川越には喜多院という有名なお寺があります。天長7年(830)に慈覚大師が無量寿寺を開いたのが始まりと伝えられています。喜多院となったのは慶長17年(1612)、天海僧正が住職となってからのことだそう。天海僧正が住職とはスゴイですね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
喜多院が火災で焼失した際、復興のため3代将軍家光が江戸城内・紅葉山から客殿、書院などを移築したことから、江戸城唯一の遺構が、ここ喜多院に残されることになりました。
東北の会津高田生まれと伝わる天海僧正
また、ここにある五百羅漢像はけっこう人気があるようですよ。
---ちなみに、羅漢とは---
阿羅漢(あらはん)を略して羅漢(らかん)といいます。漢訳は応供(おうぐ)。尊敬や施しを受けるに相応しい聖者という意味です。もとは釈迦の尊称の一つであったみたいです。
正面
横からみたとこ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/e7/f058fb536718e3df1281b51bc7c25811.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/a0/f06fbf4d71210eb428592c3123afa145.jpg)
五百羅漢
日本三大羅漢の一つに数えられます。この五百余りの羅漢さまは、川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたものだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/1f/2da5998107b3bda0dd1d3459d348bc38.jpg)
近くで見ないと分かりませんが、笑うのあり、泣いたのあり、怒ったのあり、ヒソヒソ話をするものあり、本当にさまざまな表情をした羅漢様がいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
喜多院が火災で焼失した際、復興のため3代将軍家光が江戸城内・紅葉山から客殿、書院などを移築したことから、江戸城唯一の遺構が、ここ喜多院に残されることになりました。
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また、ここにある五百羅漢像はけっこう人気があるようですよ。
---ちなみに、羅漢とは---
阿羅漢(あらはん)を略して羅漢(らかん)といいます。漢訳は応供(おうぐ)。尊敬や施しを受けるに相応しい聖者という意味です。もとは釈迦の尊称の一つであったみたいです。
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日本三大羅漢の一つに数えられます。この五百余りの羅漢さまは、川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたものだそうです。
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近くで見ないと分かりませんが、笑うのあり、泣いたのあり、怒ったのあり、ヒソヒソ話をするものあり、本当にさまざまな表情をした羅漢様がいます。