国連組織犯罪防止条約と共謀罪
天下の悪法“共謀罪”が3度目の国会に上程されて、今回はどうも国会を通過しそうである。
このような法案が出てきたのは、2000年の国連条約に由来しているといわれている。
この国連条約では批准国に「組織的な犯罪者集団への参加の犯罪化」(第5条)、すなわち、犯罪者集団に参加するという個人の行動そのものを犯罪として処罰せよ、と求めているものである。
また同条約では、20条で、
「締結国は、自国の国内法制の基本原則によって認められる場合には、組織犯罪と効果的に戦うために、自国の権限のある当局による自国領域内における監視付移転及び適当と認める場合には電子的その他の形態の監視、潜入して行う捜査方法の利用ができるように、可能な範囲内で、かつ、自国の国内法による定められた条件の下で、必要な措置をとる。」
というように、「監視付移転」(警官が付き添って第三国に追放する)、「電子的監視」(盗聴、盗撮、のこと)、潜入捜査(おとり捜査)という特別な捜査方法を採用するように求めている。
政府はこの国連条約を根拠に「共謀罪」の新設をもくろんでいるのだが、この国連条約の第4条では「主権の保護」がうたわれており、条約自体が国家主権の優越性を認めており、この条約が主権を制限するものではないことを認めている。すなわち、この条約の批准国家に何らかの法律を制定したり、既存の法律を廃棄することを強要するものではないのである。
だから第20条でも、「自国の国内法制の基本原則によって認められる場合には」とか 「自国の国内法による定められた条件の下で」という限定つきの記述になっており、政府がこの国連条約の存在をもとに、「自国の国内法制の基本原則」を変更しなければならないと主張していること自体が根拠がない。
2000年に国連でこのような条約が締結されたのは、南米の麻薬組織や東南アジアの人身売買といった発展途上国の貧困と結びついた特殊な犯罪者集団の形成で、彼らの多くは麻薬や“人間”を欧米諸国に売ることによって利益を稼いでいた。欧米諸国はこれらの“犯罪の輸出”に対して、人権を無視して犯罪者集団を一網打尽にするように発展途上国に要求したもので、それ自体欧米諸国の開発途上国に対する横暴といえるものだった。
01年にアメリカに起きた同時多発テロ以降、この国連条約はその性格を大きく変えていく。現在ではアメリカにとって犯罪者集団というのはイスラム原理主義者のことであり、自国のイスラム教徒を準犯罪者集団として監視を強化して、アルカイダ系の非合法組織に関わった者に、そのこと自体(アルカイダ系の組織に参加すること自体)の罪に問うという姿勢に転化している。
ブッシュは盛んにアルカイダのことを、犯罪者集団と呼ぶ一方で、彼らはイスラム国家の建設を目論んでいると非難するが、「イスラム国家の建設」という明確な政治目的を持った集団は犯罪者集団などではなく、政治集団であろう。
こういう論理のすり替え自体がアメリカの民主主義に大きな腐敗と解体の危機をもたらしている。
その一つはいうまでもなく、アメリカのイラクやアフガニスタンへの侵略戦争の結果として生じた、“拘束者たち”である。彼ら(その多くはイスラム原理主義者であるが)は捕虜でもなく(アメリカは「テロリストへの宣戦布告」をしながら、アルカイダを交戦相手と認めていない)、犯罪者でもない(その身柄は何らかの犯罪の結果ではなく戦闘の結果獲得されている)、したがってジュネーブ条約もアメリカ国内法も適用されないという中途半端な状態に置かれ、正当な裁判も受けられず、国際的な監視もなく、その拘束期限も明示されず、不当にアメリカ当局に拘束され続けている。
アメリカのブッシュがやっていることは金正日による日本人拉致と同様な国家権力による不当な人身の拘束であり、国家による犯罪行為そのものであろう。
また、欧米諸国ではイスラム教徒全体を“アルカイダ予備軍”として治安当局の監視の対象におき、逮捕状なしの身柄拘束や、何らかの犯罪を“共謀”したという罪で逮捕しているが、このようなこと自体、民主主義の自殺行為なのであって、イスラム教徒の人権を守ることができない政府が、キリスト教徒の人権を守れないことほど自明なことはないのである。
この点でも、日本政府が欧米諸国に足並みをそろえなければならないという見解には何の道理もないのである。
そして、日本政府がこの国連条約の5条を根拠に“共謀罪”を新設することの意味自体が明確ではない。
国連条約がいっていることは、日本でいえば、暴力団の構成員になること自体を犯罪とせよ、暴力団の構成員となるという個人の行為そのものを罪に問え、という具体的な提案なのであって、国連条約を尊重するという立場からは、「指定暴力団非合法化案」もしくは「指定暴力団加入罪」という法案の新設こそ、その趣旨にあっているのである。
では、なぜ「指定暴力団非合法化案」ではなく、「共謀罪」なのか。 それは政府自体がある団体を犯罪者集団と規定して、その団体に加入すること自体を罪に問うのは憲法でいう「結社の自由」に抵触するということを知っているからである。
そこで、もっと後退して、犯罪者集団に参加するだけではなく、その中で何らかの犯罪を謀議(相談)するということを罪に問おうというのである。
しかし、そうすることによって「犯罪者集団」という概念自体があいまいとなり、謀議(話し合い)という犯罪行為の実体のない“行為”が犯罪とされてしまうために市民団体から激しい批判を浴びた。
そこで3回目の今回は、もっと後退して、謀議だけではダメだ。謀議した計画に具体性が必要で、役割分担なり、スケジュールを書いたメモのようなものがなければ摘発できない。(自民党法務部会長・平沢勝栄)謀議だけではなく、計画の着手がなければならない。(公明党・冬柴)等々と言い出している。
こうなってくるとこれはもう未遂犯であろう。
国連条約、第5条では、未遂、既遂犯と区別して、組織犯罪に参加する個人の行為を犯罪化せよ、といっているのである。
日本政府案のように、共謀罪と未遂罪を融合させて、未遂罪を共謀罪というのであれば、他の問題が出てくる。
それは同じ人を殺そうとして逮捕された容疑者でも、一方は未遂犯に問われ、他方は共謀罪に問われるということが現実に起こってくるからである。
かつて尊属殺人が憲法違反であったように、未遂犯を共謀犯として処罰するというのであれば、同じ行為に対して、人によって異なった刑罰が科せられることになり、明らかに憲法違反の状態が生まれる。
そもそも国連条約第5条をアレンジして日本に移植しようということ自体が荒唐無稽で無理なのである。小泉自民党は無理を承知で、形だけ整えようとしているから、法案がますます訳の分からないものになっていくのであり、意味も意義も不明な法案が罰則を伴う法律として、国民に押しつけられるのであれば、さらに多くの混乱と法案の犠牲者が現実に出てくる。
小泉純一郎はそのすべての結果に対して責任を負わなければならない。