労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

障害者自立支援法案

2005-09-29 00:06:05 | 政治
障害者自立支援法案はその名の通りに
 
 
 障害者に一律1割の自己負担を求める障害者支援法案が小泉自民党の手によって国会に提出されようとしている。
 
 この法案は障害者の自立支援をうたいながら、たとえ1割といえども一律的に障害者に自己負担を求めている点において法案として大きな矛盾と欠陥がある。
 
 自分の治療費を負担できる人であるのなら、なぜ法律において自立を支援しなければならないとするのか、そのような法案を作らなければならないと考えるのか。
 
 少なくとも政府は障害者の自立は国家または社会で支援されるべきだと考えているのであろう、だとすればそのような人々になぜ負担を要求するのか。
 
 もし政府が世の中のことはタダではないと考えるのであれば、自立した後で、その人が負担を担えるようになった後で、「世の中のことはタダではないので、応分の負担をしてください」というべきだろうし、経済的にも自立した後であれば、障害者の人も喜んで負担に応じてくれるであろう。
 
 重い荷物を背負っている人に、さらに荷物を背負わせるのは、自立を支援しているのではなく、逆に自立を阻害しているのである。
 
 障害を持ちながらも社会のなかで社会の一員として生きていこうという人々に対して、われわれは手をさしのべるべきなのであって、社会の一員として扱ってほしかったら、まず会費を払えなどというのはよろしくない。考え方そのものが間違っている。
 
 また、なぜ一律なのか、小泉首相は国会の答弁のなかで、この点を突かれると、障害を持っておられる方の置かれている個々具体的な条件を十分配慮して云々と、これが一律に取り扱うことができない問題であることを自分でも認めている。
 
 だとしたら一律負担をやめるべきであろう。小泉自民党はこれが自分でも一律に取り扱うことができない問題であることがよく分かっているのになぜ一律に固執するのか。
 
 なぜ一律1割負担でなければならないのか、人々に納得のいく説明がいるのではないのか。
 
 それとも自民党は絶対多数を握っているから何をやっても許されるし、どんな反対があっても押しつぶすことができると思っているのだろうか。
 
 おもしろい見解だ。やってみたまえ。
 

ドイツの選択、日本の選択

2005-09-22 16:24:15 | 政治


 日本の総選挙と時を同じくして、ドイツでも総選挙が行われた。

 しかし、結果は、SPD(社会民主党)222議席、CDU・CSU(キリスト教民主・社会同盟)225議席、FDP(自由民主党)61議席、左翼党(左派連合)54議席、緑の党51議席と与野党伯仲(SPDとCDU・CSUの議席差は3議席)のうえ、第三勢力である中堅政党が検討したため、政権党が大勝した日本とは逆になっている。

 SPD(社会民主党)とCDU・CSU(キリスト教民主・社会同盟)も過半数にははるかに到達しないために、どちらの政党が政権につくにしてもどこかと連立を組まなければならない。ドイツ基本法(憲法)では10月18日までに首班指名のための連邦議会を開かなければならないので、ぎりぎりまで各政党間の折衝が続くことになるであろう。

 ドイツの新政権についていえば、どの政党の組み合わせもあり得るし、ない場合もある。その場合はCDU・CSU(キリスト教民主・社会同盟)の少数与党ということになるが、議会の少数与党政権では独自の政策も実行しえない。

 どうしてこのような結果になってしまったのか。事前の世論調査では、CDU・CSU(キリスト教民主・社会同盟)が圧倒的に優位であった。(今年5月時点で、SPDの支持率は28%、CDU・CSUの49%)

 SPDのシュレーダー首相は、その不人気ゆえに解散に追い込まれたのである。この背景には500万人に及ぶ失業者と財政悪化という、ある意味では日本と同じ経済的な背景があった。

 それにもかかわらず、まったく違う結果になったのは、政治的な風土の違いがある。いうまでもなくドイツはヒトラーのナチス党を生んだ国である。ドイツ国民はこのことを決して忘れてはいない。だからドイツではデマゴギー政治や半デマゴギー的な大衆扇動政治はそれ自体、警戒されるし、決して大きな支持をうることはできないのである。

 ところが日本は、東条英機や板垣征四郎、武藤章、土肥原賢二、松井石根、木村兵太郎といった極めつけの軍国主義者、大量虐殺・一般市民に対する無差別攻撃・略奪・暴行・凌辱・拷問・放火・強制労働・人体実験・生体解剖・麻薬の売買といった犯罪行為の限りを尽くし、またはそのような犯罪行為を黙認するだけでなく、そそのかし、指揮命令した許されざる悪党どもを生み出しながら、その反省は全くない。まったくないどころか、日本の人々は彼らが中国で何をしてきたかも知らないし、街角で世論調査をすれば、板垣征四郎や土肥原賢二がどういう人物であるかを正確に答えられる若い人は、おそらく1%にも満たないであろう。ドイツ人のほとんどがアイヒマンやヒムラーがどういう人物で何をしたのかを知っているのに対してこの落差はどうしょうもない。

 日本に過去の軍国主義に対する真剣な反省がないとしたら、同じことは再び起こりうるし、デマ政治に対するアレルギー反応は形成されてはいないと見るのが正当であろう。

 だから今回の選挙でも、戦前に「満州を手に入れれば景気もよくなり世界大恐慌から脱却できる」などとさかんに幻想をふりまいて軍国主義と中国侵略の道をひた走り、太平洋戦争へとなだれ込んでいったように、小泉自民党は郵政を民営化すれば、財政再建も、公務員改革も、構造改革もできるなどとデマゴギーを振りまいて大勝したのである。(一般の社会ではダマされる側もダマす側もどっちもどっちという見解もあろうが、政治の世界では人々をダマす人間が一方的に悪いのである。それがブルジョア民主主義というものであろう。少なくとも、普通選挙は、政治家は有権者をだまさないという前提のもとに成立している制度であるから、有権者をダマす政治家が存在すること自体がルール違反なのだ。)

 そして、小泉純一郎は選挙で大勝した後で、実は、郵政民営化とは別に、財政再建と公務員改革と構造改革を行わなければならず、これは国民、とりわけ労働者に大きな犠牲を強要するものであると言い出し始めるのであるから、有権者の多くはダマされたと思うであろうし、実際、彼は有権者をペテンにかけたのである。

 これに対してドイツでは、選挙戦の中で、各政党は自分たちの政策をいつわることなく語ったのである。

 CDU・CSU(キリスト教民主・社会同盟)は付加価値税率(消費税率)の引き上げと一律25%の所得税(豊かな者にとっての大減税、貧しい者にとっての大増税)、そして雇用制度を改悪して解雇しやすいようにする等々、またSPDは失業手当を削減しての財政再建等々を掲げた。

 これでは、トンカチで頭を殴られるのがいいのか、カマで首をちょん切られるのがいいのかを有権者に問うようなものであり、有権者である労働者は選びたくとも選べない。

 したがって選挙が始まるとともにCDU・CSU(キリスト教民主・社会同盟)の支持率は急落していき、支持はFDP(自由民主党)、左翼党(左派連合)、緑の党といった中堅政党に流れていった。

 この結果を受けて、日本のマスコミはドイツの政治の後進性を云々しているが、逆であろう。ドイツは日本の明日の政治を先取りしているのである。

 ドイツの有権者は、労働者にだけ犠牲を押しつけて財政再建や経済の停滞をはかろうとする政治に対して、ちょっと待ってくれ、本当にもっといい案がないのか考えるのが先であろう、といったのであり、それ自体は正しいのである。(そもそも500万人もの失業者がいること自体、ドイツ経済が大きな構造的欠陥を持っているということであり、それを解決しなければ、現在の苦境を脱却しえないのは明白である。)


  

親方、星条旗でいいのだろうか?

2005-09-17 19:51:44 | 政治

 ブッシュ大統領は大型ハリケーン「カトリーナ」の被害にあったニューオーリンズの復興について、復興資金の大半を連邦政府が負担することを約束するとともに、増税はしないとも言明した。
 そんなことが可能であるのか、という記者たちの質問にはブッシュ大統領は、「不要な政府支出を削り、米経済の成長を維持する政策を行うことも知恵の一つである。」と語った。
 それで多くの新聞は彼の発言の前半に注目してアメリカ政府は緊縮財政(歳出削減)に乗り出すのではという見方をしているが、最大の歳出項目である、イラク戦費は削減しないというのであるから、ブッシュ大統領の真意はむしろ後半にあるだろう。
 つまり、現在の減税政策を維持して、景気を拡大させ、政府の税収入が増加するのを待つというのである。ではその間の税収入の落ち込みはどうするのか?
 それはもちろん赤字国債の発行によるしかないだろう。
 アメリカ政府が国債の発行になんのためらいも見せないのは、アメリカの国債が諸外国によって買われているからである。現在、アメリカの経常収支は大幅な赤字が続いているが、この赤字の72%はアメリカ以外の国の中央銀行によって補填されている(中国を筆頭として諸外国がアメリカ国債を大量に買っている。)からである。 
 しかし、このようなことはアメリカ社会の健全な財政感覚をマヒさせないであろうか。 例えば、14日にはデルタ航空とノースウエスト航空が連邦破産法の適用を申請した。このうちデルタ航空については昨年52億ドルもの最終赤字を計上しており、倒産は時間の問題と見られていたが、ノースウエスト航空については17億ドルの現金を保有しており運転資金は足りているはずである。
 ノースウエスト航空がデルタ航空の破産申請にあわせて、ジェット燃料代の高騰を理由に破産を申請したのは、日本でいうところの“偽装倒産”のようなものである。
 ノースウエスト航空は労働組合に大幅賃下げを提示して断られ、労働組合はストライキに突入していた。これに対して会社側は組合員の三分の二を解雇するという暴挙にでて、社外から1200人を臨時雇用して組合に対抗しようとしたが、組合が抵抗をやめなかったので“死んだふり”をして逃げたそう(これまでの労働者を全部切り捨てて新しい航空会社を設立しよう)というのである。
 そしてこれも特徴的であるが、両社が破産を申請した翌日、すなわち9月15日は年金の支払い期限日でノースウエスト航空はこの日までに6500万ドルの年金の積み立てを行わなければならなかったのである。会社はストをやっている憎たらしい労働者の年金を支払うぐらいなら倒産した方がましだ、と思ったのかどうかは分からないが、実をいうと、企業年金を積み立てようとはしないアメリカの企業は激増している。
 2004年9月時点で確定給付年金の積み立て不足総額は1000億ドル近くにふくらんでいたが、現在はこれよりももっと増えているはずである。積み立て不足が深刻化した企業年金は政府系の年金保証公社(PBGC)に引き継がれるが、保証公社の債務超過はすでに233億ドル(05年5月時)にのぼっている。
 つまり、アメリカの大企業は経営難を理由に年金の積み立てを行わず、年金の積み立て不足分を政府系の金融機関に押しつけているために政府系の年金保証公社(PBGC)自体が破産寸前なのである。
 企業は国に、自分の借金を押しつけ、国は大盤振る舞いでそれに答え、国はその資金を得るために国債を発行し、産油国や中国や日本が国債を喜んで買う、こういうのは何か非常に病的な感じがするのではないだろうか。

公約違反だぞ!

2005-09-15 15:27:16 | Weblog
選挙に勝った二日後にもう公約違反
 
 
 
 9月13日、谷垣財務相は07年から「定率減税」を全廃する方針を明らかにした。これによって夫婦と子供二人、年収700万円の標準世帯で年8万2千円程度の負担増になるという。
 小泉純一郎は選挙中こんなことをいっていたはずだ。郵政民営化をすれば財政再建もできるし、構造改革にもなる。だから、増税はしないと。
 しかし、選挙の公約はたった二日で破られた。
 しかも話はこれだけでは終わらない。政府がこのような定率減税の撤廃の方針を出したのは、国と地方の「三位一体」の改革の一環であるという。
 つまり、小泉自民党は地方に3兆円の税源と権限の委譲を考えており、そのために所得税の減税と住民税の増税をセットで行う予定である。
 単純にいえば、所得税の減税と住民税の増税をセットで行えばプラス・マイナス・ゼロなのだが、所得税を減税する前に定率減税を廃止して所得税を底上げしておけば、減税にならず、むしろ所得税は増えるかもしれない。他方、住民税は確実に増税されるのであるから、納税者(労働者)は所得税の実質増と住民税の増加という二重の税負担の増加を受忍しなければならないのである。
 これがサギ、八百長、ペテンのたぐいでなくてなんであろうか。
 小泉自民党はインチキな選挙をやり直せ、選挙に勝つためだったら何をやっても許されるし、勝ってしまえば何をやってもいいなどというのは有権者をなめているとしかいいようがないではないか。 

闘いすんで、日が暮れて

2005-09-13 20:25:01 | 政治
闘いすんで日が暮れて・・・
 
 
 闘いすんで、日が暮れて、家に帰ってテレビをつけたら、自民党圧勝の選挙報道をやっていたのでがっくりしたという人も多かったのではないのだろうか。
 おそらく、もう4年間は総選挙は行われないであろうから、日本の労働者は全員懲役4年の実刑判決を受けたようなものだ。
 実際、これはイヤになる現実であるが、こんなことばかり4年間考えてもしょうがない。
 そこで、もっと前向きに考えよう。
 第一に、どのような結果になろうとも選挙の結果は厳粛です。「天の声にも変な声がある」などというのは、民主主義における有権者の審判の厳粛さを理解していない証拠であるともいえる。敗北を敗北として受け入れることからしか、再生の道は開けません。
 第二に、何も知らない若者やオバちゃんが小泉自民党に投票したからいけない、というのはもっとよくない。今まで政治に関心のなかった若者やオバちゃんが政治に関心を持って投票所に足を運んでくれたことは、日本の政治にとって、大変よいことであっても、悪いことではありません。そういう人たちを自分たちの陣営に引き入れられなかったことこそ反省すべきなんです。
 第三に、ほんとうにきびしくなるのはこれからです。今は景気がいいから、「悪い政治」の害悪が目にはつかないのですが、景気が悪くなれば「苛政は虎よりも猛し」(税金を無理矢理取り立てる、むごい政治は虎よりも恐ろしい)という孔子の言葉が実感としてわいてくるでしょう。こういう時のためにこそ労働者の政治家は活躍しなければならないのですが、それはあなた方が本当に必要とされる時代がやってくるということです。政府も来年からは景気は下降線にはいると認めているのだから、今からでもその時のための準備は必要でしょう。
 最後に、くさらず、あせらず、あきらめず、希望を持ってこのきびしい冬の4年間を生きのびましょう。4年後にどんな春が来るか、それはわれわれがこの冬の時代をどのように生きるかによって決まるでしょう。

マネーサプライのナゾ

2005-09-05 05:18:03 | Weblog
 日銀と政府(財務省)のあいだで金融の“量的緩和”をめぐる攻防が始まっている。
 現在、公定歩合は下げようがないほど下がっている。それでも足りないということで02年から当座預金残高(銀行が自由に使用できる現金)を15兆円から段階的に引き上げて04年からは上限35兆円、下限30兆円という超量的緩和状態にしてある。
 ところが最近になって、この資金供給目標の下限の30兆円を下回りそうになってきた。 5月には、「下限にはこだわらない」として、日銀は資金供給目標の下限の30兆円を下回ることを容認したが、先日の8月26日には竹中平蔵が記者会見を開いて「マネーサプライが低迷している。日銀はやらなくてはならないことがある。」と日銀を恫喝している。
 要するに、竹中平蔵は政府を代表して、もっと大胆な量的緩和をやれと、間接的に日銀に命令している(そもそも日銀は独立機関のはずだから、「命令」云々がおかしい)のだが、日銀はもっと違うことを考えている。
 確かに、今年に入ってマネーサプライの前年比増減率は1%台と低迷している。これを政府は「銀行貸し出しの原資となる日銀の資金供給の伸びが鈍っているため」(日銀が通貨供給量を増加させることをサボタージュしている)と考えているが、日銀は景気回復の一局面の姿であるのかもしれないと考えている。
 日銀としては、量的緩和と称して人為的に通貨供給量をつり上げる政策がインフレを呼び起こすことになるのではないかと考え、その継続に自信が持てないのである。だから、一刻も早くこのような不自然な状態から逃れようと思っている。(このような無節操で場当たり的な“量的緩和”政策をとっているのは日本だけであり、日銀の不安は“通貨の番人”として当然だ。)
 政府の見解はまったく誤りであることは明白であるが、ではどうしてかと問われれば、少し考えさせてくれというほかない。
 第1に、“常識的”に考えれば、日本の景気は確かに回復しているのだから、景気の回復に伴って通貨供給量は増えなければならないはずである。ところが現実はそのようになっていない。
 第2に、通貨供給量が伸びない理由として、銀行融資が低迷しているというのは、確かであるが、これは企業がすでに体力を回復しており、利益を借入金の返済に回したり、利子の高い銀行融資をやめて利子の低い資金調達法を利用することが可能となり始めているからである。
 例えば、現在CP(コマーシャルペーパー:無担保社債)の発行は20兆円を超えて過去最高の水準になっている。各企業に体力がなければ企業がCP(コマーシャルペーパー:無担保社債)を発行しようとしても、銀行などの金融機関はそれを引き受けない(買わない)だろう。企業がCPを発行するのを認め、それを銀行が買うということは、銀行が企業の返済能力を認めているということであるし、現在の短期国債の利回りが実質ゼロ金利になっており、それよりも少し金利の高いCPは買い手の銀行にとってもうま味のある話ではあるのである。
 このようにして現在、企業は銀行融資を経由しないでも、手元に資金を潤沢にもっている、または入手する手段をもっているのである。
 第3に、通貨供給量が伸びない理由として考えられるのは、公共事業の減少である。この選挙の中で小泉自民党はこの間公共事業を半減させたといっている(これは客観的に正しい)が、これは古典的なケインズ主義(国が国債を発行して、公共工事を行い、“有効需要”をうみだし云々)とは逆である。
 古典的ケインズ主義が、国債発行→通貨の増加→インフレに帰着するとしたら、逆に公共事業の減少は通貨が増大しない理由の一つになりうるのである。(もちろん国債の発行といっても、借金を返すための借金、すなわち国債を償却するための国債の発行は実需であって“仮の需要”ではない)
 しかし、これはもう一つの疑問を呼び起こす。国債発行による公共事業の量が、通貨供給量に影響を与えるとしたら、過去(1990年代)の不況対策で膨大な国債が発行され、膨大な公共事業がなされたではないか、どうしてインフレにならなかったのか?と。
 これは通貨の量が単に、量だけに規定されるのではなく、流通速度によっても規定されるからであろう。不況の時は通貨の流通速度が緩慢であり、流通の各所で停滞し、滞留しているのであるから、通貨の過剰発行はそれほど目立たず、インフレとして顕在しないこともありうるだろうし、何よりも90年代からの“デフレ”は中国などから安価な商品が輸入されたからであり、流通業界が激しい競争を行っていた結果として“安売り”競争が行われていたからであろう。
 しかし、こういう過去の通貨の過剰発行は景気が回復し、通貨の流通速度が速くなれば顕在化してくるかもしれない。
 そういう点では通貨供給量(マネーサプライ)が減少傾向にあるからといって、インフレにはならないと結論づけることはできない。特に最近の原油高はインフレが顕在化するきっかけになる可能性が高い。
 日銀は、国債の大量引き受けによる通貨の過剰供給だけではなく、量的規制緩和と称して、流通に無理矢理、通貨をねじ込むようなことをしてきたのだから、日銀は物価の動きに対して要警戒であるべきだし、すぐにでも政策を転換するべきであろう。
 それにしても、竹中平蔵という人物は無責任でいい加減である。このような人物が政府の要人として日本の経済政策立案の中枢にいるとしたら、日本経済の未来は全然明るくない。   

ニューオーリンズの水害

2005-09-03 01:45:38 | Weblog
ニューオーリンズの水害
  ――対応を誤ればブッシュの致命傷に――
 
 
 1978年、イランで多数の死者を出した大地震があり、瓦礫と化した街で人々は口々にパーレビー国王を呪い罵っていた。翌年、イランではイスラム革命がありホメイニ体制へと移行していったのだが、現在のニューオーリンズの水害地帯で繰り広げられているのはそんなイスラム革命前夜のイランの状態に似ている。
 もちろん自然災害と政治は無関係であるのだが、自然災害をきっかけにして政治体制の矛盾が吹き出すことはありうる。そもそも軍隊は何のためにニューオーリンズに派遣されているのか?暴動鎮圧のためか、被災者の救援のためなのか。被災者には充分な援助物資が届いているのだろうか?組織的な救援活動は行われているのであろうか?
 そういう疑問が起きてくること自体、アメリカ政府はすでに後手に回っているとしかいいようがない。
 これは余計なことかもしれないが、水死者は死後しばらくすると腹に腐敗ガスがたまってカエルのようになって浮かんでくる。アメリカは火葬ではないからそういうことはないかもしれないが、あちこちで死者を焼く煙が立ち上り始めると被災者の気持ちは一気に暗くなる。
 そうなる前にアメリカ政府はなすべきことを、誠意を持って行う必要がある。
 避難命令が出ていたのに残っているのは当人の責任だなどという論理は通用しない。ニューオーリンズに残った人々は貧しくて非難したくともできなかった人々だ。こういう人々にアメリカ政府が冷たいというのであれば、アメリカの労働者はブッシュ政権をそのような政権として認識するであろう。そうなればブッシュが政権を維持することがますます困難になるであろう。
 それでなくともすでに、アメリカ社会では、ブッシュは大統領になるべきではなかったという声が出始めているのだから・・・。