障害者自立支援法案はその名の通りに
障害者に一律1割の自己負担を求める障害者支援法案が小泉自民党の手によって国会に提出されようとしている。
この法案は障害者の自立支援をうたいながら、たとえ1割といえども一律的に障害者に自己負担を求めている点において法案として大きな矛盾と欠陥がある。
自分の治療費を負担できる人であるのなら、なぜ法律において自立を支援しなければならないとするのか、そのような法案を作らなければならないと考えるのか。
少なくとも政府は障害者の自立は国家または社会で支援されるべきだと考えているのであろう、だとすればそのような人々になぜ負担を要求するのか。
もし政府が世の中のことはタダではないと考えるのであれば、自立した後で、その人が負担を担えるようになった後で、「世の中のことはタダではないので、応分の負担をしてください」というべきだろうし、経済的にも自立した後であれば、障害者の人も喜んで負担に応じてくれるであろう。
重い荷物を背負っている人に、さらに荷物を背負わせるのは、自立を支援しているのではなく、逆に自立を阻害しているのである。
障害を持ちながらも社会のなかで社会の一員として生きていこうという人々に対して、われわれは手をさしのべるべきなのであって、社会の一員として扱ってほしかったら、まず会費を払えなどというのはよろしくない。考え方そのものが間違っている。
また、なぜ一律なのか、小泉首相は国会の答弁のなかで、この点を突かれると、障害を持っておられる方の置かれている個々具体的な条件を十分配慮して云々と、これが一律に取り扱うことができない問題であることを自分でも認めている。
だとしたら一律負担をやめるべきであろう。小泉自民党はこれが自分でも一律に取り扱うことができない問題であることがよく分かっているのになぜ一律に固執するのか。
なぜ一律1割負担でなければならないのか、人々に納得のいく説明がいるのではないのか。
それとも自民党は絶対多数を握っているから何をやっても許されるし、どんな反対があっても押しつぶすことができると思っているのだろうか。
おもしろい見解だ。やってみたまえ。
障害者に一律1割の自己負担を求める障害者支援法案が小泉自民党の手によって国会に提出されようとしている。
この法案は障害者の自立支援をうたいながら、たとえ1割といえども一律的に障害者に自己負担を求めている点において法案として大きな矛盾と欠陥がある。
自分の治療費を負担できる人であるのなら、なぜ法律において自立を支援しなければならないとするのか、そのような法案を作らなければならないと考えるのか。
少なくとも政府は障害者の自立は国家または社会で支援されるべきだと考えているのであろう、だとすればそのような人々になぜ負担を要求するのか。
もし政府が世の中のことはタダではないと考えるのであれば、自立した後で、その人が負担を担えるようになった後で、「世の中のことはタダではないので、応分の負担をしてください」というべきだろうし、経済的にも自立した後であれば、障害者の人も喜んで負担に応じてくれるであろう。
重い荷物を背負っている人に、さらに荷物を背負わせるのは、自立を支援しているのではなく、逆に自立を阻害しているのである。
障害を持ちながらも社会のなかで社会の一員として生きていこうという人々に対して、われわれは手をさしのべるべきなのであって、社会の一員として扱ってほしかったら、まず会費を払えなどというのはよろしくない。考え方そのものが間違っている。
また、なぜ一律なのか、小泉首相は国会の答弁のなかで、この点を突かれると、障害を持っておられる方の置かれている個々具体的な条件を十分配慮して云々と、これが一律に取り扱うことができない問題であることを自分でも認めている。
だとしたら一律負担をやめるべきであろう。小泉自民党はこれが自分でも一律に取り扱うことができない問題であることがよく分かっているのになぜ一律に固執するのか。
なぜ一律1割負担でなければならないのか、人々に納得のいく説明がいるのではないのか。
それとも自民党は絶対多数を握っているから何をやっても許されるし、どんな反対があっても押しつぶすことができると思っているのだろうか。
おもしろい見解だ。やってみたまえ。