スポーツの論評はわれわれの仕事ではないし、このブログの趣旨にもあっているとは思えないが、現在の日本のスポーツは一つの病気にかかっており、ある意味それは日本の社会が抱え込み始めている病気でもあるようにも思われるのであえてふれることにした。
どの世界にも、エベレストは存在する。我が師マルクスも「私についてこようとする人は高い山に登る決意がいる」といっていたような気がする。
だからわれわれはマルクスを師と決めた時から、われわれのエベレスト山に登る決意はできていた。幸いなことに、マルクスは弟子想いな人であるため、われわれの行く手にはいたるところに師の立てた旗が目印代わりにかざしてあるの。したがって、われわれが道に迷うことはないし、われわれに必要なことは困難をいとわず前進する決意だけである。
とはいえ、山というのは、どの山でもそうなのだが、高みに登るにしたがって、人間の生存条件の限界に直面させる。この限界に挑戦し、克服しようとする姿に人は感動するのだが、日本がやっていることやろうとしていることはこれとは全然ちがうことである。
日本が登ろうとしている山は、山は山でも「ニイタカヤマ」であり、テレビや新聞を通じて連日、朝から晩まで「ニイタカヤマ ノボレ」が発信されている。
皇国の興廃この一戦にあり、各人奮起せよということで、オリンピックの選手は“公人”(皇軍兵士)となり、“お国”のために死ぬことを要求される。
“問題児”が出れば、戦前の治安維持法の逮捕者を出した家族のように、あるいはあるいは連合赤軍兵士を出した家族のように、“連隊長”(選手団長)が謝り、学校の校長が謝り、母親が謝り、父親が謝り、関係者があやまる。(今回は自殺者が出ないだけよかった)
挙げ句の果てが、飛行機の操縦もろくに知らない若者を学校から引っ張り出して、神風特攻隊という名の自爆テロ部隊まで編成して、無謀な行動に駆り立てる。
すでに日本の社会は、健全性を喪失して、国をあげて、破滅へ向かう準備を始めているかのようである。
そういう破産国家がオリンピックに参加する意味はほとんどないであろう。