少し前のことになるが、今月の22日に日銀の総資産残高が百兆円を割り込んだという日銀発表があった。
これは2001年4月に量的緩和政策が導入された直後に百兆円を超えて以来、6年ぶりだそうで、金融政策の面でも、小泉時代の終焉を告げるものになっている。
小泉時代の特徴としては、緊縮財政を採用する一方で、ゼロ金利政策を実行して、金融は超緩和政策を採用していた。日銀は景気をてこ入れするために通貨供給量を増加させようとして、短期国債や、債権を買いまくって、市場に日銀券をあふれさせていたのだった。
このため最盛時には、05年12月には日銀の資産残高は155兆円にまで膨れあがった。このような途方もない日銀信用の膨張がインフレにつながらなかったのは、景気がまだ回復過程であったので、その多くが銀行に滞留して、通貨としては機能せず、言葉の本当の意味で遊休貨幣資本として存在していたからだった。
以来、日銀は徐々に金利を引き上げて、市場の遊休貨幣資本を回収して、ようやく小泉以前の状態へと引き戻したことになる。
そこで問題となるのが、この百兆円の通貨規模は果たして妥当かどうかということである。
小泉時代、つまり、日本資本主義の過剰生産力が、するどい信用不安として存在していた時代には、起こりうるかもしれない経済破綻に対処するために、市中に日銀券をあふれされることは日本資本主義にとって“必要悪”であったのかもしれないが、景気が回復した現在では、不換銀行券の規模は物価水準に影響を及ぼすことは間違いないであろう。