。
 
 このお粗末さこそ、現在の日本の“男女共同参画”のお寒い現実を何よりも物語っている。
 
 そこできちんと柳沢発言をふり返ってみよう。
 
 6日の記者会見での柳沢の発言要旨は以下のようなものであった。
 
記者 少子化対策は女性だけに求めるものか。
 
柳沢 若い人たちの雇用が安定すれば婚姻率が高まるという状況だから、安定した雇用の場を与えていかなければならない。女性、あるいは一緒の世帯に住む世帯の家計が、子供を持つことで厳しい条件になるから、それを軽減する経済的支援も必要だ。家庭を営み子どもを育てることに人生の喜びがあるという自己実現という範囲でとらえることが必要だ。ご当人の若い人たちというのは、結婚をしたい、子どもを二人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる。だから本当にそういう日本の若者の健全な、何というか、希望というものにわれわれがフィットした政策を出していくということが非常に大事だと思っている。
 
 最初に、記者の質問だがこの記者は当然、“少子化対策”というのは単に女性に子どもを産めというだけでいいのか、社会政策として取り組む必要がある事がらではないかと質問している。健全と言うことでいえばこの記者が一番健全であろう。
 
 これに対する柳沢の答弁の最初の部分は、ある意味でそれに答えるものであろう。柳沢は現在の若い労働者男女が結婚して子どもを産み育てるには、経済的な障害があることを認め、そういう障害を軽減する措置が必要であることを率直に語っている。
 
 しかし、次に柳沢がいうのはそれとはまったく異なった見解である。
 
 ここでは一転して柳沢は「家庭を営み子どもを育てること」は自己実現であり、人生の喜びであると軍国日本の臣民たちに対して説教をタレ始める。
 
 これは単に柳沢だけの問題ではなく、首相である安倍晋三もまたそうなのである。
 
 安倍晋三は7日の国会答弁で公明党の斉藤に答えて次のように言っている。
 
「子どもを育てやすく、結婚できる環境をつくるとともに、家族を持ったり、子どもを産み育てていく価値を再認識する必要がある。」
 
 ここでもバカ・ファシストの安倍晋三は軍国日本の臣民たちに、「家庭を営み子どもを育てること」は自己実現であり、人生の喜びであるという価値観を持つように強要し、命令している。そういう点では、安倍晋三も柳沢も同じ観点、同じ思想の上に乗っている。
 
 しかも軍国日本のために「産めよ、増やせよ」と命令しているのは、もっぱら女性に対してであり、この点で女性を「子供を産む機械」としかみていないという最初の“失言”に戻っているわけだ。
 
 ここには男は仕事をし、女性は家庭にいるべきであるというあの古い見解が牢固として存在しているのである。

“柳沢失言”の根は深い

2007-02-07 02:26:15 | 政治
 少子化担当大臣の柳沢が、「女性は子どもを産む機械」発言に続いて、「子どもを二人持ちたいというのは健全な意識」などと発言して問題になっている。
 
 要するに、彼は少子化担当大臣として、何としても軍事大国日本の人口を増加させる使命があり、そのためにいろいろな発言をするのだが、発言を重ねれば、重ねるほど、問題が深刻化していく。
 
 この根底には、当然のことながら安倍晋三政権の性格がある。この“道徳主義的”内閣(とはいっても、この政権内部には、言葉の本当の意味で道徳的な人物は一人もいないのだが)は問題をつねに道徳的にとらえるのである。
 
 柳沢は、結婚して、子どもを二人産む女性が女性の健全な姿であると勝手に決めつけて、それを女性に押しつけようとしている。
 
 安倍晋三は柳沢を擁護して彼の言葉には「価値観は含まれていない」というが、結婚して、子どもを二人産む女性が女性の健全な姿であるならば、結婚したくないと考える女性や、子どもを生みたくない、または一人だけでいいと考える女性はとうぜん健全ではないということになる。
 
 そしてここには子どもを生めるのに生もうとしない女性は自分勝手で許しがたいという「価値観」が当然含まれており、しょせん女性は子どもを産む機械にすぎないという女性蔑視の「価値観」がある。
 
 天皇家のある女性を例に出さなくとも、日本の社会一般に「子どもを生めるのに生もうとしない女性は自分勝手で許しがたい」という偏見が根強く残っており、これが女性に対する大きな圧力になっている。そういう点では日本はまだまだ男性社会であり、女性に対する差別は根強く残っている国なのである。
 
 これまでの歴代の自民党内閣は世界的な女性の地位向上運動の中で、公式的には、女性の社会参加を否定はしなかったし、柳沢のような考えを持っていた大臣も数多くいただろうが、彼らは「世間体」を考えて決してそれを言葉にはしなかった。ところが、戦前の社会への回帰をめざす安倍晋三反動内閣の成立によって、日本は一気に「お国のために、産めよ、増やせよ」の時代へと逆戻りしようとしている。
 
 しかし、安倍晋三の頭の中では、日本はすでに軍国主義の国なのだが、一般の女性はそうではない、むしろ日本は「民主主義の社会」で男女は平等なのだと考えている。不思議なことに、内閣総理大臣である安倍晋三は、自分と日本の女性の間に存在しているこのおそるべき「価値観」の断絶にまったく無頓着である。
 
 そういう点では、女性たちは最初の“柳沢失言”にむしろとまどいを感じていたが、このとまどいは安倍晋三政権の本性が明らかになるにつれて、やがて大きな怒りへと変わっていくであろう。
 
 もうこれは参議院選挙がどうのというレベルを超えているし、内閣改造がどうのということでおさまる話でもなくなりつつある。日本社会は不安定化の扉の前に立っており、安倍晋三はその扉を開けようとしている

政治の混迷の原因は野党にある

2007-02-05 02:22:33 | 政治
 国会が“柳沢発言”で空転している。
 
 その中で北九州市の市長選と愛知県知事選が行われ、結果は1勝1敗と与野党で星を分け合った。
 
 一見すると、与野党の力が均衡しているように見えるが、現実には民主党を中心とする野党勢力の力負けは歴然としている。
 
 なぜならば、現在、明らかに、安倍晋三政権は崩壊に向かっており、人心はこの政権から離れているからである。
 
 多くの人々が、この腐敗と反動しか、人々にもたらすことができないバカ・ファシスト政権に対して、大きな怒りを感じ始めているのに、そういった人々の怒りを組織し、大きな政治的な潮流とすることができないのは野党の責任であろう。
 
 野党が、小さな流れを集合して、大河となす事ができないのは、この川の支流がいたるところでつまっており、流れがせき止められているからである。
 
 そもそもがこの“柳沢発言”自体、とってつけたようなもので、なぜ野党は正々堂々と自民党の反動政治と向き合い、これと対決しないのか?
 
 安倍晋三による教育破壊や憲法改正に対して、正面から反対しているのは共産党ぐらいのもので、民主党は自民党の教育政策や安全保障問題(日本の軍国主義化問題)では自民党と大差のないところにいるのだから、“柳沢発言”をことさら取り上げることによってお茶を濁していると有権者に見られてもそれは仕方のないことだろう。
 
 また、愛知県知事選では野党は沖縄県知事選の敗北から何も学んではいないことが明らかになった。われわれは沖縄県知事選の時、地方自治体の首長選挙では、全国的な政治問題のテーマも重要だが、具体的な地方自治の問題もそれに劣らず重要であり、有権者が地方自治体に期待していることに答えることができない候補者は当選することができないといったが、それは今回の愛知県知事選挙でも再びそのように言うことができる。
 
 野党候補は選挙終盤はそれこそ“柳沢発言”反対の一色であった。これでは有権者はどちらも選べない。このところ、野党は地方自治体の首長選挙を国政選挙のように闘い、当然のごとく有権者の多数を獲得することができずに敗北し、敗北することによって国会運営が不利になり、自民党を追いつめる絶好の機会を逃して、自分たちの立場をさらに悪くするという自縛自縄のような悪循環が続いており、これでは参議院選挙前に野党の体力も気力も消耗するのは目に見えている。
 
 要するに、日本の野党は政治的な信念がないばかりか、政治闘争のやり方も、選挙のやり方もヘタなのだが、こういう事情はわれわれはすでに織り込み済みであり、むしろこのような野党の情けない状態こそ新しい労働者党が必要だという認識を労働者に抱かせ、何年か先にそれが現実の党として結実するであろうということをわれわれは信じて疑わない。

バカ・ファシスト政権とは何か?

2007-02-05 02:21:03 | 政治
 われわれは安倍晋三政権をバカ・ファシスト政権と呼ぶことにした。
 
 何度もいうように、安倍晋三自身はファシストでありながら、ファシズムの根本的な意味を分かっていない。
 
 現在の日本のような政治状況がヒトラーの第三帝国で起こったなら、小沢一郎を始め、国会審議に参加しない国会議員は全員強制収容所に送られて、餓死させられるか、凍死させられることになったであろう。また、1930年代後半の日本軍国主義の時代であるのであれば、特高警察に逮捕され、凄惨きわまりない拷問にかけられ、半数あまりが栄養失調で死んだり、拷問死させられた後で、網走刑務所に送られたであろう。
 
 つまり、ファシズムをファシズムたらしめているのは、無制限の、法律に基づかない暴力であり、反対者を暴力によって圧殺することによってのみ、ドイツも日本も国民を凶暴な侵略戦争に駆りたてることができたのである。
 
 ところが政治としては民主主義しか知らない戦後生まれの安倍晋三は、ファシズムの本質が恐怖と暴力による支配であり、国民を無権利状態に突き落とすことによってのみ、そのような統治形態が可能であったことを知らない。
 
 それどころか、愚かにも、民主的に、つまり、小泉純一郎のように国民をペテンにかけることによってそれがなしうると信じている。
 
 しかし小泉純一郎がそのペテン師的な政治姿勢によって5年間も政権の座に居座ることができたのは、戦後最悪の過剰生産と過剰信用の解消と好況に向けた新たな循環の開始という日本資本主義の時代的な趨勢が彼の政治がマッチしていたからで、それを今誰がマネをしようとしても同じことはできないであろう。
 
 それに安倍晋三は小泉純一郎ほどのペテン能力(人をだます能力)は持ち合わせてはいない。
 
 したがって彼の反動政治はむしろ国内外で多くの敵を作ることに貢献しているのみである。
 
 そして、この過程で明らかになったことは、安倍晋三の驚くべき政治的無能力である。
 
 安倍晋三政権は小沢一郎(民主党)や福島瑞穂(社民党)や志位和夫(共産党)を絶滅強制収容所に送って絶滅させることができなければ、話し合うしかないのだが、この男(安倍晋三)には、こんな簡単なことすらできないのである!
 
 これは北朝鮮の金正日も同じことである。安倍晋三政権は政権発足当初、金正日政権の転覆を狙ってあれやこれやと画策してきたが、最近ではそれが不可能なことであることが次第に明らかになりつつある。日朝間に深刻な利害の対立があり、北朝鮮政府を転覆できなければ、交渉によって問題を解決する道を選択しなければならないのだが、安倍晋三政権これもできないでいる。
 
 それは民主、社民、国民新党の3党首が彼を訪れた時に居留守を使ってあわなかったことにも典型的に表されている。つまり、安倍晋三は公然たる敵対勢力と話し合う能力自体がないのである。
 
 安倍晋三政権は、公然たる敵対勢力を絶滅することも、交渉することもしなくて何をするのかといえば、結局、何もしないし、何もできないのである。ただひたすら自分の執務室にこもって危機が去るのを待つのみである。
 
 しかしこういう態度では人に笑われるだけだが、彼はそれでもいいと思っている。
 
 なぜなら現在の国会の勢力は小泉の遺産として、自民党が多数を占めているのだから、多数決で強行採決に次ぐ、強行採決を行っていけば、自分の政策が実行できると信じている。
 
 あわれな自民党よ、この極端な内弁慶内閣のもとで、自民党は確実に破滅の道を歩んでいる。もう5年もすれば、自民党という政党は日本から消滅しているだろう。