労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

昔の同志へ

2006-11-30 21:34:00 | Weblog
 ワーカーズの方から懇切なお手紙をいただき感謝申し上げます。
 
 われわれは「社会主義連盟」の酒井雅巳氏より、「ワーカーズ」の安倍治正氏の方が活動家として信頼しうるということは前に言ったと思います。
 
 また、突如としてマル労同(社労党)を除名された「落合グループ」についても、除名の経緯が党員に明らかにされていないということはよろしくないということは社労党時代から言っていました。
 
 さらに、われわれは「ワーカーズ」の諸氏の論文もほとんど読んでいます。
 
 しかし、残念ながら現時点ではわれわれはどことも交流の意志はありません。これはわれわれ自身の問題でありますが、われわれが他の組織と交流を深めるには、われわれ自身がある程度、政治組織として自立能力を高める必要があると思っていますし、現時点ではそのような努力自体もしていません。
 
 われわれは、前に自分たちのことを、中性微子(ニュートリノ)のようなもので、何ものにも影響を与えず、何ものからも影響を受けずに虚空を疾走する存在のようなものと言いましたが、当面われわれはそういう存在であり続けるつもりです。
 
 ですから、われわれは「ワーカーズ」の安倍治正氏には、是非とも、手のひらをすり抜けていくものよりも、手のひらに残るものをつかんでいただきたいと思っています。
 
 それは言うまでなく、マルクス主義同志会の“迷える子羊”たちを救済していただきたいのです。マルクス主義同志会は、現在、“お山の大将”または“裸の王様”(林紘義氏)以外は、言葉の本当の意味で、全員が政治的、経済的“迷子”になってしまっています。
 
 同志会の諸君はわれわれに対して意地になっており、われわれのいうことは何も聞いてはくれません。このまま彼らが「労働者階級の敵」として朽ち果てていくのは、昔の仲間として忍びがたいものがありますので、「ワーカーズ」で彼らを吸収してやってください。
 
 彼ら自身も、どういうつもりで言っているのか知らないが、「組織を再建する」といっているのだから、「ワーカーズ」+「マルクス主義同志会-林紘義氏」というのは、ひとつのありうべき組織、現実性のある組織ではないでしょうか。
 
 もちろん、「マルクス主義同志会-林紘義氏」というのは単なる比喩で、マルクス主義同志会の会員のすべてが回収可能であるとは思いませんが、少なくともある部分は回収可能でしょう。
 
 最後に、本来これは個人的な手紙で公表すべきではないものでしょうが、われわれは労働者の裏に隠れて裏取引をしたり、野合したりすることだけは絶対にしないと決めておりますので、あえて無礼なことをいたしました。その点、深くおわびを申し上げます。     

はじまった「戦略的対峙の時代」

2006-11-29 01:42:09 | 政治
 自分のホームページを草ぼうぼうにさせて、何をやっているのかというお怒りの方も見えると思いますが、現在の政治情勢から言えば仕方のない面もあります。
 
 われわれが2004年の10月にマルクス主義同志会を追放された時、われわれは純然たるマルクス主義の研究会になろうと思い、思いっきりローカルな“赤星村のマルクス研究会”を名乗ることにしました。(家の近くの赤星小学校もホームページを運営しており、まぎらわしい、誤解を受けるという苦情がありますが、あちらは赤星=あかほし小学校でこちらは赤星=セキセイマルクス研究会という区別をつけることにしましたので、くれぐれも誤解がないように、われわれは名古屋市立赤星小学校とは絶対に何の関係もありません。)
 
 しかし、『時告鳥』という林紘義氏の混乱した経済学を批判する論文を載せた雑誌を何号か出すうちに、ホームページを開いて多くの人に読んでもらおうと思い立ち、その準備を始めました。
 
 そして2005年の6月の終わりにホームページを立ち上げたとき、われわれは単なるマルクス主義研究会にとどまることができない何かを感じました。期待というにはあまりにもか細い声でしたが、われわれをはげまし勇気づけてくれる声は風にかき消されながらもかすかにわれわれの耳に届いていたのです。
 
 そしてわれわれはその声に導かれて政治的な発言を少しずつ増やしていきました。
 
 しかし労働者の政治状況はすでに大きく変化しています。
 
 時代は、毛沢東風に言えば、「戦略的後退期」から「戦略的対峙期」へと大きく移行しつつあります。
 
 われわれが「戦略的後退期」というのは、ベルリンの壁の崩壊や1990年のソ連邦の崩壊とともに始まった世界的なマルクス主義の退潮期のことで、この退潮期を象徴するのが、絶望したマルクス主義者=林紘義氏の登場でした。
 
 これはマルクス主義同志会に限ったことではないのですが、この退潮期に小ブル急進派の一部や日和見主義者は退廃を深め、純然たる社会民主主義者へと退化していきました。
 
 この長く続く続いた労働運動の後退戦と左翼勢力の減衰傾向に歯止めがかかりはじめたのが、去年(2006年)の夏あたりからで、それはちょうどわれわれ赤星マルクス研究会が「もうたくさんだ!われわれはもう後退しないぞ!」という雄叫びとともに政治的な活動を開始した頃でした。
 
 しかし日本にとっての不幸は、この「戦略的後退期」から「戦略的対峙期」への移行期はちょうど、解散総選挙の時期と重なり、小泉純一郎のペテン政治が大成功を納めた時期と一致しています。
 
 これは当時はいかにも不思議でありましたが、よく考えると不思議でも何でもないことがわかります。人々は小泉純一郎の「改革」という言葉にだけ引き寄せられたにすぎなかったのです。
 
 特に今の若い人たちは、その人生のすべてを「戦略的後退期」ですごし、これまで既存の労働運動と社会主義運動の否定的側面しか見ることができなかったのですから、当然ながら、左翼ではない小泉純一郎の「改革」という言葉に大いに期待をしたのです。
 
 つまり何かが変わってほしいという人々の願いが、小泉純一郎の「改革」という言葉に引き寄せられ、日本の政治の奇跡を生み出したのです。
 
 しかしこの小泉純一郎の“改革”幻想も急速に衰えており、小泉政権が結果として安倍晋三ファシスト政権の誕生に寄与したということ自体、小泉純一郎の運動が何の展望もなかった運動であったことがわかります。
 
 もちろん、労働者は安倍晋三政権がファシスト政権であるからといって、何も恐れる必要はありません。なぜならこの政権にはファシズム特有の強権政治、独裁政治に移行するだけの政治的な力量がないからです。せいぜいファシストごっこをやって自画自賛するしか能がない連中が寄り集まって政権を作っているのですから彼らにできることにはかぎりがあると言わざるをえません。
 
 そして「戦略的対峙期」についてですが、これが次の時代の「戦略的攻勢期」と区別されるのは、労働者階級が攻勢に出るだけの力量をまだ獲得していない、攻勢に出て勝利しうるまで情勢が成熟していないという点です。
 
 特に現在はわれわれは単に下げ止まっただけであり、小さな戦闘には勝利するかも知れないが、大きな戦闘に勝利するだけの力量はまだないということです。
 
 ですから、中国の抗日戦争でも、「戦略的対峙」の時期というのは、八路軍が奥地や僻地に引きこもって日本軍国主義から逃げ回り、自分たちの戦闘力を保持、蓄積するとともに、日本軍国主義に小さなゲリラ戦を仕掛けてその勢力を消耗させるという時期に相当します。
 
 もちろん高度に発達した日本資本主義のもとでは、ゲリラ闘争を展開するというのは現実的ではありませんし、われわれが立てこもるべき山岳地帯もありません。そもそも生まれついての都会人であるわれわれには、山のなかで生存する能力すらないのですから、おまり非現実的なことは考えない方がいいと思います。
 
 ではゲリラ戦が不可能であれば、われわれはいかにして「戦略的対峙」を闘うべきでしょうか。これは難しい問題です。ただ敵から逃げ回っているだけでは「対峙」になりませんから、どこかで敵に切り返すという場面もなければなりません。
 
 それでわれわれが選んでいるのは、言論を武器にして、ヒット・エンド・ランを繰り返す。すなわち、日常的な政治暴露、経済暴露を通じて、ブルジョアの陣営に論戦を挑むということです。
 
 もちろんこういう闘い方は弊害もあります。というのは、われわれは人数が少ないからできることにはかぎりがあり、日常の政治暴露に時間を費やせば、ほかのことに時間を割くことが難しくなるということがそれです。
 
 しかし現時点では、①ホームページを草ぼうぼうにするのを選ぶのか、②日常の政治暴露を選ぶのか、③『時告鳥』の発行を急ぐのか、どれを選ぶのかといわれれば、やはり②を選択するとしか言えません。
 
 そんなわれわれに「荒唐無稽」、「身の程知らず」、等々の非難の声を聞きますが、もしわれわれが「身の丈にあった闘い」に徹するとしたら、われわれは再び「赤星村のマルクス研究会」に戻らなければなりません。
 
 少なくともわれわれは、そうであってはならないというところから出発している以上、そこにはもう戻れませんし、戻りません。
 
 「戦略的対峙」の時代は始まったばかりです。まだ多くの人々が「戦略的後退期」の気分を引きずっており、われわれの基盤は固まっていません。ですからしばらくはわれわれは「ヒット・エンド・ラン」を続ける必要があると思います。
 
 

極左盲動化するブルジョアマスコミ

2006-11-28 18:58:04 | 政治
 普段は貧乏人など見たこともないという態度をとっている尊大なブルジョアマスコミがどういうわけか最近は極左化して、国民を飢えさせる政府は打倒してもいいし、国民を飢えさせる国家元首などギロチン台にかけて首をはねろと絶叫している。
 
 こういうアジ演説はいかにも扇情的で、危ういものがある。
 
 ブルジョア・マスコミはこれは北朝鮮政府と金正日に限定された話であるというが、もちろんこれは一般的な事がらであり、そのように限定しなければならない根拠は何もない。
 
 たとえば『赤旗』紙が最近伝えるところによると、アメリカのニューヨーク市では、貧困が広がっており、6人に1人が十分な食料に事欠く状態であるという。
 
 「飢餓に対抗するニューヨーク市民連合」のジョエル・バーグ事務局長は、「株価が急騰し、億万長者の数が倍増した年に、多くの子どもを含む、130万人のニューヨーカーには食料がなかったことは不合理である」と訴えている。
 
 極左盲動化したブルジョア・マスコミの論理によれば、国民を飢えさせているアメリカ合衆国政府は貧乏人によって打倒されるべきであるし、ブッシュ大統領はギロチン台にかけられなければならないであろう。
 
 同じことは日本についても言える。貧しい人が残飯をあさっているときに、内閣総理大臣である安倍晋三は何を食べているのか!家のない人が寒風の中で路上の段ボールに横たわってふるえているときに、内閣総理大臣である安倍晋三はどこで寝ているのか!
 
 もし、国民を飢えさせる政府は国民によって打倒されるのは当然であり、国民を飢えさせる国家元首をギロチン台にかけて首をはねてもよいのであれば、ブルジョア・マスコミは日本国政府もまた貧乏人によって打倒されるべきであり、安倍晋三や平成天皇をギロチン台で首をはねろということを主張すべきであろう。
 
 もちろんわれわれは前後左右のみさかいのないブルジョア・マスコミとはちがう方法でこの問題に接近するであろうが、彼らが世界経済の繁栄の裏で、どこの国にも貧困と飢餓が広がりつつあるという憂うべき今日の世界の現状に目を向けさせたという点は評価できることである。
 

教育再生会議は存在自体が教育破壊的

2006-11-28 13:06:50 | 政治
 教育において20世紀は「子どもたちの世紀」といわれたが、どうやら21世紀は「子どもたち受難の世紀」となりそうだ。
 
 教育再生会議は現在のいじめ問題が深刻化しているなかで、その対応策として「弾圧」と「報復」というもっとも非教育的で不毛な施策を政府に提言しようとしている。
 
 社会に何かよろしくない出来事が起こるのは悪い人間がいるからで、よろしくない出来事を除去するには悪い人間を弾圧すればよい。これが保守反動派の持ち合わせている唯一の知恵である。
 
 これが教育に適用されれば、いじめを根絶するには「いじめっ子」を根絶すればいいということになり、いじめっ子を根絶するためには彼らを教室から隔離したり罰を与えればいい、という当然な結論が出てくる。
 
 そして、さらにいじめを見て見ぬふりをしている子どもも同罪であるということで、彼らも教室から隔離したり罰を与えればいい、という当然な結論が出てくる
 
 また、いじめを放置している教師も同罪であるということで、彼らもまた教室から隔離したり罰を与えればいい、という当然な結論が出てくる。
 
 その上、いじめの責任は「いじめっ子」の親にもあるということで、親もまた応分の責任をとらせる必要があるということになる。
 
 そうであるならば、いっそのこと「いじめ強制収容所」でもつくって、いじめ関係者を全員そこに閉じこめればいいではないか。
 
 しかし、そこで社会的大問題が起こる。もしそんなことをしたら、学校には「いじめられっ子」しか残らないことになるが、一体誰が「いじめられっ子」を教育するというのか?という問題がそれである。
 
 いじめ問題について、大きな誤解があるのは、どこかのチンピラが“よい子”をおどしたり、カツアゲしているのではないということである。
 
 そうではなくて、“普通の子”が“普通の子”をいじめているのである。そしてその大きな原因は子どもたちのなかで健全な社会性が育っていないということにある。
 
 だから、「いじめっ子」も「いじめられっ子」もともに教育が必要なのであって、この場合の教育というのは、学校を強制収容所に変えることによって、子どもたちを大人たちの奴隷とし、弾圧と力の支配によって子どもたちに忍耐と服従を強いることではなく、人と人はなぜ助け合わなければならないのかということを子どもたちに理解させることなのである。
 
 現在の日本の教育に大きな問題があるのは、教育の本来の機能である、次の時代の社会の主人公である子どもたちを健全に育成することに失敗していることである。したがって教育の再生ということをいうのであれば、民主社会における主権者をどのように育成していくのかが、まず問われなければならないであろう。
 
 子どもたちの首に鎖をつけて、奴隷におとしめてやれば、反抗はしないであろうなどというのは、何の解決にもならないであろう。
 
 エライ先生サマが集まってこんなくだらないことしか言えないとしたら、教育再生会議の存在そのものが無用であろう。税金のムダ使いだ即刻解散しろ!
 
  

『資本論』はなぜヴィルヘルム・ヴォルフに捧げられているか?

2006-11-27 01:57:18 | Weblog
 『資本論』の冒頭には
 
 忘れがたきわが友
 
 勇敢、誠実、高潔なプロレタリアート前衛戦士
 
 ヴィルヘルム・ヴォルフ
 
 にささぐ
 
 というマルクスの献辞が書かれています。
 
 少し前に、マルクス主義同志会のホームページの質問コーナーにこのヴィルヘルム・ヴォルフの質問が寄せられています。マルクス主義同志会に寄せられた質問はマルクス主義同志会が答えるべき性質のものではありますが、それができないところに現在のマルクス主義同志会の置かれている悲劇的な現状があります。
 
 もちろんわれわれ赤星マルクス研究会は彼らの悲劇をどうのこうのいう立場ではありませんが、この質問は非常に重要だと思うのでわれわれの見解を述べたいと思います。
 
 (われわれがこのような書き出しで書いている途中、いろいろな所用でこの続きを書くことを後回しにしなければなりませんでした。しかし、その間にわれわれが恐れている事態が起こった。とうとう、ある人がマルクス主義同志会に「お前達の解答は解答になっていない」と怒りをぶちまけたのである。このようにしてマルクス主義同志会は解体していくのか、という典型のような出来事ですが、マルクス主義同志会自身が自分たちのおかれている悲劇的な情況を認識できないために、事態はますます喜劇の外観を持ち始めています。マルクス主義同志会の諸君がこの喜劇の背後に隠されている自分たちの悲劇に気がつかなければ、ここでマルクス主義同志会は間違いなく最終ピリオドを打たなければならないかもしれないということを、老婆心ながら、警告しておきたいと思います。)
 
 1 マルクスとヴィルヘルム・ヴォルフが知り合ったのは1846年4月でしたが、以来1864年に死ぬまでマルクスと行動をともにした「勇敢、誠実、高潔なプロレタリアート前衛戦士」でしたのでマルクスの献辞はそのまま彼の人生を表しています。
 
 1846年というのは、ブリュッセルでマルクスとエンゲルスが共産主義者同盟の前身である共産主義通信委員会(通称ブリュッセル委員会)を設立した年で、この団体の目的はドイツ、イギリス、フランスの社会主義者の相互交流を目的としていたことから分かるように最初からインターナショナルな性格を持っていました。
 
 このブリュッセル委員会はやがて発展的に解消して1847年に共産主義者同盟というはじめて労働者階級の政治組織になっていきます。
 
 共産主義者同盟は同盟の目的および目標として「ブルジョアジーを打倒し、プロレタリアートの支配をうち立て、階級対立にもとづく従来のブルジョア社会を廃止し、階級のない、私的所有のない新しい社会を建設すること」をあげていますので、労働者の政党とも言ってもいいでしょう。
 
 なお、この時、マルクスとエンゲルスは「万国の労働者団結せよ!」というスローガンを掲げるよう提案し、それは同盟に受け入れられました。共産主義者同盟は最初から労働者の国際的なつながりを基礎においていました。だからわれわれ赤星マルクス研究会もホームページの下にでっかく「万国の労働者団結せよ!」というスローガンを掲げて自分たちが何者であるのかを明確にしています。
 
 この共産主義者同盟の綱領としてマルクスとエンゲルスは『共産党宣言』と『共産主義の原理』を書きました。これが出版されたのが1848年2月で、ヨーロッパを席巻した「1848年の革命」の直前でした。
 
 革命の勃発とともにマルクス夫妻はブリュッセルを追放になりパリに向かいますが、ヴォルフは理由もなくベルギーの官憲に逮捕され暴行を受けます。
 
 やがてマルクスは革命の勃発したドイツに戻り、ケルンを拠点に『新ライン新聞』を発行します。ブォルフも危険をおかしてドイツに帰国し『新ライン新聞』の編集部に入り、ケルン労働者協会の指導も引き受けます。
 
 ドイツ革命の退潮とともにマルクスはイギリスへの亡命を余儀なくされてしまいますが、ヴォルフも1851年にイギリスに亡命します。
 
 そして共産主義者同盟ロンドン支部は1852年に組織の実態がなくなったことを理由にして解散されます。(この提案を行ったのはマルクス自身でした。この共産主義者同盟の分裂と解散についてはマルクス年代記の中で書いていますので省略します。)
 
 ロンドンに亡命したヴォルフは1864年に亡命地マンチェスターでなくなります。
 
 マルクスのそばには絶えずヴォルフがいたし、ヴォルフは「勇敢、誠実、高潔なプロレタリアート前衛戦士」であったことも確かなことです。  
 
 
2 もう一つの見方は、経済的な問題です。エンゲルスがマルクスを経済的に支えていたのは有名な話ですが、ヴォルフも家庭教師をしながらマルクスを経済的に支えています。
 
 もちろん、ヴォルフ自身が貧乏ですので、いつもというわけにはいかないのですが、エンゲルスがマルクスの経済的な支援の要請を断ったとき、マルクスは、私の妻(イエニー・マルクス)がヴォルフに相談したら、ヴォルフは内緒だと言って、50ポンドも送ってくれたんだよ。あのヴォルフがだよ、私はヴォルフに申し訳なくて、涙が出てしょうがなかった、とエンゲルスにいっています。
 
 1864年にヴォルフは亡くなりますが、彼の死の直前に彼の父が亡くなったので、その遺産として彼に渡った800ポンドをヴォルフは遺言でマルクスに残します。
 
 ちょうどこの時期はマルクスが提唱した国際労働者協会の設立期と重なっているため、マルクスはヴォルフの残した遺産の多くを国際労働者協会設立のために使いましたが、1867年に『資本論』の初版の発行にようやくこぎつけたとき、マルクスの胸には800ポンドの遺産を自分に残していってくれたブォルフがよぎったのではないでしょうか。
 
3 これは直接的なものではなくマルクス主義の形成過程にかかわるものですが、われわれは前に、マルクスとルーゲはともにヘーゲル法学派、すなわち、観念的なブルジョア民主主義者であったので、マルクスがルーゲと決別したときがマルクス主義がマルクス主義として自立したときであるといいました。
 
 その決別は1844年7月にやってきます。この年の6月にドイツのシュレージエン地方で織布工の武装蜂起があり、軍隊によって鎮圧されるという事件が起こっていますが、マルクスはルーゲがこのシュレージエン蜂起を侮辱的に論評したことから怒りを爆発させます。
 
 マル・エン全集の第1巻に納められている『批判的論評』というのがそれに当たります。
 
 この中でマルクスはシュレージエン蜂起を
 
 「さしあたり織布工の歌を思い出してみるがいよい。この大胆なスローガンの中では、家庭や仕事場や居住地域のことには全然ふれずに、プロレタリアートがいきなり私的所有の社会に対する彼らの敵対を、あからさまで鋭く、率直で力強い仕方で絶叫している。
 
 シュレージエンの蜂起は、フランスとイギリスの労働者の蜂起が終わったところから、つまりプロレタリアートの本質の自覚から、はじまっている。行動そのものがこのようなすぐれた性格をおびている。
 
 労働者の競争者である機械が打ち壊されただけだけでなく、財産の要求権をしめす会計帳簿までも破り捨てられた。
 
 またその他の運動はすべてはじめは目に見える敵である工場主だけに向けられているのに、この運動は同時に目に見えない敵である銀行家にも向けられている。
 
 最後に、イギリスの労働蜂起には、どれ一つとして、これほど勇敢に、慎重に、ねばり強くおこなわれたものはない。」
 
と賞賛している。
 
 そして、最後に
 
 「『プロイセン人』氏(ルーゲのこと)よ、君は言いかえでも、不合理でも、どちらでも選ぶがいよい!だが、政治的精神をもってする社会革命なるものが言いかえであるか、あるいは不合理であるかにつれて、社会的精神をもってする政治革命はそれだけ合理的になるのである。
 
 いやしくも革命というもの――現在権力の打倒と従来の諸関係の解体――は一つの政治的な行為である。
 
 だが革命なしには、社会主義は実現できない。社会主義は、破壊と解体を必要とするかぎりで、右のような政治的行為を必要とする。
 
 しかし、社会主義の組織活動がはじまり、その自己目的、その精神があらわれるようになると、社会主義は政治的なベールをかなぐりすてる。」
 
 といいます。
 
 少し前の『ヘーゲル法哲学批判』では、マルクスは「人間をいらしめられ、隷属させられ、見すてられ、軽蔑された存在にしておくようないっさいの諸関係を、くつがえせ」といい、その役割をドイツのプロレタリアートに託しましたが、シュレージエンの労働者蜂起はそれを実行しうるにたる存在であることを明らかにしました。
 
 マルクスは後日、自分が共産主義者になったのはこのシュレージエン蜂起がきっかけであったと語っていますが、シュレージエン蜂起はまさにマルクスが予見し、期待をしていたものでもありました。
 
 そしてヴォルフの生まれたタルナウはシュレージエン地方にあり、ヴォルフ自身が隷農出身でありながら苦労して大学に進学して、この地方の活動家になった人でした。そしてその活動ゆえに、逮捕され軍事監獄をたらい回しにされてきたのですが釈放されるとマルクスのもとへやってきて、シュレージエン地方のルポルタージュを書いています。
 
 マルクスがヴォルフを見る目が特別であったのは、まさにマルクスはヴォルフにドイツの、いや世界の労働者階級の姿を見ていたからです。
 
 搾取と抑圧の中で、断固として闘いに立ち上がるヴォルフのような労働者階級の戦士のために『資本論』は捧げられているということです。   

ロシア革命とユダヤ人

2006-11-26 01:25:52 | Weblog
 前に、
 
 「マルクス主義者は自分で自分を教育するのであり、圧政と横暴がはびこり、多くの人が虐げられている社会では、マルクス主義者は社会のどこからでもわいてくるのである。
 
 それはちょうど、19世紀と20世紀の変わり目の広大なロシア帝国で、相互の連関なく、どこからともなくボルシェヴィキの革命家たちが続々とわき出てきたように、圧政と横暴がはびこり、多くの人が虐げられている社会そのものが彼らを生み出したのである。」

 このように書いたら、「圧政と横暴がマルクス主義を生み出すのではない」というお叱りの言葉をいただきまして、考えてみたら、確かにそれは、一面的なものの言い方だったような気がします。
 
 しかし、われわれはこの直後に、「変革を要する社会では、社会自身が変革者を生み出すのである」ということをいっています。
 
 これ自体は史的唯物論の真実であり正しいと思います。こういう点をもっと前面に出すべきだったと思います。
 
 そして、これがわれわれの関心を引く点ですが、この人は「ロシアのマルクス主義はユダヤ人によってもたらされた。」といっています。
 
 それでこの人が紹介してくれたホームページを見ましたが、そこでは
 
 「ロシアの革命直後における共産党員の民族別構成比の統計に目を通すと、次のような現象が見い出される。それは、総人口中の比に対して、ユダヤ人の場合、他と比較して党員中の割合が、かなり高いということである。ロシア革命期に目を転じると、この時期にもユダヤ知識人の革命家が、実に多く存在していたことがわかる。トロツキー、カーメネフ、ジノヴィエフ、ラデック、さらにメンシェヴィキのマルトフなど、革命指導者のほとんどは、ユダヤ人であったといえる。革命指導者だけでなく、革命参加者の中にも多数のユダヤ青年が存在していた。」
 
 という記述がありました。この部分についてはこの人の指摘は正しいと思います。
 
 ロシアの革命運動は「労働者階級解放闘争同盟」から始まりましたが、この組織はレーニンとマルトフの合作です。
 
 マルトフはヴィルナ(現リトアニア)出身の労働者活動家で、ヴィルナにはユダヤ人労働者地区があり、ここはロシアの革命運動、労働運動の発祥の地ともいえるほど、世紀の変わり目には労働者の運動が盛んなところでした。
 
 その理由としては、当時のロシアではユダヤ人は大学に入学できなかったために、ユダヤ人労働者のなかには潜在的に非常に有能な労働者が数多く含まれていたためではないかと思います。
 
 しかしもちろんヴィルナの革命運動、労働運動に問題がないわけではありませんでした。
 
 というのはヴィルナの労働者達は機械制大工業の労働者ではなく、ほとんど手工業的な労働者であったので、多くが労働者サークルで知識を身につけ、小金を貯めてアメリカに移住する希望を抱いていた労働者達が多かったので、労働者のサークルといっても必ずしもマルクス主義を学ぶ労働者サークルではありませんでした。
 
 また彼らは革命運動よりも日常の改良闘争を重視しており、レーニンが「経済主義者」とよんでいた日和見主義の一潮流でした。
 
 さらに、彼らはブントというユダヤ人労働者組織をつくって、社会主義の実現のほかにユダヤ人の解放も掲げていました。
 
 ロシア社会民主党の第一回大会はこのブントが中心になり、ブントはロシア社会民主党に団体加盟するという形式をとっていましたが、このロシア社会民主党の結成に関わった人々は後日、ロシアの秘密警察に一網打尽となり、ロシア社民党は事実上、解体しました。
 
 ロシア社会民主党の第2回大会は1903年にロシア国外で開催されましたが、この時には事情が大きく異なっています。もちろんその最大の原因はレーニンがシベリアの流刑から釈放されて国外に亡命し、この大会に中心人物として参加していたためです。
 
 レーニンは、マルトフの経済主義にも、ブントの「分離主義」にも、断固反対でした。レーニンは革命組織は単一の組織であるべきで、民族ごとに党組織を作るなどというのはもってのほかであると主張していましたので、当然ブントが大会に団体として参加すること自体に反対でした。
 
 このときブントはへそを曲げて大会をボイコットしてしまったので、大会ではレーニンの反対派は少数派となりレーニンは多数派を形成しました。この対立は大会後も続き、社会民主党はレーニンのボルシェヴィキ(多数派)とマルトフのメンシェヴィキ(少数派)という、事実上の分裂状態となりました。
 
 しかしレーニンのもとを去っていったブントやトロツキーのように、かなり後までレーニンの反対者であったユダヤ人活動家ばかりではなく、カーメネフ、ジノヴィエフのようにこの時レーニンの側についたユダヤ人活動家も多かったのです。
 
 こういう人はユダヤ人活動家として革命運動に参加しているのではなく、ボルシェヴィキの活動家として革命運動に参加していたのです。そういう点では社会主義運動は民族主義を超えたところに存在している運動であるというレーニンの指摘は正しかったと思います。

被害者が生存しているという根拠

2006-11-25 19:42:52 | 政治
 ある人が北朝鮮にいた拉致被害者は全員死んでいる。
 
 生きているというのであればその根拠を示してほしいといわれました。
 
 本来ならこういう質問は無視したいと思っていましたが、何度も言われるのでやはり答えなければならない質問であると思いました。
 
 この質問に対するわれわれの解答は簡単なもので、「拉致被害者の生死は分からない」というのが答えです。
 
 拉致被害者の死亡が全員確認されれば、それは生存確率ゼロということで全員死んでいるという根拠になります。
 
 しかしそうでなければ、生存確率はゼロではありませんので、そういうこと自体が被害者が生存しているという根拠になりませんか?
 
 つまり、数学的には、生存確率がゼロであるという証明が誰によってもなされていない以上、生存確率がゼロではない確率は無限大にあるというほかありません。
 
 拉致被害者は全員死んでしまったという人はその根拠として「北朝鮮政府がそのように言っているから」ということを根拠にしています。
 
 しかし北朝鮮政府はそのように言いながら、信頼に足りうる証拠を提出していないために、拉致被害者は全員死んでしまったという証明にはなってはいないのです。
 
 このようにいうと「ある人」は言います。「そんなに朝鮮人が信用できないのか」と。
 
 これはどういうことでしょうか?日本は、安倍晋三というバカなファシストが首相をしていて、毎日、ウソばっかりこいています。このことから他の国の労働者が、日本人はウソつき信用できないという結論を出すのであれば、日本の労働者は言わなければなりません。
 
 階級的な政府とその政府に支配されている労働者階級を区別しないのは、排外主義的な民族主義であり、労働者階級はそのような狭い民族主義を受け入れることはできない、と。
 
 日本の労働者階級は支配され抑圧されている階級として他の国の労働者階級と共通の利害関係を持っており、われわれはアメリカの労働者も、ロシアの労働者階級も、中国の労働者階級も、北朝鮮の労働者階級も、全世界の労働者階級も、ともに闘う仲間であり、同志であると考えています。
 
 ですから、われわれが北朝鮮政府の言うことは信用できないというのは、彼らが朝鮮人であるからではなく、彼らが北朝鮮の労働者階級を搾取し、抑圧し、闘う労働者を弾圧しているからにほかなりません。そのへんのところを誤解なきように。
   

見えてきた資本の戦略

2006-11-23 04:24:44 | Weblog
 この間、すなわち、小泉の退陣から安倍政権の誕生とその数ヶ月間、われわれがとまどっていたのはこの経緯が政治主導もしくは、経済と乖離(かいり)するかたちで政治の反動化だけが進んでいるような外観をもっていたことである。
 
 だからわれわれは一時、安倍晋三ファシスト政権の誕生は必然性がないという判断に傾いたことがあった。
 
 しかし、今になってみるとそれは誤りであったような気がする。
 
 というのはこの極端な国家主義的政権は外交的には日本の孤立化という日本資本主義にとってあまり利益にはならない政策を推進することしか知らないのだが、内政面では、政治的な反動攻勢をかけるという政策を取っている。
 
 そして、現在において日本資本主義が安倍晋三ファシスト政権を評価しているのは外交的な面よりも、この反動攻勢という内政面である。
 
 つまり、現在日本資本主義がめざしているのは、相対的剰余価値の創出(設備投資を行い生産力を上げて利潤を確保すること)よりも絶対的剰余価値の創出(搾取率を高めて利潤を確保すること)なのである。
 
 搾取率を高めるために資本はこれまで労働者階級の一部を零落させ、失業者や不正規雇用者といった相対的過剰人口を増加させて、賃金の上昇圧力を低減させるというどちらかと言えば間接的なやり方で利潤を確保しようとしてきた。
 
 それを今回は、より直接的な形で労働者の賃金を削り取ろうという方針に転換しようとしている。それが来年改正を目論んでいる労働法の改正で登場する「ホワイトカラー・エグゼンプション」と呼ばれる特定の労働者に対して、わずかばかりの手当と引き替えに残業代をケチろうという制度だ。
 
 多くの労働者が正規の労働時間の他に4、50時間残業をやって残業代でようやく生活を維持しているという現状のもとではこういった残業代が労働者から取り上げられるのは労働者にとってかなりきびしい情況が生まれてくるものと見られる。(私は残業が嫌いな方だからあまりやらないようにしているが、それでも残業代が5万円以下の月はほとんどないのだから、他の真面目な労働者は残業代で毎月10万円ぐらいは稼ぐのではないか?)
 
 そして「ホワイトカラー・エグゼンプション」というのであるから対象は「ホワイトカラー」だけかというと、先に導入されているアメリカでは現場の「チームリーダー」までその対象になっているように、必ずしも一部の特権的な労働者ばかりではなく、むしろ労働者階級中核部分を対象にしているものと見るべきであろう。実際、「係長サマ」、「主任サマ」、「班長サマ」、「グループリーダーサマ」はどこの職場でも腐るほどいるのだから、資本が「ホワイトカラー・エグゼンプション」の対象に困ることはないのである。
 
 このように労働者階級の中核部分の労賃を抑えようというのは、ある意味で労働者階級に対して非常に挑発的なのだが、挑発的という点でいえば、改正労働法では解雇労働紛争の金銭での解決というもう一つの挑発的な要素ももっている。(この解雇紛争の金銭での解決というのは、解雇撤回闘争に労働者が勝利しても職場に戻さないというもので資本にとって解雇をしやすくするねらいがある。)
 
 要するに、資本は労働者階級にとって受け入れがたい法案を提示することによって、労働運動に対して闘いを挑んでいるのである。
 
 これは個別の労働組合についても言える。現在国会で審議中の教育基本法の改悪が国会を通過すれば、次に出てくるのは教員免許の更新による“不良教員”の追放であり、これは日教組にとっても、全教にとっても受け入れがたいものであろう。
 
 さらに公務員改革では、公務員の身分をスト権の付与とともに、不安定化して解雇できるようにする案が浮上しており、これは自治労にとって受け入れがたいものであろう。
 
 したがって来年は労働運動に対して資本とその政府によって大きな圧力がくわえられる年になる見込みであり、この中で闘う姿勢を見せる労働運動に対しては断固として闘争を展開しようというのが資本とその政府の方針なのであろう。
 
 もちろん闘わないという選択肢もあるが、そうすれば日本は資本の専制支配する社会となり、資本による横暴はどんなことでもまかり通る国となるほかない。
 
 しかし、実際には、すでにこの資本の闘争の行く方は見えている。日本の労働運動の形骸化は1980年代以降絶え間なく進行しており、闘う労働運動が日本から姿を消してから久しい。だから今の若い労働者は生まれたときからストライキのない社会に住んでいるのだからストライキのやり方すら分からない。
 
 先日、岐阜県の裏金問題が発覚したとき、その契機となったのは岐阜県職労働組合に使途不明金がプールされているのが見つかったからだ。このとき岐阜県の当局と労働組合は完全になれ合って一体化していたため、労働組合は当局にいわれるがままに裏金の隠匿に協力していたのである。
 
 しかしこのような岐阜県職労働組合にたいして批判できる労働組合が日本にどれだけあるのであろうか?日本の労働組合の大半が、このように当局なり資本となれ合うことが日常化しており、リストラ合理化の時は会社に代わって労働者に退職するのを迫っていたのは労働組合の幹部達であった。
 
 だから資本の労働運動に対する攻勢は日本の労働運動が持っていた自主性の最後の残り火を消し去り、日本は資本の専制支配する社会となり、資本による横暴はどんなことでもまかり通る国になる可能性は高い。
 
 しかし、来年は偉大なる闘争の開始元年になる可能性もまた高いのである。労働者の希望のすべてが消え去ったとき、希望は自らの手で作り出すものであることに労働者自身が気がつくのはそんなに時間はかからない。だからこそ、資本とその政府はその保険として闘う労働者を職場から放逐する労働法案を制定しようと必死になっているのである。
 
 資本とその政府が、釣った魚にエサはやらない、改革と改良の時代、資本が労働者階級に配慮し、遠慮する時代はもう永遠に終わりなのだと高らかに宣言する年は、労働者がわれわれはもうエサには食いつかない、我々が望むものはもっと別のものであり、それは自らの力で勝ちとると宣言する年でもある。
 
 もちろん労働者がそのように考えたからといって、すぐにそのような時代になるわけではない。資本が専制を強め、労働者に対する搾取を強化するとき、資本は強力な政府を必要とするのであり、政治の反動攻勢によって労働者を政治的に追いつめようと画策するであろう。
 
 だから当面は、暗く、窮屈で、息苦しい社会にわれわれは住まなければならないこととなる。
 

UNKNOWNさんへ

2006-11-23 04:20:45 | Weblog
 仕事が忙しかったので、ここには何を書き込んでもいいのかという質問に答えるのを忘れていました。
 
 基本的には何を書き込んでもらってもかまいません。
 
 いやがらせのたぐいや悪意あるコメントやトラックバックは削除しますが、それでなければできるだけ残すようにはしています。
 
 また質問についてはできるだけ答えたいのですが、全部の質問に答えることはできないかも知れません。
 
 くだらない連中と議論するのは時間のムダなので「バカヤロー、絞め殺すぞ」と非常識な態度をとることがあるかも知れませんが、カタギの人の素朴な疑問にはできるだけ答えたいと思います。
 
 われわれは世の人々から蛇蝎のごとく嫌われています。これはヘビにしろサソリにしろヘタに手を出すと、パクッとかみつかれて、全身に毒が回って、のたうち回って死んでしまうからですが、われわれの毒は「悪党ども」に対してだけ有害で、そうでない人には人畜無害なのでご心配なく。それにそもそも大事なお客さんにかみついたりなんかしません。
 
 

世の中がおもしろくなってきた

2006-11-22 02:19:18 | 政治
 われわれのブログに対して「デタラメだ!」と叫ぶ諸君が増えてきた。
 
 大いに結構、これこそわれわれが望んでいた道だ!
 
 最初は、「日本が世界から孤立化して破滅の道を歩んでいる」というわれわれの主張に対してである。「デタラメだ!」このようにいう者に対してわれわれはなんと言えばいいのだろうか?
 
 われわれが「日本は世界から孤立化して破滅する道を歩んでいる」とつねづね言っているので本当にそのようになってしまったと考えているのであれば、そういう人の思考過程はどこかおかしいのである。
 
 ちょうど「火事だ」と叫ぶ者がいるから火事が起こり、「人殺し」と叫ぶ者がいるから殺人事件が起こると言っているようなもので、こういう人は哲学的に何か大きな誤解をしているとしか言いようがない。
 
 われわれがいうことが本当にデタラメだと思うのであれば、「バカな奴がバカなことを言っている」とほっておけばいいのである。
 
 むしろ逆であろう。われわれの言うことが「デタラメだ」とばかりは言い切れないようなことが、次から次へと起こっているから、とりあえず、われわれに対して「デタラメだ」と言って、自分自身を納得させようとしているにすぎないのではありませんか。
 
 この場合に、この人は現実に背を向けているのであって、現実に背を向けている人にできることはせいぜい妄想の世界に閉じこもることができるだけである。カイコのように自分で生み出した妄想の繭(まゆ)の中で惰眠をむさぼりたいというのであれば、われわれは止めません、どうぞご自由に。ただし、つぎにあなたが目を覚ますときに、季節が冬であれば、あなたが凍死する確率は限りなく100%に近いと言うことだけは忠告しておきます。
 
 この次の「デタラメだ!」という人は悲劇的な人で、「本当の悲劇は喜劇そのものである」という言葉をそのまま実践している人です。
 
 彼は、われわれがもと所属していたマルクス主義同志会の関係者で、彼は現在のマルクス主義同志会とは何かということを、身をもって労働者に示してくれる人です。
 
 情けないことに、現在のマルクス主義同志会は、われわれ赤星マルクス研究会を誹謗中傷するためにのみ存在しているだけです。
 
 いいですか、われわれ赤星マルクス研究会は、マルクス主義同志会の諸君たちに、諸君たちは完全にマルクス主義から脱落してしまったのだから、諸君たちに関わることは時間のムダだと言っているのですよ。そして諸君たちがなぜマルクス主義から脱落しているのかという点についても、詳細に語っている。
 
 そんなわれわれに、マルクス主義同志会の諸君たちが、「デタラメだ!」とか「○○は××だ」としか言えないとしたら、諸君たちはわれわれとの理論闘争に完全に敗北していると言うことですよ。
 
 考えても見なさいよ。「サービス産業で働く労働者は売春婦と同じだ」というのは、林紘義の価値妄想教から直接的に出てくる結論じゃないですか。
 
 いいですか、林紘義の価値妄想教は、価値、もしくは貨幣、もしくは貴金属としての金を、神としてあがめる宗教なのですよ。そしてこのような宗教教義からは「価値をつくる労働のみが神聖である」という当然の結論が出てくるのであって、この観点からすれば、価値をつくらない労働、すなわち、サービス産業などの労働は卑しくて堕落した労働なんですよ。林紘義はこの「卑しくて堕落した労働」を「売春婦の労働」と呼んでいるのです。
 
 そして林紘義はこういう言い方で、「価値をつくる労働」、すなわち、「商品を作る労働」を神秘化して、商品生産(資本主義的生産)を永遠化しようとしているんですよ。
 
 われわれが理解できないのは、マルクス主義同志会の諸君たちが、自分たちの主張を自分たちで認めることができない、むしろ、懸命になってそれを否定しているという世にも不思議な現象です。われわれがこういうことは理解できないというのだから、マルクス主義同志会の諸君のこういう態度はおそらく世の中の人みんな理解できませんよ。
 
 自分たちの所属しているカルト教団の教義すら理解できない教団員しかいないカルト教団は、実際には、宗教団体でもなくて、単なる愚か者の群れ、社会の笑い者集団にすぎないのです。ちがいますか?
 
 そして、われわれがこういうくだらない連中は、もう相手にしないというのは当然すぎるほど当然なことではないでしょうか?
 
 こういう連中がことあるごとに、「デタラメだ!」とか「○○は××だ」とわれわれに誹謗中傷を浴びせかけるのは、われわれにライスシャワーやフラワーシャワーが投げかけられるようなものです。
 
 われわれとしては、われわれの前途を祝福していただいてどうもありがとうとしか言えません。
 

闘い方が悪かったのかも?

2006-11-20 01:33:36 | 政治
 注目の沖縄県知事選挙が終わった。
 
 結果はわれわれの予測に反して、野党候補が敗退した。
 
 久しぶりに民主、社民、共産の野党統一候補での選挙をやり、それで負けたのだから、なぜ負けたのかという総括はきちんとする必要があるし、われわれ赤星マルクス研究会にしてもこの選挙は野党候補が勝つと予測していたのであったのだから、なぜ予測通りにはいかなかったのかをきちんと説明する義務がある。
 
 われわれの失敗としてはこの選挙を単に党派闘争としてのみ見ていたことである。
 
 しかし、自民党は最初から、この選挙を党派闘争として闘うつもりはなかった。(もちろん、無党派主義自体が一つの党派主義であることはいうまでもないことだが、)
 
 そしてこれがこの選挙の一つの勝敗の分かれ目になっていた。
 
 つまり、党派闘争として知事選を闘おうとした野党と党派闘争として闘うつもりのない与党の知事選に対する態度の差が、選挙結果となって現れたのである。
 
 大票田である那覇市の有権者たちは、横暴な安倍晋三ファシスト政権反対、教育基本法の強行採決反対、米軍基地の再編反対、といった政治的なテーマではなく、沖縄における失業率の高さの改善、沈滞する地域経済の立て直し、産業誘致といった現実的なテーマで投票する候補者を選定したのである。
 
 もちろん与党候補者の産業誘致やら、地域経済立て直しによる雇用状況の改善といったものが、どの程度現実的なものであるのかははなはだ疑問なのだが、少なくとも沖縄の都市部の有権者たちがそのような主張をする候補に投票しようという誘惑にかられたことは、総じて、彼らの雇用状況、生活状況が劣悪であり、政治によって何とかしてほしいという願いのあらわれであった。
 
 つまり「背に腹は代えられない」という情況を野党候補が打ち破れなかったのだが、今回の選挙を見るかぎり、「打ち破れなかった」というよりも、むしろ、打ち破る方策自体を野党候補は採用しえなかったというべきであろう。
 
 実際、相手候補に抵抗して、野党候補者が私も工業団地を造って雇用促進をやります、などといえば、沖縄の自然を守れ、乱開発反対という意見が仲間うちからでてくるであろうし、逆に、資本主義の矛盾を改良政策によって解決しようとすること自体が幻想だなどといえば、選挙協力の解消を求める政党が続出するであろう。(もっとも「資本主義の矛盾を改良政策によって解決しようとすること自体が幻想だ」などという党派はわれわれ赤星マルクス研究会だけで、われわれが選挙に参加するなら、迷うことなく野党統一候補の側ではなく、「諸派その2」の道を選択したであろう。)
 
 そういう点からするなら、今回の沖縄選挙は、地方自治体の首長を選ぶ選挙を国政選挙のように党派闘争そのものとして闘うことはどうなのか?また野党の「統一戦線」のあり方はどうあるべきか?という、今後の選挙闘争のあり方を考える上で有意義な闘いであったと思う。もちろん有意義といえるためには「負けた軍隊はよく学ぶ」という鉄則を生かさなければならないのはいうまでもないことであろう。
 
 そして、安倍晋三ファシスト政権との「政治決戦」が回避され、先延ばしにされたことは、参議院選挙を安倍晋三政権の墓場にしてやろうというわれわれの基本的な戦略にいささかの変更もない。
 
 むしろここで自民党内で安倍晋三政権の指導力に「?」マークがつくことによって、自民党内がゴタゴタするよりも、安倍晋三政権が無傷のまま参議院選挙に突入する方が自民党の痛手は大きいのだからわれわれとしては歓迎すべきことである。   

マルクス主義者はいかにして教育されるか

2006-11-18 01:16:00 | 政治
 自民党の保守反動派は大きな勘違いをしている。
 
 人間は教育の産物なのだから、マルクス主義者はマルクス主義教育によって生産されたのではないかというのがそれである。
 
 この誤った考えから、マルクス主義を滅ぼすためには、マルクス主義教育(と彼らが考えているもの)を滅ぼさなければならないという彼らのもう一つの誤った主張が出てくる。
 
 そして、彼らがマルクス主義教育と考えているものは、日教組であり、全教といった教育労働運動なのである。
 
 もちろん彼らは日教組の実態や全教の実態を知っているわけではなく、たんに頭の中で妄想的にふくらんだ被害妄想が現実とはまったく異なる幻影を彼らの頭の中に映し出しているにすぎない。
 
 そしてここからマルクス主義を滅ぼすためには、日教組と全教を滅ぼさなければならないという、荒唐無稽な右翼の共通認識が生み出され、それをファシスト政権である安倍晋三政権も共有しているのである。
 
 つまり、彼らは階級闘争が存在するのは、マルクス主義者が存在するからであり、マルクス主義者が存在するのは、日教組と全教という教育労働運動が存在するからであるという見解をもとに、階級闘争を滅ぼすために、日教組と全教を滅ぼそうというのである。
 
 だから安倍晋三ファシスト政権の教育改革には、このような隠された意図も当然存在するのである。
 
 もちろん中には、「マルクス主義教育」によって生産された「マルクス主義者」もいないわけではない。
 
 たとえば、「宇野理論」の創設者である宇野広蔵や、「労働価値学説」の創設者である林紘義がそうである。彼らの理論の裏にはちゃんと“メイド・イン・東京大学”のシールが貼ってある。
 
 長い間、官学の拠点であったこの学校は、すべてをぎこちないドイツ風の講壇風に変えなければ気がすまず、「マルクス主義」さえ、講壇風の社会主義に変えてしまった。
 
 だから彼らは「マルクス主義者」を自称はしているが、彼らの堅苦しく陰気な文章の裏には、つねにリカード、アダム・スミス、プルードン、ベルンシュタイン、といったブルジョア経済学者や小ブルジョア社会主義者、修正主義者が隠れており、マルクスの名前で資本主義を擁護することこそが彼らの本当の仕事であるし、それこそが官学の意味なのである。
 
 これに対して本当のマルクス主義者は資本主義の矛盾そのものから生まれてくるのである。資本主義の矛盾が労働者や青年に闘争の必要性を感じさせ、闘争の必要性が革命的理論の必要性を生み出すのである。
 
 そして人は必要なものは努力して獲得する能力を持っているのだから、マルクス主義者になろうと決意した彼はほどなくマルクス主義者になるのである。
 
 つまりマルクス主義者は自分で自分を教育するのであり、圧政と横暴がはびこり、多くの人が虐げられている社会では、マルクス主義者は社会のどこからでもわいてくるのである。
 
 それはちょうど、19世紀と20世紀の変わり目の広大なロシア帝国で、相互の連関なく、どこからともなくボルシェヴィキの革命家たちが続々とわき出てきたように、圧政と横暴がはびこり、多くの人が虐げられている社会そのものが彼らを生み出したのである。
 
 変革を要する社会では、社会自身が変革者を生み出すのである。
 
 その点では、教育を支配することによって社会を支配しようとするファシスト政権は彼らの願望とはまったく正反対のことしかできないであろう。 

中川秀直はなぜ“参議院選挙後”を語るのか

2006-11-16 21:51:22 | Weblog
 現在、自民党の実力者と思われる人物の発言ほど興味深いものはない。
 
 「参議院選挙後の3本柱は、憲法改正、道州制、省庁再々編というこの国の形の政局に入っていく。安倍リーグ対非安倍リーグの一大決戦になるだろう」
 
 この中川秀直自民党幹事長の発言はいろいろ憶測を呼んでいる。
 
 参議院の“ドン”(首領)と呼ばれる青木幹雄の徳島での演説、「民主党が政権を取れば、国際社会から孤立する。日本は世界から孤立すれば破滅する」というのもある。
 
 皆さん、奥歯にものがはさまったような話が多くて、何かを言いたいのだが、それを現在言うことははばかれる、というようなもやもやした話ばかりである。
 
 どうであろう、中川秀直の「参議院選挙後」を「教育基本法の衆議院通過後」を入れ替えれば、そして青木幹雄の「民主党が政権を取れば」を「安倍晋三政権のもとでは」と入れ替えたら?
 
 そうすれば前者は
 
 「教育基本法の衆議院通過後には、日本の政治は政局に入っていく。それは安倍リーグ対非安倍リーグの一大決戦になるだろう」
 
となり、後者は
 
 「安倍晋三政権のもとでは、日本は国際社会から孤立する。日本が世界から孤立すれば破滅する」
 
となり、話の内容はよく理解できる。
 
 この話、荒唐無稽とばかり言うことはできない。
 
 われわれが何度も指摘しているように、安倍晋三の政治は、金正日の政治と同じように、基本的にきわめて冒険主義的な性格の強いものである。前後の見境(みさかい)もなく、確たる勝算もないのに、いきなり勝負に出てくる。
 
 しかし、現実的に見れば、19日の沖縄県知事選で自民党が敗北すれば、野党は本格的に審議拒否に乗り出し、安倍晋三政権は教育基本法の改悪どころかすべてを失うかも知れない。そして事態は確かにそういう方向に動きつつある。
 
 われわれが何度も冒険主義の政治というのは、丁半賭博のようなものであり、負ければすべてを失う政治なのだ、勝敗の確率は50%であるといってもそれは“見かけ”であり、現実にはそれぞれ優劣のばらつきがあり、その勝負のあやを読み取れなければ必ず負ける、といっても、安倍晋三の知能レベルではわれわれの言っていることそのものが理解できないというのだから、安倍晋三の政治は百戦百敗が約束されている政治でもある。
 
 だから「教育基本法の衆議院通過後には、日本の政治は政局に入っていく。それは安倍リーグ対非安倍リーグの一大決戦になるだろう」という中川秀直の心配は決して杞憂と言うことはできないのである。
 
 だからこそ中川秀直は「憲法改正」という錦の御旗を持ちだして、保守反動派の大同団結を訴えているのである。
 
 これに対して「安倍晋三政権のもとでは、日本は国際社会から孤立する。日本が世界から孤立すれば破滅する」という青木幹雄は、当然、「安倍リーグ」ではなく「非安倍リーグ」ということになる。
 
 青木幹雄のいらだちは、「はたして安倍晋三で参議院選挙が戦えるのか、首をすげ替えるなら今年中にやらないと手遅れになる」という焦燥感のあらわれでもある。
 
 もちろんこの焦燥感の背景には、安倍晋三内閣の支持率の急落という深刻な事態がある。
 
 どの世論調査でも特徴的なことは、若年層と無党派層の自民党離れという顕著な特徴がある。われわれは前に大阪と神奈川の補欠選挙を分析したときにも、この現象に注目して、「小泉純一郎の時代は完全に過去のものとなった」と判断したが、それはこのような世論調査にも表れている。
 
 このように年齢が上がるとともに内閣支持率が上がるという安倍晋三内閣の支持率の構造は、旧来の自民党の支持構造そのものであり、この構造ゆえに自民党政治は次第に行き詰まって、細川連立内閣が誕生したのである。
 
 小泉純一郎はこのじり貧の自民党を立て直すために、大都市部の若者や浮動層を取り組み、独特のペテン政治、「改革」という耳障りの言い言葉だけが先行する政治スタイルを採用したが、小泉退陣とともに、ごく短期間のうちに、自民党は元のじり貧自民党に戻ってしまったのである。
 
 それもこれも安倍晋三内閣の大功績であろうが、これでは自民党はもう大きな選挙に勝つことができない。しかも安倍晋三内閣に対する不支持の根底には、抜きがたい国民の不信感があるのであるから、事態はどうしようもないところまで来ている。
 
 しかし、今ここで安倍晋三の首をちょん切ったとしても、それに変わるべき新鮮な「首」がないというのも自民党のお寒い現実である。
   

差別といかに闘うか?

2006-11-14 14:11:25 | 政治
 ブログの中でも、赤星マルクス研究会は差別的と指摘され、自己批判したばかりなので、こういうテーマはわれわれにふさわしくないのかも知れないが、重要なことなので、あえて書きます。
 
 われわれは少し前に、婉曲(えんきょく)に、解放同盟は、現在の闘い方をあらためる必要があるのではないかと主張しましたが、どうも分かっていただけないようなので、今度は直接的に言います。
 
 解放同盟の幹部いうように一部の問題分子が“エセ”なのではなく、同和事業そのものが“エセ”なのではないかというのが、われわれの率直な見解です。
 
 われわれだけではなく一部の“善意の人々”が同和事業はもうやめる時期に来ている、解放同盟は運動の原点に立ち返るべきだというのは、解放同盟の将来を思うがゆえの建設的な意見です。解放同盟はこういう“善意の人々”の声にきちんと耳を傾ける必要があるのではないかというのがわれわれの基本的見解です。
 
 差別されているがゆえに、貧乏であり、貧乏であるがゆえに、差別されている、したがって政府なり地方公共団体に、貧乏から脱却するための何らかの経済的な施策を要求することによって、差別から脱却しようというのは差別反対運動の正しいあり方ではありません。
 
 言うまでもないことですが、日本にはなんら特別な理由がないのに、ホームレスの生活を強いられたり、貧困の底であえいでいる人々が何百万人もいます。解放同盟はこういう人々になんというつもりなのですか?自分たちは特定の理由で貧困であるがゆえに、政府によって救済される権利があるが、諸君たちはこれといった理由がないのに貧困に陥ってしまったのだから、それは自己責任だ、したがって諸君たちには、政府に貧困からの救済を求める権利はない、などと言うつもりですか。それこそ差別というものではないですか?
 
 現在日本で進行している事態は、労働者階級の生活の全般的な劣悪化であり、その最弱の部分がすでに最低限以下の生活に押し込められてしまっていることです。こういう情況は労働者がそれぞれの立場を越えて団結し、闘いに立ち上がることによってしか解決の道はありえません。
 
 そしてわれわれ赤星マルクス研究会は、労働者のための組織なのだから、労働者の団結が促進されることを念願し、労働者の団結を阻害するものを容認できません。だから一部の人々の特権的な利益や権益を擁護、代弁する見解は絶対に受け入れることはできないのです。
 
 確かにいろいろな差別、女性差別や人種差別、民族差別、宗教差別等々が貧困と結びついている例はありますが、これは資本の支配と不可分に結びついているからではないですか。
 
 たとえば、男女平等がこれほどやかましく言われているのに、不正規雇用の大半が女性であり、女性の平均賃金が男性の60%にしかすぎないのは、資本、つまり雇用者がグルになって女性差別を利用しており、女性差別を利用価値のあるものとして温存しているからでしょう。
 
 つまり、労働者の賃金を最低限に押さえつけようという資本の論理があり、日本はそれが優先される社会だから、資本によってあれやこれやの差別が利用され温存されているのです。だとしたらここで問題になっているのは人為的に貧困を作り出すことによって、利潤を増やそうとする資本の論理そのものではないですか。
 
 そしてこのような経済的困窮と差別が分かちがたく結びついている問題は、資本主義的生産様式の廃棄によってのみ克服可能であるがゆえに、われわれは長い間、差別に反対する運動と社会主義が結びつく必要があることを訴え続けてきました。
 
 もちろん差別に反対する闘いは基本的に(自由・平等・博愛という)ブルジョア民主主義の課題であって、社会主義運動に解消されるものではありません。ですから、運動の独自性は保持されるべきであるし、差別に反対する闘いをそのものとして取り組むことも当然ありうると思います。
 
 だから、われわれは解放同盟や女性解放運動家や黒人解放運動家やもろもろの“正義の人々”が、独自の運動を展開したり、差別の撤廃を社会に求めたり、必要とあればそのために政府や地方公共団体に財政支出を要求することの必要性も認めてきました。
 
 また、そんなに社会正義を望むなら、赤星マルクス研究会に入って、世界社会主義の勝利のために活動せよ、などという紋切り型の主張もしていません。
 
 われわれマルクス主義者は、差別に反対する運動と社会主義が結びつきを機械的に解釈したり、差別に反対する運動は社会主義運動に従属すべきものと考えたり、社会主義運動の下請け機関とも考えてはいません。(他の左翼政党のことはわれわれとは関係がありませんので知りません)
 
 われわれ赤星マルクス研究会は、差別に反対する運動と社会主義運動は、その根底において資本の支配に反対せざるをえないという共通の利害関係を持っているからこそ、両者の友好的な関係を維持すべきだと考えています。だからこそ、こうして言いたくないこともあえて言っているわけです。
 
 ヒスパニックに対する差別反対のポスターを印刷して街々に張り出すことを要求し、そのための財政支出を国や地方公共団体に要求することと、ヒスパニック差別反対のポスターを印刷するためにヒスパニック用の印刷所を作ってヒスパニックを雇用せよと要求することはまったく違うことです。この区別しなければならない事がらを、同じであると考え、混同することから、現在、全国各地で“エセ”騒動が起こっているのではないですか。
 
 地区の生活環境が劣悪であり、それは不当な差別の歴史に基づくものであっても、それは基本的に地方行政や国の行政の問題でしょう。家の前の道がでこぼこであれば、日本国民なり市民として、町なり市当局に対して、はやく何とかしろと言えばいいのであって、差別の問題と切り離して考える必要があるのではないですか。町なり市当局がその地区が特定の地区であることを理由にして生活環境の改善を拒めばそれこそ、それは差別であって、そのような差別に対しては断固として闘えばいいだけの話です。
 
 正さなければならないのは何であるのかは、もうはっきりとしていると思います。
 
 
        

お答えします

2006-11-13 19:26:24 | Weblog
 いくつかご意見をいただきましたので、まとめて解答させていただきます。
 
1 反省いたします
 
 「父兄」というのは差別的というのはまったくその通りです。すみませんでした。
 
 「父兄会」というのは今から数十年(40年ぐらい)も前の死語です。この女性蔑視と言うよりも、世の中の半分が女性であることすら忘れている差別語が滅んだことは歓迎すべきです。もちろん、今は「保護者会」が正しいです。
 
 ただ、「保守主義者」うんぬんは少し違うと思います。単に時代に置いていかれた「昔人間」(これも保守主義といえば保守主義なのでしょうが・・・)ということで、数十年も教育現場とは無縁なところで生活していましたから、つい学生時代の言葉が出てしまいました。
 
 深く反省しおわび申し上げますいたします。
 
2 拉致被害者の生死は不明
 
 われわれのブログに拉致被害者はすべて死んでいるという意見がありましたが、それはまったく根拠のないデマです。
 
 生きているのか、死んでいるのか確認できないということが、現在われわれが言いうるもっとも確かなことではないのでしょうか。
 
 ただ一つ言えば、80年代の後半に、北朝鮮の赤軍派内部で権力闘争(田宮高麿の指導をめぐる争い)があり、拉致被害者の何人かがそれに連座するかたちで、政治的に粛正されている(政治犯収容所送りになっている)もようです。
 
 こういうことは帰国した赤軍関係者が当然知っていることですから、国内にいる彼らが自分の知っていることを語る義務があります。それをしなくても日本で何かをできると妄想しているところに彼らの救いがたさがあります。
 
 また、90年代に目撃証言のある拉致被害者は生存し続けている可能性が極めて高いです。
 
3 今、いそがしいです
 
 ついでに、もう一つ弁解をさせていただけば、私は電気設備関係の仕事をしていますので、最近、非常に多忙な日々を送っています。
 
 規定では、高圧電気設備は1年に一回停電させて定期点検をすればいいことになっていますので、いつやってもいいのですが、「慣例で」11月中旬にやるところが多いですので、あちこち引っ張り回されています。
 
 なかには営業時間が終わった深夜に定期点検をやれという「顧客」も多いので、ここ一週間ばかりは、昼夜の区別なく点検、整備、修理等の作業や報告書の作成に追われています。
 
 それで時機を逸したご返答しかできないこともありますので、前もって失礼をおわびさせていただきます。