現在、農水省での“ヤミ専従”が問題になっている。
しかし、ここでは“ヤミ専従”という言葉だけが一人歩きしている。もともとこの言葉は労使の協議を経ないで組合運動に専念する組合活動家について述べられた言葉である。
しかし、“組合活動に専念”というからには、就労の実態がないということをしめす必要があり、労働時間の過半を就業ではなく、組合活動に費やしていること(社会学では専業と兼業の区別を収入の過半を越えるのか、越えないかで区別している)をしめす必要があるのだが、現在では、勤務時間中に組合活動を行う者一般に“ヤミ専従”のレッテルが貼られている。
総務省が社保庁の“ヤミ専従”問題を受けて制定した基準でも、「1日4時間以上、30日以上の組合活動」となっている。8時間労働の半分の4時間は妥当であるが、年間の労働日が220日程度であることを考えると、過半というためには、110日以上とする必要があるであろう。
労働組合法では、就業中の組合活動を認めており、組合員が、組合大会に出たり、大会の“準備活動”を行うことも認めている。
したがって、現在、政府自民党が“ヤミ専従”を非常にせまく解釈して、組合運動に積極的に関わっている公務労働者一般を“ヤミ専従”呼ばわりして処分の対象にしようとしていることは、不当労働行為(使用者が労働組合の団結権を侵害する行為や労働組合の正当な活動を不当に侵害する行為)に当たる可能性がある。
自民党の政治が頽廃し、人々の支持を失うにしたがって、この党はその攻撃の矛先を労働者や労働組合に向け始めている。
教育がうまくいかないのは日教組のせいであり、年金問題が深刻化したのは社保庁の労働組合のせいであり、農林行政がうまくいかないのは自治労や農林組合のせいであるというのは、自己(自由民主党)の無能の証明である以上に、滅びてゆく者の最後の悪あがきといえなくもない。
しかし、それが悪あがきには見えず、むしろ一部の心ない人々の拍手喝采さえ浴びているのは、20世紀の日本の労働運動の“負の遺産”によるところが大きい。
戦後の労働運動は、高度成長期を経て、次第に、民間の労使協調主義的な経営側と一体となった労働運動と官公労の“急進的な”労働運動に収れんされていった。
だから、それ自体、古い日本の社会を代表する自由民主党にとって、“左翼運動”と官公労の労働運動はイコールであり、官公労の労働運動を解体することと左翼運動を瓦解させることが同次元でとらえられている。
このような観点から、国鉄民営化や郵政の民営化が強行され、それが同時に国労(国鉄労働運動)や全逓労働運動の解体へと導いていったが、自由民主党は今度は、官公労労働運動の最後の“楽園”である日教組と自治労や国家公務員労働運動の破壊に乗り出そうというのである。
しかし、官公労の労働運動は70年代後半のスト権ストの敗北以来、自壊の道を歩んでおり、国労や全逓の解体は民営化の結果というよりも、それはむしろ国労や全逓の労働運動の衰退の結果としてあるといったほうがいいであろう。
官公労の労働運動がこのように衰退の道を歩まざるをえなかったのは、彼らの運動が多くの労働者、資本の専制下で呻吟している労働者、無権利状態で劣悪な労働条件のもとで低賃金で働いている労働者の共感をえるものではなかったからである。そういう点では、官公労の労働運動も労使共同路線で労働者の利益をなんら顧みることができなかった民間の労働運動と大差がないのであった。
つまり、戦後の“労働貴族”もしくは“労働ボス”の労働運動は、労働運動の看板を掲げながら、一般の労働者を積み忘れていたために、大きな力を持つこともできず、労働者の権利や生活を向上させるものとはならなかったのである。
そういう点では、現在の日本の政治風景は、死にゆく政党が死につつある組織とどちらが先に滅亡するのかをめぐって闘っているという何とも寒々とした光景ではあるのだが、死にゆくものあれば、生まれ出ずるものもあるのが世の習いである。
この不況のなかで、労働運動の若い芽も吹き出している。この派遣労働者や非正規雇用の労働者の運動はその担い手が一般の労働者、最下層の労働者であるという点において、大きな可能性を、すなわち、労働者のための労働運動という労働組合の原点に回帰することができる可能性持っている。
われわれは4年前に何もないところから出発した。しかし考えてみると、われわれが、何ももっていないということ、相続すべきものを何も持たなかったということこそがわれわれの強みだったのである。われわれの前に道はなく、われわれのあとに道ができるという困難な闘いを強要されることが避けられないのであれば、われわれはより身軽な方がより高い山にのぼることができるであろう。
しかし、ここでは“ヤミ専従”という言葉だけが一人歩きしている。もともとこの言葉は労使の協議を経ないで組合運動に専念する組合活動家について述べられた言葉である。
しかし、“組合活動に専念”というからには、就労の実態がないということをしめす必要があり、労働時間の過半を就業ではなく、組合活動に費やしていること(社会学では専業と兼業の区別を収入の過半を越えるのか、越えないかで区別している)をしめす必要があるのだが、現在では、勤務時間中に組合活動を行う者一般に“ヤミ専従”のレッテルが貼られている。
総務省が社保庁の“ヤミ専従”問題を受けて制定した基準でも、「1日4時間以上、30日以上の組合活動」となっている。8時間労働の半分の4時間は妥当であるが、年間の労働日が220日程度であることを考えると、過半というためには、110日以上とする必要があるであろう。
労働組合法では、就業中の組合活動を認めており、組合員が、組合大会に出たり、大会の“準備活動”を行うことも認めている。
したがって、現在、政府自民党が“ヤミ専従”を非常にせまく解釈して、組合運動に積極的に関わっている公務労働者一般を“ヤミ専従”呼ばわりして処分の対象にしようとしていることは、不当労働行為(使用者が労働組合の団結権を侵害する行為や労働組合の正当な活動を不当に侵害する行為)に当たる可能性がある。
自民党の政治が頽廃し、人々の支持を失うにしたがって、この党はその攻撃の矛先を労働者や労働組合に向け始めている。
教育がうまくいかないのは日教組のせいであり、年金問題が深刻化したのは社保庁の労働組合のせいであり、農林行政がうまくいかないのは自治労や農林組合のせいであるというのは、自己(自由民主党)の無能の証明である以上に、滅びてゆく者の最後の悪あがきといえなくもない。
しかし、それが悪あがきには見えず、むしろ一部の心ない人々の拍手喝采さえ浴びているのは、20世紀の日本の労働運動の“負の遺産”によるところが大きい。
戦後の労働運動は、高度成長期を経て、次第に、民間の労使協調主義的な経営側と一体となった労働運動と官公労の“急進的な”労働運動に収れんされていった。
だから、それ自体、古い日本の社会を代表する自由民主党にとって、“左翼運動”と官公労の労働運動はイコールであり、官公労の労働運動を解体することと左翼運動を瓦解させることが同次元でとらえられている。
このような観点から、国鉄民営化や郵政の民営化が強行され、それが同時に国労(国鉄労働運動)や全逓労働運動の解体へと導いていったが、自由民主党は今度は、官公労労働運動の最後の“楽園”である日教組と自治労や国家公務員労働運動の破壊に乗り出そうというのである。
しかし、官公労の労働運動は70年代後半のスト権ストの敗北以来、自壊の道を歩んでおり、国労や全逓の解体は民営化の結果というよりも、それはむしろ国労や全逓の労働運動の衰退の結果としてあるといったほうがいいであろう。
官公労の労働運動がこのように衰退の道を歩まざるをえなかったのは、彼らの運動が多くの労働者、資本の専制下で呻吟している労働者、無権利状態で劣悪な労働条件のもとで低賃金で働いている労働者の共感をえるものではなかったからである。そういう点では、官公労の労働運動も労使共同路線で労働者の利益をなんら顧みることができなかった民間の労働運動と大差がないのであった。
つまり、戦後の“労働貴族”もしくは“労働ボス”の労働運動は、労働運動の看板を掲げながら、一般の労働者を積み忘れていたために、大きな力を持つこともできず、労働者の権利や生活を向上させるものとはならなかったのである。
そういう点では、現在の日本の政治風景は、死にゆく政党が死につつある組織とどちらが先に滅亡するのかをめぐって闘っているという何とも寒々とした光景ではあるのだが、死にゆくものあれば、生まれ出ずるものもあるのが世の習いである。
この不況のなかで、労働運動の若い芽も吹き出している。この派遣労働者や非正規雇用の労働者の運動はその担い手が一般の労働者、最下層の労働者であるという点において、大きな可能性を、すなわち、労働者のための労働運動という労働組合の原点に回帰することができる可能性持っている。
われわれは4年前に何もないところから出発した。しかし考えてみると、われわれが、何ももっていないということ、相続すべきものを何も持たなかったということこそがわれわれの強みだったのである。われわれの前に道はなく、われわれのあとに道ができるという困難な闘いを強要されることが避けられないのであれば、われわれはより身軽な方がより高い山にのぼることができるであろう。