労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

拉致被害者家族の訪米と在日米軍再編問題

2006-04-29 02:32:25 | Weblog

 日本はますます、“東洋の不思議な国”になりつつある。  

 マスコミが北朝鮮による拉致被害者家族の訪米を大々的に伝えている。彼らが議会で証言した、ブッシュ大統領と面会する、等々を熱心に伝えている。  

  彼らは何か大きな誤解をしているのではないだろうか、ブッシュが彼らに言えることはおかわいそうに、ご同情申し上げます、というぐらいである。  

  彼らがアメリカのブッシュに依頼して拉致被害者を取り戻そうというのは完全な筋違いである。現在アメリカは六ヶ国協議への復帰の道を模索しているのであって、北朝鮮との軍事的対立を回避しようと願っているのである。  

  経済制裁ということであるのであれば、日本政府にそれをもとめるべきなのであって、アメリカは実質的な経済制裁にすでに踏み出している。  

  日本はアメリカの植民地だから、植民地宗主国のアメリカから日本政府にもっとしっかりするように言ってくださいというのであれば、そこには何か大きな誤解があるような気がする。  

  日本の北朝鮮への経済制裁にアメリカが反対しているから、経済制裁のためにまずアメリカの反対を説得する必要があるというのであれば事実の誤認がある。  

 北朝鮮に経済制裁をしないというのは日本政府の意志なのであって、アメリカにそそのかされてそうしているわけではない。  

  何事につけてアメリカ頼みだというのは最近の日本の風潮である。  

  難しいことはアメリカに頼めば何とかしてくれるんじゃないか、という漠然とした雰囲気が無気力な日本の保守層を覆っている。  

  こういう雰囲気を如実に表しているのが、今問題になっている在日米軍の再編問題である。だんだん明らかになっている事実は、「日本が3兆円負担すべきだ」というローレス発言は、この話はもともと日本が言いだしたことだから、日本が全額負担するのは当然だというアメリカ軍の立場を表しているのであり、驚いたことに日本政府はこのアメリカ側の提案に了解を与えたふしがあることだ。  

  バカじゃなかろうかと言いたくなるが、おもしろいことに世の中はどうもそういう方向に進むようだ。  

  もちろん進むといってもこの話はすんなりと決着はしない。  

  第1に、アメリカの財政赤字は急迫しており、国防予算は議会で大きく削減される見込みであること。したがって、ローレスが言うように在日米軍の再編問題に連邦予算がつく見込みは少なく、アメリカの日本が言いだしたことだ、やってほしければ当事者である日本が金を出せ、というスタンスは変わらないこと。  

  第2に、すでに日本政府内でも混乱があるように、国内の事情として、在日米軍の再編の費用の大半を負担する政治的環境にないこと。このような愚策を強行すれば、自民党自体が解体消滅する可能性が強いこと。  

  第3に、国際慣行として、日本政府がすでに、ローレス発言に言質を与えていれば、日本政府としてそれを実行しないわけにはいかないこと。  

  この1から3の間で、政府自民党がどういう態度を取るのかは見ものとしか言いようがないが、日米関係ということで一つだけ言うならば、日米関係を小泉自民党は大きく誤解している。  

  日米同盟というのは、もともとは日本資本主義とアメリカ資本主義の利害から生まれたものである。日本資本主義にとってアメリカ市場は過剰生産力のはけ口としてどうしても必要なものであった。そして、アメリカ市場に参入するためにはアメリカと仲良くなる必要があった。  

  アメリカと仲良くするために代々の自民党政権が取ってきた政策は、アメリカの無理難題を聞くこと。そのために涙ぐましい努力を自民党はしてきたが、一方で、日本がこれだけならぬ堪忍をしてきたのだから、日本の真意はアメリカに伝わるであろうという期待感も生まれた。つまり、アメリカは日本が困ったときには助けてくれる戦略的パートナーであるという幻想である。  

  ところが、アメリカはむしろ逆のことを考えているのである。アメリカにとって日本は困ったときに何でも要求に応えてくれる国であり、現在、アメリカ、というよりもブッシュ政権は困っているのだから、アメリカの要求を日本は聞くべきだというのである。

    この日米のギャップは今後ますます増大して行くであろう。そういう点では現在、日米同盟は戦前の日英同盟の解消期(1921年)のような状態になっているのである。  

  むかし、社会党の終末期にふられてもふられても自民党にまとわりつく社会党に対して「踏まれてもついていくゲタの雪」という言葉がささやかれたが、日本はこのゲタの雪状態になっており、まとわりつけば、まとわりつくだけ、うっとうしがられて、やがては捨てられるさだめなのである。      


ヤケクソになった小泉自民党

2006-04-26 11:50:11 | Weblog

 先の千葉補選で敗北して“手負い”となった小泉自民党が凶暴化し、労働者階級に襲いかかろうとしている。  

  これはゆゆしき事態のはじまりである。  

  当初、今国会での強行突破はないと思われた「共謀罪」の新設や「教育基本法の改悪」「医療制度の改悪」等々の懸案法案が、連休をはさんで一気に動き出す気配である。  

  ここで小泉自民党が、衆議院の数を頼みにして、評判の悪い法案をろくな審議もせずに、力ずくで“滞貨一掃”させようという“力の政治”に転換しようというのは、悪法を国会を通過させるのは、今しかないと考えたからである。  

  しかし、法案の評判が悪いのは、決して根拠のないことではない。「共謀罪」にせよ、「教育基本法の改悪」にせよ、それが国民生活に悪影響を及ぼすのはまったく明らかであり、「障害者自立支援法」のように、法案立案者自身が後悔するような法案を力ずくで国会を通過させ、法律として国民に強要するのは政治的無責任の極みであろう。  

  確かに、民主主義は多数決が基本であるが、“少数者”の意見を踏みにじることは、ブルジョア民主主義の原則に照らしても正しくない。  

  小泉自民党は最悪のかたちで終焉を迎えようとしており、大きな禍根を後世に残そうとしている。 


小泉自民党の敗退

2006-04-24 13:44:54 | Weblog

 千葉7区の衆議院補欠選挙で小泉自民党が敗退した。  

  これにおいて小泉の戦略、すなわち、9月退任後も“キングメーカー”として自民党内に君臨するという戦略は頓挫した。  

  もともとこの選挙を“総力戦”にしたのは小泉純一郎であり、彼は千葉7区の衆議院補欠選挙での勝利を小泉改革路線の最後の花道にしようとしたのである。  

 “小泉チルドレン”や大物閣僚、“ポスト小泉の連中”、二百数十名の国会議員を総動員し、公明党=創価学会の全面支援をうけ、さらには“キャバクラ嬢”云々という相手候補の誹謗中傷を含む人格攻撃を行い、愚かなマスコミさえ総動員して、水も漏らさぬ決戦態勢で臨んで、それでも勝利できなかったことの意義は決して小さくない。  

  小さくないどころか、時代はすでに、小泉純一郎を取り残して、大きく進みつつあることを教えている。

  しかも、小泉自民党が敗北を喫したのは、首都近傍であり、小泉自民党がこれまで得意としてきた大都市の浮動層をペテンにかけて得票率を稼ぐというやり方が今回の選挙ではまったく通用しなかったということは、小泉純一郎どころか自民党の今後をまったく暗くしている。  

  実際、千葉7区で勝てなければ、大都市圏で自民党が勝てる選挙区はもうないであろう。  

  そして、今の傾向が続けば、自民党は来年の統一地方選挙での敗北と、参議院選挙での過半数割れは確実であり、その次の総選挙も大敗を喫するであろう。つまり、あと数年で自民党は権力の座から転がり落ちることになるであろう。政権についているから自民党であって、政権から離れた自民党は何ものでもない、ということを考えると、今後自民党は、坂を転がり落ちる石のように、没落の道のみが約束されているともいえる。  

  もちろん労働者にとって、自民党の敗北は歓迎すべきことであるが、しかしそれに代わって民主党が台頭することは決して歓迎すべき事がらではない。  

  民主党もまた労働者にとって敵対的な政党であり、資本の利益のために活動する政権であることには変わりがないからである。  

  したがって、今後、労働者は政権の座にしがみつこうと悪あがきをする自民党ばかりではなく、“第二自民党”である民主党とも闘わなければならないであろう。  


日本海のさざ波

2006-04-21 20:08:13 | Weblog

 現在の情況は労働者には笑える。  

  東アジアでは民族主義が高揚している。  

  もちろん、われわれ労働者の旗はインターナショナルであり、世界の労働者が手をたずさえて、自らの運命を切り開いていこうという立場だ。  

  これに対して、ブルジョアや小ブルジョアの立場は、民族主義であり、排外主義である。彼らは、砂漠にも、ジャングルにも、海の上にも、境界線を引き、この線をはさんでお互いにいがみあい、ののしりあうことしか知らない。  

  日本、中国、北朝鮮、台湾、韓国の各国はそういう民族主義、排外主義の迷路へと突き進んでいる。  

  こういった連中は、基本的に脳ミソが足りないので、自分だけが「愛国者」だと思いこんでいるが、自分が「愛国者」であるように東アジアの他国もそうであるという重要なことを忘れているのである。  

  だから、自分たちが排外主義、民族主義を深めるほど、他国の民族主義、排外主義を刺激して、無用な対立を煽り、近隣諸国との対立関係を抜き差しならない状態に追い込んでいくと言うことが分からない。  

  安倍晋三保守反動政権が誕生すれば、この動きは加速するであろう。  

  教育基本法が改正されて「愛国主義教育」が強制されれば、この動きはもっともっと加速するであろう。  

  さて、未来の首相である安倍晋三氏よ、どこと戦争やりますか?やはり北朝鮮ですか?それとも韓国?不倶戴天の敵中国という選択肢もあるだろう。

  しかし、やはりいちばん望ましいのはやはり戦前のように全部まとめて侵略して占領するということではないだろうか。  

  実際、安倍晋三氏はあの戦争は正しくて、負けたのがいけなかったというのであるから、もう一度、大東亜戦争をやって、負けを取り戻すのが一番であろう。  

  ああー、日本資本主義の命運もここに来て、ついに尽きるのか。  

  もちろん、日本資本主義がここで朽ち果てようとも、労働者の命運は尽きない、むしろ、このようなブルジョア勢力の愚行のなかで、インターナショナルの旗を掲げて、自らの命運を切り開いて行くであろう。    


アイフルの教訓

2006-04-17 20:01:36 | Weblog

 おもしろい統計がある。

   経済産業省の調査によれば、企業が新入社員に求める最大の資質は「主体性」であり、回答企業の84%が「主体性」を新入社員に求めている。  

  これに対して「主体性」に自信があると答えた学生は3割弱である。  

  もちろん、ここには若干の認識のずれがある。  

  学生にとって「主体性」とは、テレビドラマでよくあるような、一匹狼的な刑事や探偵のような、上司の命令を無視して、犯人を追求する人のようなものである。  

  これに対して、企業が求める「主体性」は、会社の掲げる目標(会社は利益を求める集団であることをお忘れなく)を「主体的」追求する人のことである。労働者にこれこれのノルマを課して、これが達成できなければ、「南大東島支店かピョンヤン支店に死ぬまで飛ばしてやる」などと恫喝しなくとも、「主体的に」企業目標を追求し(会社は利益を求める集団であることをお忘れなく)、目標達成のために、「自主的」に努力する人が望ましい労働者なのである。  

  企業はこの労働者の「主体性」を育成するために、能力主義と成果主義の賃金体系を職場に導入してきた。  

  そう、労働者の「主体性」もしくは能力は、「成果」となって表れなければならない。   

  したがって、現在の労働者に求められるのは、何よりも「成果」なのである。  

  そして現在の日本の労働者は「成果」をあげるために、実に涙ぐましい努力をしているのである。  

  その労働者の努力の一端が、先日の「アイフル」の営業停止で明らかになった。  

  テープに録音された電話の向こうの声は、職業的「取り立て屋」の声ではない。追いつめられた労働者の声だ。「成果」を出さなければ、人並みの賃金さえもらえない、家族を養うことができない、そういう追いつめられた労働者の焦燥感が、「金を返せ!」という叫び声になっているのである。なんという会社だ!  

  そして、現在、多くの企業が導入している成果主義や能力主義に基づく給与体系は、多かれ少なかれ、「アイフル」のようなものである。「自主性」の名のもとに、自分で自分を追い込んでいくような会社生活を労働者は強要され、労働者は恒常的なストレスを抱えている。  

  会社、つまり資本のいいなりになることが本当に労働者のためになるのか、そういう反省期に、日本は入りつつある。   


小泉自民党の弱い者いじめ

2006-04-16 01:20:51 | Weblog

  数日前から、各家庭に介護年金の通知が届けられた。     

  それからというものジジ・ババのうるさいことと言ったら。  

  あれからまだ数日しかたっていないのに、入れ替わり、立ち替わり、違う人から、10回以上も同じことを聞かされている。

  「介護年金が高すぎる」、「勝手に天引きするな」、「サギにあったみたいだ」、「ドロボーだ」、「9万円あったら孫に何でも買ってやれる」云々と。

   年寄りの話は、くどいし、長いし、うっとうしいし、同じ話を何度も、何度も聞かされる。

   われわれに何とかしろと言われても、本当に困るのだが、それにしても小泉自民党は罪作りな政治をやっている。

   実際には、医療保険や医療制度の改悪でこれからもっと高齢者の負担が予想されており、小泉自民党を呪うジジ・ババの声は日本中に響き渡るだろうが、どうして小泉自民党はこういうことをやりたがるのだろう。

   どうせ年寄りは棺桶に片足突っ込んでいるのだから、死ぬ前に取れるだけ取ってやろうなどというのはあまり健全な考え方だとは思わない。

   しかも、負担を少し増やしただけだと強弁しても、高齢者の自己負担が増加するのは一つ(介護保険)だけではないのだから、いくつか重なれば重税感はいやでも増していくし、高齢者の生活環境は相当劣悪化しており、これからもこの傾向は強まっていくものと見なければならない。

   また障害者の自立支援法も施行されて重度の障害を持っておられる方の生活苦も心配だ。  

   それに、貧しくて医療費が払えない人々が激増していることも心配だ。

   弱い者を踏みつけにして、踏んだり、蹴ったりというのは日本の社会のあり方としていかがなものか。社会全体が何か荒涼として殺伐としているのではないか。

    社会に余裕がない、人々の暮らしに余裕がないからという人もいる。しかし、自分に余裕がないから、弱い者を踏みつけにしてもいいと言うことにはならない、社会的不正義と不公正を招来させてもいいと言うことにはならない。

   社会に正義がなければ、人々はそれを求めるのである。  

  われわれの子どもの頃には、言葉の本当の意味での貧乏生活というのが存在し、そういうのを見たり、聞いたりするたびに、心がひどく痛んだことを覚えているが、われわれはあの頃と同じ痛みを感じ始めている。

  この痛みは日本の社会がこれから大きく変わっていく予兆でもあるのかも知れない。         


自民党の存在自体が非教育的

2006-04-14 21:16:02 | Weblog

  自民党が「教育基本法」の改正を目論んでいる。

 法改正の力点は二つ。

  一つは教育行政について「国民全体に対し直接に責任を負って」という部分を削除することと、二つ目は「国を愛する心をはぐくむ」という文言を入れること。  まず、最初の国の責任放棄について。

  これは日本国憲法の第26条の「教育を受ける権利」と表裏一体のものとなっている。つまり、国民には教育を受ける権利があり、教育行政はその権利の保障に「直接の責任を負っている」ということを明文化したものであり。

  この「教育を受ける権利」には、子どもにくだらないことを教えてほしくないという「教育の自由」も含まれている。つまり当事者(子ども、親、教師)に教育内容を選択する包括的な自由裁量権を与えているのである。

  だからここから「誤った知識や一方的な観念を植えつけるような内容の教育を行うことを強制してはならない」という思想や「不当な支配に服することなく」という国家的介入の排除という思想が出てくるのである。

  今回の「教育基本法」の改正では、この文言(「国民全体に対し直接に責任を負って」)を削除することによって、国民の「教育を受ける権利」をいちじるしく損なう危険がある。  保守反動派はこの文言の削除だけでは飽きたらず、「不当な支配に服することなく」まで削除することを求めているが、まさにこれこそ教育を不当に支配してやろうというということではないのか。とんでもないことだ。

  政府自民党は教育の目的そのものを変更して、子どもたちのために有意義で必要な知識や技能を身につけさせるという人間形成の社会人育成の観点からではなく、国家のために有意義な人間を育成するという国家主義教育の観点に移行しようとしている。

  だから、徳目をいくつかならべてこれらの徳目を身につけよと子どもを恫喝し脅迫するのである。  そしてこの徳目の中心には「愛国心」がある。  政府自民党は国民の反発を恐れていくつかの妥協案を出している。

  その一つが「他国を尊重し」という言葉を入れることであるが、これについても保守反動派は「北朝鮮も尊重するのか」などとバカなことを言っている。

  政府自民党は北朝鮮と戦争するために教育基本法を変えようというのか。そもそも「愛国心」などというのは、比較対象の問題であり、日本とブラジルがサッカーの試合をやっているときに、日本を応援しないものは「反日分子だ」ということであろうが。

  「反米愛国」「愛国抗日」「愛国反中韓」はセットになっており、小泉純一郎でさえ、日本人で、中国や韓国のように靖国神社の公式参拝に批判するものは、国賊で非国民だなどという非常識なことを国会で平然と語っているではないか。

  だから保守反動派にとって左翼は、政府批判派であるがゆえに、「反日分子」なのであろう。こういうくだらないことを子どもたちの世界にまで持ち込もうと言うことであればわれわれは労働者の師弟のために断固として政府自民党の教育基本法改悪を阻止しなければならない。

  さらに、最近では、政府自民党の愛国心のあまりにもお粗末さに、すなわち、その実態が近隣諸国との対立を煽るだけの偏狭な民族主義や排外主義でしかないことを隠すために「国」には統治機構は含まれない、ということまで言いだしている。

  しかしだ、憲法が規定する統治機構には「内閣の助言と承認のもとで、一定の国事行為を行う」天皇も含まれているのである。

  政府自民党の諸君は、まさか戦時中の軍部のように「天皇機関説」は国賊だ、などと言うことは言わないだろう。

 もちろん、これさえも単なるごまかしであることは「君が代」の歴史を見れば明白だ。

  当初、政府自民党は「君が代」というのは、ボクとキミのキミのことなのだとウソをついて、教育現場に持ち込み、次には、国歌・国旗法案を制定させた。  国歌・国旗法案を制定したときにも政府自民党は君が代・日の丸を「教員や子どもたちに強制はしない」ということを国会で約束をした。

  ところが、国旗・国歌法案が制定されると、すべての約束が反故にされた。君が代・日の丸は教育現場に強制的に持ち込まれ、教育現場に無用の混乱と軋轢をもたらした。この中で自殺した校長や教員もおり、君が代を歌わなかったり、日の丸の掲揚に反対したために処分される教員や生徒もでた。政府自民党は国民を欺き、ペテンにかけたのだ。

  既成事実を積み上げるために、子どもたちにウソを教え、教職員をだまし、教育現場に国家主義を持ち込み、子どもたちと教職員に大きな良心の呵責をもたらしている。

  日本の教育を破壊している諸悪の根元は、実は、政府自民党なのである。    


東シナ海のクジラは“産業性難聴”?

2006-04-11 18:49:13 | Weblog

   今年に入って、日本近海の高速船とクジラの衝突事件が相次いでいる。  

     もちろん原因の第1は、世界的な規模で捕鯨をやめたことによるクジラの個体数の増加である。モータリゼーションが開始されたある時期まで、自動車の増加と交通事故の増加が正比例するようなものである。クジラ愛好者の理不尽な要求にIWC(国際捕鯨委員会)が屈したことによって、大洋の生態系が崩れているのである。

    このままで行けば、クジラの個体数の激増→オキアミなどの海洋水産資源の枯渇→クジラの大量死は避けられそうもない。

   しかし、どうも海の中ではもう一つのことが起きているようである。  

  テレビで、何度も、高速船に取り付けられているという、クジラよけの音源装置の音を放送して、司会者も「イヤな音ですね」などといっているのだが、実は、私には、何も聞こえないのである。

   私がその音を聞くことができないのは、私が“産業性難聴”で、ある一定程度以上の周波数の高音域がまったく聞こえないから。低周波数領域は普通に聞こえるので日常生活にはあまり支障がないが、それでも甲高い人の声は、高周波数の領域が聞き取り不能なので、何を言っているのかよく分からない場合が多い。  

   私がこうなってしまったのは、昔、大工場の変電室に勤めていて、その変電室の隣には巨大なコンプレッサーがあって24時間休みなく、カン、カン、カンと騒音を発していたから。変電所の勤務は24時間交代だったから、要するに、私は3日に1日は24時間騒音にさらされ続けていたのである。  

  それで、東シナ海の海中に工場があるかといえば、そんなものがあるわけがない。  

   しかし、東シナ海を取り巻く帝国主義諸国家(アメリカ、日本、中国)の覇権をめぐる確執は深まるばかりであり、それは潜水艦の作戦行動、敵の潜水艦を探知する対潜水艦作戦として海中深くを舞台にして、日夜繰り広げられているのである。

   潜水艦を探知するには、ソナーという、ピコーン、ピコーン、ピコーン、という音源を発生させる装置から音波を出して、その反射波で探査する方法がとられている。このソナーは対戦哨戒機から投下されるものや、巡視艇の船底から発信するものや、海底に固定式の音源装置を設置するものなど、いろいろあるが、いろいろな国が、いろいろな方法で、対潜水艦作戦を展開しているため、東シナ海の海中は、24時間、ピコーン、ピコーン、ピコーンという音であふれている。

   かくして、東シナ海のクジラは24時間騒音にさらされて、私と同じ“職業病”になってしまった可能性が大きいのだが、今回の事件ははからずしも、東シナ海の海底で繰り広げられている軍事的な緊張の厳しさを浮き彫りにした格好だ。  

  それにしてもアメリカの軍隊も、日本の軍隊も、中国の軍隊も、国民の了解をえずに、なんで勝手なことばかりやるのか。わからなければ何をやってもいいということにはならないだろう。  


小池百合子環境相をどうするのか?

2006-04-11 00:19:07 | Weblog

   環境相の驚くべき実態が暴露されている。  

  なんと環境省の500万円を超える契約の9割近くが、随意契約(一般競争入札ではない契約)であり、しかも、見積もりを一社だけに提出させていた契約もあるという。  

  業界に詳しい人ならよく理解できると思うが、普通は談合で契約をやっていても、見かけ上、競争入札をやっているように見せかけるために、数社から見積もりを提出させている。  

  もちろんこの場合は指名された1社が、形式的に他の会社の名をかたって数あわせをやっており、通常、それぞれの会社にはこのような談合用の他社の「見積書」が押印されて置いてある。  

  環境省の場合は、このような見せかけの隠蔽工作さえしていなかったのである!    これはズサン以前の問題であろう。しかも、こういう重大な事態が発覚しているのにもかかわらず、環境省の最高責任者である環境大臣は「入院中」で、説明責任が果たせない、ということだそうである。  

  小泉純一郎は国民をなめているのか?  

  担当大臣が今ここで説明なり、釈明できなければ、内閣の首班である小泉純一郎が自分で説明するか、環境相を罷免して、説明できる大臣を持ってくるか、どちらかであろう。  

  何年にもわたってこのような事態が放置されていたとすれば、それは事務方の責任ではなく、政治の責任であること以上に明白なことはないのだから。  

  しかもだ、小池百合子といえば、「小泉改革」の看板ではないか。小泉が行政改革を掲げ、「安上がりの政府」を標榜しているのに、その「改革の申し子」が大臣をしている省庁で、お手盛り予算が横行し、談合以前の、業官癒着が日常化し、国民の血税を指名業者にたれ流してきたことの経緯を説明するのは、政治の責任であろう。    小泉内閣は自らの説明責任を果たすべきである。  

  民主党の前原某のように、都合が悪くなると、担当者を病院に隔離して、嵐が収まるのを待つ、などという姑息なことをやっているようでは、小泉内閣の明日はない。9月前に内閣が崩壊するのは必至である。(ちなみに、民主党は、前原も、永田も辞めている。)

 

 


5年目の小泉政権と民主党

2006-04-06 01:23:06 | Weblog

5年目の小泉政権と民主党  

 マスコミをうまく利用しているのが小泉自民党で、マスコミにうまく利用されているのが民主党この差が現在の政界における力の差になって現れている。  

  かたや、マスコミに前原は辞任すべきだといわれて、辞任するや、党首を選挙で選ばなければ談合だと脅されて、選挙をするといえば、民主党は分裂しており、バラバラと揶揄される。  

  要するに、民主党はマスコミのおもちゃになっており、民主党がマスコミの声に耳を傾ければ傾けるほどボロボロになっていく宿命にある。したがって小沢民主党が誕生すれば、剛腕だ、強権だ、改憲勢力だと袋だたきにされ、ますますやせ細っていくことになる。  

  かたや、変人といわれた小泉が5年間も政権を保っているのは、マスコミによって持ち上げられているからであり、マスコミをうまく利用してきたからであった。つまり、マスコミと小泉政権の蜜月が長期政権を生み出してきた。  

  小泉は長期政権の秘訣は「運がよかった」からと説明しているが、彼についていた「運」というのはまさしくマスコミのことであった。実際、何度か訪れた小泉政権の危機の折りには、必ずといっていいほどマスコミは、小泉政権を支持することに全力をあげてきた。

   ところでこのマスコミというのは、いったい何であろうか?  

  それは日本の知識階級の集合体のようなものである。  

  90年代のバブル崩壊以後、日本資本主義は深刻な危機の中にあったが、彼らはレーガンやサッチャーの「新自由主義」を日本でも採用することによって、この危機を乗り切ろうとしてきた。  

  したがって、小泉の5年間は「改革の時代」でもあった。そしてこの改革の中身は、リストラと規制緩和、そして国民に対する税負担の押しつけと社会保障の削減であった。  

  基本的には、労働者階級をより劣悪な情況におくことによって、資本の利益を確保しようということであり、資本の利益が回復するにつれて、日本の経済を回復基調を強め、日本の経済の回復が「小泉人気」を下差さえしてきた。

   しかし、雪が解けてみればそこはゴミ捨て場だったことがわかるように、景気の回復とともに日本に表れたのは、むき出しの資本主義であり、階級社会の現実だった。  

  この階級社会をどうするのかが問われる時代になって、日本の社会は方向感を見失いはじめている。  

  こういう情況はまさに小泉政治の終焉を告げるものであり、小泉の政治的な役割はすでに終わっていることを教えている。  

  われわれが労働者の組織として人々の前に登場する日は案外近いかも知れない。