象徴天皇制について
日本は、玉虫の国で、何事も玉虫色が好まれる。
そういう玉虫国家を象徴しているのが象徴天皇制である。
象徴天皇制というのは何制であるのか?日本は君主制国家であるのか?それとも違うのか?
こういう問題には人々がそれぞれ各自に勝手に答えを出して、その答えを正解であると信じてきた。
しかし、もうはっきりさせなければならないときが来はじめているのかもしれない。
「右翼」とか「民族主義者」にとって日本はまちがいなく、君主制国家で、天皇は戦前と同じように国家の元首であった。(もっとも戦後民主主義の中で育った最近の「ヤング右翼」や「ヤング民族主義者」の多くは天皇崇拝主義者ではない。)
これに対して、比較的多くの人はイギリスの立憲君主制のような政体を考えている。しかしイギリスでは「女王は君臨すれど統治せず」であるのに対して、日本の天皇は現行憲法によると、君臨もしなければ、統治もしない、ただ象徴するだけである。(君臨という概念は天皇が国民に君主として臨むということであり、憲法の掲げる国民主権とは直接的に矛盾する)
自民党の改正憲法案では、天皇が「国民のために」国事行為を行うということになっているが、これは内閣が「国民のために」天皇に助言をし、天皇が国事行為を行うという現行憲法と比べれば明らかに国事行為の主体の変更であり、主権の変更である。したがって自民党の改正憲法では明確に日本は立憲君主国になる。もちろんこれはおそらく採択されないだろうし、採択されても天皇制はその終末の時期を早めるだけであろう。
なぜなら、日本の多くの国民は「象徴天皇制」を支持してきたが、その場合の象徴というのは正月の鏡餅の上に乗っているみかんのようなものであると思ってきたからである。
要するに戦後の天皇制は、内実や実態はともかく、政治の表舞台に立たないという限りにおいて、主権の存する国民に受け入れられてきた。それがどのような形であれ、政治の表舞台に立つようになれば、主権者である国民との間に軋轢や摩擦は避けられない。
もっとも、憲法改正にいたらなくとも、小泉自民党は皇室典範を改正するというのであるから、これから天皇制をめぐっていろいろな問題が生まれて来るであろう。
まず、反動派がさっそく「万世一系」の云々という古い古い文言を持ち出して、第一子を皇位を継承させることに反対している。要するに彼らは相続は男系に限るという戦前もしくは封建時代の時代遅れの原則に固執しているのである。
また男系、女系を問わず皇位を継承させるという小泉自民党案では、女性が皇族から離脱しないために皇族が水ぶくれするということがさけられない。 どちらにせよ、問題となるのは皇族という特別な家系である。そして日本国憲法は天皇という特別な地位についてはある程度特殊性を認めているが、日本の法体系はある家族なり、家系を特別扱いすることを認めてはいないのである。
天皇家は特別であるというが、天皇家が特別でなければならない理由はない。極端な話、憲法で天皇について規定しており、誰が天皇になるかを皇室典範で決めているとしたら、国会で皇室典範を廃止して、「天皇職公選法」なり、「天皇職抽選法」なりを制定して、天皇職を選挙で選んだり、国民の中から抽選で当選した1名の方に天皇をやってもらうことも可能である。(現行の日本国憲法ではこういうことは憲法違反にはならない。)
皇族(天皇の一族)から天皇を選ぶというのは天皇制が事実上の君主制であり、君主制であるからこそ王位の継承権が問題となるのである。
これに対して、現行の日本国憲法が想定する象徴天皇制は、事実上の共和制であり、天皇には名目的な地位しか与えられていない。
事実上の君主制と事実上の共和制の相克はさけられない。