労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

株式市場は地上最後の楽園

2006-09-28 17:32:51 | Weblog
 世界経済はもう数ヶ月前からなだらかな下降局面を迎えている。
 
 それを特徴的に表しているのが、原油をはじめとする、第一次産品の顕著な下落である。CRB(国際商品指数)はすでに300を下回っており、すでに商品先物ブームは峠を越えている。
 
 そしてつい先日には、ヘッジ・ファンドのアマランス・アドバイザーズが天然ガスの先物投資に失敗して、50億ドル超の損失を出している。
 
 以来、先物市場は一次産品(原油や金、銅、アルミ)の買い建てと債券の売り建てを反対売買に切り替え、一次産品の先物売りと債券の先物買いに切り替えたので、アメリカなどの先進諸国の長期金利は低下し、商品から債券への投機資金の逃避活動が加速したが、一方では、世界的なインフレ傾向がおさまっていないため、長期金利の低下のいっそうの下落は期待できないため、その多くが債券市場から株式市場へと転出し始めている。
 
 またアメリカの長期金利の低下は、住宅ローンが伸び悩んでおり、だぶついた資金がモーゲージ(住宅抵当)証券に流れ込んでいるために、債券相場が上昇(長期金利の利率の低下)しているという要因もあり、それ自体がアメリカ経済の停滞の表現でありうる。
 
 これはアメリカの実体経済でも、8月の鉱工業生産が7ヶ月ぶりに前月比でマイナスになったことや、設備稼働率の頭打ち状態が続いていることや、8月の耐久財受注額が前月比0.5%減と市場予想(0.5%増)に反して減少したことや民間設備投資の先行指数とされる国防および航空機を除く資本財受注も0.3%減となったこと等に現れており、あきらかに、アメリカの鉱工業生産は高原状態から下降へと向きを転換しているのである。
 
 このアメリカ経済の元気のなさは4-6月期の資本収支にも現れている。この間のアメリカの対外資産純増(資本流出)は前期比40.4%減の2123億ドル、外国の対米資産の純増(資本流入)は前期比30.5%減の3663億ドルと資本流出、流入とも大幅に減少しているが、とくに資本流出の減少は著しく、中国、ロシア、ブラジル、インドなどの新興諸国への資本投下はすでに峠を越えている。
 
 これは中国経済でも同様で、1-6月期にはビルや工場などへの建設投資が29.8%と爆発的な拡大をとげていた建設ラッシュは、主に中国の銀行の融資に頼っていたが、この中国の銀行に出資していたのが欧米の金融機関であった。
 
 この中国でも金融の引き締めは一定の効果を生み出しており、中国の建設投資は顕著に下落しており、最近の上海当局の汚職摘発により、“上海バブル”に代表される中国沿岸部の急速な資本主義化は一つの転機を迎えようとしている。
 
 かくして世界中の投機資金は行き場を失って、彼ら本来の故郷であるウォール街の株式市場に帰還しつつある。ウォール街はかつて世界を駆けめぐって数々の“伝説の勝利”を打ち立てた歴戦の勇士たち、資本主義の英雄、投機の戦士たちの帰還を両手をあげて歓迎している。
 
 しかし、極東の“敗戦国”の労働者から一言言わせてもらえば、株が上がるのは、買う人がいるからであり、買うから上がり、上がるから買うという好循環は、当然のことながら、株式市場に間断なく資金が流入しているということを前提とした話である。もしこの資金流入が途絶しないでも減少でもすれば、たちまち、下がるから売る、売るから下がるという正反対の循環に転化するということをお忘れなく。 

曲がり角を曲がりきった日本資本主義

2006-09-26 19:18:39 | Weblog
 とうとう安倍晋三政権が誕生した。
 
 われわれはここ数ヵ月間、運命に逆らい、残されているかすかな偶然に期待して、安倍晋三政権を誕生させてはならないという主張を繰り返してきた。しかし、当然ながら、そういう努力は本日をもって終わる。
 
 われわれの前に登場したのは、姑息なファシスト政権であり、時いたらば、凶暴な本性をむき出しにして、アジア人民と日本の労働者階級に襲いかかろうとする“眠れる政権”である。
 
 彼らが目を覚ますのは、むろん来年の7月、参議院選挙後である。その日のために彼らはできることもできないことも含めてすべて行うであろう。ハト派のふりも、国民の支持をつなぎ止めるための人気取り政策も、その他の後ろ暗いこともなりふりかまわず行うであろう。
 
 したがって、来年の今頃は、日本の姿も、世界の姿も大きく変わっているであろう。
 
 現在、日本のファシスト勢力は、利益誘導と甘言で、日本と世界を騙しおえたと思っているだろうが、1930年代の人類の経験が明らかにしているように、彼らファシスト勢力がペテンにかけられるのは、ほんの一握りの人々を一時的にそうできるだけである。
 
 したがって、彼らの支配は結局、「恐怖の支配」へと移行せざるをえなくなるであろう。
 
 そして、日本にファシスト政権が誕生したことの意味は、実は、彼らが思っている以上に大きいのである。現在、世界経済にはすでに秋風が吹き始めている。自然の冬が訪れる前に、世界経済は「冬の時代」を迎える可能性だってある。
 
 日本のファシスト政権の誕生は、彼らが現代世界に対する順応性を欠いているという点で、すでに世界経済の不安定要因の一つとなっており、来るべき世界経済の冬の時代を、よりきびしいものにすることは確実である。したがって、今度の世界経済の停滞局面はソフトランディングではなく、ハードランディングが想定されるのである。もっと端的に言えば、1929年の世界大恐慌の再現すら、ないとはいえない情況がすでに生まれているのである。
 
 1929年には恐慌前にすでに、ドイツと日本は世界経済から脱落していたのであり、統一性を喪失した世界経済が、単なる株価の大暴落を本当の恐慌に転化させ、恐慌の結果として、分裂した世界はその分裂を対立として固定して、戦争の時代へと突入していったのである。
 
 もちろんこのすでに始まっている、日本資本主義の正常な軌道からの逸脱は、われわれにもう一つの可能性を与えてくれている。それはプロレタリア日本革命の可能性からの現実性への転化である。
 
 現在の日本の階級構成において、すでに労働者が過半数をしめている現状では、来るべき革命は労働者階級による多数派革命でしかありえない。
 
 今の厳しい状況の中でそのような話は、にわかには信じがたいのだが、日本資本主義の正常な軌道から逸脱しつつあるというという事実自体、日本の支配階級、すなわちブルジョアジーがその統治能力を喪失しつつあることのあらわれであり、「わが亡き後に洪水は来たれ」という姿勢はまさに滅びゆくもののそれであろう。
 
 もちろんそれはいつとも知れない先の話であろうが、日本はまさにそのような方向に向かって進んでいるのである。
 
 だから、これから先のわれわれの活動は、つねに後の世の人々、きびしい冬を生き抜いた人々によって見られ、検証され、試されるものとなる。われわれは、われわれが、何を考え、いかに生き、いかに闘い、いかに死んでいったのかを後の世の人々に自分の生き様で示さなければならないのである。
 
 いい加減なことはもうできないし、「恐怖の支配」の前に膝を屈することもできない。労働者に確かな未来を提示できる勢力だけが、未来へと生きのびることができる時代がやってきたのである。
 
 われわれは現在は極少数派であるがこの試練を耐え抜く自信がある。      

どうなることやら

2006-09-25 01:38:01 | Weblog
 ファシスト安倍晋三とその取り巻き連中は大企業の法人税6000億円を減税するのだという。
 
 この6000億円の減税、もちろん大資本の買収費である。この減税案、「諸君たちにはちゃんと減税をしてやるから、自分たちのやることには目をつぶっていただきたい」と裏にはちゃんと書いてある。
 
 日本の大資本もなめられたものだ。日本資本主義の値段はたかが6000億円だそうだ。
 
 安倍晋三と彼に群がっているファシストどもがやりたいことをやり始めたら、それこそ日本資本主義は何百兆円もの損害をこうむるのは目に見えているのに、この6000億円に目がくらんで、パクリとファシストのエサに食いつく大資本がいるというのであるから、情けないかぎりだ。
 
 それにしても今回の減税騒動は、今後の安倍政権の動きを先取りするものであるのかも知れない。警戒心を持っている連中にはつぎつぎとエサ(利益誘導とポスト)を投げ与えて懐柔し、なんとか政権を維持し続けようと画策しようという姿勢が見え見えだ。
 
 したがって安倍政権の予算はばらまき型であり、税収の不均衡は解消されないだろうという見込みはますます強くなっている。
 
 そしてもっと悪いことには、安倍晋三と彼に群がっているファシストどもはかなり本気で日本の軍国主義化に取り組むであろうということが明らかになりつつあることだ。
 
 安倍晋三と彼に群がっているファシストどもは、日本の既存の権力は利益誘導で懐柔すれば、相手はどのようにでもなることを学びつつあり、彼らが自分たちの将来の確信を得るたびに、ますます狡猾になり始めている。
 
 そういう点では今日本は非常に危うい地点に立っており、バカがなにかわめいている、という認識ではもう決定的に不十分になっている。

国家の“自然権”とは?

2006-09-23 12:54:14 | Weblog
 最初にはっきりと断っておくが、われわれは安倍晋三がまともな人間だとは思っていない。したがって彼の言うことを一つ一つ取り上げて、どうのこうのというのは、時間のムダだし、まったくの意味のないことであると思っている。
 
 しかしそれでも一応、日本国の最高権力者になる人物なのだから、意味不明な言動によって、恥を世界にさらすことは、われわれが世界の笑いものになるということでもある。
 
 金正日の北朝鮮とチャベツのベネズエラと並んで、安倍晋三の日本が世界三大バカ国家と称されるのは、日本に住んでいる者としては、えらく迷惑な話だ。
 
 その安倍晋三が最近言いだした珍説の一つが国家には“自然権”なるものがあって、集団的自衛権はその“自然権”に含まれるというものだ。
 
 もちろん、これはブルジョア民主主義とは関わりのないものである。
 
 ホッブスにせよ、ジョン・ロックにせよ、ルソーにせよ、現在のブルジョア民主主義の基礎をなしている啓蒙思想家たちは、一様に“自然権”を主張している。つまり人間は自然の状態で“自然権”(基本的人権)を有している、そして、その“自然権”を保護するために、“国家”という「人工物」が必要とされると考えていた。
 
 したがって、彼ら啓蒙思想家の論理に従えば、安倍晋三の主張は、人間の手による人工工作物にも人権を認めよという、ことになる。もちろん安倍晋三が言いたいことはこんなことではない。
 
 むしろ安倍晋三が言っている国家の“自然権”というのは、アドルフ・ヒトラーやファシスト松岡洋右がいうような、「国家の生存権」のようなものである。
 
 アドルフ・ヒトラーが国家を一つの有機体と見なして、この“有機体”が生きていくためにはエサがどうしても必要だ、ということで、この“国家有機体”がエサを捕食する行為(すなわち、他国の領土を侵略し、他国の住民を虐殺し、独裁的な支配権を確立する行為)を「国家の生存権」、すなわち、「国家の自然権」と呼んで正当化しようとしたのである。
 
 そしてヒトラーはこの国家の自然権を掲げて、近隣諸国を蹂躙し、ドイツは第二次世界大戦へと突入していったのである。
 
 また松岡洋右の「満蒙は日本の生命線」という有名な演説はまさに、大日本帝国を一つの有機体と見立てて、大日本帝国が生存するためには満蒙(中国の東三省)の獲得が欠かせないという、中国侵略を正当化しようとした論理である。
 
 われわれは何度も安倍晋三に警告しているのだが、このような安倍晋三の“ファシズム遊び”は、実際に日本がファシスト国家になるのかならないのかということを抜きにして、聞いていて不愉快である(そして世界の多くの国々の人々が、この点ではわれわれと感情を共有している)し、安倍晋三の「われと我が身」を滅ぼすだけではなく、日本資本主義そのものを破滅させ、結果として世界資本主義に致命的な打撃を与える行為である。
 
 世界はまだヒトラーのファシズムと日本軍国主義の引き起こした惨禍を忘れてはいないのだから、「金正日の北朝鮮とチャベツのベネズエラと並んで、安倍晋三の日本が世界三大バカ国家と称されるのは、日本に住んでいる者としては、えらく迷惑な話だ。」などと笑っている場合ではなくなりつつある。

安倍晋三の小さな勝利と大きな負債

2006-09-21 01:04:08 | Weblog
 ようやく安倍晋三政権が登場した。
 
 しかし、この総裁選挙は安倍晋三にとって、最初にして最大の大きなつまずきの石となってしまった。
 
 すべての派閥から支持を受け、いわばオール与党で闘って、464票(得票率66%)程度では、政権の浮揚力も自活力(自らの力で政権を維持、運用する力)も最初から欠けているといわざるをえない。
 
 つまり、66-50=16であり、この16%という過半数を超える超過分は、どこかの大きな派閥が反旗を翻せば、たちまち消失してしまうであろう超過分であり、安倍晋三が党内少数派に転落して、安倍おろしが始まる数字でもある。
 
 もっと具体的にいえば、今回の安倍晋三の勝利は、津島派の協力なくしてありえなかったと、津島派が主張できる程度の勝利でしかなかったのであり、津島派といえば既得権擁護のかたまりのような派閥である。
 
 これは決して津島派ばかりではないが、自民党の多くの派閥はすでに安倍晋三に論功行賞を求めているし、安倍晋三はそれに答えなければならない立場に追い込まれている。
 
 しかし、安倍晋三はどうもそういう政治力学にはうといし、派閥均衡型の内閣もつくる気がないようだ。
 
 安倍晋三によれば、人事は自分一人で決めるんだそうで、これは見ものというべきであろう。
 
 安倍晋三政権はひょっとすると組閣と同時にレームダック内閣になってしまうかもしれない。(その可能性は非常に大きい。「美しい国」日本を切り開いた後醍醐天皇は、自分が政権の座につくことができたのは、楠木正成のような忠君愛国の士ばかりではなく、足利尊氏のような連中も混じっていたという単純な事実を忘れていたために、「建武の新政」は成立とともに崩壊に向かったのである。「平成の新政」もおそらく同じ道をたどるであろう。)
 
 そういう点で、政治はすでに波乱含みなのだが、共産党と社民党だけはえらく元気がいい。すべてのリベラルを結集して安倍政権と全面対決するのだそうで、お手並み拝見といきましょう。    

誰が税金を払うのか?

2006-09-19 01:46:43 | Weblog
 国の税収で法人税が増えており、18年ぶりに所得税を抜く可能性があるという。
 
 もちろん、これは景気の拡大に伴うもので、現在の好調な企業業績を反映している。
 
 これに対して、所得税と消費税は一貫して伸び悩んでいる。
 
 このような税収のグラフを見て、一番最初に思うことは、現在の財政の異常さである。
 
 所得税(12兆円)、法人税(13兆円)、消費税(10兆円)、その他の税(10兆円)と見積もっても、歳出の80兆円には遠くおよばない。
 
 借金を返すための借金(国債の償還、借り換え費)があるからだといっても、それだけでは説明できない赤字部分があるのは確かである。日本の財政には構造的な赤字体質があるのではないか?その原因の一つが“大きな政府”、つまり身の丈以上に膨れあがっている政府支出にあることは想像に難くないが、他方で日本の財政は構造的な税収不足に陥っているという見方もできる。
 
 これがアメリカのように、イラク戦争での巨額の政府支出といった、不健全な政府支出に基づくものであれば、そこをバッサリ切り落とせばという話も出てくるだろうが、日本の場合には、進行している高齢化社会と低所得者層の拡大という二つの要因が財政の足を引っ張っている。
 
 近年における所得税の下落と消費税の伸び悩みは、われわれがいうところの労働者階級の生活条件が劣悪化していることのあらわれである。かつては一億総中流といわれた時代から見ると、労働者階級の大きなかたまりの三分の一程度がくずれて、潜在的な過剰人口(失業者、半失業者、受給貧民)の群れの中に投げ込まれている。
 
 個別資本にしてみれば、このような潜在的過剰人口の創出は、労働者間の競争を促進して、労働賃金を引き下げ、国際競争力を維持する、という意味で歓迎されるべきであろうが、税収という点から見るなら、それは租税負担者の負担能力の減少であり、疲弊でもある。
 
 したがって日本の構造的な税収不足は、労働者階級の生活条件の劣悪化という現代日本のもう一つの断面を、別のかたちで表現しているのかもしれない。
 
 そして、小泉政権のこの問題への対応はきわめて鮮明であった。それは歳出の大きな部分を占める社会保障、年金部分を削減するというものであり、削減のもう一つの柱であった公共事業については、景気が回復過程にある中では、削減は必然であるとともに必要であったのに対して、社会保障の一方的な削減は高齢者や社会的弱者の負担増となり社会の雰囲気を非常に悪くしている。
 
 こういうときに政府自民党が推し進めようとしているのは、消費税や所得税等を引き上げる一方で、社会保障の給付を削減するという、困難を労働者階級に押しつける方策、すなわち労働者階級の生活条件の劣悪化をいっそう推し進めるものである。
 
 われわれの社会は、公正にして、公平な社会ではないのではないか、日本の労働者階級がそのような疑念を持ったとき日本の社会は本当に変わっていくのであろうが、われわれはむしろ、当面、社会によって追いつめられた人々が、国家によっても追いつめられることを憂うのである。
 

すでに安倍晋三政権は行き詰まっている

2006-09-17 13:23:46 | Weblog
 不思議なことに、現在はまだ小泉内閣であり、自民党の総裁選挙もまだ行われていない。
 
 それにもかかわらず、われわれは誕生するであろう新政権は誕生とともに破綻の危機に直面し、その危機を乗り越えるだけの能力を持ちえないであろうことを予測することが可能である。
 
 われわれは安倍晋三が有力な総裁候補として登場した時から、この政権はネオ・ファシスト政権であり、本格的な軍国主義政権を準備する政権になるであろうと主張した。
 
 そういう点では、安倍晋三政権は誕生とともに、ヒトラーのナチス党が強権と暴力によって、ワイマール共和国をナチの“第三帝国”に改造したように、軍事国家へと改造する必要があるのだが、総裁選の過程で明らかになったのは、安倍晋三には真にファシストたるだけの根性も力量もないということ、安倍晋三はたんなる“おぼっちゃま”政治家で、その非常識な言動の多くは無知と無能力に起因しているということである。
 
 早い話、人が良く、大脳の機能が相当鈍いので、誰にでも利用される政治家であるということである。
 
 そして、これまでこの救いがたい愚かな政治家を利用してきたのは、「新しい教科書をつくる会」のような権力におもねるチンピラ右翼であり、安倍晋三は彼らチンピラ右翼の主張をオウム返しに主張していただけなので、「なんだこいつは?!」と心ある人々のひんしゅくを買っていたのである。
 
 しかし、総裁の座、すなわち政権の座が近くなるにつれて、この貧脳(貧弱な大脳の省略形)の利用者が変わりつつある。自民党はやせても枯れても政権党である、自民党の国会議員の多くは権力の甘い汁を吸うために自民党に入っている連中である。だから権力の維持が彼らの至上命題であり、そのためには何でもするのである。
 
 そこで自民党の大ボス、小ボスがよってたかって、現在、安倍晋三の「貧脳」を、自民党が利用可能なように、“大改造中”である。“バカの集積体”をせめて人前に出してはずかしくない程度の人間にしなければ、自民党政権はここで終わりであるという強い危機感が彼らにはある。(彼らの危機感は客観的に見て妥当である。しかしこういうことはもっと早くやるべきではなかったのか?)
 
 だから、これ以後、世界が安倍晋三の“非常識な”発言に振り回されることは、ぐんと少なくなるであろう。
 
 しかし、この自民党の大ボス、小ボスの“利用可能な頭脳”というのは、自民党が小泉政治以前に戻るということでもある。自民党政治の行き詰まりが小泉政治をもたらしたことを考えれば、小泉政治以前に戻るということは利権や既得権がはびこる「行き詰まりの政治」に戻るということでもある。
 
 したがって、自民党は今度は違う政治危機に直面することになる。
   

日朝関係は戦争の瀬戸際

2006-09-15 16:39:37 | Weblog
 現在、日本政府は北朝鮮に対する経済制裁を検討中で来週にもそれが発表されるという。
 
 しかし、日本政府がやろうとしていることは、交戦権を永久に放棄することを憲法でうたっている国家のすることではないし、ましてや余命10日以内という“残務整理政権”の行うことではない。
 
 それでも日本政府はそれを強行するというのであるから、われわれは日朝関係は戦争の瀬戸際にあると考えざるをえないのである。
 
 すでに北朝鮮政府は「どのような経済制裁も宣戦布告と見なす」と国際的に宣告している(北朝鮮の国連大使は国連総会でそう明言した)のである。したがって、北朝鮮政府が、日本政府の経済制裁を根拠にして、これは自分たちに対する宣戦布告であるとして、公海上の日本船籍の船舶を襲撃したり、日本国内の工作員を使って日本国内で無差別テロを行ったり、北朝鮮軍の小部隊を日本の過疎地に上陸させて局地的な侵攻作戦を行った場合、北朝鮮政府はこれは侵害された国家主権の回復行為であり、侵略ではないと主張できるし、この問題がハーグの国際司法裁判所に持ち込まれた場合でも、おそらく裁判官は北朝鮮の行為は侵略であるという日本の主張に組みはしないであろうということである。
 
 そしてこのことは重要なのだが、北朝鮮政府は昔から冒険主義的な傾向が強く、自分たちの行為が正当化できる、または国際的に決定的に孤立することはないと考えた場合、少々の犠牲や損害や非難があろうとも、それを行う可能性が高い、ということである。
 
 また、日本国内においても、北朝鮮による敵対的な挑発行為がどのように些細な形態で行われようとも、日本の世論は一気に沸騰して、「北朝鮮討つべし」ということになり、本格的な戦争状態へと進んでいく可能性が高いし、こういう情況こそ、安倍晋三政権が本当に望んでいる情況なのである。
 
 今回の金融制裁は、もともとは先の国連の安保理決議に基づくものであると政府は主張するが、安保理では、北朝鮮の「核・ミサイル開発につながる技術、物資などの移転防止」に各国が取り組むことを許容しているだけであり、国連憲章の第4章の経済制裁決議は回避されている。
 
 この安保理決議の意味を、日本政府は意図的に読み違えている、または曲解しようとしている。
 
 決議が認めているのは、せいぜい核・ミサイル開発に関与していると見られるメーカーや商社、銀行、個人を制裁の対象にすることであり、これらの企業や個人の資産を凍結し、海外への送金や銀行口座からの預金引き落としを禁止することであり、包括的な経済制裁ではない。この場合、日本の行為は国連決議に基づいているのであるから、北朝鮮は激しく日本を非難するであろうが、何かをしてくるということはない。
 
 しかし、必ずしも核・ミサイル開発に関与していると見られる特定の企業、個人を対象とせず、一般的なかたちで(たとえば朝鮮総連や朝鮮総連系の企業、団体、銀行、個人を対象とした)北朝鮮への送金停止や口座凍結を行って、事実上の包括的な経済制裁に乗り出すことは国連決議を完全に逸脱しており、日本政府による「北朝鮮への宣戦布告」に等しい行為であり、日本政府が国際的な支持を得ることができない行為である。こういうことに対しては、北朝鮮はおそらく敏感に反応してくるし、その反応は政治的なものではなく、軍事的なものであろう。
 
 いうならば、フグを料理するようなもので、うまく肝を取り除かないと、わが日本国は毒に当たって死ぬことになる。(フグのことを何も知らない料理人が料理を担当している日本の現状を考えると、後者である可能性は非常に高くなっている)
 
 戦争がしたくて、したくてたまらない連中にとっては現在の日朝間の戦争の瀬戸際外交は、ようやくめぐってきた第二次世界大戦の結果に対する報復の絶好の機会と写っているのだろうが、多くの人々にとってはえらく迷惑な話である。そしてたんなる迷惑な話というだけではすまないお寒い現実がある。
 

安倍晋三の責任感

2006-09-13 01:55:10 | Weblog
 現在、われわれ赤星マルクス研究会は保守反動派をガンガン攻撃中である。
 
 たまらなくなった「○○右翼」は、われわれの御本家サマであるマルクス主義同志会に赤星何とかを、何とかせよ、と愁訴する始末である。(ハッハッハッ)
 
 マルクス主義同志会が、「○○右翼」の熱い期待にどこまで応えられるのかということは、日本の労働者にとって一つの見ものであろう。
 
 それにつけてもおもしろいのは、現在の政治である。
 
 純然たるファシストである安倍晋三は、権力を獲得するために、現在、猫なで声であらゆる勢力にあらゆる約束をしている。しかし、この約束は安倍晋三が権力を獲得したとたんにすべてが反古(ほご)にされる運命である。
 
 実際、安倍晋三はすでに、「紙に書いた約束でなければ約束ではない」と、今後、いろいろな勢力との口約束を踏みにじる可能性を示唆している。
 
しかし現在の日本の支配階級や小ブルジョアインテリ、そしてマスコミは、そのこと(自分たちとの約束が反故にされることが分かっていて、それでもなお安倍晋三の約束にしがみつき、約束ゆえに安倍晋三支持を表明している。「おぼれる者は藁(わら)をもつかむ」というのは、わかりにくい。(現代っ子はそもそも藁がどういうものであるかすら知らない)そこでこのことわざは現代的に、「おぼれる者は安倍晋三を支持する」と言い換えた方がいいのであろう。
 
 笑えるのは、現在日本は“大洪水中”らしく、安倍晋三を支持する“溺れる者”であふれていることだ。
 
 こういう情況のなかで、本日の新聞には、「戦争を指導した者とされた者の間には区別が必要だ」という谷垣に対して、安倍晋三は、「それは階級史観につながる」と答えている記事が掲載されている。
 
 われわれの視点からいえば、「それは階級史観につながる」ということで正しいことを言っているということになろうが、安倍晋三によれば、「それは階級史観につながる」から正しくないのだそうである。それがなぜ正しくないか?「それは階級史観につながる」からだそうである。(ハッハッハッ)
 
 このような議論の仕方は、およそくだらないが、それでも日本軍国主義者の徹底的な卑劣さを、そして腐った根性を現している。
 
 ここでかつての日本の支配階級と軍部がアジア、太平洋地域でおこなってきた悪逆非道の犯罪行為の数々を列挙するのは意味がないのでやめておくが、安倍晋三はこれらの許すべからざる行為のすべては、日本の支配階級と軍部がおこなったのではなく、大日本帝国がおこなったことであるから、昭和天皇と帝国の臣民すべてに責任があるのであるという。
 
 先日、戦時中に中国で上官の命令で無抵抗の住民を銃剣で突き殺したという帝国陸軍の初年兵の告白をテレビで見たが、安倍晋三はこれは大日本帝国全体の行為であって、命令した者と命令された者のあいだには区別はないのであるという。
 
 それではこういう無数の戦争犯罪に対して、大日本帝国とそれを継承した日本国は責任を取るのかと言えば、誰も責任を取る必要はないのだという。
 
 そもそも安倍晋三は、太平洋戦争中、日本の支配階級と軍部がアジア、太平洋地域でおこなってきた悪逆非道の犯罪行為の存在そのものを認めないのだから、責任云々という発想そのものが生まれてこない。
 
 したがって「美しい国」日本は国家による犯罪はやった方が勝ちの国であるというのである。
 
 われわれはわれわれが生まれる以前の、60年以上も前のことを、あれこれほじくり返して、どうのこうのと言うつもりはない。ただ過去は現在である。過去の犯罪に目を閉ざす者は現在の犯罪にも目を閉ざすのである。
 
 よその国に対しては、どんなひどいことをやってもいいし、やったことにたいしては国民全体がおこなったことだから、政権としては責任は取らない、果たしてそういう政権が地球上に存在する意味があるのだろうか?
 
 われわれ労働者にしても、ひとりよがりの民族主義政権が無軌道におこなった行為の責任を押しつけられるのも困る。
 
 政権誕生前から、いかに打倒するのかが議論になる政権もめずらしいが、確かに、安倍晋三はそういうめずらしい部類の人間であることは間違いがないようだ。
 

ご祝儀が少ないぞ!

2006-09-08 20:15:41 | Weblog
 本日の日経平均株価、三日ぶりに68円上昇。
 
 ブルジョアの諸君、政治はお祭りだよ。御輿をかついでワッショイ、ワッショイ。
 
 世界の主要国で、しかもわが大日本帝国で、61年ぶりにファシスト政権が誕生するというのに、諸君たちの元気のなさは一体何なのか!そんなことで「打倒中国、打倒韓国、打倒台湾、打倒北朝鮮」の東アジア覇権戦争を勝ち抜けると思っているのか、愚か者め!
 
 キャノンやソニーなんぞはもう時代遅れだ。そんなボロ株は全部売ってしまえ。
 
 日本の核武装化計画の関連銘柄なら日立か東芝だ。
 
 日本軍国主義化には三菱重工は欠かせない。
 
 ミサイル防衛のためのイージス艦なら石川島播磨だ。
 
 狂喜乱舞して、日立、東芝、三菱重工、石川島播磨などの株を買え!軍需関連株を買って日本の軍国主義化を経済的に支えるのが諸君たちの任務のはずだ。
 
 「引き返す道はありや」などと、何を今さら軟弱なことを言い出すのか。手遅れだよ、すべてにおいて。
 
 日本資本主義が世界から孤立して、破滅する道を選択したことは、すでに確定した事実であって、誰も動かすことができない事実である。
 
 今頃になって、世界の人々がそのように見ているからといって、おじけづくのは嘆かわしいかぎりである。自分の選択した道だろう、もっと自信を持てよ。
 
 われわれ労働者階級は、現在の日本の日没の時を、やがて来るであろう「霧と夜の時代」とその向こうにある「朝焼けの時代」を見ているからこそ、すべてを受け入れるといっているのである。
 
 
 このような時代のなかでこそ、労働者階級は鍛えられ、社会主義は復活するのである。
 
 プロレタリア日本革命の勝利万歳!     

天皇家の陰謀

2006-09-06 12:17:12 | Weblog
 9月6日、予定通り天皇家に男子が誕生した。
 
 半年ほど前、われわれは「臣小泉純一郎の手痛い敗北」のなかで、もうすぐ出産する子どもは男子であり、これは秀吉の側室淀君が秀頼を生んだようなものとなるであろう、と論評した。
 
 われわれの予測通りの結果となったので、話を続けよう。
 
 皇室典範の改正が国会で議論になっていたとき、それを妨げるかたちで懐妊が発表され、皇室典範改正の議論は一時休止した。
 
 この議論の中で、われわれは天皇制が現在の社会の中で生き残るためには、ブルジョア民主主義に同化し、その原則を受け入れる以外にない。すなわち、現行のブルジョア的相続制度において、男女の区別をつけていない以上、その原則を天皇家も守らなければならない、それを守るかぎりで存続が可能であると主張した。
 
 このような主張は、当然、「万世一系論」、すなわち、天皇の神性を幻想的な古代神話のアマテラス某にもとめ、現在の天皇がその直系の子孫であることを根拠にしている。
 
 早い話、戦前においては、神の子孫であることが、天皇が神であることの根拠になっており、天皇が神であることが日本の統治者であることの根拠になっていたのである。だから「万世一系論」は君主制度と分かちがたく結びついており、天皇を神格化する明治憲法の土台そのものなのである。
 
 したがって、「万世一系論」は、その否定(戦後日本は天皇の人間宣言から出発した)から出発した戦後のブルジョア民主主義とは、まったく相いれない原則であり、われわれ労働者が許容することができない原則なのである。
 
 そして、さらに許しがたいことには、皇室典範の改正が国会で議論になっていたとき、天皇家は既成事実(男子を出産するという既成事実)をもってこれを覆そうとし、じっさい、くつがえしてしまったのである。
 
 これはどうでもいいことでは、断じてない。天皇家は、国権の最高機関である国会の議論に挑戦し、その決定に従う意志のないことを明らかにしたのである。卑俗な言い方をするなら、天皇家は日本国民にケンカを売ったのであり、その結果については、天皇家が責任を負うべき事がらなのである。
 
 現行憲法において、天皇は日本国の象徴であり、その地位は主権の存する国民の総意に基づく、というのは、国民の意志に従うかぎりで天皇は日本国の象徴たりうるということであり、国民の意志に従う意志のない存在はそもそも「天皇」たりえない。

 もともと、君主制と民主制は水と油のようなもので、水の中に油が存在するには、それなりの適応能力が必要なのだが、今回の事件は天皇家にその適応能力がまったく欠如していることを露呈した。
 
 労働者は現行の「象徴天皇制」の廃止そのものを主張する時期に来ているのかも知れない。   

能のないタカは“八方美人”

2006-09-02 11:47:32 | Weblog
 「能あるタカは爪を隠す」というのは一般論だが、能のないタカもまた爪を隠して、小鳥の群れに接近する。しかし、能がないタカということは、捕食能力がないタカということだから、この場合、爪を隠す、隠さないはあまり意味のあることではない。
 
 われらの能なし安倍晋三もまた猫なで声で、美辞麗句を並び立てて、政権に接近中である。
 
 もし安倍晋三が“能あるタカ”、すなわち、真性のファシストであるならば、政権の座についたとたんに豹変して、小鳥の群れを全部食べてしまうであろうが、おそらくもうそういうことにはならないであろう。
 
 というのは、能なし安倍晋三は、これまでにすっかり正体を暴露されてしまっており、その正体は広く人々の知るところとなっているからである。
 
 普通であるならば、ここで門前払いということであろうが、そうでないのは自民党と大資本にとって安倍晋三はまだまだ利用価値があるということだろう。
 
 したがって“能のあるタカ”と“能のないタカ”の違いは、君子豹変して既存の権力構造を一変してしまうことができる君子となるのか、君子豹変できずに逆に既存の権力構造から利用されるだけの君子になるかの違いであろう。
 
 そして安倍晋三は、確実にこの後者の道を歩きつつある。
 
 そしてこの後者の道は、“八方美人”への道でもある。西にミサイル防衛を強化してほしいという人がいればミサイル防衛の予算を増大させ、東に道路を造ってほしいという人があれば誰も使用しない原野にまで高速道路を建設し、北に破産しそうなブルジョアがいれば、政府保証を与えて財政的に援助し、南に苦境にある地方を援助してほしいという声があれば、地方への財政援助を行うような政権であり、早い話、ばらまき財政への復帰である。
 
 ヒトラー政権も発足当時はそういう面があった。彼は帝国主義戦争も行ったが、ドイツのアウトバーン(高速道路網)も建設したのである。“八方美人”政権として多くの人々の歓心を買うためにばらまき財政を行い国家財政を悪化させた。そしてそれを補うために隣国への領土拡張に乗り出したのである。
 
 現在、国債の残高はすでに800兆円にも膨れあがっており、これ以上国債を積み上げれば、それこそ本当に国家財政そのものが破綻するということにもなりかねない。
 
 いずれにせよ。この国は能なしタカの“八方美人”政策が続けられるほど財政的な余裕はなく、窮鼠は猫をかむ、すなわち、政治的、財政的に追いつめられて暴発する危険性を持った政権であることには変わりがない。     

誰が愛する者のために死んだか?

2006-09-01 02:22:49 | Weblog
 戦争映画がさかんに作られている。
 
 もちろん、戦争映画といっても、ニューギニヤ戦線やインパール戦線、あるいは南京事件や満州事変といった、日本軍が悪逆非道の限りを尽くして他民族を虐殺したものやあまりにも悲惨で声も出ない敗北の戦場ではなく、「神風特攻隊」や「回天」や「戦艦大和」といった“特攻もの”であり、見なくとも内容が理解できるしろものだ。
 
 そしていわれていることは、こういった人々が愛する者のために死んでいったということであり、最後には“お国”のために死ね、ということに尽きる。
 
 しかし、はっきり言って、昭和の戦争の時代に、愛する者のために自ら死を選んだといえる人々は、戦争と日本軍国主義に反対して、特高警察や憲兵に拷問の上、虐殺された一部の勇気ある人々だけである。
 
 後の人々は、そうではなかった。
 
 そうでない理由は簡単だ。それは自ら選択した行為ではなかったからだ。たとえば、「戦艦大和」の乗組員のうち、「オレは無駄死にはごめんだよ」といって下船できた兵士が何人いたか、いるわけがない、なぜならそんなことをすれば銃殺になるのは、誰もが知っていたからだ。だとするなら、それは国家によって強要された死であり、誰のための死でもなく、単に国家によって虐殺されたにすぎないであろう。
 
 特攻隊についても同じこと、一応志願制度になってはいたので、「パス、いち」ぐらいは認められたかも知れないが、「パス、二」または「パス、三」などということになれば、無理矢理、飛行機に乗せられて飛び立たされることぐらい彼らは知っていた。
 
 しかも、「神風特攻隊」や「回天」や「戦艦大和の特攻」にしても、成功する可能性はほとんどゼロである。(現在のアルカイダの自爆テロの方が成功する確率ははるかに高い)したがって軍事的には何の意味もない戦術にすぎない。
 
 当時の日本の軍部がこのような支離滅裂な戦術を採用しなければならなかったのは、すでに戦力において圧倒的に彼我の差が開いていたからであり、戦争の帰趨は「神風特攻隊」や「回天」や「戦艦大和の特攻」の前に決着がついていたのである。
 
 こういう時に、愛する者のために命をかけるという人が何をしなければならないのかはまったく明白であろう。無益な戦争を一刻も早くやめさせることこそ、人々の利益にかなった道だったのである。彼らはそういう困難な道を選ぶことができなかったという点において、「普通の人」にすぎなかったのであり、彼らの悲劇性はそこにこそある。
 
 現在、一部の反動どもがこの戦争末期の悲劇を取り出して、「国のために死ね」とわめいて反動政治を促進しようとしている。
 
 まさに悲劇の死者を冒涜し、利用しようとする行為であり、許しがたい。
 
 安倍晋三!石原慎太郎!国のために死ぬんだろ、だったら早く死ねよ。お前たちが生きていることは日本国のためにならない。日本国のために、霞ヶ関の上からでも、国会議事堂の屋上からでも、好きなところを選んで飛び降りよ。
 
 安倍晋三!政治家の価値は国のために死ねるかどうかで決まるのであろう。政治家としての価値を国民の前で見せてみよ。政治家としての決意のほどを見せてみよ!