労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

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「所得の分配」ではなく「生産手段の分配」が必要

2011-02-14 01:36:24 | Weblog
 社会の富は諸個人の自己労働にもとづくものであるから、神聖にして不可侵であるというロックの主張は、時を経て21世紀によみがえりつつある。

 もちろんこれは社会民主主義の政治の無力さがもたらしたものである。

 例えば、社民党の福島党首は今年の正月のあいさつで、人々の生活が不況の中で崩壊し始めているから、「所得の分配」を進めなければならないと訴えた。

 社会民主主義にとって国家が租税を徴収してそれを“貧乏人”に配分することは「所得の分配」であり、このようにして平等な世界が築くことができると彼らは考えている。

 これに対して、世界各地で、その反対派が誕生している。

 アメリカでは、ティーパーティーが、日本ではマルクス主義同志会が、その代表であるが、彼らが持ちだしている自己労働の不可侵性は、ハーバード大学の学生によって論破されている。彼はビル・ゲイツを例に出して、ビル・ゲイツの築いた富は果たして、ビル・ゲイツの自己労働によってもたらされたものであるのかと問いかけて、必ずしもそうではないから彼に対して課税するのは不当ではないと答えている。

 実際に、資本主義的生産様式の下では、資本家にとっても、労働者にとっても“自己労働”と呼べるのは存在していない。

 資本家が巨万の富を築き上げることができるのは、資本の運動の当事者で、剰余価値を独占できる立場にあるからであり、労働者が生きていけるのは労働能力を商品として売る(資本家に雇用される)からである。

 つまり資本主義は“自己労働による富”を否定することによって成り立っている社会なのである。

 それにもかかわらず、社会民主主義の「所得分配論」に反対する勢力が台頭しようとしているのは、この「所得分配論」に根拠がないことである。

 私的所有を前提にすれば、「所得を分配しなければならない」という根拠はどこからも出てはこないし、分配された富をもらった人は、働きもしないで生活しているという非難から逃れることはできない。

 金持ちは貧乏人を助ける義務があるというのは一つの倫理観ではあっても私的所有を前提とする資本主義社会の制度とはなりえない。

 むしろ必要なのは、現在の労働者の低賃金、失業といったものが資本主義生産様式そのものから出ている以上、そのような生産様式を改編することであろう。

 生産手段が一部の社会階層によって独占されているからこそ、貧富の差が生まれ、拡大し、多くの人々の生活を破綻に追いやっているとするのであれば、これからの社会にとってなさなければならないのは、生産手段を社会の成員に分配する(社会の共有とする)ことでなければならない。

 それがマルクスがいう「個人的所有の再建」ということであろう。  
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