労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

世界経済に雪崩れ発生か?(続き)

2008-07-26 20:07:50 | Weblog
 残念ながら、市場は総崩れとはならなかった。

 円も、石油も、金も、小麦も、トウモロコシも、買い戻しが入って、結果として小幅高で引けている。

 しかし、昨日の“悪夢”は今後起こりうるであろういくつかの可能性を示している。

 一つは、国際商品市況はすでにピークアウトしているということ。トレンドが上昇から下降に転じた原因は

 ①現物商品の上昇によって“需要の減退”、“在庫の増加”が見られること。

 ②欧米各国が規制を強化しはじめていること。

 ③サヤ取り(安く買って、高く売る)がむずかしくなり、一部の投機資本が市場から退場しつつあること。

が考えられる。この動きは今後も強まる。

 二つ目は、アメリカの金融危機は終息していないため、欧米各国の当局者および各トレーダーは市場の動きに神経質になっており、極端な動きを嫌い、つねに反対売買が行われる。このような隠された市場介入が可能とされるあいだは危機は成熟していないと見るべきだろう。そういう点では世界経済の雪崩れはもっと先と考えるべきだろう。

 三つ目は、株式市場の崩壊ばかりではなく、商品市場の暴騰と崩壊も恐慌の引き金になる可能性があること。古典的なものとしてはオランダの“チューリップ恐慌”(チューリップの球根の投機バブルがはじけた)というのが17世紀か18世紀にあったような気がするが、むしろ今回の投機の対象は基礎的な商品であるがゆえに、資本主義的な生産、再生産過程と深く結びついているという点で“チューリップの球根”とは比較にならない影響力をもっているだろうということだ。

 

世界経済に雪崩れ発生か?

2008-07-26 01:53:03 | Weblog
 CRB(商品指数)が急速に下落している。石油、穀物、金、鉄、非鉄金属の価格が急落している。

 アメリカなどが先物取引の規制に乗り出して、商品先物市場から資本が逃避しているためとも言われているが、もう一つには(アジア・欧米・日本における)急速な「需要」の減退を見ているのかも知れない。

 それともう一つの雪崩現象は円通貨の急速な下落である。円の急速な下落はCRB(商品指数)の急速な下落を相殺するものだが、それ以上に世界がアジアの経済、特に中国、韓国、そして日本の経済の先行きにたいする先行きに不安を感じていることのあらわれであろう。

 もちろんその不安はヨーロッパ経済、特にドイツとフランスの経済の先行きにたいしても存在する。

 では一体、現在の世界で何が起きているのであろうか?

 もちろん、「需要」の減退である。この「需要の減退」(供給にたいする需要の不足)は、これまでの過剰生産とは少し違ったかたちを取っている。

 原材料の異常な高騰が背後にあって、それが再生産を攪乱しているのである。すなわち、原材料の価格は高騰したがそれを自分たちが生産する商品価格に転嫁することができない(原材料の値上がりを製品価格に転嫁すれば商品が高くなって売れない)ということが現実に起きつつあるとしたら、それはすでに世界的な規模で資本価値の崩壊が始まっていると言うことであって、過剰生産の一つの表現にすぎないのである。

 こういった過剰生産が恐慌として発現するには、信用制度の動揺と結びつく必要があるのだが、世界資本主義の信用制度はすでにかなりの程度にその信用が毀損されている。したがって今後の世界経済の動向いかんでは相当強烈な嵐の時が来るかも知れない。

 

 

 

  

みんなでインターナショナルなバクチをやろう!

2008-07-22 17:51:58 | Weblog
 今年の『経済財政白書』はこれまでの最高の傑作となっている。

 白書では石油などの輸入原材料費が高騰していることを「海外への所得移転」、すなわち、日本は高いものを買わされて損をしている、世界経済によって収奪されている、と、世界に対して思いっきり悪罵を投げかけた上で、日本国民、というより、日本の大金持ち、小金持ちたちに、「リスクを取れ!」、(バクチによって損を取り戻せ!」とアジっている。

 ハッ、ハッ、ハッだ。

 この日本政府の勇敢なアジ演説に感激して、今日の東京株式市場は300円以上も暴騰している。

 ハッ、ハッ、ハッだ。

 誰かが、「ブルジョアなんぞというものは、ほっておけば自分で首をつる縄を編みはじめるものだ」といったそうだが、それはウソだ。

 日本には千兆円以上もの金融資産があるそうだから、このうち500兆円ぐらいを世界資本主義にカンパ(プレゼント)して、世界資本主義を救済しようとするのは別に悪いことではないであろう。(それが可能かどうかは「リスクテイク」すべき資産をもたない、われわれ労働者の知ったことではない)

 日本政府がここまでいうのだから、日本のブルジョア諸君は自分たちの政府のいうことを素直に聞いた方がいいのではないか。

 

 

 

アメリカ資本主義の長期入院

2008-07-17 17:11:15 | Weblog
 アメリカ資本主義は、1990年代の日本資本主義と同じような、病状になりつつある。

 つまり、高所からの落下による全身打撲(急激な信用収縮による“金融資産”価値の劣化と資本価値の破壊)で複雑骨折である。

 他の合併症も心配されるので、根本的な治療以前に、人工呼吸器をつけて、ベットに寝かしつけておくことしかできない。

 かつての日本資本主義がそうであったように、生きのびるものであれば、そのうち、体力の回復に応じて、蘇生するであろう。

 しかし、考えてみると、ここには大きな問題がある。

 それは、世界ははたしてアメリカ資本主義の“長期入院”を許容できるのかということだ。

 90年代に日本資本主義が同じ症状で“長期入院”した時には、こういう問題は考えるまでもなかった。というのは、いうまでもなく、世界資本主義にとって日本資本主義は、どうでもいいというわけではないが、存在しないからといって、世界経済がやっていけないというほどの存在ではなかったからである。

 それに、時代も「IT革命」と呼ばれる、情報通信の技術革新のまっただなかにあり、また、中国やロシア、インドが世界市場に組み入れられていく時代でもあった。

 資本にとって金儲けのチャンスはどこにでもあり、世界が資本主義的生産様式にほほえみを浮かべていたバラ色の時代に、日本資本主義が病気で“長期入院”したからといって、心配する資本主義諸国はどこにもなかったし、またその必要性もなかった。

 むしろ世界は日本資本主義の失敗を「バカなヤツだ」と笑ってみていたし、そうすることが可能な時代であった。

 しかし、現在、同じような病気でアメリカ資本主義が長期入院したいという届け出を世界資本主義は許容することができるのだろうか?(もっとも許容できないからといって、自力で歩くことさえできなくなりつつある病人を無理矢理、引っぱり出してきたところで、できることはなにもないのだが・・・)

 世界が声を合わせて、「アメリカ資本主義のみが最後の救いだ!」と、叫んだときに、アメリカ資本主義がダウンするのは、歴史の皮肉としかいいようがないが、もちろん、この問題は皮肉では終わらない。

 

 

 

 

 

 

日本の政治情況は深刻

2008-07-14 20:38:19 | Weblog
 ある経済新聞が日本共産党の若い労働者党員が急増していることを驚きをもって伝えている。
 
 もちろんこれは青年労働者や学生のあいだでマルクス主義が受容されてはじめていることの表れで、実際には、日本共産党ばかりではなく、いくつかの左翼党派も同じような情況にある。
 
 そしてブルジョアジーの機関紙を自認する“ある経済新聞”がこのような現象を取り上げているのは、ブルジョアジーが現在の政治情況に深刻な危機感を持っていることのあらわれでもある。
 
 ブルジョアジーの暗黙の政治認識からするならば、自民党から社民党までの政党が彼らの許容できる政治集団であり、このあいだの政党(自民党、公明党、民主党、社民党)の政治勢力がどのように変わろうとブルジョア支配にはそれほどの影響はないと考えられていたが、いまや、何万人という単位で、労働者、学生が“社会の防波堤”を乗り越えて、彼らの許容できない世界に入り込もうとしているのである。
 
 もちろん、ブルジョアジーも手をこまねいてこの危機的な政治情況を見ているわけではなく、マスコミを総動員して、必死になって、若い人々を“社会の防波堤”の内側にとどめるように画策している。
 
 しかし、正直言って、既成政治勢力の“社会の防波堤”の内側に労働者、学生をつなぎ止めようとする政治劇(彼らが言うところのパフォーマンス)はおもしろくも何ともない。
 
 厚化粧したおばさん芸者が媚びを売って、いったい、どれだけの集客能力があるというのだろうか?相変わらず“昔の名前で出ている”大根役者の底の割れた猿芝居に“おひねり”を投げる物好きな観客が何人いるのだろうか?できもしない空約束によって、いったい、何人の有権者を引き留められるというのだろうか?
 
 これではいくらマスコミが鐘や太鼓を打ち鳴らして、「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」といったところで、演じられる題目自体が、「毎度、お馴染みの・・・」では、何の意味もない。
 
 そもそもが、なぜ若い人々が、「ここを越えてはならない」とあちこちに標識がたててある“社会の防波堤”を乗り越えようとしているのか?それはいうまでもなく、われわれが何度も繰り返し言っているように、労働者階級の置かれている劣悪な生活情況を現実に改善しなければ、彼らは自分たちでそれを行おうとするであろうし、彼らにはそれだけの能力がある、彼らが政治に自分たちの救済を求めたとき、日本は、そして世界は、震撼するであろう、ということが起き始めているのである。
 
 現在、日本のブルジョアジーにできることは、この“社会の防波堤”を“ベルリンの壁”なみに高くして“労働奴隷”の逃亡を事実上不可能にするか、堤防の外側の世界に毒を流し込んで、人の住めない世界とするか、どちらかであろう。
 
おそらく、今後、この両方が資本の勢力によって試みられるだろうが、その結果は、どちらも、社会的対立の激化であり、政治的対立の激化である。
 
 “社会の防波堤”の外側の住民諸君!警戒し、覚悟せよ!闘いが迫っている!       

世にも不思議なレーニン その2 の①

2008-07-06 00:33:28 | Weblog
   ※「世にも不思議なレーニン その1」はホームページに掲載されています。今回は1923年1月に書かれたという“世にも不思議なレーニン”の5つの論文の3番目『わが革命について』です。
 
 
 この論文の最初で、“世にも不思議なレーニン”は「この数日、スハーノフの革命の記録を拾い読みした」という、もちろんこれは真実ではない、レーニンは“健康”を心配するソ連共産党中央委員会によって、すでに政治的なもの、時局的なものを読むことを禁じられていたからである。
 
 つぎにこの“世にも不思議なレーニン”はマルクス主義者を自称している人びとに、諸君たちは「革命の弁証法をまったく理解していない」とお説教をたれる。
 
 この“世にも不思議なレーニン”によれば、「革命的弁証法」なるものは「マルクス主義における決定的なもの」だそうで、「革命の時期には最大限の柔軟性が要求される」ということを意味しているそうである。
 
 そしてその柔軟性というのは「農民戦争と労働運動の結合」なのだそうである。
 
 最初に、明らかにしなければならないのだが、革命の時期に必要なのは、断固たる攻撃なのであって、革命勢力以外の勢力との妥協ではない。もしボリシェヴィキが1917年10月に、この “世にも不思議なレーニン”の知ったかぶりの戯れ言を真に受けて、メンシェヴィキのマルトフやエス・エル(社会革命党)との妥協を模索していたら、ボリシェヴィキは政権を獲得することはおろか、10月の時点で政党として消滅していただろう。
 
 そして、10月の武装蜂起によって権力を掌握したボリシェヴィキは、農民に土地に土地の分配を約束し、エス・エル左派と連合政権を樹立させる。これはもちろん本当のレーニンがいうように小ブルジョア的な農民が圧倒的な多数を占めるロシアにおいては、農民を味方につけなければ労働者は権力を維持できないからであった。
 
 要するに、ボリシェヴィキは、資本主義が未発達なロシアで、権力を維持するために農民に譲歩し、妥協を重ねるという現実的な政策を採らざるをえなかったが、“世にも不思議なレーニン”はこれを一般化して、これこそ革命的弁証法であるというのである。
 
 ところで、弁証法なり哲学は、世界の全体的な把握をめざす「学」であり、一般的に思考する「学」である。ところが世の中のことは一般的にそうであるからといって、個々の事象は具体的に考えると必ずしもそうなっていない場合があるからこそ、個々の具体的な事象はそれぞれの科学、なり学問によって研究されなければならないのである。
 
 ところが、われらの“世にも不思議なレーニン”は、この特殊な事情のもとにおける特殊な政策を一般化させて、これこそが弁証法であるというのであるから、この人のことを硬直したスコラ哲学的(形而上学的)な思考から抜け出すことができない人であり、「弁証法」を知らない人という本当のレーニンの評価はあたっているであろう。
 
 そして“世にも不思議なレーニン”がそのような結論に到達した議論の過程も実に奇妙なものである。
 
 最初に、彼は「だが、純理論的に見てさえ、すべて彼らには、つぎのようなマルクスの考えを理解する能力がまったくないことが目につく、彼らは西ヨーロッパの資本主義とブルジョア民主主義が一定の道をたどって発展していることを、いままで見てきた。しかも、彼らはこの道が若干の修正(世界史の一般行程の見地から見れば、まったく取るにたりない)をくわえないことには、見本とみなされないことを、考えることができないのである。」という。
 
 言っていることがよく分からないのだが、これを「ブルジョア民主革命は社会主義革命に自然に成長転化する」というスターリン主義者のドグマと重ね合わせなければ理解不可能である。
 
 つまり、“世にも不思議なレーニン”は、社会主義というのは西ヨーロッパの資本主義とブルジョア民主主義が一定の道をたどって発展するとこれまで考えられてきたが、これからは若干の修正がなければそのようなことは言えないだろうといっているのである。
 
 ではなぜそうなのか?“世にも不思議なレーニン”はその理由を二つあげている。
 
 第一の理由は、「第一次帝国主義世界戦争と結びついた革命。このような革命では、新しい特徴、あるいはほかならぬ戦争のせいで変化した特徴が現れなければならなかった。なぜなら、世界にはこのような情勢のもとで、このような戦争はまだけっしてなかったからである。いまでもわれわれは、もっとも富んだ国のブルジョアジーさえ、この戦争後に、『正常』なブルジョア的な関係をうまく整えることができないのを見ているが、革命家ぶるわが改良主義者たち、小ブルジョアたちは、正常なブルジョア的な関係を限度(それを越えてはならない)と考えてきたし、いまもそう考えており、しかも、この『正常』を極端に紋切り型に、またせまく考えているのである。」ということである。
 
 歯にものがはさまったような、非常にあいまいなところである。
 
 第一次世界大戦で何が変わったというのか?本当のレーニンならばこのような設問にたいしてはきちんとわかりやすい言葉で説明してくれるはずなのだが、“世にも不思議なレーニン”は最初から、最後まで読んでも何が変わったのか分からずじまいである。いっそ、“世にも不思議なレーニン”は、ブハーリンのように直接的に、この戦争が特徴的なのはこの戦争(第一次帝国主義世界戦争)が世界革命戦争に転化したことであり、世界革命戦争(農民戦争と労働運動が結合したもの)を勝利に導くために、ソビエト・ロシアはどのようなことをしても戦争を継続すべきだ、即時講和を主張したレーニンは正しくなかったとでもいった方がよりわかりやすいのではないか?
 
 しかも「富んだ国のブルジョアジーさえ、この戦争後に、『正常』なブルジョア的な関係をうまく整えることができない」というのは事実に反する、これが書かれた23年初頭には、敗戦国ドイツでさえスパルタカス団の蜂起を鎮圧してブルジョア的秩序を回復しているのだが、もちろん“世にも不思議なレーニン”がいっているのはそんなことではない。“世にも不思議なレーニン”がいいたいのは、むしろそれとは反対に、西ヨーロッパの資本主義とブルジョア民主主義が自然に社会主義に成長転化することを『正常なブルジョア的関係』と呼んでおり、西ヨーロッパの資本主義とブルジョア民主主義が自然に社会主義に成長転化しないのは、日和見主義者たちが「この『正常』を極端に紋切り型に、またせまく考えている」からであるといって非難しているのである。
 
 インターナショナル第2回大会では、ブハーリンは、高度に発達した資本主義=社会主義という観点から、ヨーロッパの革命的な危機はすぎて、欧米各国はブルジョア的秩序を回復したというレーニンに強硬に反対した。ブハーリンがようやく欧米の『正常なブルジョア的関係』に言及するのは、ようやく1928年(世界大恐慌の前年!)になってからであり、ここでは高度に集中化された欧米の「国家資本主義」について語られており、資本の無政府主義を克服した組織された資本主義として描かれている。
 
 “世にも不思議なレーニン”がいう二つ目の理由もよく分からない。
 
 「第二に、世界史全体の発展が一般的な法則にしたがうということが、発展の独自の形態なり、順序なりをあらわす個々の発展の時期をすこしも除外するものではなく、逆に、そういうことを前提としているという考えは、彼らにはまったく縁もゆかりもない。たとえば、ロシアは、文明国と、この戦争によって決定的に文明に引き入れられた全東洋諸国、非ヨーロッパ諸国との境にたっており、そのために若干の独自性をあらわすことができ、またあらわさなければならなかったが、これらの独自性はもちろん世界の発展の一般的方向にそってはいるが、ロシア革命を西ヨーロッパ諸国のこれまでのすべての革命と区別しており、東洋諸国が革命にうつるにあたっていくつかの部分的な新しいものを持ちこむという考えは、彼らの頭にうかびさえしないのである。」
 
 “世にも不思議なレーニン”も、これでは何を言っているのか分からないということが自分でも分かったのか、二の項目をつけ足して、より直接的にいう。
 
 「社会主義を建設するためには、文明が必要である、と諸君は言う。たいへんけっこう。だが、それならなぜ、地主の追放、ロシアの資本家の追放といったような文明の前提を、まず自国につくりだし、そのあとで社会主義への運動をはじめてはよくないであろうか?
普通の歴史的順序をこのように変更することはゆるされない、あるいは不可能であるなどと、諸君はいったいどんな本で読んだのか?」
 
 “世にも不思議なレーニン”は、「世界史全体の発展が一般的な法則にしたがうということが、発展の独自の形態なり、順序なりをあらわす個々の発展の時期をすこしも除外するものではなく、逆に、そういうことを前提としている」ということと「普通の歴史的順序を変更する」ということが同じであるというが、この二つはまったくちがうことであろろう!
 
 しかも語られている内容、すなわち“世にも不思議なレーニン”は、「社会主義を建設するには文明が必要であるというが、まず社会主義をうち立ててから文明をつくりだしてはなぜいけないのか?」ということもまるで論証になっていない。
 
 ここで“世にも不思議なレーニン”は「文明の前提」として、「地主の追放、ロシアの資本家の追放」(!)をあげているが、これが「文明の前提」であるなら、“世にも不思議なレーニン”が建設すべき「社会主義」とは何であろうか!
 
 また“世にも不思議なレーニン”は別のところで、ヨーロッパの資本主義とブルジョア民主主義を「文明」と呼んでおり、その「文明」が発達したものを「社会主義」(!)と呼んでさえいる(!)のである。
 
 失礼ながら、“世にも不思議なレーニン”は、すべての概念を曖昧(あいまい)化することによってデマゴギーの世界に迷い込んでいるのである。これではまるで本当のレーニンがいうところの「柔らかい蝋(ろう)」であろう。
 
 (1921年の労働組合論争ときレーニンはブハーリンにたいして、「われわれは、同志ブハーリンが非常におとなしい性質であることを知っている。これは彼の特性の一つであって、そのために、彼はあのように愛されており、また、愛されざるをえないのである。われわれは、彼が、たびたび、冗談に『柔らかい蝋(ろう)』と呼ばれたことを知っている。実は、この『柔らかい蝋(ろう)』のうえには、どんな『無原則的な』人間でも、どんな『デマゴーグ』でも、思いのままのことを書くことができるのである。1月17日の討論で同志カーメネフは、この括弧つきの辛辣(しんらつ)な表現をつかったし、彼はそれをつかう根拠をもっていた。だが、もちろん、カーメネフも、他のだれでも、出来事を無原則的なデマゴギーで説明し、万事それに帰着させるとは思いもよらないであろう。」(『党の危機』、全集32巻、P39)といっていた。)
 
 おもしろいことに、“世にも不思議なレーニン”は、このような見地にいたった経緯をつぎのように説明している。
 
 「私の記憶では、ナポレオン(!)は・・・・と書いた。(ここにはフランス語が書いてあるが1で述べたように、本当のレーニンがフランス語など使うはずもないから、割愛する。それとも「ブハーリンは、大衆にたいする呼びかけのはじめに、特別に説明を必要とするような、むずかしい用語をつかっている。私の考えによれば、民主主義の見地からみて、これは非民主的である。大衆のためには、特別な説明を必要とするするような新しい用語なしに書かれなければならない。『生産的』見地から見て、これは有害である。なぜなら不必要な用語の説明に時間を空費させるから」(『ふたたび労働組合について、現在の情勢について』、全集32巻、P77、という本当のレーニンの言葉を引用しなければならないのだろうか)ロシア語で意訳すればこうなる。『まず重大な戦闘にはいるべきで、しかるのちにどうなるのかわかる』。そこで、われわれもまず1917年10月の重大な戦闘にはいり、しかるのちブレスト講和、あるいは新経済政策などのような発展の細目(世界史の見地からみれば、これが細目であることは、疑いない)がわかったのである。そして現在、われわれがだいたい勝利してきたことは、疑う余地がない。」
 
 “世にも不思議なレーニン”は、最初、社会主義を建設するにはどのようにすればいいのか何もわからずに(!)、蜂起して政権を奪取したが、ブレスト講和(!)、新経済政策(!)を通して、それが社会主義の発展にとっては欠かせない契機であったことが分かり、これによってわれわれ、つまり“世にも不思議なレーニン”たちはどのように社会主義を建設すればいいのかが分かった、というのだが、ブレスト講和(“世にも不思議なレーニン”氏にとってブレスト講和はどうしても頭から離れられない事件であるらしい)にせよ、新経済政策にせよ、それは強要された譲歩であり、妥協にしかすぎなかった。
 
 1917年にドイツと講和をしなければ、戦争継続能力を持たない新生ソビエト政権は滅んでいただろうし、1921年に農民に譲歩して、穀物の自由販売を認めなければ、やはりソビエト・ロシアは農民の反乱によって滅ぼされていたであろう。
 
 だからこそ、本当のレーニンは、「社会主義」が生きのびるために、「最大限の柔軟性」を発揮し、ドイツの軍国主義勢力にも、ロシアの遅れた農民にも譲歩しなければならなかったのだが、“世にも不思議なレーニン”はこれを社会主義の「発展」(!)と呼ぶのである。
 
 本当のレーニンは新経済政策を資本主義への一歩後退であると認める素直さがあったが、“世にも不思議なレーニン”は、まるでブハーリンのように(!)、新経済政策こそ社会主義の発展した姿であるというのである!
 
 こうして“世にも不思議なレーニン”が、混乱のすえにたどり着いたのが、「農民戦争」と「労働運動」の結合もしくは同盟という概念であり、“世にも不思議なレーニン”は、これを世界にも当てはめる。つまり、「農民戦争」=「植民地からの独立闘争」であり、「労働運動」=「社会主義」である。
 
 革命ロシアが「農民戦争」と「労働運動」の同盟によって成り立っているなら、ボリシェヴィキもしくはソ連共産党の存在意義はどこにあるのか?一般的にいって、“世にも不思議なレーニン”は非政治的であり、社会主義を労働運動や「農民戦争」に解消することによって、社会主義そのものをどこかに追いやってしまっている。もちろんそれは“世にも不思議なレーニン”が政治を管理・統治の仕事、つまり言葉の本当の意味での独裁に特化させているからであり、ソ連共産党が労働者・農民の上に君臨する支配者として登場しようとしているからである。君主の仕事は支配し命令することであって、誰かと話し合うことではないし、その必要もないであろう。そのかぎりで政治闘争は姿を消し、本来の政治は権力の座をめぐる隠然たる権力闘争へと姿を変えていこうとしているのである

世にも不思議なレーニン その2の②

2008-07-06 00:31:23 | Weblog
 また、「農民戦争」と「労働運動」の結合の国際版、についても、まったく不明瞭であり、概念的に正しくない。
 
 第一次世界大戦後、植民地各国に勃興した植民地からの独立闘争は、決して「農民戦争」に解消されるものではなく、植民地、半植民地の民族ブルジョアジーの運動でもあったし、、学生のような小ブルジョアの運動でもあり、部分的には労働者の運動でもあった。しかし“世にも不思議なレーニン”はこれを「農民戦争」に単純化することによって、全体としてソビエト・ロシアが支援し、同盟するべきものであるという。
 
 この“世にも不思議なレーニン”の“遺言”はその後、ソ連共産党の基本的な政策となり、その年の1月、つまり1923年の1月にはソ連政府の特派使節ヨッフェは上海を訪れ、孫文と「孫文・ヨッフェ共同宣言」を交わしている。
 
 それによれば、
 
 (1) 孫文は共産主義が中国の現状に適したものとは思わないこと。
 
 (2) 今日の中国に緊急な問題は、民国統一の成功と、完全なる国家の独立の獲得にあること。
 
 (3) ソ連はこれを援助する用意があること。
 
である。
 
 要するに、ソ連は中国の民族解放運動をまるごと容認し、援助することを約したのだが、これによって21年に結成された中国共産党は国民党と(第一次)「国共合作」を行うことになり、共同で「革命軍」を結成した。
 
 25年孫文が北京で客死すると、翌年、蒋介石は北伐(北方の軍閥を打倒して中国の統一を図る)を開始した。そして北伐(ほくばつ)が成功をおさめつつあった27年には上海でクーデターを起こして「国共合作」を解消して、共産党を駆逐した。
 
 つまり“世にも不思議なレーニン”の“遺言”は、蒋介石のクーデターによって、水泡に帰し、中国共産党は壊滅的な打撃を受けるという結果にしかならなかったのである。
 
 中国共産党が、再び勢力を拡大していくのは、27年8月7日に開かれた中央委員会(8・7会議)で方針を転換し、① 労働者・農民の独自の軍隊をつくる。 ② 徹底的な土地改革を推し進めて、それを基礎に農民の支持を拡大していく、という決定を行い、中国革命を「農民戦争」として戦い抜くことにしたからである。
 
 つまり「農民戦争」は“世にも不思議なレーニン”がいうように、もともと中国にあったものではなく、彼の“遺言”が何の実効性もない単なるおしゃべりであったことが明らかになったからことの結果として、中国ではじまったのである。
 
 ところで、本当のレーニンは何といっていたのだろうか?
 
 それを紹介して今回の論考の終わりとしたい。
 
 「私は、後進国のブルジョア民主主義運動の問題を、とくに強調したい。いくらかの意見の相違を引き起こしたのはほかでもなくこの問題である。共産主義インターナショナルと共産党が、後進国のブルジョア民主主義運動を支持すべきであると声明することが原則的・理論的に正しいかどうかについて、われわれは論争した。この討議の結果、われわれは『ブルジョア民主主義』とはいわないで、民族解放運動というべきであるという一致した決定に達した。後進国の住民の重要な部分は、ブルジョア的=資本主義的関係の代表である農民からなっているから、どんな民族運動もブルジョア民主主義運動にしかなりえないということは、すこしも疑う余地がないプロレタリア党が、このような国にいやしくも発生しうるとしたならば、プロレタリア党は、農民運動にたいして一定の関係を持たなくとも、また農民運動を実際に支持しなくとも、これらの後進国で共産主義的戦術と共産主義的政策を実行することができるだろうと考えるならば、それは空想であろう。だが、ブルジョア民主主義運動をうんぬんするとなれば、改良主義運動と革命運動のあらゆる区別がぬぐいさられるだろう、という反対論が、ここに持ちだされた。ところが、この区別は、最近後進国や植民地国では、このうえなくはっきりと現れてきた。というのは、帝国主義ブルジョアジーが、全力をあげて改良主義的な運動を非抑圧民族のあいだにも、植え付けようと努めているからである。搾取する国と植民地国のブルジョアジーのあいだには、ある接近がおこった。だから、非常にしばしば――おそらく、大多数のばあい――非抑圧国のブルジョアジーは、たとえ、民族運動を支持しながらも、それと同時に、帝国主義ブルジョアジーと一致して、すなわち彼らと共同で、すべての革命運動と革命的な階級にたいしてたたかっている。小委員会ではこのことが反駁の余地がないまでに証明された。それで、われわれは、抑圧民族と非抑圧民族とのこの違いを考慮にいれ、ほとんどどこででも『ブルジョア民主主義的』という言いまわしを、『民族革命的』という言いまわしに代えることが、ただ一つ正しいものだと考えたのである。このように代える趣旨は、つぎの通りである。すなわち、共産主義者としてのわれわれは、植民地国のブルジョア解放運動が、本当に革命的であるばあい、われわれが農民と広汎な被搾取大衆を革命的精神で教育するのを、この運動の代表者が妨げないばあい、そういうばあいにかぎってこの運動を支持しなければならないし、また支持するであろう、ということである。こういう条件が存在しないならば、共産主義者は、これらの国で改良主義的ブルジョアジーとたたかわなければならない。第二インターナショナルの英雄たちも、この改良主義的ブルジョアジーに属している。改良主義党は、すでに植民地国に存在している。そして、ときにはその代表者たちは、社会民主主義者や社会主義者を自称している。前述の抑圧民族と被抑圧民族の区別は、いまではすべてのテーゼに取り入れられている。そのおかげで、われわれの見地ははるかに正確に定式化されていると思う。」(『共産主義インターナショナル第二回大会』、レーニン全集、第31巻、P234~235)
 
 レーニンが起草したテーゼの原案では、つぎのようになっている。
 
 「11 封建的あるいは家父長的関係と家父長制的・農民的な関係が優勢な、もっともおくれた国家と民族については特につぎのことを念頭におかなければならない。
 
 第一に、すべての共産党は、これらの国のブルジョア的民主主義的解放運動を支持しなければならない。だれよりも、もっとも積極的な援助を与える義務を負っているのは、おくれた民族を植民地的あるいは金融的な点で従属させている国の労働者である。
 
 第二に、おくれた国で勢力を持っている僧侶、その他の反動的・中世的な分子とたたかわなければならない。
 
 第三に、汎(パン)イスラム運動やそれに類する潮流とたたかわなければならない。これらの潮流は、ヨーロッパとアメリカ帝国主義にたいする解放運動を、汗(ハン)、地主、ムルラー、等々の立場を強化することに、結びつけようと試みている。
 
 第四に、おくれた国で地主にたいし、大土地所有者にたいし、封建制のあらゆる現れ、あるいは遺制にたいしておこなわれる農民運動を、とくに支持し、農民運動にもっとも革命的な性格をあたえるようにつとめ、西欧の共産主義的プロレタリアートと、東洋、植民地の、一般におくれた国の革命的農民運動とのできるだけ緊密な同盟を実現しなければならない。とくに必要なことは、『勤労者ソヴィエト』等々をつくることによって、前資本主義的な諸関係が支配している国々にソヴィエト制度の基本原則を適用するためあらゆる努力を傾けることである。
 
 第五に、おくれた国のブルジョア民主主義的な解放潮流を共産主義色に見せかけることとは、断固としてたたかわなければならない。共産主義インターナショナルは、すべてのおくれた国内の、名称だけの共産党ではない、将来のプロレタリア分子を結集し、教育して、彼らの特別の任務、彼らの民族内部のブルジョア民主主義民族運動とたたかう任務を自覚させる条件があるばあいにだけ、植民地とおくれた国のブルジョア的民族運動を支持しなければならない。共産主義インターナショナルは植民地およびおくれた国のブルジョア民主主義派と一時的な同盟をむすばなければならないか、それと合同すべきではなく、プロレタリア運動の自主性を、運動がたとえもっとも萌芽的な形をとっていようとも無条件に保持しなければならない。
 
 第六に、政治的な完全な独立国家をつくると見せかけて、その実は、経済、金融、軍事の点で完全に従属する国家をつくっている帝国主義列強が、系統的におこなっている欺瞞を、すべての、とくにおくれた国のもっとも広範な勤労大衆にたゆむことなく解明し、暴露して見せなければならない。こんにちの国際情勢のもとでは、ソヴィエト諸共和国が同盟するほかに従属民族や弱小民族の救いの道はない。」(『民族問題と植民地問題についてのテーゼ原案』、レーニン全集、第31巻、P140~141)