労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

日本の法務大臣はアルカイダの構成員

2007-12-15 19:55:12 | 政治
 日本国の首相をやっている福田氏によると、鳩山法務大臣の「友人の友人がアルカイダ」という話がおもしろいのだそうである。
 
 この人最近、やる気があるのか、ないのか、何ごとにつけて、他人事のようであり、意味不明な自嘲ぎみの皮肉に満ちたコメントが目立つ。そんなにやりたくない役職であれば、前職と同じように夜逃げでもすればいいものを、へたにへばりついているから、だんだんわけの分からないことになっていくしかないのであろう。
 
 ところで、「友人の友人がアルカイダ」という話のどこがおもしろいのであろうか?
 
 むしろ、「テロと戦っている」文明化されたキリスト教諸国(その内実は野蛮な帝国主義国家)では、不謹慎な発言として受け止められている。
 
 アフガニスタンのほとんどを支配していたタリバン政権が、“文明化されたキリスト教諸国”によって攻撃されたのは、彼らがアルカイダの友人だったからである。
 
 つまり“文明化されたキリスト教諸国”の規範によれば、アルカイダの友人はアルカイダなのだ。
 
 では、アルカイダの友人の友人はどうなのか、“文明化されたキリスト教諸国”とりわけアメリカやイギリスでは、もちろん、アルカイダの友人の友人もアルカイダなのだ。
 
 だからこそ、アルカイダに関係ありそうな人物、すなわち、アルカイダの友人の友人もアルカイダとして、世界各地で何の法的な根拠もなく密かに拘束され、キューバのグァンタナモ基地に送られ、戦時捕虜としての身分も、刑事被告人としての地位も保証されることなく、無期限に拘留され、“自白”を強要されている。
 
 だから、「友人の友人はアルカイダ」であると公言しているわれらの法務大臣も、当然、グァンタナモ基地の囚人になる資格と権利がある。
 
 もちろん、日本の労働者としては、喜んで、アメリカのブッシュ氏に「世間知らずの法務大臣」を進呈するであろうし、これこそ真のテロと戦う国際貢献というものである。
 
 だから、いつでも好きなときに、捕獲して持って行っていただきたい。           

自民党の狂気と大阪の正気

2007-12-13 01:10:04 | 政治
 自民党が大阪知事選挙で橋下という人を推薦する予定だという。
 
 この人デレビで有名なのだそうだが、残念ながらこの人のデレビは見たことがない。
 
 われわれのことを暴論をはくと指摘してくださる方も多いが、われわれから見れば、むしろこの何とかという弁護士センセイの方が、それこそ暴論の固まりのような人に見える。
 
 選挙戦になれば、大阪の人は、それこそイヤでも、毎日聞かなければならないのだろうから、具体的には言わないけれど、自民党も追いつめられて正気を失いはじめているのであろう。
 
 今はもう過ぎ去ってしまった“小泉・安部時代”、テレビでは国士気取りの極右(そのほとんどが偽装された極右なのだが・・・)がテレビに出て、極端な議論を競い合っていた。極端な意見であればあるほど、おもしろいという無責任な風潮が(当時の)若い人の間にはあり、この人もそういう時代の風潮に乗ってテレビの寵児となっていった人である。
 
 またこういう風潮に乗って安部晋三政権という、史上最低にして最悪の内閣が誕生したのだが、これまた史上最低にして、最悪の辞め方をしたので、この若い人の“極右ごっこ”は急速に雨散霧消しつつある。
 
 それは大阪でも同じであり、見栄っ張りの知事が引退したあとには、巨額な債務の山だけが残っているのである。こういうときに大阪に本当に必要なのは寡黙だが有能な行政官であるはずなのに、自民党が引っ張り出してきた人は、大阪に核兵器の製造工場を誘致して、大阪を日本のロスアラモスにしようというような人である。これも確かに地域振興の一つのかたちではあろうが、それが本当に大阪の人々のためになることであろうか?
 
 自民党は選挙に勝つことだけを考えており、票を稼げそうな有名人ならだれでもいいという考えている。しかし、選挙に勝てばあとはどうなってもかまわないというのでは、おまりにも大阪の有権者にたいして無責任であろう。 

民主党王国愛知の末期症状

2007-11-08 02:24:30 | 政治
 現在、われわれが注視しているのは、世界経済と中近東の動向、どちらもこれからの世界のあり方を規定する問題であり、瀬戸際にたっている問題でもある。
 
 幸いなことに、瀬戸際の一つであるアメリカの対イラン戦争という事態は、実現不可能なものとなりつつあり、「第三次世界大戦」の危機は一応遠のいたが、もう一つの瀬戸際である世界経済は、ますますやっかいなことになり始めている。
 
 だから、しばらく日本の政治のことはあまり関心がなくてどうなっているのかよく分からないのだが、身近な愛知では民主党の議員がテレビに登場してわけの分からないことをいろいろいっている。
 
 衆議院議員の河村たかし氏は、朝、出勤前に食事をしているときに、自分は「テロ特措法」に賛成投票したいのだが、党議拘束があってそれができないと文句を言っていた。
 
 また参議院の何とかいう新人議員などは、涙を浮かべて、「民主党はガキだ。代表が大連立というのに、みんなはなぜ黙ってそれにしたがうことができないのか」ともいっている。
 
 「ガキ」という難解な教育用語の意味はよく分からないのだが、お二人とも心はすでに自民党のお友達のようである。
 
 心はすでに自民党なのに民主党を名乗っているのは、有権者にとってまったく理解できないことである。選挙の時には自民党と闘いますといって労働者の票をかすめとって、選挙が終われば、わたしは自民党ですなどというのはサギ・八百長・ペテンのたぐいであろう。そうではないのか。
 
 愛知民主党は愛知の労働者を愚弄しているのであり、こういう愚行がどのような結果をもたらすのかは、どんなに寝ぼけた連中にもやがてはっきりと分かるであろう。
 
 民主党は長い間、この愛知で政治的に優位な地位を獲得していたが、それは愛知の広汎な労働者の支持によるところが大きい、ところが愛知民主党の議員諸君は何を錯覚しているのか、自分が議員であるのは自分が特別の人間であるかのように考え、権力者であるかのように思い、ふるまい、そして本来の権力政党である自民党と融合して区別がつかなくなってしまっているのである。
 
 この愚か者の党が愛知県から消滅する日は、そんなに遠くない。

ゴールデン・ノリ号の事件について

2007-11-05 03:01:15 | 政治

 
 前回は、あやふやな知識と不正確な理解のもとで混乱した議論を展開していたと思い反省しております。
 
 それで、今回はきちんと議論をしようと思います。
 
 最初に、われわれは日本船籍の「ゴールデン・ノリ」号の事件についてのみ、ふれたもので、北朝鮮籍の「ダイ・ホン・ダン」号の事件についてふれたものではありません。
 
 そういう点では、「救出」という言葉を使ったのは正確ではなかったと思います。
 
 「ゴールデン・ノリ」号の事件では、先月(10月)28日に救難信号を受け、アメリカの誘導ミサイル駆逐艦「ポーター」が現場に急行して、「ゴールデン・ノリ」号のつないであった海賊の小型高速船二隻に二五ミリ砲を数回発砲して、炎上・沈船させました。
 
 その後も、「ゴールデン・ノリ」号は犯人と人質を乗せたまま航行を続けましたので、アメリカの護衛艦「アーレイバーク」号が、追跡、追尾、監視を継続中です。
 
 この事件の続報はまだないですが、船長であるフィリピン人の自宅へ、本人が電話をかけさせられ、その時に船長は乗員が全員無事であることを伝えています。また「海賊が身代金を要求しているのか」との質問に対し、この妹は「交渉は始まったばかり。海賊は今後、何かを要求してくると思う」と語ったそうです。
 
 したがって事件はまだ未解決です。
 
 そして、この事件はすべてが、つまり、「ゴールデン・ノリ」が海賊に襲撃された場所も、「ポーター」が小型高速船を沈船させた場所も、「アーレイバーク」が「ゴールデン・ノリ」を追跡した場所も、ソマリア領海内で起こっています。
 
 海賊追跡のために領海内へ入ってもよいかと、ソマリア暫定政府に連絡してきたのは、「アーレイバーク」だけです。
 
 だから、われわれは、そもそも「ゴールデン・ノリ」号はどうしてそんな危険な海域を航行する必要があったのか?ということを問題にしたのです。
 
 「ゴールデン・ノリ」号は、引火性のベンゼンなど4種類の化学品を積み、シンガポールからソマリア沖、スエズ運河などを経由してヨーロッパへ向かう途中でしたから、ソマリアの領海に入る必要がまったくない船でした。だから、その船がソマリア沖8カイリ(約14・8km)を航行していたこと自体が大きなナゾなのです。
 
 そこしか通行できないという人もいますが、アデン湾は横幅200㎞もあり、平均水深は450mぐらいありますので、特定の場所を通行しなければ通り抜けられない湾ではありません。
 
 そして、この場合なぜ「海賊」がいるといわれているソマリア沿岸部を航行しなければならない理由は一つもありません。
 
 特に、今年の6月には、アメリカ海軍の艦船がアデン湾沿岸の村が「イスラム法廷」(ソマリアのイスラム原理主義組織)の残党が残っているということで、艦砲射撃を行って村々を焼き払っています。アメリカ軍の攻撃によって生活(漁業)の道を断たれた人々のなかから「海賊」のグループがいくつも形成され、さかんに「海賊行為」を行うようになりました。
 
 しかし、これまでこの種の事件の多くが未遂に終わっていたのは、多くの貨物船がソマリア沿岸から遠く離れたところを航行しているために、海賊船に追いかけられても、追跡をふりきることが可能だったからです。なかには一度に15隻の海賊船に追いかけられた貨物船もあったそうですが、その貨物船も無事に逃げ切りました。
 
 この2日後には、北朝鮮の貨物船「ダイ・ホン・ダン」号が襲撃されています。
 
 この事件はおおそよつぎのようなものであったそうです。
 
  米海軍ニュース(Navy News)によると、30日午前、バーレーンにある連合海洋軍司令部はマレーシア・クアラルンプールの国際海事局(IMB)から「北朝鮮船デホンダン号がソマリアの首都モガディシオから北東に110キロほど離れた海域で海賊に襲撃されたから救出してほしい」という連絡を受けた。
 
 米軍・英国・フランス・ドイツ軍で構成された司令部は直ちにデホンダン号から90キロほど離れたところで作戦中だった米駆逐艦「ジェームスウィリアムス」が救出命令を下した。 「ウィリアムス」はまずヘリコプターを急派し、正午ごろ現場に到着した。
 
 米軍は無線で8人の海賊に武器を捨てるよう命じた。 海賊が軍艦を見て動揺している間、北朝鮮船員が海賊らを押さえつけた。 AFP通信は「船員が隠していた銃器を持って海賊を攻撃した」と報じた。 船員と海賊が衝突する過程で海賊2人が死亡し、船員3人が負傷した。
 
 船員は海賊を制圧した後、米海軍と交信し、負傷者が発生したことを知らせた。 これを受け、衛生兵3人がデホンダン号に乗り込んで負傷者3人を応急処置し、軍艦に移した。 デホンダン号は逮捕した海賊を連れてモガディシオ港に移動した。
 
 6390トン級のデホンダン号はモガディシオ貿易会社との契約で10日前、インドで船積みした砂糖をモガディシオ港に降ろしたと、AP通信は伝えた。 その後、港から遠く離れた海に停泊中だった海賊に襲われたという。 アフリカ連盟平和維持軍のアンクンダ大尉はAFP通信とのインタビューで、「船の停泊を案内する人が海賊に突変したようだ」とし「当初、海賊は船員解放の見返りに1万5000ドルを要求していた」と説明した。
 
 駆逐艦からヘリコプター1台が拉致現場に出動し、北朝鮮の船舶が海賊に制圧されていることを確認した。ウィリアムズ号はソマリア政府に「海賊鎮圧のため領海に入る」と知らせてから、同日午後12時を前後して現場に到着、無電で「即刻投降」を求めた。
 
突然の米駆逐艦の出現に海賊はあわてたようだ。その隙を狙って北朝鮮の乗組員は隠していた銃で銃撃をはじめ、海賊を一掃した。10年以上の兵役を終えた除隊軍人が大半を占める北朝鮮の乗組員には、一人当たり、AK-47自動小銃が支給されるという。
 
これは何かの引用文ですが、出典をメモするのを忘れました。
 
 これを読むと、「ダイ・ホン・ダン」号(記事ではデホンダン号となっている)が襲撃された経緯がよく分かります。
 
 この事件について、ある人は、「正義の味方のアメリカ軍の援護に力づけられ,自力で海賊を撃退したのは北朝鮮の船です。ということは,アメリカ軍がとてもとても頼りになることを世界に宣伝すべく,北朝鮮が協力したというわけですか?」とわれわれに質問してきています。乗組員全員がAK-47自動小銃で武装している貨物船というのは、少し理解困難ですが、アメリカ海軍と北朝鮮の貨物船乗組員が協力して海賊を撃退した、というのは正しいと思います。
 
 質問者はわれわれが海賊行為を容認しているかのような誤解をしているのですが、われわれがアメリカ海軍を「正義の味方」といったのは、現場に急行したアメリカの誘導ミサイル駆逐艦「ポーター」がいきなり機関砲を発砲して、「ゴールデン・ノリ」号につないであった2隻の海賊船を沈戦させてしまったことで、逃げ場を失った海賊たちが貨物船に籠城しなければならない情況を意図的につくりだしたことに対してです。
 
 

“小沢空母”の被弾は想定済み

2007-11-03 03:42:52 | 政治
 われわれは何度も、現在の福田内閣の課題は、たった一つであり、その課題というのは何をやっても「新給油法案」を成立させることである、ということは指摘してきた。
 
 そして、その「何をやっても」という内容は民主党の小沢一郎を陥落させることであり、そのために福田康夫氏は自爆攻撃(内閣総辞職、衆議院の解散)さえも辞さないであろうということも指摘してきた。
 
 しかし、福田康夫氏が自爆攻撃をするまでもなく、自民党に爆弾一つ落とされただけで、“小沢空母”は被弾し、航行不能になったばかりか、沈没すらありうる事態になってきた。
 
 もちろん、“小沢空母”撃沈、民主党解体という、21世紀の“ミッドウエー海戦”の結末はある程度、予想されたことである。
 
 むしろわれわれとしてはこういう結末は望ましいとさえ考える。
 
 というのは、すでに日本の社会というよりも世界そのものが大きく変わらなければならないという時代の波がひたひたと押し寄せ始めているからである。
 
 だから今回の“小沢空母”の被弾は、確かに政界の再編につながる事件であり、自民党とその亜流勢力の没落が少しは先にのばされる事件ではあろうが、これはまた新しい労働者の政治勢力が再編成されていく過程ともなろう。
 
 われわれが死ぬまで見ることはないであろうと思ってあきらめていた中日ドラゴンズの日本シリーズでの優勝すら現実となった時代である。不可能が可能となり、希望が現実へと転化する時代はもうすぐそこまで来ているような気がする。
 

『日本経済新聞』の心配事

2007-10-30 02:35:00 | 政治
 わが国のブルジョア諸氏は、お行儀がいいから間違っても、「恐れながら、お代官さま」などと、現在の世界秩序であるアメリカの軍事的な優越性にさからったりはしないはずであった。というのは、このアメリカの圧倒的ともいえる軍事的な優越性を基礎とした「世界システム」からもっとも利益をえているのはほかならない日本であるからである。
 
 ところが、アメリカの大統領であるブッシュ氏が第三次世界大戦に言及し始めた頃から、「恐れながら、オスマン・トルコ帝国時代のアルメニア人迫害を今ごろアメリカ議会で非難決議するのはいかがなものでしょうか」とか言い出している。
 
 もっとも、今日(10月29日)の社説では、イラン政府に対して「アメリカ様にさからったら、ただじゃすまないのだから、考え直しなさい」と忠実な子分の役割をかって出て、イランに忍従を説いている。
 
 そして、「向こう数ヶ月が重要な節目である」とももらしている。
 
 しかし、「重要な節目」はすでに通過しており、アメリカはあることを決意しており、その決意を遂行するために諸事は動き始めているのではないのだろうか?
 
 その「あること」というのは、もちろん、ブッシュ氏が言うところの「第三次世界大戦」であり、具体的にはイランに対する戦争である。ブッシュ氏がイランに対する戦争が単にイランに対するのみならず、トルコからパキスタン(ひよっとするとスーダンとインドネシアを含むかも知れない)にいたるまでの広汎なイスラム圏の不安定化と混乱をもたらすかも知れないという危惧を持っているのは、まったく正しい判断といえるが、アメリカのブッシュ氏はそのような政治的な危険性を持った戦争挑発行為であるにもかかわらず、あえてやるというのだから、さすがの日本のブルジョア諸氏も二の足を踏んでいるのである。
 
 このブッシュ氏の決断の背景にあるのは中東の“ベトナム化”である。イラクにおいても、アフガニスタンにおいても、レバノンにおいても、パレスチナにおいても、アメリカの戦略はすでに完全に行き詰まっており出口が見いだせない情況に陥っている。
 
 このようにアメリカの軍事的な介入が成功しないのは、中東各地に強固な反米武装組織が形成されているからで、その武装組織に武器を供給しているのがイランであるとするなら、アメリカが諸戦争に勝利して退却するためには、イランをたたくしかないということになる。
 
 これはベトナム戦争の末期に、「ホーチミンルート」に打撃を与えるという名目で、カンボジア・ラオスをつぎつぎに戦争に巻き込みベトナム戦争をインドシナ戦争に拡大することによって、ベトナムでの敗北を先延ばしにしようとしたことと同じであり、アメリカは今回、イラク、アフガニスタン、レバノン、パレスチナの戦争をイランとの戦争に転化することで各地における決定的な敗北を引き延ばそうとしているのである。
 
 アメリカが想定しているのは、おそらく、イランの主要な軍事施設や原子力開発施設を攻撃するという限定的な、軍事戦略であろうが、はたしてそういうことに収まるのであろうか?まさにそれが問題なのである。
 アメリカとイランは“ホメイニ革命”以来相互に憎み合い、イラ・イラ戦争(イラン・イラク戦争)時も、アメリカはイラクのフセインの支援をしながらも、イランとの直接的な交戦を避けてきた。だからこそ、世界の征服者たらんとするミスター・ブッシュはここで歴史に名前を残すために、あえてイランとの戦争に乗り出そうというのだが、歴代のアメリカの大統領がなぜイランとの直接的な交戦を避けてきたのか考えてみる必要がありそうだ。
 
 そして、それ以上に問題なのは、最近の中近東諸国は政治的に非常に不安定になりつつあり、このアメリカの対イラン戦争は、もしそれが実行されれば、この地域全体を巻き込むような争乱にもなりかねないものがある。
 
 だから、われわれのブログはしばらくの間、日本を離れて、中近東巡りをする必要がありそうだ。(賢明な日本のブルジョア諸氏は分かっていると思うが、アメリカの対イラン征服戦争が、もしそれが本当に敢行され、短期間に終わらなければ、すなわち、アメリカが短期間にイランを屈服させることができなければ、必ずホルムズ海峡は封鎖される。そうなったら、日本資本主義のみならず世界資本主義はおしまいだ。われわれ人類はそういう海域に進みつつある。) 

本当に数えた数か?

2007-10-29 01:06:53 | 政治
 前回、沖縄の県民集会の参加者数について書いたら、何かグチグチとくだらないことを書いてきた人がいましたので、これも削除しました。
 
 何でも、この集会の参加者を数えた奇特な警備会社(??)があるそうで、その人数は18179人だそうです。
 
 しかし、これは数学的に見て、非常におかしな数です。
 
 最初に、われわれは、集会やデモの実際の参加者=主催者発表÷2=警察発表×3という「公式」を提起しました。しかし、これは実際のところ公式などではなく、昔から「経験的」に言われている話を紹介したものにすぎません。
 
 そしてこの式は、変形して、主催者発表÷6=警察発表 と書き直すこともできます。
 
 この式に、主催者発表の11万人を代入すると、この式は11万人÷6=18333人となります。
 
 この数字、何かとよく似ていませんか?そうです、誰かが数えたという18179人と非常によく似ています。
 
 そこで今度は、18179人を18333人で割って、それを100倍して、どれぐらい似ているのか計算してみましょう。すると、18179人÷18333人=99.16%となり、99%以上の確率で一致していることが分かります。
 
 これは、実に不思議なことです。というのは、もともと11万人という数自体が、非常におおざっぱな推定値で、根拠にとぼしく「いいかげんな数」と見なすことが可能だからです。
 
 そして「いいかげんな数」は足したり、引いたり、かけたり、割ったりしても、「いいかげんな数」にしかならないはずです。
 
 ところがその「いいかげんな数」を6で割ると、99%以上の確率で「実際に数えた数」になるというのですから、これは一体どういうことでしょうか?という話になります。
 
 偶然そうなった、とも言えるかも知れませんが、そのような確率は100%-99.16%=0.84%、つまり、ほとんどありません。
 
 圧倒的に言えることは、11万人を6で割った18333人の下3ケタを適当に入れ替えた、すなわち、実際には数えていないということではないでしょうか?
 
 公共事業の入札でも、達成率が99%を越える数は談合があった、もしくは、応札者があらかじめ何らかの方法で入札価格を知っていたということが、強く推定されるでしょう。
 
 これは「意図する数」(入札価格)と「意図せざる数」(応札価格)の間には、連関がないことを前提にしています。そしてこの相互に無関係なはずの数がほぼ一致するという場合、当然、「意図せざる数」は「意図せざる数」ではなく、「意図する数」を前提にした数であると考えられるのです。
 
 この集会の数の場合も、「主催者発表を6で割った数」と「実際に数えた数」の間には、何の連関もないはずですから、本当に数えたというのであれば、「実際に数えた数」は「主催者発表を6で割った数」とはまったく異なった数にならなければ、数学的におかしいのです。ところが、それにもかかわらず一致率が99%以上あるということは、「実際に数えた数」というのは、「主催者発表を6で割った数」をもとにつくられた数であると考えるのが妥当であるとわれわれは考えます。

 最後に、ある特定の政治的な見解をもった人々に、「バカ」という定冠詞をつけたことに対して、抗議のコメントもいくつか寄せられております。

 これは確かに、思い上がった差別的な言辞であって、よくないことでした。今後、このようなことがないように気をつけたいと思います。    

なぜ「新給油法」にこだわるのか

2007-10-25 04:35:46 | 政治
 インド洋でのMIO(海上抑止行動)はすでに役割を終えて、一般的な哨戒活動MSO(海上安全行動)になっているのに、アメリカも日本もなぜこの法案にこだわるのか?という質問がありました。
 
 この質問に答える前に、MIO(海上抑止行動)とMSO(海上安全行動)の違いについて考えたいと思いますが、この違いは直接的な準軍事行動(誰何、威嚇射撃、強制停戦、強行乗船、船内調査、船舶の拿捕、麻薬・武器などの禁制品の押収、不審人物の逮捕・連行、逃走船の撃沈など)を含むかどうかによって区別されます。
 
 通常は、つまり、海上封鎖されていない海域では、軍艦がこのような行動を取ることは特別の場合を除いて許されてはいません。ただ「無許可の電波を発信している」、「帰属国を表す国旗を掲げていない」場合等は、「海賊船」と見なして、停船をさせたり、船内検査をすることが許されるだけです。
 
 インド洋はだれによっても海上封鎖されている海域ではないので、MIO(海上抑止行動)自体が国際法を無視した犯罪行為といえます。
 
 ところがこれには抜け道があって、沿岸諸国(パキスタン・イラン・オマーン・イエメン・ソマリア・ジブチ)の地元民が使用するダウ船(小型木造船)は、漁業に使うばあいでも、地域的な海上輸送に使うばあいでも、領海外へ航行する能力を持っているし、国旗を掲げて漁をする漁船もあまりありませんので、MIO(海上抑止行動)参加国の軍艦はこういう船にねらいをつけて、「海賊船」と見なして、追いかけ回し、「臨検」をやっていました。
 
 この中でいくつかの成果があったことは確かです。麻薬や武器を押収した事例がいつくかあります。ただ、アルカイダ関係者と思われる集団を捕縛したという件については、これらの人々がグァンタナモ基地に送られ、その後どうなったかという報告がないので、問題があります。そもそも、疑わしいという理由だけで勝手に人々を捕縛して、裁判も受けさせずに、長期間拘留するということ自体が許されることではありません。
 
 またこのほんの一握りの“成果のかげ”で無数のダウ船の「航行の自由」の侵犯が行われています。(週刊『金曜日』によれば、「現場を通行する不審な船舶に対する無線照会は14万件にのぼり、立ち入り検査は1万1000回以上あった」そうです。)漁業を操業中に武器を携帯して勝手に木造漁船に乗り込んだり、輸送品の梱包を解いたり、艦船で漁網を引っかけて破損させたり、と沿岸諸国の地域人民の生活と安全を脅かしています。
 
 つまり、MIO(海上抑止行動)参加諸国の艦船の“弱いものイジメ”というよりも、無法行為は沿岸諸国(パキスタン・イラン・オマーン・イエメン・ソマリア・ジブチ)の地域海運、地域漁業に大きな打撃を与え、沿岸諸国の人々に大きな苦痛を強いていたのです。
 
 だから、地元ではこれらの活動に対する評判も悪いし、悪いことをする人、つまり、麻薬や武器などの禁制品を運搬したり、「テロリスト」を搬送したりする人は、危険なインド洋を通らないで、内陸部から、「陸の道」を通って移動するようになりました。
 
 現在、イランで人質になった人も、この「陸の道」で麻薬商人に捕まっていますし、アルカイダの幹部が「われわれは自由に移動できるようになった」と豪語しているのも、アフガニスタンからイラクまたは、ロシアのチェチェンにいたる「陸の道」がすでにできていることをあらわしています。
 
 ですから、最近では、さすがのアメリカもこういうことは自制し始めています。その表れがMIO(海上抑止行動)からMSO(海上安全行動)への活動内容の変更になって現れています。
 
 ころが日本政府はこれを認めることができません。なぜならば、インド洋での一般的な哨戒活動とアフガニスタンでのどのような活動とも直接的に結びつけることができない(アフガニスタンのテロはインド洋を通じて拡散しているという事実はない、したがってアメリカはインド洋での海上抑止活動を行っていない)からです。つまり、法案自体がアフガニスタンのテロが拡散することを海上で抑止する活動を支援するものである以上、ありもしないMIO(海上抑止行動)にしがみつかざるをえないからです。
 
 ではなぜアメリカも日本もMIO(海上抑止行動)がMSO(海上安全行動)となり、「臨検」を含まないものになっているのにそれにこだわり続けているのでしょうか?
 
 この疑問に対するわれわれの以前の解答は、“脱走者”をこれ以上出さないためであるというものでした。多くの国々が内心ではMSO(海上安全行動)から足を洗いたいと思っているところで、日本が引けば、他にもやめたいというという国が出てくることを心配しているのではないかと思ったからです。
 
 最近になって分かったのですが、これとは別にもう一つの見解があります。
 
 17日に発表されたアメリカ海軍の海洋戦略「21世紀の海軍力のための共同戦略」では、基本戦略として「米国の死活的利益を守り、地域の安全への米国の誓約が継続していることを友好国や同盟国に保障し、潜在的な敵や(米国に匹敵する)競争者を抑止するため、西太平洋とアラビア湾(ペルシア湾)/インド洋に信頼できる戦闘力を継続的に配備する。」を掲げている。
 
 この目的を達成するための核心的な任務として、
 
 ① 決定的な海軍力を前方展開して、地域紛争を限定する。
 
 ② 大国間の戦争を抑止する。
 
 ③ わが国の諸戦争に勝つ。
 
 ④ 本土防衛に奥深いところから貢献する。
 
 ⑤ より多くの国際パートナーとの協力関係を強化、保持する。
 
 ⑥ 地域的混乱が世界システムに影響をおよぼす前に封じ込める。
 
 の6点をあげています。
 
 さらに具体的な方策として
 
 A 前方プレゼンス
 
 B 抑止
 
 C 海の統制
 
 D 兵力投入
 
 E 海上安全保障
 
 F 人道支援
 
 をあげています。
 
 全体的に見て、アメリカはアラビア湾(ペルシア湾)/インド洋を大西洋とならんで最重要地域と見なしていることが分かります。
 
 その理由として「世界システム」に影響をおよぼさないこと、すなわち、ペルシア湾からインド洋にいたる「石油ロード」をアメリカの海軍力で守る必要があるからであると述べられています。
 
 ここから「海の統制」という概念が生まれてきます。これは日本の高村外相が「シーレーン」の防衛を訴えていることと軌を一にしています。しかし、「新給油法案」は果たしてシーレーンを守るための法案でしょうか?しかも、人類の共有財産である海洋をなぜ特定の国または諸国連合が「統制」できるのでしょうか。これこそ「海洋における帝国主義」というものです。
 
 政府自民党はそのように考えているのであるなら、そのような法案として提出すべきでありましょう。一つの法案がその真意を隠したまま制定されるとしたら、そのようなものは法案として適切ではないといえます。しかもその内容が自国の権益を守るために他国の権利(海洋を航行する船には航行の自由があります)を踏みにじるようなものであるとするなら、断固として廃案にすべきものでありましょう。
 
 また、このアメリカの新海軍戦略には、「より多くの国際パートナーとの協力関係を強化、保持する。」ということで、日本を含む他の国が組み込まれています。
 
 アメリカはその陣形として、前方展開と後方におけるMSO(海上安全行動)を想定しています。後方にそれほど重要な役割を持たせていないのは、このアメリカの新海軍戦略が、アメリカの露骨なイスラム諸国に対する敵対的な性格を持っているがゆえにアメリカ単独ではおこないえないと考えており、「赤信号みんなで渡ればこわくない」とばかりに、共犯者を募っており、この共犯者は単に名目だけでもいいと考えているからです。
 
 もちろん日本の立場は、単に名目上の共犯者ではなく、無料の燃料を供給するという扇の要の役割を持たされています。
 
 ところで、このようなアメリカの新海洋戦略は軍事的に見てどうでしょうか?
 
 前方展開は、桶狭間の時の今川義元や関ヶ原の戦いの徳川軍の陣形です。当然のことながら、今川義元は軍を進めすぎたために、本陣が手薄となり、そこを織田信長に攻め込まれて首を取られました。関ヶ原の戦いでは霧が発生していたために徳川軍は前に進みすぎましたが、敗北しなかったのは包囲していた軍勢の半分ほどが日和見をきめこんだり、寝返ったからです。このように前方展開は想定外の出来事に大きく作用されるのですが、アメリカ軍はどうでしょうか?
 
 それは今後のお楽しみということです。
 

社会民主主義から逸脱しつつあるヨーロッパの若者たち

2007-10-22 02:43:25 | 政治
 イタリアの観光名所であるトレビの泉に、何者かが赤い塗料を投げ入れ、トレビの泉は赤く染まった。近くには「灰色のブルジョア社会を赤く染めてやる」というバラがまかれていたそうです。
 
 同じ頃、スイスでは外国人移住者を黒い羊に見立てて排撃を主張する国民党の選挙運動に反対して「極左派」が黒い羊の格好をして警官隊と衝突するという事件が起きています。
 
 また、先のドイツのハイリゲンダム・サミットでは、数千人の若者たちが警察隊の裏をかいて検問を突破しデモ(ピクニック?)をしています。
 
 こういったヨーロッパの若者たちの抗議行動は、ユーモアがあり、どこか1968年当時、世界をおおった学生運動の名残があります。フランスの五月革命やイタリアの学生運動もそうでしたし、日本の大学や高校の全共闘運動も当初はこんなものでした。
 
 しかし、日本では、こういった解放感あふれる学生たちの運動も、新左翼のセクトが運動の指導権を争って醜悪な暗闘を繰り広げる場となり、学生運動が新左翼のセクトの運動になるにつれて、決戦主義ばかりが叫ばれる、悲壮感あふれるものになり、運動に悲壮感が漂うにつれてしだいに、一般学生は離れていき、運動自体が衰退していきました。
 
 われわれはヨーロッパの学生運動の動向を詳しく知っているわけではないので、はっきりとは言えませんが、情況はどこの国でも似たりよったりだと思います。したがってこのヨーロッパの若者たちの運動が成長してそのまま新しい左翼運動を生み出すとは考えにくいと思います。
 
 しかし、確実に言えることは、ヨーロッパ各地でこういう事件が起き始めているということは、ヨーロッパの左翼運動の中核を担っていた社会民主主義が一つの曲がり角を迎えており、多くの若者たちがその社会民主主義の枠の外で自分たちの政治的な意思を表明したいと考え始めているということです。
 
 つまり、“社会主義”(われわれが国家資本主義と呼んでいる体制)が90年代に崩壊して以来、ヨーロッパではそれまでの“共産党”(スターリン主義政党)は社会民主主義に衣替えをして、旧来の資本主義国の社会民主勢力とあいまって社会民主主義の黄金時代を築いてきましたが、最近では、その社会民主主義は右派の挑戦を受けていくつかの国では政権を失ったり、政権獲得のチャンスを逃しています。
 
 右派もいやだし、社会民主主義もいやだが、それしかないという政治的な閉塞状態からの解放を求めて若者たちが突飛な行動に走っているとするなら事態は深刻です。
 
 なぜならこの問題に対する解答を与えている国は、アメリカや日本を含めて、世界のどこにもないからです。
 
 しかし、どこにもないということは、そういった運動はこれから生まれなければならないということを意味しているにすぎません。そしてわれわれの一貫した立場は、社会に必要なものは社会の根底から、キノコのように生え出てくるであろうというものです。      

「給油新法」は廃案に

2007-10-18 01:40:59 | 政治
 1 貧弱な国際法上の根拠
 
 公表された政府原案では「給油新法」の根拠として国連決議の1776と1368と1373をあげている。
 
 1776はあの悪名高い、国連の「謝意」決議である。もちろんいうまでもなく、国連がOEFの「海上抑止活動」と呼ばれるものに「謝意」を表したということは、国連がその活動を承認しているというわけではない。本当に国連がとり組むべき課題であると考えるならそれを規定する決議を採択すべきものであろう。それがないということはOEFの「海上抑止活動」が国連決議に基づくものではないということを再確認するだけである。
 
 さらにこの1776は、テロ関係の国連決議にはめずらしくロシアが特定の国にのみ配慮することは、悪しき前例を残すことになるとして、棄権している。もちろんこの特定の国とは国連決議にOEFの「海上抑止活動」の正当性をもりこもうと画策した日本のことである。
 
 しかし、日本政府のたくらみが奏功せず、OEFの「海上抑止活動」が全文の「謝意」というかたちでしか表現されなかったことは、日本政府の主張とは裏腹に、世界各国がこのようなとりくみ(OEFの「海上抑止活動」)を必ずしも積極的に賛成しているわけではないことを表しているにすぎない。
 
 また国連決議1368は9・11の同時多発テロの翌日に採択されたもので、9・11テロを非難したものである。
 
 1373は国連が各国にテロ資金の規制や出入国管理の厳格化を求めたものである。
 
 政府がこのように、OEFの「海上抑止活動」への給油活動を正当化するのに、どういう関連があるのかわけの分からない国連決議しか出すことができないのは、もちろん、OEFの「海上抑止活動」を規定した国連決議がないからである。政府は国連が国際社会の共同の取り組みとして正式に認めていないものを、さもそのようなものであるかのように取り繕おうとしているからである。
 
 2 実体のない「海上阻止行動」
 
 そもそもこのような給油活動の対象である OEFの「海上抑止活動」とは、何であろうか?不思議なことに、政府は法案を提出するにあたって、OEFの「海上抑止活動」というのはどのような活動なのかということを具体的に説明してはいない。
 
 「テロとの戦い」というが、テロと戦うためにインド洋でどのような活動をしているというのだろうか?
 
 このもっとも基本的なことについて、政府が口を閉ざしているのはOEFの「海上抑止活動」というものはその実体がないからである。
 
 当初、アメリカが想定していたのは、インド洋で「臨検」(船舶への強制的な立ち入り検査)を実施することであったが、「臨検」を行うためには明白な国連決議が必要であるが、国連はインド洋を海上封鎖するという無謀な試みに賛成することはなかった。
 
 そしてこの海域(インド洋)での「臨検」が実施不可能であれば、各国の軍艦にできることは何もないのである。
 
 実際、公海上を航行している船舶に対しては「航行の自由」が与えられているのだから、船を停船させたり、乗り込んで「テロリスト」が乗っているかどうか捜索したり、「テロリストの武器・弾薬」が積んでいないか貨物検査をするということは一切できない。「テロリストの攻撃および人員、武器の輸送を阻止する」といっても、阻止する手段が何も担保されていないのだから、現実問題として、OEFの「海上抑止活動」に参加している艦船が公海上でできることはせいぜい哨戒活動ぐらいのものである。
 
 だから、OEFの「海上抑止活動」は単に名前だけのものであり、参加各国の艦船はあらかじめ指定された海域を定期的にパトロールしているのみである。
 
 3 無意味な活動に各国が固執しているわけ
 
 では、なぜこのような実体のないOEFの「海上抑止活動」にいくつもの国(アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、パキスタン、等)が参加しているのだろうか?
 
 それはいうまでもなく、この活動が無意味かつ無内容であるがゆえに安全であり、「テロリスト」との戦いという煩わしい事件に巻き込まれる可能性は限りなくゼロに近いということである。
 
 そして、なおかつ、自国もOEFに参加していおり、その一翼を担っているという実績をアメリカに示すことができるからである。
 
 協力することによって自国の兵員の犠牲が出ることは望まないが、アメリカに恩を売りたい国、もしくは協力要請を断りにくい国、もしくは協力することによって政治的・経済的な利益を引き出したい国々がこの安全なインド洋の“パトロール艦隊”に艦隊を出しているのである。
 
 そして当のアメリカもこのような意味のない行動を黙認しているのは、アフガニスタンでの戦争をアメリカの戦争ではなく、国際社会の戦争と見せかけたいからである。しかし、戦争の指揮権をアメリカのOEFがもっており、NATO軍が中心になって結成されているISAFがOEFの指揮下にあることはまぎれもなくこのアフガニスタンでの戦争がアメリカの戦争以外の何ものでもないことを表している。
 
 4 日本の給油活動はOEFの「海上抑止活動」より悪質である
 
 小泉内閣は「テロ特措法」を制定し、インド洋でOEFの「海上抑止活動」に参加する艦船に給油活動を行ってきたが、その理由はOEFの「海上抑止活動」に艦船を出している国々の事情と同じである。
 
 アメリカのご機嫌をとるために、アメリカのアフガニスタン侵略戦争を給油活動を通して脇から支えているのだが、その関わり方は他国とは違ったものである。
 
 第一に、日本政府は燃料・水を無償で提供することによって、OEFの「海上抑止活動」に参加する国々の経済的負担の一部を肩代わりしていることである。そういう点では、経済的負担を理由にインド洋の“パトロール艦隊”から脱走しようとする“不埒(ふらち)な軟弱者”から、逃亡の理由を取り上げているともいえよう。つまりアメリカの“囚人たち”(OEFの「海上抑止活動」に参加している国々)の看守としての役割も引き受けているのである。
 
 第二に、OEFの「海上抑止活動」自体はまったく無内容だが、その活動に給油活動を行う日本の活動は、アメリカにとって有益であり、内容豊富なものとなりうる。それはもちろん、この法案の趣旨を逸脱することによってである。
 
 日本の海上自衛隊の給油艦が、アメリカ海軍の艦船に対する給油活動を通して、イラクおよびアフガニスタンの戦争に深く関わってきたし、現在もそうであることはまったく明白な事実である。これはアメリカ軍自体が認めていることでもある。(現在、国会で政府を追及している野党議員の多くがアメリカ軍の各種のホームページに直接アクセスして情報を得ている)
 
 ところが、この明白な事実をおかしなことに政府も自民党も否定している。
 
 共産党の小池議員に対しては福田首相は「理解する気がないんじゃないですか、いくら議論したって賛成とは言わないんでしょ、結局」と答えている。
 
 共産党の小池議員の質問は日本の自衛隊が給油したイオウジマから出撃したハリアー戦闘機がアフガニスタン南部を空爆したというアメリカ軍の「海兵隊ニュース」(06年12月4日号)が事実かどうかの確認を求めたものであったのだが、福田首相の答弁は「お前は『理解』する気がないのだ」というものであった。
 
 この場合の「理解」というのは、「自衛隊が給油した艦船が戦闘行為に参加した事実はない」という政府のウソを本当であると信じろということである。してみると「国民の理解を得たい」という福田首相の言葉は、「お前たちはおれのウソを信じなければならない」という意味ではないか。
 
 あの安部晋三氏の後では、誰が首相になっても天使に見える、というのが事実であるとしても、これはちょっとひどいではないか。ある新聞によると福田首相がまじめに答弁するのは民主党の方々だけだそうであるが、こんな底の浅いことをやっていたのでは、この政権もそんなに長くは持たないだろう。
 
 そして新法案提出者である日本政府のこのぶざまな姿は、新法案も旧「テロ特措法」と同じように、法案自体は無意味であり何の効力を持たないが、法案の趣旨を逸脱することによってはじめて法案が実効的であり、威力を持つような法案なのではないかという疑念を強く抱かせるものである。
 
 実際、旧法案に対するなんらの反省もないとしたら、新法案もまた単に名前を変えただけのものにすぎないであろう。このような法案は国会に提出すべきではないし、提出されたとしても可決されるべきではない。    

MSO(海上安全活動)と米艦イオウジマ

2007-10-16 20:26:30 | 政治
 われわれと日本共産党のあいだではMSO(海上安全活動)に対する認識の違いがあるような気がする。
 
 つまりわれわれはアメリカがMIO(海上抑止行動)をMSO(海上安全活動)に切り替えたのは、公海上での「臨検」をあきらめた結果であると考えているのに対して、共産党は概念を拡大してイラクやアフガニスタンでの戦闘行為まで含むようにしたのだという。
 
 共産党はそれを証明する例として米艦イオウジマの活動をあげているが、その考察は後にして、最初にMIO(海上抑止行動)とMSO(海上安全活動)の違いについて考えてみよう。
 
 MIO(海上抑止行動)とMSO(海上安全活動)は両者とも海上(公海上)の治安確保を目的としているが、MIO(海上抑止行動)は「テロリスト」の攻撃および人員・武器の輸送の阻止を目的としている。
 
 「テロリスト」の攻撃および人員・武器の輸送を阻止するためには、海上を警戒して、「テロリスト」が関与していると思われる船舶を停止させて貨物や人員の検査をする必要があるのだが、そういうことが果たして国際法上可能であろうか?
 
 こういう海上での「臨検」をやってみたいという願望をアメリカはかなり前からもっていた。
 
 2002年の12月に、イエメン沖でアメリカとスペインの護衛艦が「不審船」を「臨検」して、北朝鮮からイエメンに送られるスカッド・ミサイルを発見して以来、アメリカはMIO(海上抑止行動)には、公海上の「臨検」が含まれるべきであると考えていた。
 
 しかし、この時、スペインの護衛艦が貨物船を「不審船」と断定したのは、この貨物船が国旗を掲げていなかったためであり、海洋法では国旗を掲げていない船舶は「海賊船」として「臨検」することができるからであった。
 
 そして、この時アメリカはスカッド・ミサイルを押収したといわれているが、それは正しくなく、北朝鮮の貨物船に乗り込んで、「書類上」での船籍確認をしただけで、貨物検査も行っていない。スカッド・ミサイルが積んであるということは、ミサイルが甲板上に設置してあったために貨物船に乗り込んだ乗組員が目視しただけである。つまり、実質的には何もできなかったのである。
 
 では、この北朝鮮の貨物船が北朝鮮の国旗を掲げて航行していたらどうか?もちろん、アメリカの護衛艦もスペインの護衛艦も何もできなかったであろう。
 
 海洋法では公海上を航行する船舶には「航行の自由」が保障されており、特別な場合を除いて、軍艦が停戦させたり、許可なく船舶に乗り込んだり、貨物を検査したりすることは許されていない。
 
 この問題が再浮上したのは、昨年(2006年)の北朝鮮の核実験とそれにともなう国連の経済制裁に関連してであった。
 
 アメリカと日本は当初、この北朝鮮への経済制裁を有効に実施するためには、公海上での「臨検」を実施して貨物検査を行う必要があると考えていた。
 
 しかし、これは結局見送られた。
 
 それはわれわれが指摘したように、「臨検」は「海上封鎖」という概念と密接に結びついており(海上封鎖というのは臨検が実施されている海域を指している)、「海上封鎖」は明白な軍事行動であって、それは国連決議の範囲を超えているからであった。
 
 また「臨検」の対象とされた国の船舶が「航行の自由」をたてに、誰何にも、停戦にも応ぜず、強行乗船に対して武力で反撃してくればそれこそ戦争につながる重大な挑発行為となるため、中国やロシアが反対したからであった。
 
 つまり、MIO(海上抑止行動)が「テロリスト」の攻撃および人員・武器の輸送の阻止を目的としており、その目的を達成するためには公海上での「臨検」が不可欠であるとするなら、そして公海上での「臨検」が国際法上認められない活動でであるため実施不可能であるとするなら、MIO(海上抑止行動)そのものが国際法上の違法行為となる可能性がある。(MIOの活動対象がインド洋全体であるとするなら、インド洋を海上封鎖する特別の国連決議が必要である)
 
 この北朝鮮への経済制裁を実施するために海上封鎖をしようというアメリカの強行派と日本政府の目論み(不思議なことに「臨検」には日本の安部晋三政権がアメリカの強行派より積極的だった)は失敗に終わった。
 
 そこでアメリカは国際法上違法性が高いと思われるMIO(海上抑止行動)をMSO(海上安全活動)に変更したというのがわれわれの見解であるが、実際のところ、アメリカがなぜMIO(海上抑止行動)をMSO(海上安全活動)に変更したかという理由の説明は明確になされていない。
 
 ただ確認できる事実は、インド洋での「臨検」は、国籍不明船をのぞいて、これまで実施されたことはなかったということである。
 
 つぎにMSOと米艦イオウジマについてであるが、最初に『赤旗』を参考にイオウジマの行動を略記しよう。
 
06年6月  ノーフォーク海軍基地を出港
7月     スエズ運河通過、米中央軍の指揮下に
〃      レバノン沖で紛争中のレバノンからの米国人救出活動を支援
8月     東アフリカのジブチで訓練
9月     自衛隊の「ましゅう」が給油
 〃     パキスタン軍と合同演習
 〃     演習と並行して艦載機のハリアーがアフガニスタンを爆撃
 〃     「ましゅう」より2回目の給油
 〃     艦載機ハリアーがイラクのバスラの英軍支援に派遣
10月    イオウジマの海兵隊がイラクのアンバルに派遣される
11月    スエズ運河通過
12月    ノーフォーク帰還  
 
 共産党は当初、06年6月から12月のイオウジマの活動全部がMSO(海上安全活動)であると主張していたが、これは共産党の議員が「ましゅう」からの2回目の給油以降はイオウジマは対イラク作戦に従事していたとして政府を追及したことから事実上修正されている。
 
 したがってMSO(海上安全活動)と見られるのは7月にスエズ運河を通過してから「ましゅう」により2回目の給油を受けるまでの行動であろう。
 
 そしてこの中の「演習と並行して艦載機のハリアーがアフガニスタンを爆撃」したということをMSO(海上安全活動)であるというのは少々無理がある。というのはイオウジマに収容されているハリアー部隊や海兵隊はそれぞれイオウジマの指揮系統とは別個のものであり、内陸部への爆撃を海上での安全を確保するための活動とは見なすことはできないからである。(実際上、ハリアーは海上の安全を確保するためにアフガニスタンを爆撃したのではない。)
 
 だからこの間のMSO(海上安全活動)と見なすことができるのは①自国民救出の海上支援②海上訓練③他国との軍事演習④海洋での哨戒活動一般であろう。
 
 そしてMSO(海上安全活動)がこのようなものであるなら、アフガニスタンにおける「テロとの戦い」とMSO(海上安全活動)はどういう関係にあるのかということが問題になるのである。一般的な海洋哨戒活動とアフガニスタンにおけるテロを封じ込めるという活動は結びつかない。

 これは源頼朝が義経の追補を名目に全国に守護・地頭を置くことを法王に認めさせたようなものであろう。名目が立てば何でもいいというのが福田自民党の立場なのだろうか。
 
      

ウソで塗り固めた意味のない法律

2007-10-16 03:24:18 | 政治
 「テロ特措法」に代わる「給油新法」が国会に提出されようとしている。
 
 しかし、このような法律が存在していたということ自体われわれには驚きである。
 
 この法律(テロ特措法)の正式名称は、「平成13年9月11日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」というものであるがそれがいつの間にか「テロ一般に対する戦い」を規定した法律としてまかり通っている。
 
 この法案が何らかの軍事行動もしくは警察活動を想定している以上、テロ一般に対する戦いという対象がはっきりしないものに対する闘争を支援するという法案自体が法律として意味を持っているのかという疑問がある。
 
 さらにこの法案では、その正当性として国連決議1267、1269、1333をあげているが、1267はタリバン政権に対して、ビン・ラディンの引き渡しとテロリストの保護停止を求めたものであり、1269は国連の全加盟国にテロ行為者の逮捕と引き渡しを求めたものである。(ここでタリバン政権を名指ししていないのは、タリバン政権に対する配慮があったからである。そして1333では、タリバン政権に対して、再度、ビン・ラディンの引き渡しを求めるとともにテロ資金の凍結を決議している。(この時、国連が作成した資金凍結リストには、タリバン政権の幹部の名前があるが、タリバン政権の幹部の口座がなぜテロ資金口座に指定されなければならないという説明は一切なされていない。)
 
 このようにアフガン戦争開戦前になされた国連決議は、アメリカの9・11同時多発テロの実行犯と目されていた(この場合、あくまでも、「目されていた」という推定の範囲を出ていない。最近では、同時多発テロはアメリカの自作自演ではないかという説が広く流布されている)ビン・ラディンおよびアルカイダのメンバーのアメリカへの引き渡しをタリバン政権に求めたものである。
 
 そしてアメリカはこの国連の努力とは別に、「テロとの戦い」は自衛のための戦争であるということでアフガニスタン攻撃に踏み切っている。この場合、アフガニスタンのタリバン政権がアメリカによって攻撃されたのは、テロリストを引き渡さなかったからであり、タリバン政権がそれ自体としてテロリスト集団だからではない。(アメリカはテロリストをかくまうものはテロリストであるというむちゃくちゃな論理を持ち出しているが、当然、テロリストとテロリストをかくまうものは区別されなければならないだろう。)
 
 ところが当初、ビン・ラディンおよびその一味であるアルカイダという非常に限定されていた、この「テロとの戦い」の対象は、次第に拡大していく。それは、アフガニスタンを武力制圧したアフガニスタンでタリバン勢力が勢力を盛り返して反撃を開始したからである。
 
 そこで日本の国連大使の原口は、国連での演説で、日本もアフガニスタンにおけるテロリストとの戦いに参加しているとおおみえを切り、アフガニスタンにおけるテロリストとしてアルカイダとタリバンをあげている。
 
 しかし、原口には法案の趣旨を勝手に変更してよい権限などあるはずもないのだが、いつのまにか「テロとの戦い」のテロリストというのはアルカイダだけではなく、タリバンも指すようになってきた。
 
 しかし、その区別をすることは重要であろう。というのはアフガニスタンでテロ(武装攻撃)を行っているのはアルカイダとタリバンであるが、タリバンの多くは現地の住民によって構成されており、彼らは自分たちの土地に勝手に乗り込んできた外国軍と戦っているのであるし、親兄弟を外国軍によって殺害された報復を行っているからである。そういう点では、タリバンの戦いはますます民族解放闘争の色彩を帯び始めているのである。
 
 このことは重要である。なぜなら、アフガニスタンは過去において、三次にわたってイギリスの侵略軍と戦い、その後はソ連の侵略と戦い、敗北しなかった国だからである。したがって、今回、アメリカとその他の国々が束になってアフガニスタンに襲いかかったからと言って勝利が必ずしも保障されているわけではなく、むしろ、逆の結果、すなわちベトナム戦争の再現になる可能性が高いからである。
 
 さらに、この法案の特徴は直接アフガニスタンのタリバンとアルカイダとの戦争に介入するものではなく、タリバンとアルカイダと闘う外国軍、すなわち、アフガニスタン侵略軍に海洋で燃料や水を供給することで間接的に参加するという形式になっている。
 
 こうすることでこの法案はまったく無意味なものになっている。というのはアメリカと外国軍のアフガニスタン侵略戦争には海洋は使われていないし、タリバンもアル・カイダも海洋を拠点としている海賊ではないからである。
 
 そもそもこの法案では自衛隊は戦闘地域、すなわち、敵対する勢力と味方をする勢力がが交戦するかも知れない場所では活動しないということをうたっており、インド洋は「安全」である、すなわち、敵対勢力が存在しないということを前提にしているのである。
 
 この法案が現実的に意味を持ったのは、皮肉なことに、イラク戦争の開戦時であり、アメリカ軍は日本の自衛隊から給油を受けて、イラク攻撃行っていたのであり、法案の趣旨を完全に逸脱することによってのみ、はじめて実効性をもつような法案というのは、そもそも法律の名に値するのかという問題が起こってくるのではないか。
 
 そこで、政府は海洋での抑止活動に従事する艦船のみに給油するように法案を修正しようとしているがこれはもっとバカげている。
 
 というのは、テロリストの攻撃および人員、武器の輸送を阻止するためのMIO(海上阻止行動)は現在では行われていないからである。すなわち、テロ特措法の根拠となっていた活動そのものがいつの間にか自然消滅しているのである。
 
 これは北朝鮮に対する経済制裁のときにも問題となったが、公海上での「臨検」、すなわち公海上の不審船に対して、誰何し、強制的に乗船して貨物検査や人員検査を行うことは国際法上許容されてはおらず、それを強行すれば当該船舶の「旗国」(その船舶が所属する国)に対する軍事行動と見なされるからである。
 
 いくらアメリカが無法者の国だといっても国際法を無視して、公海上の船舶を「臨検」することはできないので、現在はMIO(海上阻止行動)はMSO(海上治安活動)と名前を変えている。つまり、テロ特措法の根拠となっていたアメリカ海軍の活動そのものがすでに行われなくなっており、代わりにMSO(海上治安活動)という哨戒活動に切りかわっている。
 
 哨戒活動というのは、早い話、敵の襲撃に備えて、見張りをして、警戒することで、「職務質問」の権限のない警官がパトカーに乗って街を巡回し、なにかことがあると現場に駆けつけるというようなものである。このMSO(海上治安活動)には日本の自衛隊も参加しているが、この6年間に日本の海上自衛隊があげた唯一の華々しい戦果は、オマーン湾を航行中の日本国籍のタンカーで発生した急病人を救出したことである。よくやったぞ、海上自衛隊。ところでこのような活動は「テロとの戦い」とどのような関係があるのだろうか。少なくとも海上自衛隊は「テロ特措法」に基づいてインド洋に展開しているのだから、このような活動がテロ特措法の第何条に該当するのか答えられなければ困るのではないか。
 
 自衛隊が現在担当しているのはCFT150とアメリカ中央軍が名付けている地域(紅海、アデン湾、オマーン湾、アラビア海北部、インド洋一帯)で、ここでアメリカに協力するいくつかの国の艦船に自衛隊は給油をしているが、当のアメリカ海軍はこのような無意味な活動からすでに足を洗っている。
 
 残っているのはこのすでに形骸化して内実を喪失している活動の無意味さにこそ利益を見いだしている国々である。つまり、アメリカのご機嫌を取るためにアメリカのアフガニスタン侵略戦争に荷担をしたいが、直接戦争に参加するのはちよっとまずいではないかと考えている国々(この筆頭が日本である)がこの何の意味もない活動に参加することによって、名前だけの“参戦国”の資格をえようというのである。
 
 そしてアメリカがこのような活動をいまだに継続し、日本の海上自衛隊にも継続することを求めているのは、多くのやる気のない国々を引き留めるためであり、一人抜け、二人抜け、そのうちに誰もいなくなったという情況を防ぐためである。
 
 しかし、このやる気のない国々連合によるインド洋パトロールという現実は、多くの国々がこのアメリカのアフガニスタン侵略戦争から足を洗いたいと考え始めているということでもあり、アフガニスタン侵略戦争はすでに転機を迎えているということでもある。

 
 

もういいかげんにしていただきたい

2007-10-15 17:23:46 | 政治
 われわれは、このブログの目的が、日本や世界の政治や経済の現状について一般的な論評を行うということは、何度も明言しているところです。
 
 ところが、いまだにわれわれのことを「拉致問題研究会」であると勘違いしている人があとをたたないのはどういうことでしょうか?
 
 特に、新潟の拉致関係者の現状をこと細かく報告して、どう思うか?などといわれてもわれわれには、地震に見舞われた方々の早急なる復興を念願しておりますとしかいいようがありません。
 
 また拉致関係者がヘンな目で見られているということですが、そういうこととわれわれがどういう関係にあるというのですか?もし彼らが帰国しても、彼らが“浮いた存在”であり続けているとしたら、もう5年もたつのですからそれは彼らの責任ではないですか、昔、敗戦でシベリアに抑留された人々の多くは、ソ連当局に“洗脳”されていて、帰国直後は、日本の市民生活から“浮いた存在”でしたが、その“洗脳”はたいてい一年以内に解けて皆さん普通の市民に戻っていきました。これはオウム真理教でも同じでしょう。95年の強制捜査以来、多くの人がオウム真理教とは手を切り、少数の人が残りました。手を切った人の“洗脳”はもう解けています。だから、“洗脳”などというものが普通の人の精神に与える影響はきわめて限定的だといえます。
 
 拉致帰国者の多くがいまだに“浮いた存在”であるかどうか、われわれは本当のところは知りませんが、もしそうであるならば、それは彼らが“秘匿”すべきものをいまだに抱え続けているということであって、人々が“秘密を抱えている人”を警戒の念で見るのは、ある意味で仕方のないことなのかも知れません。だからこそわれわれは、労働者の信頼をえたいと考えるなら、隠しごとをしながら労働者に接近してはならない、と口をすっぱくして言い続けているわけです。
 
 特に、蓮池薫氏は「この方法(北朝鮮での出来事を何も話さないこと)がまだ帰ってこない拉致被害者を帰国させるいちばん良い方法だと確信している」とまでいっているのですから、われわれのブログにわけの分からないことを書き込んだ人が、こういうことでわれわれにとやかく言うのはどういうことなのか、われわれにはまったく理解することができません。
 
 われわれにどうしろというのですか?「どうして君たちの沈黙が拉致被害者の帰国につながるというのか、いいかげんなことばかり言ってるんじゃないぞ」と彼らを追求してほしいのですか?しかし、何度も言いますが、われわれは「拉致問題研究会」ではありません。政府もマスコミも家族会も「救う会」も当人たちも、そして意味不明なコメントを書き連ねた人も、それでよかれと思ってやっていることについて、拉致問題とは何の関係もないわれわれがゴチャゴチャ言うこと自体が、おかしなことでしょう。
 
 また「拉致家族会」の諸氏に安部晋三政権のもとで「諸君たちがやっているのは、拉致報復運動なのか拉致救済運動なのか」と問うたことをあれこれいう人がいますが、われわれの質問は正しかったのではないですか?もしわれわれがあのような質問をせずに、「拉致家族会」が自分たちのやっていることは「拉致救済運動」であると答えなかったら、「拉致家族会」は今ごろ、拉致問題を利用して金正日政権を武力で転覆しようとしていた安部晋三政権と命運をともにしていたでしょうから、むしろわれわれとしては警鐘を与えたことに対して「拉致家族会」の方々に感謝していただきたいくらいです。
 
 ところが「拉致家族会」の存亡の危機を救ったわれわれにたいして、こういう態度はどういうことでしょうか?非常識にもほどがあるのではないですか。
 
 ついでに、北朝鮮政府および朝鮮労働党の諸氏もわれわれについて大きな誤解をもっているようなのであえていいますが、北朝鮮政府が無謀なミサイルの発射を強行して以来、われわれは安部晋三氏の北朝鮮政策、すなわち、金正日政権を追い込んで、アメリカとともに北朝鮮を武力制圧するという政策が、無謀かつ荒唐無稽であり、現実性がないばかりか、むしろ北東アジアの緊張を高める非常に危険な政策であると批判してきました。
 
 そして、この観点から、われわれは安部晋三政権の北朝鮮政府にたいする経済制裁に一貫して反対してきましたが、これはわれわれが国際紛争は平和的な手段で解決されるべきであると考えているからで、北朝鮮政府と日本政府のあいだには解決すべき国際紛争がないといっているわけではありません。
 
 むしろ逆に、われわれは「拉致問題」が日本政府と北朝鮮政府のあいだに存在する深刻な国際紛争であると考えているからこそ、両国政府の真摯な話し合いで解決せよと要求しているのです。そしてこの要求は、日本の労働者階級と北朝鮮の労働者階級の要求でもあります。
 
 この問題で北朝鮮政府および朝鮮労働党の諸氏が、日本のバカ右翼並みの貧弱な脳みそしか持ちあわせていないとしたら、それは北朝鮮政府および朝鮮労働党の諸氏にとって破滅的な結果をもたらすことでしょう。
 
 もっとはっきりと言わなければならないですか?われわれは北朝鮮政府および朝鮮労働党の諸氏がもし「拉致問題」を何かの取引の材料のように考え、その解決のためには何らかの「対価」が必要であると考えているとしたら、それは正しくないと言っているのです。
 
 この問題は、ことの性質上、北朝鮮政府が責任をもって、「対価」なしに解決すべき問題であり、金正日政権が日朝間に突き刺さっているこのトゲを抜かなければ、日本の政権がどのように変わろうが日本の世論が軟化することはないと言っているのです。以上です。
 
 

姫岡玲治氏の「自己金融」資本主義論

2007-10-13 01:35:56 | 政治
 この人も、林紘義氏の“ご学友”の一人である。
 
 われわれ赤星マルクス研究会が2年前に、「われわれは敢然と過去と決別して、未来に生きる」といった時点から、日本の過去の左翼運動はわれわれにとってあまり意味のないものになっている。
 
 では、なぜわれわれは、われわれがある意味でどうでもよいものと規定している、林紘義氏とその“ご学友”たちに関わり続けているのだろうか?
 
 それは西部氏が、『正論』でいみじくも言ったように、この人たちのあいだでは「鬼籍に入る日が近くなって」、このままでは死んでも死にきれないという満たされない思いが充満しているからであろう。
 
 もともと生きながら「化石」となった人々だから、生にたいする執着心はあまりないと思っていたが、自らの意志で「化石」となった人々の、死ぬ前にどうしても言わなければならない、という「たましいの叫び」を聞くたびに、大きな違和感を感じないわけにはいかないからである。
 
 もちろん、彼らの満たされない思いは、彼らが人生でもっとも輝いていた(と彼ら自身が考えている)時期に行われた彼らの闘争(ブントの60年安保闘争)が実は中身があまりないものであり、彼らの半世紀はその空疎を埋めるために費やされた時間でもあったのだが、埋めようとして埋めきれない満たされない想いだけが彼らには残ったのである。
 
 今回登場した青木昌彦氏(ペンネームは姫岡玲治氏)は、そういうブントの空疎を代表する人物であり、その彼はめずらしく某新聞で当時のことを回顧している。
 
 青木氏の回顧が貴重なのは、彼がまるで他人事のように当時を振り返っているからである。それだけ客観的に当時を振り返ることができるのはこれまであまりいなかった。
 
 特に、印象的だったのは「ブントがつぶれたのは自分が経済理論を知らなかったからだ」と島成朗書記長が語るところである。
 
 その前に、1960年7月(つまり安保闘争直後)の第5回大会の様子が描かれているが、この大会はすでにブントが、プロ通派(『プロレタリア通信』)、革通派(『革命の通達』)戦旗派(『戦旗』)への分裂含みであり、統一した団体ではなくなりつつあることを露呈した大会であり、それこそ青木氏が言うようにヤジと怒号のなかで開かれ、何も決められずに散会したが、その時、島成朗氏が「ブントはおれがつくったと思っていたけど、お前がつくったんだな」と姫岡玲治氏に言ったことを青木氏は書いている。
 
 なかなかいい場面だ。人望はあるが戦略のない指揮官と戦略はあるが人望のない参謀が敗色濃厚な戦況を前になすすべを知らずただ嘆くことすらできないでいるのである。
 
 ところで、島成朗氏が「ブントはおれがつくったと思っていたけど、お前がつくったんだな」と姫岡玲治氏に言ったことは本当だろうか?
 
 もちろん、経済理論を知らないと島成朗氏自身がみとめており、姫岡玲治氏はブントの理論家だったからブントの理論の多くは姫岡氏に負っていたという点で島成朗氏の発言は妥当であろう。また「姫岡国独資論」(姫岡玲治氏の国家独占資本主義論)はブント(共産主義者同盟)の綱領草案でもその基調をなしている。
 
 青木昌彦氏(姫岡玲治氏)の国家独占資本主義論の特徴は独占資本の「自己金融」論であるが、それは国家によって補完されているがゆえに国家独占資本たり得うる。(「この自己金融の蓄積の様式は、租税などによって集中された莫大な社会的資金を、低利長期の国家資金として重要産業部門に供給したり、あるいは内部留保金にたいする免税策や、低金利政策、消費者信用の拡大などの経済政策によって、独占利潤を維持し、もしくは蓄積を促進するなどの国家機関によっの動員によってはじめて可能とせられるものである。」ブントの綱領草案より)
 
 この「自己金融」による蓄積様式を当時の姫岡玲治氏は、「世界史の一段階」を画するものとまでいうが、実は、彼が見ていたのは朝鮮戦争時のほんの数年の日本資本主義でしかなかった。
 
 周知のように、日本資本主義は朝鮮戦争の“特需”によって復活し、拡大再生産軌道に乗っていったが、その最初の頃は、銀行を中心とした財閥が解体し、銀行も戦後復興を遂げたばかりで産業資本に資本を貸し出すだけの余力を持っていたかった。だから、日本の多くの資本は、「自力更生」というか、朝鮮特需でボロ儲けした利益のほとんどを設備投資に回さざるをえなかった。つまり、「自己金融」による蓄積が優勢とならざるをえなかったのは、当時の日本資本主義がまだ若く、社会の蓄積された資本の多くを戦争で失ってしまい、それを回復する過程であったからにすぎなかったのである。
 
 だから、1960年代にはいって本格的な高度成長が始まると、外部資金(銀行の貸し出し)は急増し、オーバー・ローンと呼ばれる貸し出し超過が恒常化、慢性化することになるし、資本が新株発行によって株式市場から資金を調達することも増加してくることになる。
 
 そういう点では青木昌彦氏(姫岡玲治氏)はいいとき(自分の理論が決定的に破産する前)に左翼活動から足を洗ったとも言えるが、彼の理論がブントで重用されたのは、実は、後者の部分、すなわち資本の「自己金融」は国家によって補完されなければならないという部分である。
 
 つまり、国家独占資本主義は高度に発達した資本主義であり資本主義の前夜なのであり「このように国家機構との結合を強めた『公的性格』の強化のなかで、社会主義の物質的準備は、完全に熟し切っている」(ブントの綱領草案より)のであるから、「プロレタリアートの決然たる行動と、政治権力の奪取こそが、すべての可能性をきりひらく」からである。
 
 国家独占資本主義のもとでは、資本は国家と結合し『公的性格」を強めているのであるから、労働者が資本の政府を転覆すれば、そこには社会主義社会が待っているであろうというのは、政府を転覆することがすべてであるという小ブルジョア急進主義の立場そのものであろう。
 
 ところが青木昌彦氏(姫岡玲治氏)は一方で、政府を転覆すれば社会主義になるのだから、安保闘争で岸内閣を倒せばいいのだといいながら、他方で「安保闘争はロシアの1905年ではない。同盟のすべてをかけるのは誤りだ。」というのであるから、何を言っているんだ」ということになる。(政府の転覆がすべてであるといいながら、政府の転覆にすべてをかけるのは誤りだという理屈は誰も理解できない)そういう点では、ブントの安保闘争論を形作ったのは青木昌彦氏(姫岡玲治氏)だが、同時にブントの内紛を準備したのも青木昌彦氏(姫岡玲治氏)なのである。
 
 こうした混乱のなかで青木昌彦氏は姫岡玲治氏であることをやめたのだが、それを「経済学至上主義」の東大系が雲散霧消したのは当然であったと総括する。
 
 われわれがいう林紘義氏とその“ご学友”とは青木昌彦氏のいう“東大系”のことであるが、彼らはむしろ島成朗氏がはっきりと認めているように、「経済学至上主義」を掲げながら、経済学を何も知らなかったがゆえに雲散霧消したといった方が正確であろう。         

「政治警察」との闘争とは?

2007-10-11 02:27:55 | 政治
 われわれが、公然たる政治闘争は公然たる党組織(党内民主主義が担保されている党組織)なしには不可能である、と述べたことに対して、それでは公安(政治警察)との闘争はどうするのか?という質問がありました。
 
 こういう質問の趣旨はよく分かりません。公安(政治警察)なるものがあって、合法、非合法を問わず、やりたい放題のことをやっているということがもし事実であるならば、そういう無法集団と闘争しなければならない(取り締まらなければならない)のは、政治団体ではなく、市民警察なり司法当局の仕事でありましょう。なぜ民間の政治団体が市民警察や司法当局の職務を代行する必要があるのですか?
 
 もし日本で無法者たちがのさばっており、誰もそれを抑止しないというのであれば、それこそ日本の治安政策上の大問題ではないでしょうか?こういう「法の支配」の根幹に関わる問題について日本政府や関連する行政当局があいまいな態度をとっているとしたら、それこそ政府の統治の正当性が問われる問題です。
 
 そもそも、思想信条の自由が認められ、表現の自由が認められ、集会の自由が認められ、結社の自由が認められている社会で、それを取り締まる「政治警察」などというものが存在するということ自体が、完全な概念矛盾であり、ありえないことです。(もし存在するというのであれば、そのような違法機関の構成員は即刻全員逮捕して、法の裁きを受けさせなければならないのですが、本当に日本にそのような違法機関は存在するのですか?)
 
 われわれは日本の法秩序がその存在を認めていないものの存在を議論することが、意味のあることだとは思いません。
 
 また、各都道府県警に設置されている「公安課」についても、われわれは彼らを監視しているわけではありませんので、何をやっているのかは知りませんが、当然、彼らは「公僕」であり、税金を使って仕事をしている以上、業務の内容について主権者である国民が知りうるようなかたちで公開する必要があるのではないですか?
 
 そして「公安課」の予算を決定する国会なり、地方議会なりが、「公安課」の業務内容について、何もしらず、何も知ろうとはせずに、ただいわれるままに予算を配分し、その結果として、「公安警察」が合法、非合法を問わず、やりたい放題のことをやっているというようなことが日本で現実に起こっているとしたら、それはそれを許している国会なり、地方議会の責任であることほど明確なことはないのです。
 
 したがって、われわれは「政治警察」との闘争というテーマが労働者党の課題であるとは考えません。
 
 こういうマルクス主義者と政治警察との戦いはずいぶん前から行われてきたという人もいます。
 
 そこで、1850年の『新ライン新聞、政治経済評論』の書評から、フランスの二人の警察のスパイの著書を取り上げためずらしい書評から見ていこう。
 
 一人は、ド・ラ・オッドともう一人はシュニュである。二人とも、陰謀組織『新季節会』のメンバーであり、ド・ラ・オッドは『新季節会』の中央委員であり、小ブル社会主義者の新聞『レフォルム』の編集者でもあった。『新季節会』のリーダーはアルベールで彼は1848年の革命時には臨時政府の閣内に入っている。また同じ『新季節会』のコシディエールは憲法制定会議の議員であるとともに、パリ警視庁の警視総監になっている。
 
 ド・ラ・オッドとシュニュはコシディエールの部下なのだが、二人とも新季節会の主要メンバーであると同時に警察のスパイでもあった。ド・ラ・オッドは革命後その正体が暴露されて刑務所に放り込まれてしまったので、マルクスは彼のことを「失意の警察官」と呼んでいるが、傑作なのシュニュの方である。
 
 「ロマン系諸国民の陰謀好きと、スペインやイタリアやフランスの近代史で陰謀が演じた役割とは、人も知るとおりである。1820年代のはじめにスペインとイタリアの陰謀家が敗北してからは、リヨンと、ことにパリとが、革命的諸団体の中心地となった。1830年までは自由主義的ブルジョアが自由主義的ブルジョアが王政復古に反対する陰謀団体の先頭に立っていたことは周知のことである。7月革命以後は、共和主義的ブルジョアジーがこれといれかわった。プロレタリアートは、すでに復古王政のもとで陰謀の教育を授けられていたが、共和主義的ブルジョアが効果のない市街戦におどかされて、陰謀から身を引くにつれて、このプロレタリアートが前面に出てきた。バルベやブランキといっしょに1839年の暴動をやった季節会はまったくプロレタリア的なものであった。またこの暴動の敗北後に、アルベールをかしらとし、シュニュ、ド・ラ・オッド、コシディエール、その他を参加者としてつくられた新季節会も同様であった。陰謀団体は、その指導者たちを通じて、『レフォルム』に代表される小ブルジョア分子とたえず連絡していたが、しかし、いつも大きな独立性を保っていた。これらの陰謀団体がけっしてパリ・プロレタリアートの大多数を包括したことがないのは、もちろんのことである。それは、比較的に少数の成員に限られ、その人数はたえず変動していた。成員の一部は、一つの秘密結社からその後継団体へと規則的に引き継がれていく、古くからの、常連の陰謀家たちであり、一部はあらたに獲得された労働者であった
 
 これらの古くからの陰謀家のうちで、シュニュが述べているのは、ほとんどもっぱら、彼自身がその一員である部類、すなわち職業的陰謀家についてだけである。プロレタリア的な陰謀が発達するにつれて、分業が必要になってきた。その成員たちは、臨時の陰謀家、すなわち、別の仕事に従事するかたわらで陰謀を行うだけで、会合に出席したり、指導者の命令で集合場所に出かける用意をととのえたりするだけの労働者たちと、自分の全活動を陰謀にささげ、陰謀で生活していた職業的陰謀家たちとに分かれた。後者は労働者たちと指導者たちとのあいだの中間層をなし、しばしば指導者のあいだにさえもぐりこんだ。
 
 この階級の生活上の地位が、すでにはじめから彼らの全生活を条件づけている。当然のことながら、プロレタリア的陰謀は、ごく限られた、不確かな生存手段しか彼らに提供しない。そこで、彼らは、やむなく、しょっちゅう陰謀資金に手をつけるということになる。彼らの中には、直接にもブルジョア社会一般と衝突を起こして、多少の体裁をつくろいながら軽罪裁判所に出向いたりするものも少なくない。その不安定な、ある場合には自分の活動よりもむしろ偶然によって左右される生活、唯一の決まった宿が酒場――陰謀家たちのたまり場――であるような不規則な生活、あらゆる種類のあいまいな人物との避けがたい交友関係、これらはパリではラ・ポエムとよばれている生活圏に彼らを組み入れる。つまりプロレタリア出身のこれらの民主主義的ボヘミアン――ブルジョア出身の民主主義的ポエムもいる。民主主義的遊民や酒場の常連がそれである――は、仕事を捨てたために生活のくずれた労働者か、またはルンペン・プロレタリアートの出で、この階級のだらしない習慣のすべてを彼らの新しい生活にもちこんでくる連中か、どちらかである。こういう事情だから、どの陰謀裁判でも、前科者の一人二人が関係していないものはほとんどない理由もわかるというものである。
 
 これら職業的陰謀家の全生活は、明確なポエム的性格をおびている。陰謀の募兵下士が、酒場から酒場へとわたりあるき、労働者の脈をひき、兵隊となるものを探しだし、うまいことをいって彼らを陰謀にひきこむ。そのさいにつきものの、空にした酒ビンの勘定は、結社の資金の負担とされるか、または新規の友だちの負担とされる。だいたい、酒場の亭主は陰謀家たちの本当の宿主である。陰謀家たちはたいてい彼のところに泊まりこむ。ここで仲間や、分会員や、新規に徴募すべき相手とおちあう。最後に、ここで支部や支部指導者の秘密の会合がおこなわれる。陰謀家たちは、そうでなくともパリのプロレタリアのだれとも同じように、きわめて陽気な性質なのだが、こういうひっきりなしの居酒屋気分の中で、じきに完全な道楽者になってしまう。秘密会議ではスパルタ式のきびしい道徳を発揮する陰気な陰謀家たちが、突然にうちとけて、酒と女をたいへん愛好するありふれたご常連に変わってしまう。こういう一杯機嫌は、陰謀家が絶え間のない危険にさらされていることによって、いっそうつよめられる。バリケードに呼び出されて、その場で命を落とすかも知れないし、一足ごとに警察がわなをはっていて、それにかかったが最後、刑務所へ、それどころかガリー船へ、連れて行かれるかも知れない。まさにこういう危険が、この仕事の魅力をなしているのである。危険が大きければ大きいほど、陰謀家たちはますます急いで、つかのまの楽しみにひたる。それと同時に、危険に慣れる結果、生命や自由に対して極度に無関心になる。刑務所は、彼らにとって酒場と同じくらい気楽な場所である。毎日、彼らは、攻撃開始の命令を待っている。パリのどの反乱にも現れるすてばちの暴勇は、まさにこれら古くからの職業的陰謀家、突撃兵によってもちこまれる。はじめにバリケードを築き、これを指揮し、抵抗を組織し、兵器店の略奪や、家々からの武器弾薬の徴発を実行し、蜂起の最中には、しばしば政府党を混乱させる、あのがむしゃらな強襲をやってのけるのは、彼らである。ひとことで言えば、彼らは反乱の将校である。
 
 これらの陰謀家が一般に革命的プロレタリアートを組織するだけにとどまらないことは、いうまでもない。彼らの本業は、まさに革命的な発展過程を先回りし、それを人為的に駆り立てて危機を醸成し、革命の条件も存在しないのに即席の革命をつくりだすことにある。彼らにとっては、革命の唯一の条件は、彼らの陰謀が十分に組織されていることである。彼らは革命の錬金術師で、昔の錬金術師の固定観念の思想的錯乱と狭さを完全にともにしている。彼らは、革命的奇跡をおこなうはずの考案に没頭する。焼夷弾、魔術的なはたらきをする破壊機械、合理的な根拠をもたなければもたないほど、ますます奇跡的な、意表外の影響を及ぼすべき暴動、こういうふうのものである。こういう空想計画の作成に没頭している彼らは、現存政府の打倒という当面の目的のほかには、どんな目的ももっておらず、労働者に彼らの階級利害を自覚させるという、より理論的な仕事をひどく軽蔑する。燕尾服人種、つまり、運動のこの理論的方面を代表する、多少とも教養ある人々にたいして、彼らが、プロレタリア的というより、平民的な義憤をいだいているのは、このためである。それでも彼らは、この人々からも、また党の公の代表者たちからも、けっして完全に独立することはできない。燕尾服人種は、ときどき彼らの資金源の役もしなければならないからである。なお、陰謀家たちが、いやがおうでも革命党の発展のあとをついていかなければならないのは、もちろんである。
 
 陰謀家たちの生活の主要な特徴は、警察との闘争である。彼らの警察にたいする関係は、泥棒や売春婦の警察にたいする関係とまったく同じである警察は陰謀団体を大目にみるのは、社会でもっとも暴力的な革命分子が集まる、監視しやすい中心としてであり、フランスでは警察そのものと同じくらい必要な統治手段となっている暴動の製造工場としてであり、最後に、警察自身の政治的密偵の徴募所としてである。もっとも有能な泥棒刑事であるヴィドックとその一党が、高等下等さまざまないかさま師、つまり盗賊や、詐欺師や、いかさま破産者のなかからひろいあげられ、またしばしば元の仕事にまいもどってゆくのと同じに、下級の政治警察は職業的陰謀家のなかから徴募される。陰謀家たちはたえず警察と接触を保っており、しょっちゅう警察と衝突する。彼らが密偵を追いかければ、密偵も彼らを追いかける。スパイは彼らの本業の一つである。だから、貧困や投獄、脅迫や約束に誘導されて、職業的陰謀家からお雇いの警察のスパイへの小飛躍が、しょっちゅう起こるのは、不思議ではない。そのために、陰謀団体のなかにははてしない猜疑の体系が生じ、それが団員を完全にめくらにして、もっともすぐれた人物を密偵とみなしたり、本当の密偵をもっとも信頼すべき人物とみなしたりさせるのである。陰謀家のなかから徴募されたこういうスパイが、たいてい、警察をだませるだろうと本気で考えて、警察とかかりあいをもつのだということ、また、彼らがしばらくはふたまた膏薬(こうやく)をうまくつとめていくが、そのうち、その第一歩から生まれてくる結果にだんだんと落ちこんでゆくのだということ、警察がほんとうに彼らにだまされる場合もしばしばあることは、明らかである。とにかく、こういう陰謀家が警察のわなに陥るかどうかは、純然たる偶然的事情にかかっており、また志操堅固の質的な差異というより、むしろその量的な差異にかかっている。
 
 シュニュがしばしばきわめて生き生きと描いてみせ、ときにはすすんで、ときには心ならずもその性格を記述している陰謀家とは、こういうものである。とにかく、彼自身、ドレセールやマラストの警察との必ずしも明瞭でない結びつきまでふくめて、職業的陰謀家の好個の典型である。
 
 パリのプロレタリアート自身が党として前面に現れてくるにつれて、これらの陰謀家はその指導的影響力を失い、散り散りになり、プロレタリア的秘密結社という危険な競争者をもつようになった。この後者は、直接の反乱をめざさずに、プロレタリアートを組織し発展させることを目的としていた。すでに1839年の反乱が明確なプロレタリア的、共産主義的な性格をおびていた。だが、その後、古くからの陰謀家たちがひどく嘆いている、あの分裂が生じた。分裂は、自分たちの階級敵利害を理解したいという労働者たちの欲求から生まれたもので、一部は旧来の陰謀団体そのもののなかに生じ、一部は新しい宣伝団体のなかにも起こった。1839年のすぐあとでカペーが精力的に開始した共産主義的扇動や、共産党の内部に起こった論争は、じきに陰謀家たちの手にあまるものとなった。二月革命のころには共産主義者が革命的プロレタリアートのもっとも有力な一派であったことを、シュニュもド・ラ・オッドも認めている。陰謀家たちは陰謀家たちは、労働者にたいする影響力を失わないようにし、それとともに、燕尾服人種と張りあってゆけるようにするため、この運動に追随して、社会主義的あるいは共産主義的観念をとりいれないわけにはゆかなかった。こうして、すぐに二月革命以前に、アルベールを代表者とする労働者陰謀団体と『レフォルム』派の人々との対立が生じた。この対立は、その後まもなく臨時政府のなかで再現された。とはいえ、われわれはとこれらの陰謀家とを混同するつもりはない。アルベールが彼の道具であったこの人々にたいして個人的に独立した地位を保つことができ、陰謀を飯のたねとした連中の部類にけっして属さなかったことは、右の両著作から明らかになる。
 
 1847年の爆弾事件は、それまでのどの事件にもみられなかったほど直接に警察が関係した事件であったが、これは、ついに古くからの陰謀家のうちのもっとも頑固な、もっとも片意地の連中を散り散りにして、彼らの在来の諸支部を直接のプロレタリア的な運動に投げ込んだ。
 
 これらの職業的陰謀家たち、彼らの諸支部のもっとも激烈な人々、たいていは自身古くからの陰謀家であったプロレタリア出身の政治犯たち、この人々にわれわれが二月革命後に再会したときには、彼らは、警視庁内の山岳派を構成していた。だが、この仲間全体の中核となっていたのは、陰謀家たちであった。突然に武装されてここに寄せ集められたこの連中は、たいていは彼らの総監や上官たちと心を許しあった仲であってかなりに不穏な一隊とならざるをえなかったのは、たやすく理解できることである。(1848年の)国民議会の山岳党が昔の山岳党のもじりであって、その無能力によって、今日では1793年の古い革命的伝統だけではもはや十分でないことをまざまざと証明したように、昔のサンキュロットの再現である警視庁内の山岳党は、近代の革命では、プロレタリアートのこの部分もまたもはや十分ではなく、全プロレタリアートだけが革命を遂行しうることを、証明したのであった。」(マルクス・エンゲルス全集、第7巻」
 
 マルクスは政治警察と陰謀たちとの関係を生き生きと描き出しているが、こういう職業的陰謀家たちの時代は、マルクスの目の前で終わろうとしていたのである。1848年にすでに、「近代の革命では、全プロレタリアートだけが革命を遂行しうることを、証明した」のであるから、時代は「直接の反乱をめざさずに、プロレタリアートを組織し発展させることを目的」とした労働者の組織への移行を不可避としていたのである。
 
 ではロシア革命ではどうなっているのであろうか?
 
 当時の帝政ロシアにはオフラーナ(ロシア帝国内務省警察部警備局)という政治警察が存在した。そのオフラーナによって何人ものスパイが左翼組織に送り込まれたが、その中でも有名なのはボリシェビキのローマン・マリノフスキーであろう。
 
 彼はレーニンの信任が厚く1912年には中央委員に選出され、第四国会選挙でボリシェビキ派の国会議員として当選したが、1914年に突然、議席を放棄し党を除名になっている。当時から彼はスパイではないかと疑われていたが、その正体が明かされたのは革命後の1918年であり、有罪判決がくだされた日に死刑になっている。
 
 今回、マルクス主義同志会の林紘義氏の『レーニンの言葉』を読んで、何かへんな感じがした。林紘義氏は「マリノフスキーは、レーニンから、人々に忘れられるために、姿を隠すことを勧められた。」というが、レーニンはマリノフスキーの無実を信じていたのであろう?だとするなら、なぜ「人々に忘れられるためにどこかに身を隠す」ように勧める必要があるのか、しかも、彼はロシア帝国の現職の国会議員でボリシェビキ議員団の副団長までしている人物なのであろう。そんな人物が理由も告げずに突然いなくなったら、それこそ元祖安部晋三といわれるのではないか?
              
 また「十月革命後、マリノフスキーはロシアに帰り、革命裁判にかけられた。レーニンは終始この裁判に出席していた。」というのもどうか。裁判が気にかかるというのであれば、一回ぐらいは裁判に顔を出したのかもしれないが、「終始」というのはどう考えてみてもおかしい。1918年のレーニンは超多忙であり、そんな暇もなかったであろうし、彼が個人のために使用できる時間はそれほどなかったはずである。
 
 しかし、もっとおかしいのは「マリノフスキーは多くの人々を破滅させることができ、また実際に破滅させた。しかし党はその重要性を増大し、幾十万の人民にたいする影響を増大したという意味において、偉大な成長をとげた。彼はこの成長を停止することも、支配することも、指導することもできなかった。」というレーニンの引用文である。
 
 林紘義氏は一体何が言いたいのか?政治警察のスパイは多くの党員を破滅させるが、党はそれとは無関係に発展するから大丈夫だ、というのであろうか?しかし、ここで明らかにされなければならないのは、「政治警察のスパイが多くの党員を破滅させる」ということと「党はそれにもかかわらず前進する」ということの連関であろう。それがなければ政治警察のスパイは党を発展させるからウェルカムであるという、意味不明な結論しか出てこないであろう。林紘義氏はまさかこんなことをここで言いたいのであろうか?
 
 実際にはレーニンはこういったのではなかったか?「1912年にスパイのマリノフスキーがボリシェビキ中央委員会にはいったことは、最悪の事態であった。彼は、何十人というもっとも優秀な、もっとも献身的な同志をほろぼし、苦役に送り、彼らのうちの多くのものの死を早めた。彼がそれ以上に害をおよぼさなかったのは、われわれのあいだで合法活動と非合法活動の相互関係が正しく設定されていたためである」と。
 
 ボリシェビキの党員であるということが発覚すれば、逮捕され流刑にされるという政治環境のなかで、ボリシェビキは陰謀組織の組織原則のいくつかを残しており、組織の全体像が秘匿されていたので、マリノフスキーの策動は部分的なものにとどまったとレーニンは言うのであるが、それは他方では、このことは、「貧困や投獄、脅迫や約束に誘導されて、職業的陰謀家からお雇いの警察のスパイへの小飛躍が、しょっちゅう起こるのは、不思議ではない。そのために、陰謀団体のなかにははてしない猜疑の体系が生じ、それが団員を完全にめくらにして、もっともすぐれた人物を密偵とみなしたり、本当の密偵をもっとも信頼すべき人物とみなしたりさせるのである。」というマルクスがいうような雰囲気をボリシェビキのなかに持ち込まなかったであろうか?
 
 レーニンはスターリンほど徹底的にではないが、この「猜疑の体系」に一部感染していたのかも知れないとわれわれは考えている。つまり、林紘義氏は当時のボリシェビキをわれわれが主張しているような「公然化された党」のようなものであると錯覚して、「公然化された党」では人事も諸問題も党員の討議によって決定されるのだから、政治警察のスパイが策動する余地はない、だから政治警察のスパイがいても党は前進するのであると考えているのではないのだろうか?そうであるならそれは正しくない。
 
 こういうことはいいたくないが、マリノフスキーの破壊活動が部分的なものにとどまったのは単なる偶然であり、社会民主党の分裂を促進することが当面の関心事であったオフラーナ(政治警察)と社会民主党内の日和見主義者とは手を切る必要があるというレーニンの指向が一致していたにすぎなかったからである。だからマリノフスキーは社会民主党内の統一派を権力に売りわたしていたといわれている。
 
 オフラーナはエス・エル(社会革命党)にもアゼフというスパイを送り込んでいるが、彼は党首であったゲルシューニが逮捕されると、サヴィンコフと社会革命党戦闘団を結成し党の中央委員に就任して、内相プレーヴェやモスクワ総督のセルゲイ公を暗殺する一方で政治警察のスパイとして仲間をオフラーナに売りわたしたりしている。まさに職業的陰謀家集団としてやりたい放題のことをやっているが、このエス・エル戦闘団は革命後に本当の革命に反対するだけのテロリスト集団になっていく。
 
 政治警察のスパイがこのように暗躍できたのは、まさにエス・エルがまるごと陰謀家集団であったからで、「政治警察との闘争」で問われているのは政治組織のあり方なのだということである。