名古屋市の河村市長が、街頭で名古屋市議会解散の署名集めを始めている。
戦後日本の地方自治の長い歴史の中でこういうことはあまりなかったような気がするので、今日はこの問題を考えてみたい。
地方公共団体の首長と議会の深刻な対立はこれまでもあっただろうが、こういう事例を聞いたことがないのは、これまでは、相互の不信感が増幅して抜き差しならない事態になった場合、議会が首長を不信任決議を可決し、それに対して首長が辞職するか、議会を解散するかのどちらか、または両方、が選ばれてきたからであった。
つまり、日本の法律は首長による議会の解散を不信任案が可決した場合に限定しているのである。
議会と首長の対立関係で言えば、首長は議会の決定を承伏できなければ、再議(審議のやり直し)を命ずることもできるが、再議で再可決されればそれは議会の決定となる。
例外として、議会の決定が“権限を越え、法令に反する”ものであった場合には、総務大臣に裁定を求めることができることになっている。
つまり地方自治では、全体として議会の優越が認められているのである。
そこで河村氏が考えたのが、リコール運動によって議会を解散させることなのだが、そもそも地方自治に認められているリコール運動というものは、直接民主制を部分的に取り入れている住民自治から発生しているものであって、首長がリコール運動を組織し、扇動し、運動の先頭に立つことはまったく想定はしていない。むしろ法令は逆のこと、すなわち、首長はそのようなことをしないということを想定している。
30数万の署名が集まれば、リコールが成立するかのようなことが言われているが、いくら数が集まっても、地方自治の趣旨にそぐわない(住民の発議によって行われた運動ではないという点で)署名が果たしてリコールの条件を満たすのかは、はなはだ疑問である。
この問題はおそらく、名古屋市民の誰かが署名の無効と住民投票の差し止めを求める訴訟を起こす可能性があり、その場合、裁判は最高裁までもつれて、最高裁の憲法解釈にゆだねられることになるだろうが、違憲の判決が出る可能性は五分五分であろう。
戦後日本の地方自治の長い歴史の中でこういうことはあまりなかったような気がするので、今日はこの問題を考えてみたい。
地方公共団体の首長と議会の深刻な対立はこれまでもあっただろうが、こういう事例を聞いたことがないのは、これまでは、相互の不信感が増幅して抜き差しならない事態になった場合、議会が首長を不信任決議を可決し、それに対して首長が辞職するか、議会を解散するかのどちらか、または両方、が選ばれてきたからであった。
つまり、日本の法律は首長による議会の解散を不信任案が可決した場合に限定しているのである。
議会と首長の対立関係で言えば、首長は議会の決定を承伏できなければ、再議(審議のやり直し)を命ずることもできるが、再議で再可決されればそれは議会の決定となる。
例外として、議会の決定が“権限を越え、法令に反する”ものであった場合には、総務大臣に裁定を求めることができることになっている。
つまり地方自治では、全体として議会の優越が認められているのである。
そこで河村氏が考えたのが、リコール運動によって議会を解散させることなのだが、そもそも地方自治に認められているリコール運動というものは、直接民主制を部分的に取り入れている住民自治から発生しているものであって、首長がリコール運動を組織し、扇動し、運動の先頭に立つことはまったく想定はしていない。むしろ法令は逆のこと、すなわち、首長はそのようなことをしないということを想定している。
30数万の署名が集まれば、リコールが成立するかのようなことが言われているが、いくら数が集まっても、地方自治の趣旨にそぐわない(住民の発議によって行われた運動ではないという点で)署名が果たしてリコールの条件を満たすのかは、はなはだ疑問である。
この問題はおそらく、名古屋市民の誰かが署名の無効と住民投票の差し止めを求める訴訟を起こす可能性があり、その場合、裁判は最高裁までもつれて、最高裁の憲法解釈にゆだねられることになるだろうが、違憲の判決が出る可能性は五分五分であろう。