労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

 “ヤミ専従”問題について

2009-03-30 01:52:31 | Weblog
 現在、農水省での“ヤミ専従”が問題になっている。

 しかし、ここでは“ヤミ専従”という言葉だけが一人歩きしている。もともとこの言葉は労使の協議を経ないで組合運動に専念する組合活動家について述べられた言葉である。

 しかし、“組合活動に専念”というからには、就労の実態がないということをしめす必要があり、労働時間の過半を就業ではなく、組合活動に費やしていること(社会学では専業と兼業の区別を収入の過半を越えるのか、越えないかで区別している)をしめす必要があるのだが、現在では、勤務時間中に組合活動を行う者一般に“ヤミ専従”のレッテルが貼られている。

 総務省が社保庁の“ヤミ専従”問題を受けて制定した基準でも、「1日4時間以上、30日以上の組合活動」となっている。8時間労働の半分の4時間は妥当であるが、年間の労働日が220日程度であることを考えると、過半というためには、110日以上とする必要があるであろう。

 労働組合法では、就業中の組合活動を認めており、組合員が、組合大会に出たり、大会の“準備活動”を行うことも認めている。

 したがって、現在、政府自民党が“ヤミ専従”を非常にせまく解釈して、組合運動に積極的に関わっている公務労働者一般を“ヤミ専従”呼ばわりして処分の対象にしようとしていることは、不当労働行為(使用者が労働組合の団結権を侵害する行為や労働組合の正当な活動を不当に侵害する行為)に当たる可能性がある。

 自民党の政治が頽廃し、人々の支持を失うにしたがって、この党はその攻撃の矛先を労働者や労働組合に向け始めている。

 教育がうまくいかないのは日教組のせいであり、年金問題が深刻化したのは社保庁の労働組合のせいであり、農林行政がうまくいかないのは自治労や農林組合のせいであるというのは、自己(自由民主党)の無能の証明である以上に、滅びてゆく者の最後の悪あがきといえなくもない。

 しかし、それが悪あがきには見えず、むしろ一部の心ない人々の拍手喝采さえ浴びているのは、20世紀の日本の労働運動の“負の遺産”によるところが大きい。

 戦後の労働運動は、高度成長期を経て、次第に、民間の労使協調主義的な経営側と一体となった労働運動と官公労の“急進的な”労働運動に収れんされていった。

 だから、それ自体、古い日本の社会を代表する自由民主党にとって、“左翼運動”と官公労の労働運動はイコールであり、官公労の労働運動を解体することと左翼運動を瓦解させることが同次元でとらえられている。

 このような観点から、国鉄民営化や郵政の民営化が強行され、それが同時に国労(国鉄労働運動)や全逓労働運動の解体へと導いていったが、自由民主党は今度は、官公労労働運動の最後の“楽園”である日教組と自治労や国家公務員労働運動の破壊に乗り出そうというのである。

 しかし、官公労の労働運動は70年代後半のスト権ストの敗北以来、自壊の道を歩んでおり、国労や全逓の解体は民営化の結果というよりも、それはむしろ国労や全逓の労働運動の衰退の結果としてあるといったほうがいいであろう。

 官公労の労働運動がこのように衰退の道を歩まざるをえなかったのは、彼らの運動が多くの労働者、資本の専制下で呻吟している労働者、無権利状態で劣悪な労働条件のもとで低賃金で働いている労働者の共感をえるものではなかったからである。そういう点では、官公労の労働運動も労使共同路線で労働者の利益をなんら顧みることができなかった民間の労働運動と大差がないのであった。

 つまり、戦後の“労働貴族”もしくは“労働ボス”の労働運動は、労働運動の看板を掲げながら、一般の労働者を積み忘れていたために、大きな力を持つこともできず、労働者の権利や生活を向上させるものとはならなかったのである。

 そういう点では、現在の日本の政治風景は、死にゆく政党が死につつある組織とどちらが先に滅亡するのかをめぐって闘っているという何とも寒々とした光景ではあるのだが、死にゆくものあれば、生まれ出ずるものもあるのが世の習いである。

 この不況のなかで、労働運動の若い芽も吹き出している。この派遣労働者や非正規雇用の労働者の運動はその担い手が一般の労働者、最下層の労働者であるという点において、大きな可能性を、すなわち、労働者のための労働運動という労働組合の原点に回帰することができる可能性持っている。

 われわれは4年前に何もないところから出発した。しかし考えてみると、われわれが、何ももっていないということ、相続すべきものを何も持たなかったということこそがわれわれの強みだったのである。われわれの前に道はなく、われわれのあとに道ができるという困難な闘いを強要されることが避けられないのであれば、われわれはより身軽な方がより高い山にのぼることができるであろう。

共産党支持率が半減

2009-03-27 18:46:15 | Weblog
 共同通信社が実施した世論調査によれば、政党支持率は、自民党28.6→29.7、民主党27.4→28.4、公明党4.0→2.7、共産党3.3→1.5、社民党1.2→2.2、国民新党0.6→0.9、支持政党なし32.6→32.1となっている。

 今回の世論調査が重要なのは、西松建設事件の発覚と小沢氏の公設秘書の逮捕・起訴を受けた最初の調査であり、この結果が今後の政治動向を見るうえで重要だからである。

 結果はかなり意外であるとともに、味わい深いものになっている。おそらくこの傾向がもうすぐ行われる総選挙に反映されるものと思われる。(支持政党なし層が現象しているのはすでに政治が総選挙モードに入っていることを意味している。このことは総選挙の時期を聞いている質問に、4月、5月と答えた人が過半数に達していることにも現れている。)

 第1に、自民党であるが、確かに小沢民主党の“敵失”で支持率は増加はしているが、その増加は微増であり、根本的な信頼回復にはなっていないことを示している。これに反して内閣支持率は7ポイント増の23%に達している。この点についてはわれわれが前にいったように、麻生内閣の支持率低下は自民党内の激しい分派闘争の結果であり、小泉純一郎氏のクーデターが失敗して、分派闘争が終息しつつある現状では当然の結果といえよう。(もっとも内閣支持率が自民党の支持率よりかなり下回っているのは、自民党内紛の火種が依然としてくすぶっていることも表している。)

 第2に、これはまったく意外なことだが、民主党の支持率は事件後かえって増えている。これをどのように解釈すべきなのだろうか?おそらく、待ちに待った選挙近しという有権者の意向が強く出ていると考えるべきであろう。だからむしろこの珍現象は、有権者がもうすぐ行われる総選挙をどのようなものとして迎えたいと思っているのかを表している、と読むべきであろう。

 第3に、公明党と共産党の凋落である。最近の公明党は影が薄くなっている(なにを考え、何をやろうとして有権者にとって不鮮明な)のでそれほど意外感はないのだが、共産党にとって事態は深刻だ。

 社民党の支持層が1ポイントも増加しているのは、明らかに、共産党支持者の一部が社民党に流れていることを意味する。

 もちろんこれはいつものことだが、このような結果は社民党がよりよい政党であると人々が見なしたということではない。政党としての社民党はつねに人畜無害、有名無実の党であるがゆえに、共産党支持者の避難場所とされてきたし、今回もそうであろう。

 だから問題は、あくまでも、なぜ共産党の支持者が共産党から離れたのか?なのである。

 このような不可思議な結果が出た理由として考えられるのは、小沢秘書の逮捕の対応しかないのだが、この点からするなら共産党は一貫して小沢氏の金権腐敗体質を批判してきた。

 このような態度はまったく正しい(調査対象者の66%の人も小沢氏は代表を辞任すべきだと考えている)のだが、この事件はそれだけではないはずだ。それはわれわれがこの間、何度もこのブログで指摘しているように、この間の検察の態度は果たして正しいものであったのか?という問題である。

 この問題について、今回の世論調査で、有権者は一つの答えを出したのである。それは共産党のように、単に小沢氏の金権体質を批判するだけで、検察の暴挙を見て見ぬふりをすることは正しくない、という点である。(民主党の支持率が増加したのも同じ理由であろう。)

 共産党が、民主党を攻撃するだけで、検察の捜査(この捜査には、逮捕・拘留という人権上の重大問題も含まれている)については何もいわない、むしろ検察の応援団になっているような感じを与えるのは、いうまでもなく共産党が、ここで民主党をたたいておけば、もうすぐやってくる総選挙で民主党の票が共産党に流れ込んでくるのではないかと、“捕らぬ狸の皮算用”をやっているからだが、有権者はこういう共産党の党利党略優先の態度に嫌気がさしているのである。

 今回の世論調査から共産党が学ぶところがなければ、次回の総選挙で共産党は歴史的な敗北をきっするかも知れない。

時よ止まれ、お前は美しい

2009-03-26 01:47:46 | Weblog
 ゲーテの『ファウスト』の最後の場面で、年老いて盲目となったファウストは、死霊レムルたちがファウストのために墓穴を掘っているシャベルの音を、建設の音とかんちがいして、

生活でも自由でも、これに値するのは
それを日々に獲得してやまぬだけだ。
だから、ここでは、危険に取りまかれて、
子どもも、おとなも、老人も有為な年をすごす。
わしもそういう人々の群れを見て、
自由な土地に自由な民とともに立ちたい。
その時は、瞬間に向かってこう言ってもよいだろう。
とどまれ、お前は実に美しい!と。

 という。

 こういって、ファウストは息をひきとるのだが、悪魔であるメフィストは、ファウストと、彼が現状に満足すれば、その魂を自分のものにできるという契約を結んでいた。

 劇では、死んだファウストの肉体から分離しようとする魂を自分のものにしようとするメフィストの試みは、バラの花をふりまきながらやってきた天使によって妨害され、天使に導かれてファウストの魂は天国へとのぼっていくことになっている。

 ちなみに、天使がファウストを助けたのは「だれにせよ、努めてたゆまぬものを、われらは救うことができる」からだそうです。

 これはゲーテが、キリスト教色の強いドイツの作家だったから、そうなのであって、神も仏も消滅しつつある現在の世界ではこういう結末にはならないかもしれない。

 ところで、ファウストが、死霊が墓穴を掘っているシャベルの音を「自由な土地の自由な民」の建設運動と聞き違えたのは、彼が目が見えなかったからであるが、現在でもこういう人はたくさんいる。

 その一人がアメリカ大統領のオバマ氏であるが、彼は通貨当局や中央銀行の公信用の拡大による通貨の過剰発行によって、金余り現象がすでに起きており、あちこちでインフレの前兆であるマイクロ・バブルが発生している現状をアメリカ経済の「改善の兆し」としてとらえており、政府と日銀による円安誘導政策の結果としてある、現在の円安(ドル高)を「現在、ドルはきわめて強い、投資家は米国は世界で最強の経済で、もっとも安定した政治システムがあるとみているからだ」と自画自賛している。

 これでは世界が

とまった!
時計は真夜中のように黙っている。
針が落ちる。
事は終わった。

 となってしまうではないか。

アメリカの社会は不安定化に向かっている

2009-03-22 01:05:27 | Weblog
 AIGのボーナスをめぐる騒動は、経済危機が政治的な色彩を帯び始め、アメリカが内政の時代に向かい始めていることを教えている。

 その辺が、労働者が羊のように毛をむしられるだけの国とは違っている。

 アメリカの労働者が政治の表舞台におどり出ようとしており、オバマ政権はそれを必死になってくい止めようとしている。

 もともとが国家資本主義(国家の統制下にある資本主義)はアメリカの政治風土に似合わないのだろう。ヨーロッパや日本のように政(政治)・財(大資本)・官(官僚機構)の癒着のなかで権力者の倫理観がマヒしてしまっている状態をアメリカの労働者は受け入れることができないのだ。

 そういうことを理解しているからこそオバマ政権は、高額なボーナスを手に入れたAIGの幹部たちを口を極めて非難するのだが、同じことは自動車産業でも、メガバンクでも起こりうる。つまり、経営が行き詰まっているということ自体がすでに資本として何か健全でないものを抱えているということであり、そういうものを洗い流さないかぎり資本としての蘇生は困難であると見たほうがよい。

 そうかといってそう簡単に、アメリカ政府が引導を渡すこと(倒産させて破産処理をすること)ができないところに問題がある。

 もちろん、公的資本を注入して破産を回避するというやり方もあるのだろうが、本当に苦境に陥っている大資本は自己蘇生能力をもっているのだろうか?そのあたりの見極めがつかなければ、90年代に巨額の公的資本を投入しながら大資本を救済できなかった日本の二の舞になってしまう可能性さえある。

 こういう後ろ向きの問題に足を取られて、オバマ政権は大きな努力と資金をこの問題に傾注しなければならなくなり、本来の経済危機を回避するための方策や失業対策や国民に約束した医療の充実といった課題に取り組む余力をなくしはじめている。

 そこにアメリカの労働者たちの大いなる失望があるのだが、オバマ政権に対する失望は期待の裏返しでもあった。しかしその期待感すら今では急速に失われつつある。

 ところが一方でアメリカの経済はすでに抜き差しならないところまで追い込まれている。米議会予算局が発表したアメリカの09会計年度(08・10~09・09)の財政赤字の見通しは、177兆円(GDP比13・1%)という巨額のものになるといわれている。

 もちろん、これは単なる通過点での見通しであり、この予算の多くがすでに不良債権の買い取りや、危機に陥った大資本の救済という後ろ向きの用途に使われてしまっているために、経済の悪化をくい止めるためにはさらなる追加の支出が求められるであろう。

 この困難に対してFRB(連邦準備理事会)は国債の買い取りという“禁じ手”にまで手を出し始めている。

 それでも、アメリカ経済は悪化を続けており、8%を越える失業率と実体経済の収縮は依然として改善の兆しが見えない。

 その中で、実は恐ろしいことが起き始めている。それはわれわれが以前指摘したように、不況とインフレの共存という事態である。われわれが以前問題としたのは、あくまでも理論的な可能性という仮定の問題であり、理論的にはそういうこともありうるといっただけだったのだが、あれから数ヶ月もたたないうちにそれはすでに現実に転化し始めている。

 国際商品指数は生産の回復にともなう需要の増加を見ないのに、3月に入って底離れをし、原油価格は1ドル=50ドルを越えてしまった。明らかに紙幣の過剰発行が現実経済に波及しつつあるのだが、あまりにもテンポが速過ぎる。このままインフレ傾向が続けば、ほどなく各国政府の現在行っている景気刺激策という名のインフレ政策は大きな壁に直面する。

 そしてもう一つ気がかりなのは、アメリカではこの経済の困難な状況に対する不満の矛先がガイトナー財務長官に向けられていることだ。すでに“引責辞任”という言葉さえささやかれている。

 しかし、GDP第1位のアメリカと第2位の日本の財務担当責任者が、理由はいろいろあるであろうが、あいついで辞任することは世界経済にとって致命的である。船頭があいついで海に飛び込んでいなくなってしまっては、それこそ世界資本主義という船は漂流するしかなくなる。しかも現在、世界資本主義は“危険水域”を航行しているのだから、その危険度はかなり増大している。

 こういった、アメリカの経済の不振とそれに対する政治の対応能力がすでに問題になり始めていることが、アメリカ労働者の怒りを増幅させている。   

ただ今、迷走中

2009-03-18 01:26:09 | Weblog
 日曜日のNHKで「「問題なのは、ルール(法律)をかいくぐるかたちで行ったこと」だといっていた麻生首相が、国会では一転して、「明らかに違法だから逮捕ということになった」と発言を修正した。

 これに対して、社民党党首の福島瑞穂氏が、「推定無罪」の原則(判決が確定されるまでは無罪と推定される)を持ちだして、わけの分からないことを言っている。

 福島さん、検察官は裁判官ではないのだから、判決はくださないのですよ。

 検察官の仕事は法令違反が明白なときに、これを捜査し、証拠を集め、逮捕状を請求できるかどうかをきめるのだから、「明白な法令違反があった」から逮捕するというのは正しい。

 むしろ正しくないのは「法の網をかいくぐったから許せん」という前回の発言でしょう。

 そして、われわれが言っているのはその中味であり、「政治資金収支報告書の虚偽記載」いう場合、何が虚偽なのかということです。

 東京地検は必死になって、この金の出所が西松建設であり、それは公共事業に便宜を与えた見返りであるということを立証しようとしていますが、それはまったく意味がないことです。

 検察が政治資金収支報告書の記載が虚偽であるということを証明できる唯一の方法は、西松建設のOBが代表を務めていた二つの政治団体(新政治問題研究会と未来産業研究会)が存在しないことを証明できたときだけです。

 そういうときにはじめて検察は、小沢氏の公設秘書は西松建設からの政治献金を二つの政治団体(新政治問題研究会と未来産業研究会)からの献金と偽って記載した、ということができるのですが、この二つの政治団体が本当に存在し、この団体を通して実際に小沢側に政治献金がなされている以上どうしようもない。

 以前の日歯連の政治資金規正法違反事件でも、検察は日歯連と政治家のあいだにいろいろなダミー団体が介在していたために、立件できなかった。検察はその時の教訓から何も学ばなかったようだ。

 しかし、おそらくそれでも騒動がここまで大きくなってしまったら検察は起訴をしないわけにはいかないだろうから、起訴はなされるだろうし、法廷では「虚偽」とは何であり、「真実」とはなんであるかという形而上学的な哲学問答が繰り広げられることになるであろう。

 そして小沢氏は公設秘書が起訴された段階で党首の座をおりることになるであろう。これは当然のことだ。われわれが問題にしているのはあくまでも法律論であって、土建屋から何億もの金が小沢氏のもとに流れたことに対する政治責任ではないのだから、小沢氏は政治家として、このような不明瞭な行為にたいしては、はっきりとした政治責任を取る必要があるからである。

 小沢氏の辞任は、おそらく、今回の騒動の一番の収穫なのかも知れない。


麻生首相の奇妙な見解

2009-03-15 20:26:29 | Weblog
 麻生首相がNHKの番組のなかで西松建設の不正献金問題についてよくわからないことをいっている。

 麻生氏は最初にこの献金が企業献金として行われていれば何の問題もなかった(!)という。(西松建設は海外からの不正送金を裏金の原資としてそれを政界にばらまいたのだから、そのような違法な手段でえた金を政治献金として政界にばらまくのは不正そのものであろう。)

 麻生氏は続けて、「問題なのは、それをルール(法律)をかいくぐるかたちで行ったこと」だという。そこで聞き手の一人が「それは政治資金規正法がザル法だったということじゃないですか」と問い返すと、いえ「ザルだったら逮捕されません」と答えた。

 麻生氏は、不正な手段でえた金を堂々と献金すれば「問題はない」(罪に問われない)のだが、それを「ルールをかいくぐる」ように(法律に抵触しないように)「マネーロンダリング装置」(ダミーの政治団体)を使って資金を洗濯してしまったから許されないという。

 これに対して質問者は、そういうルールをかいくぐって不正な資金の洗浄が行われているとしたら、そういうやり方は法律に抵触しないから政治資金規正法に不備があるのではないかと、聞き返したのだが、これに対しては麻生首相は「ザルだったら逮捕されませんよ」と答えている。

 もちろん、逮捕される、されないということは、単なる結果であって、何も証明するものではないが、この場合、検察は、小沢氏の公設秘書が法に触れたこと(違法なことをしたこと)を許されないと考えたのではなく、逆に、法に触れないように「ルール(法律)をかいくぐった」ことが許されないと考えて逮捕しているのであり、政府(麻生氏は行政府の長である)はそのような検察の態度を支持しているということである。

 日本の司法の仕事は『必殺仕事人』のように、すなわち、法で裁けぬ悪を裁き、はらせぬ恨みをはらすために、“悪人”をヤミからヤミへと葬る(暗殺する)ことなのか、というわれわれの問いかけに対して、行政府の長さえ、そうだと答えるのだから、検事総長と最高裁長官を国会に証人として招致して、日本の司法はいったいどうなっているのか?と問い糺(ただ)すことは、どうしても必要なことであろう。

 このままでは日本は法治国家ではなく、テロリスト国家になってしまうではないか!


 

検事総長ばかりではなく最高裁長官も証人喚問する必要がある

2009-03-15 02:44:07 | Weblog
 最初に、国会が最高裁長官を証人喚問することができるのかという点についていえば、前例はないが、それは可能であるといわざるをえない。

 司法の独立は、他の二権(司法・行政)に対してそうなのであって、主権者である国民に対してではない。

 民主国家では、すべての権限は主権者である国民から発しているのであるから、司法は主権者である国民に対して、独立するべきものではなく、従属すべきものである。そして主権者である国民の意思は日本国憲法によってはっきりと誰も誤解することがないように明示されているのであるから、司法が日本国憲法の精神から逸脱していると疑うべき相当な理由があるときには、主権者である国民は司法に対してそれを問いただし、修正するするように要求することができなければならない。

 そして、主権者である国民は自らの代表(国会議員)を通じて行動するのであるから、憲法の解釈や運用にかぎって、国会が司法の代表者(最高裁長官)を国会に召還して証言させることはなんら問題はない。

 われわれがこのような見解に傾きつつあるのは、今回の小沢氏の公設秘書逮捕には、憲法上の重大な疑念があるからである。

 公設秘書が問われている容疑は政治資金規正法の虚偽記載である。つまり検察の認識では献金の主体は西松建設であるから西松建設と記載しなければならないところを、偽って西松建設のつくったダミー政治団体からの献金であると記載しているから虚偽記載であるというのだが、実際の献金はこのダミー政治団体からなされている以上、これを虚偽記載ということはできない。むしろ政治資金収支報告書に、実際には直接献金していない西松建設と書くこと自体が虚偽記載であろう。

 そこで「迂回献金」とか「偽装献金」ということがいわれているのだが、政治資金規正法は、「迂回献金」も「偽装献金」も禁止はしていない。というよりも現行の政治資金規正法は献金された政治資金の原資がどのようなものであるのか、どのようにしてつくられた資金なのか、どういう経緯で献金がなされたのかさえ問題にしないのだから、献金がなされたという事実以外は意味がないのである。

 つまり、政治資金規正法に瑕疵(かし=欠陥、欠点)があるために、その網の目をくぐって“悪事”を働こうとする人間が出てくるのである。

 だから、われわれが何度も言うように、企業が不当につくられた裏金を個人やダミー政治団体を介して政治家に献金することは正しくないことであり、許されないことであると考えるのであれば、政治資金規正法をそのようなものとして改正する必要があるのである。

 ところが、検察と裁判官は立法(法律)の瑕疵を、法の運用によってその穴を埋めようというのだから、検察と裁判官はともに『必殺仕事人』になる決意をしたことになる。

 ここで裁判官が出てくるのは、逮捕も拘留も拘留の延期も裁判所の許可が必要だからである。まさか、裁判官ともあろう人が、検察から逮捕と拘留と拘留の延期の請求があったからハンコ押しただけです、などということは言わないと思うが、裁判官にはそれ(逮捕状の請求)を拒否する権限も、逮捕状の請求者を呼んで詳しい説明を求めることも、証人を連れてくるように求めることも、証拠となる物品や書類を提出することを命ずる権限もあるのだから、逮捕状が請求された時点で、なぜそのような権限を行使しなかったのかということが問題となるからである。

 罪刑法定主義は刑法典の根幹でなければならない。何人であれ、法律に記載されていない罪で人が逮捕され、その身体が拘束されることは絶対に認められない。

 今回、検察と裁判所はそういう基本的人権の核心部分を侵犯したのであるから、どういう事情でそういうことになったのか責任者(検事総長と最高裁長官)が主権者である国民に対して説明する義務がある。

          

権力構造の組み替え

2009-03-14 01:37:11 | Weblog
 どういうわけか、現在、われわれが引いている防衛線は、事実上の軍事境界線になっている。

 われわれのブログを継続的に読んでいただいている方は、よくご存じだと思うが、われわれは最近、この防衛線を引き直した。

 別にわれわれは民主党の友党ではないのだが、少し前まではわれわれの防衛ラインはおおむね民主党の向こう側に引かれていた。しかし、民主党の一部の連中が“小泉派”(いわゆる自称「改革派」)と野合して麻生内閣を倒して大連立を画策しはじめたので、民主党の半分(民主党のなかの健全な部分)のところにまで防衛線を引き下げた。

 われわれはそのときに、「アンタたちは“毒まんじゅう”をもう食べてしまっているでしょう?」とも「ヒトラーのナチス党と馴れ合っていたドイツ共産党が1933年の国会炎上事件のぬれぎぬを着せられて一夜にして壊滅したという歴史的な事実をお忘れなく」とも言ったはずである。

 その直後に、小泉純一郎氏は「進むに利なし」と判断して撤退し、将を失った小泉軍は瓦解した。この場合、「瓦解」という言葉よりもむしろ「自民党に溶けこんだ」というべきであろう。小泉派はもともと自民党の一支流であるのだから、支流であることをやめれば、もとの自民党ということになる。

 この小泉軍の帰営運動によっていちばん打撃をうけたのが、小泉派と連立して政権を獲得しようとした小沢民主党である。彼らは野合のパートナーを失っただけではなく、軍事境界線の内側に取り残され、“敵”の集中砲火を浴びている。

 では、われわれはこれからどうすべきか?

 日本共産党は今がチャンスとばかりに、民主党批判を強めているが、われわれはおそらくそういう方法はとらないであろう。

 小泉派と合体した麻生内閣は、小泉的な手法を取り入れた自民党政権でもあり、小泉派がもっていた反動的な傾向をさらに強めた内閣でもある。

 そういう点では、最優先すべきは、自民党との闘いこそが最優先されるべきであろう。     

コメント受け付けを再開します

2009-03-13 10:50:14 | Weblog
 北朝鮮関連の話題をブログに乗せるといまだにわけの分からないことを執念深く何度も書いてくる人がいるので、一時的にコメントの受け入れ拒否をしましたが、こういうことは緊急避難にはなっても問題の根本的な解決にはならないので、考えました。

 書いてくる人はおそらくある一人の人で拉致問題になみなみならない関心がある方だと思います。

 そこで提案なのですが、われわれと拉致被害者を救う会や拉致家族会や特定失踪者の会は、友好的か、敵対的かは別にして、お互いにまんざら知らない間柄ではありませんので、われわれがご希望のところを斡旋します。そこで事務局員としてでもがんばってもらえば、われわれも「またあのヤローがわけの分からないことを書いてきやがった」と怒らずにすむし、受け入れ先も強力な戦力が獲得できて喜ぶのではないですか。

 なお、これは全然ちがうことですが、キム・ヒョンヒ氏の子どもの頃の写真がどうのこうのといっている人がいますので説明しますと、先日のキム・ヒョンヒ氏と韓国マスコミの大バトルの発端はこのキム・ヒョンヒ氏の子どもの頃の写真でした。

 つまり、韓国のマスコミがこの写真を提示して、どこに写っているのか?と質問したことに対して、キム・ヒョンヒ氏が「自分はその場にはいたが、影になって、写っていないということは前にいったではないか、何度同じことを言わせるのか」と怒り出して、あの「事件は北朝鮮のテロで、自分はニセモノではない」という言葉になったのである。

 つまりキム・ヒョンヒ氏は、以前これが子どもの頃の自分だといった人物が、北朝鮮政府がいったように、実は別人であったことを認めたわけだ。


“漆間発言”と検察の“隠し球”

2009-03-12 01:34:38 | Weblog
 どういうわけか、小沢氏の公設秘書の政治資金規正法違反事件は、漆間官房副長官の発言にそって進展している。

 マスコミでは「自民党うんぬん」という部分だけが問題とされているが、この時、漆間氏は同時に、検察が押収したといわれる小沢氏側の請求書の存在を認め、請求書だけでは起訴にもっていくのはむずかしいと語り、さらに公設秘書の“違法性の認識”という傍証があれば起訴は可能であろうとも言っている。

 もちろん、政治資金報告書の虚偽記載は“認識”の問題ではなく、“事実関係”(記載された事項が正しいかどうか)の問題である以上、政治資金報告書の体裁が整っていれば問題はない。(検察の論理がよろしくないのは、検察の見解に従えば、政治的な個人献金の献金理由まで、司法当局が介入できるようになるからである。個人の政治献金がどのようにしてつくられ、なぜ献金したのか、ということは政治資金規制法上どうでもいい部類に属する。)

 もちろん、西松→個人→政治団体→小沢側という金の流れは明確である。しかし、途中で、「個人」が介在しているために、政治資金規正法違反を証明できなくなっているのである。

 そこで、検察は今度は、観点を変えて、西松から小沢側が政治資金を受け取り、公共事業で便宜を図ったというあっせん収賄罪の適用を視野に入れているという。しかし、それならば、政治資金規正法の虚偽記載は別件逮捕であったということになる。

 さらには、逮捕された公設秘書のもとで実務を担当していた北海道の衆院議員ならば、何かを知っているかもしれないということで参考人として事情聴取を行うのだという。

 こういう検察の動きは一見すると、非常に華々しいのだが、これは第二次世界大戦中にナチスドイツの東部方面軍がレニングラード、モスクワ、スターリングラードとつぎつぎに主戦場を変更していったのと似ている。主戦場をレニングラードからモスクワに移したことが陥落の結果ではなく、陥落に成功しなかったことの結果であり、モスクワからスターリングラードへと主戦場を移したことも同じ理由であったとするなら、それはすでに敗北の道を歩んでいるということであり、決定的な敗北を避けるために苦しまぎれにのたうち回っているのと同じであろう。

 だから結局は、この事件は先の“漆間発言”に収れんされていく。もっとも漆間氏はこの時期にこういうことをやるのであるから検察はよほど確かな証拠をもっているのであろうと検察をかばったが、実は“確かな証拠”というのは何もないのではないか?

 そうなるとこれは司法の犯罪というもう一つの“事件”になっていく可能性がある。

 検察の諸君たちや逮捕状を発行した裁判官はあやふやな根拠で“身柄をとる”(逮捕して拘禁する)ことの重大性を認識しているのであろうか?


何かおかしいキム・ヒョンヒ氏の記者会見

2009-03-11 20:13:29 | Weblog
 伝えられているところによるとこの人は87年の大韓航空機爆破事件の実行犯なのだそうである。

 その人が、まるで人ごとであるかのように、この事件の被害遺族に対して、まずこの事件が“北朝鮮のテロ”(!)であることを認めよ、そうすれば話し合いに応じる、といっている。(???)

 自分がやった事件ではないのか?その結果、100人以上の犠牲者が出たのではないのか?

 とても自分の行為で多くの人々が死んでしまったことを後悔している人のとる態度ではない。

 被害者遺族の多くはこの事件がキム・ヒョンヒ氏がやったものであるのかを疑っているのだから、本当に自分がやったことであるのであれば、彼らの前で、私はこういう風にやりましたと、具体的に説明して彼らの疑念を解けばいいだけではないか。

 それと、もう一つ、キム・ヒョンヒ氏は、当初、日本から拉致されてきたという“日本語教師”を日本名は知らないがリ・ウネと呼ばれていたとしかいわなかった。リ・ウネと田口八重子さんという拉致被害者の名前を結びつけたのは、日本のマスコミと拉致被害者家族会である。

 キム・ヒョンヒ氏は似ているということで、“リ・ウネ=田口八重子さん”説を受け入れているが、自分でたしかめようとは思わなかったのだろうか?

 “忘れられない人”であるというのであれば、100%その人に間違いないという確信があっても、本当にそうなのか?確かめたいというのが人というものであろう。

 ところが今回の会見では、「田口八重子さんはこういう人ではなかった?」というカマをかけるような質問も“秘密の暴露”といったものもなかった。

 またキム・ヒョンヒ氏は、まるで横田めぐみさんのことを知っているかのようなことを言っているが、リ・ウネという名前を出したとき、自分が知っている日本人はこの人だけだといっていなかったか?

 この人もやはり裏のある人のようだ。   

“ボランティア”な議会という逆説

2009-03-10 01:15:00 | Weblog
 名古屋市長選に民主党推薦で立候補を予定している河村たかし氏は、学区ごとの「ボランティア議会」の設置を訴えている。

 もちろん、これは地方自治体法でいうところの地方公共団体(市町村)の議会でも、東京23区のような特別地方公共団体の議会(区議会)でもない。

 したがって公職選挙法が適用される議員選挙を経ない「議会」である。

 河村たかし氏はこの学区ごとの「ボランティア議会」の意見を市政に反映するのだから、市議会議員の定数を削減するといっている。

 しかし、選挙も経ないボランティア議員とは、何であろうか?

 ボランティアには、「無償」という意味だけではなく、「自発的」という意味もある。

 つまり、「自発的」に市政に関わりたいと思っている人が、「無償で」議員を自称し、市長さまに意見を述べ、それによって市政が運営されるというわけである。

 つまり、名古屋市の市政は「無償のボランティア議員」(この場合、選挙が行われないのだから、「議員」という名称も「議会」という名称も不用であろう。むしろ、ヒトラーユーゲントがヒトラーの「サポーター」であるように、独裁者となった「市長さま」のサポーターというべきであろう)によって動かされることになる。

 しかし、このことは名古屋市の政治が市民の手から離れて、一部のボランティアというヒマをもてあそんでいる連中の手に移るということであり、声の大きな者の意見のみがまかり通るということになる。

 もちろん、仕事に追われている労働者である名古屋市民は、そういうボランティア活動などやっている余裕はないのだから、当然、彼らの意見が名古屋市の政治に反映されることはない。

 これは民主主義であろうか?地方自治であろうか?

 もちろんそれとは正反対のものであり、名古屋市を一握りの人間によって私物化しようとするもの以外の何ものでもない。


ザルで水をくもうとしている東京地検

2009-03-08 20:31:44 | Weblog
 ブルジョア社会における検察官や裁判官が政治的に中立であるかのような根拠のない妄想がまかり通っている。

 ブルジョア社会の権力機能が三権(司法、立法、行政)に分立されているからといって、司法が公権力の一つであることが否定されるものではないし、権力機構として政治的であることをやめるわけでもない。

 その典型的な例が、ICC(国際刑事裁判所)によるスーダン大統領の訴追と逮捕状の発行である。欧米社会は内戦の一方の当事者に戦争を行っているという理由で逮捕状を発行したのである。(ダルフールの反政府勢力も政府系民兵組織と同じようなことをやっている)

 また戦争を起こすことが罪であり、戦争を終息させないことが逮捕に値することであるとすれば、ICC(国際刑事裁判所)はイラク、アフガニスタンで戦争を始め、何十万もの罪なき人々を虐殺した、アメリカのブッシュ前大統領と、ブッシュのはじめた戦争を継続しようというオバマ現大統領に逮捕状を出して、身柄を拘束しないのか。彼ら(ブッシュとオバマ)は諸君たちの“正義”によれば、死刑に値する重大な犯罪者ではないか。

 また“人道に対する罪”というものがあるとするのであれば、なぜICC(国際刑事裁判所)はパレスチナのガザをワルシャワのゲットー並みにしてしまったイスラエルのオルメルト前首相に逮捕状を出して逮捕しないのか。

 欧米で発達した現行のブルジョア的な法体系には重大な欠陥がある。

 そして欧米の法律家たちはそういうことに気がつかないから、19世紀の植民地拡張時代にイギリス・フランスの連合軍が北京を攻撃して略奪を行った“戦利品”(盗品)を当該国の承認なしに競売にかけることができると考えるのである。実際、大英博物館やパリの博物館にはこの種の植民地時代にアジア・アフリカ・ラテンアメリカから略奪してきた“戦利品”(盗品)であふれているが、イギリスもフランスも当該国の返還要求には答えていない。

 イギリスにもフランスにも“盗品故買”(盗んできたものをそれと知って売買する罪)に類する法律は刑法典に盛り込まれているはずだが、イギリスもフランスも国家や軍隊が他国から盗んできたものについては都合よく、こういう法律が存在すること自体を忘れている。

 自分たちに都合のよいことのみが“正義”であるという“腐った正義”(欧米のブルジョア的な法秩序)は、すでに人類史の現段階に適合できないまでになっているのに、野蛮な欧米諸国はいまだにこの“腐った正義”に固執している。だからこそ、すでにいろいろな国際問題を生じているし、人々がもっている素朴な正義感と合致しなくなり始めてもいる。

 それは、現在大きな“政治問題”になりつつある小沢一郎氏の公設秘書の政治資金規正法でも同様である。

 小沢氏の公設秘書が追求されているのは政治資金報告書の不実記載(本当のことを書かなかった)の罪であるが、この政治資金規正法は共産党を除くすべての既成政党(とくに自民党)によってザル法化が試みられており、現行法はその努力の結晶として存在している。

 だからこの法律は成立当時から、不正な政治資金を規制するためにではなく、世論の糾弾をかわすために、規制するふりをするだけの法律なのである。そういう点では、政治資金規正法は「天網恢々(てんもうかいかい)疎にして悪を漏らさず」ではなく「天網恢々疎にして悪を捕らえず」という法律なのである。

 東京地検は、そういう過去の政府自民党の政治資金規正法をザル法とするための涙ぐましいまでの努力を忘れて、この法律を小沢氏の公設秘書に適用しようとしているが、おそらく現在報道されていることが全部正しいとしても、公判維持はおろか、起訴することすらむずかしいであろう。

 というのは不実記載というのは、その名の通り、ウソの記載を行ったことを指すのであって、企業献金をあたかも個人献金であるかのように偽装することを罰する規定ではないからである。

 つまり、Aという政治家がBという企業に献金を依頼し、AとBが相談の上、政治資金報告書にBという企業の名前が出ないように、Bという企業がC氏、D氏、E氏にお金を渡してAという政治家に献金するように依頼し、C氏、D氏、E氏がその依頼に答えて、Bという企業からもらったお金をそのままAという政治家に献金したとしても、実際に献金したのがC氏、D氏、E氏であるとするなら、それは現行法ではC氏、D氏、E氏が献金したということであり、不実記載にはならない。政治資金規正法にこういう迂回献金や偽装献金を禁止する条項がないかぎり、また個人の政治献金は自分のお金でなければならないという規定がないかぎり、東京地検のやっていることは何の意味もないことである。

 政治資金規正法にはこういう抜け道があることは、この法案が制定された当時から指摘されていたが、小沢一郎氏はこの法律の抜け道を通っただけなのである。東京地検はこういうことは道義的に正しくないと考えるのであれば、政治資金規正法の改正をめざしてこのような抜け道をふさぐために闘うべきであろう。(もっともそれが検察官の仕事であるのかどうかということはわれわれが感知することではないが・・・)

 そして、この事件には自民党の二階氏や森氏の名前があがっているが、これには現官房副長官で元警察庁長官の漆間氏の「この事件は自民党にはおよばない」という発言まで加わって、事態は混迷を深めはじめている。

 政府自民党はこの発言の否定に躍起だが、当の東京地検自体が「二階氏の捜査については、警察当局や法務省とも相談して決める」と“自白”しているのであるから、東京地検がこの事件で政府、とくに漆間氏と“相談”しながらことを進めてきたことは自明であろう。

 そういう点では東京地検は墓穴を掘り始めているのである。            

名古屋市長選挙を全国の労働者にとって意味あるものに

2009-03-04 04:40:58 | Weblog
 われわれが、名古屋の“田舎左翼”の看板を掲げている以上、闘わずして“日本ファシズム運動”(ボナパルチズム)の手に名古屋市の市長をゆだねることはありえない。

 そういう点では、われわれが、少し前に、よその党のことは今は「コメントしない」といったが、河村たかし氏の立候補そのものに反対であることは最初から分かっていたはずである。

 しかし、今回の名古屋市長選挙はそういった地域的な思惑を越えた意義を持ちはじめている。

 というのは、名古屋市長選に立候補を予定している“日本ファシズム運動”(ボナパルチズム)の予定候補者は小沢民主党単独の推薦候補者であるからだ。

 つまり、われわれは以前、小沢民主党に諸君たちは“日本ファシズム運動”と“統一戦線”を組んでいるのではないか?といったが、現在ではその動かすことのできない“証拠”がわれわれの前にあるのである。

 先の侵略戦争を肯定し、労働者に害を与えようという候補者を民主党が支持するというのである(というよりも彼は民主党の党員であるのだから、民主党そのものということができよう)から、われわれがその正体を暴露するの闘いは、同時に民主党の正体を暴露する闘いでもある。(この前のブログでは河村たかし氏が勝共連合=統一協会の合同結婚式に参加したと書きましたが、そのような事実は確認できなかったのでおわびして訂正します。なお南京事件はなかったと彼が主張していること、米上院の慰安婦問題についての謝罪決議の撤廃を要求していることについては確認済みです。)

 そして現在、政治の流れは急速に変わりつつある。

 小泉純一郎氏が戦線から脱落し、小沢一郎氏の公設秘書が政治資金規正法違反の容疑で逮捕された。麻生政権は生きのびるために、最後の札を切り始めたのである。

 明らかに、小沢民主党は戦略を致命的に誤ったのである。

 このまま行けば、民主党の保守派と“革新”(?)派の分裂にいたるかも知れないが、われわれは労働者が選挙で投票の判断をくだしやすいように、選挙後にではなく、選挙前にそれが行われることを望んでいる。

 そのためには、今度はわれわれが民主党の木をゆさぶる番であろう。