あさやん通信

おいらの日記、徒然なるままに!

天風先生の言葉③

2013-02-22 01:25:02 | いい話
我々の神経系統は積極心を発動すると 健康方面だけでなく精神面でもあらゆる人生苦を排除出来る様に出来ている。
それが本来の人間の姿なのだ。その様に造物主は人間を創られたのだ。
にもかかわらず、健康や運命に問題をかかえている人の多いのはどうしたことか。
精神の力が心の力が惨めなほど弱くなっているからだ。
生活している周囲は消極的な暗示で充満している。
暗示というやつは理屈抜きでその人の判断も、感情も巻き込んでしまう。
諸君は言語も行動も現象も、周囲に積極的な暗示のない世界に生きているのだ。
しかし、信念が強くなればそんなのへいちゃらだ。
例えば、私は昔ある朝突然声が出なくなったことがある。
コーヒーをもう一杯頼もうとして「もう一杯」という言葉が出ない。「うっ」だけしか出ない。
3日後に北海道に行く予定があった。
そこで、野崎さんが私のことだから医者へ行けと言っても行かないだろうと思って友人である医者に連絡をしたらしい。とぼけた顔をして、遊びに来たような振りをしてその友人の医者が訪ねてきた。
「どうした」と言いながら私の口の中を見た。最初は笑いながら見ていたが、 やがてだんだん険しい顔になってきた。
「先生どうですか?」と家内等が訊ねると、「こりゃ、癌だ、それも相当ひどい癌だ」と言う。
「90%助かる見込みがない、仮に治って命は助かっても、声は出ないだろう」と言われた。
有名な医者にこんな風に言われたら諸君ならどうだい。
私はその時側にあった紙に「入院はしない、北海道に行く」と書いた。
すると医者は「行ったら死ぬ」と書いた。私は「俺は耳が聞こえる」と書いてやった。
そうして北海道へ行った。北海道では会場に溢れんばかりの聴衆であった。
会の責任者が「天風先生は声が出ないので講演は出来ない」と説明をした。
すると「顔だけでも見せろ」と皆が騒いだ。
それを聞いて、そこまで言ってくれるならと胆をきめて演壇へ出て行った。
クンバハカ体制をしてから「諸君!」と叫んだところ、声と共に大きな血の固まりが喉から飛び出した。
後は、話しながら血がとめどなく出てきた。
聞いていた連中も「先生、もう結構ですからお休み下さい」とみんなで止めに入った。
私は「心配するな、出ているのは俺の血だ、お前の血ではない。どうせ死ぬまでは生きているのだ。
悪い血が出てしまえば、自然に止まる。」と言ってとうとう講演を最後までした。
その夜は39度の高熱を出して寝た。それから4.5日寝ていたらすっかり良くなってしまった。
諸君なら「癌だ」と言われた途端にヘナヘナとなってしまわないかい。
君等は誰かが「あっち向け」とか「こっち向け」と命令したら 「ハイ!ハイ!」って喜んで言うことをきくかい。「何だこの野郎!」って言うだろう。
それぐらいの根性を持っていながら、暗示に対しては何でも同調して少しのためらいもない。
こんなおかしいことをおかしいと思わないおかしい事をしている。
誰にでもある本能心の中には人類の古い時代の記憶が残っている。
動物的欲望とか感情情念が多くある。古い時代は自分の命は自分で守らなきゃならない。
そんな切羽詰まったことが日常的な時代には すぐに怒ったり憎んだり妬んだりそねんだりするという事も止むを得なかった。
しかし、現代ではそんな感情は必要ないのだ。そんな感情はむしろマイナスなのだ。
私だって怒ったり、悲しむことは人並みにある。
ただ、諸君と少し違うのは、たとえ怒ってもすぐに止める。パタッと止める。
諸君は違う。一旦怒りだしたら、もうそりゃ、念を入れて怒るぜ。
猿の手に取り餅を掴ませたようなものだ。
何度もやっちゃいけないが、いっぺん動物園へ行って誰もいないときやってみたら判る。
取り餅があっちに付き、こっちに付きどうしようもなくなる。諸君もそうだ。
何かの感情心にとらわれると今までニコニコしていた奴の顔色がころっと変わる。
本能心は肉体を守るために与えられたもので古代では必要な感情ではあるが 現代ではそんなものは必要ないのに、今だにそんな古い感情に振り回されているのだ。
この感情は必要、この感情は不必要なんていう分別は出来ない。見えないんだから。
何か諸君の心を暗くするものがあった時に考えて見ろ。
それはあなた方の本当の心が言っているのではない。本能心の中に整理されていない本能心がある。
役に立つものと害を与えるものの2つがある。人間の心の中に低級な動物的欲望がある限りは、 平静な心を乱してしまう。最初に言うた様に本来は穏やかに生きれるのだ。
その様に出来ているのだ。1960年、もうそろそろこのように生きよう。
ある時坊さんに檀家の人が尋ねた。「安心立命を心に味わって生きるにはどうしたらよろしいか」と。
「簡単なことだが、今聞いたのでは有り難みがないので7日間塩断ち、茶断ちをし、 六根清浄けがれをとって来なさい」と言われた。
いよいよその日を迎えたらご本尊の前で教えてくれた。
「安心立命を自分のものにするには"らしく"生きなさい」と答えられた。
どんなに時代が変わっても犬は犬らしく、馬は馬らしく生きている。
ところが人間は本当に人間らしく生きているだろうか。
これは本当の人間の思うこと、考えることなのかと内省してみたら判る。
"らしく"生きないから、生命力の弱った生き方になるのだ。
さて、それではどうしたら自己陶冶ということが出来るか。
よく人は「そんなことを考えたらいけない」というような教え方をするが しかしそうは簡単にいかない。
何故なら、いけないとかいいとかの善悪を判断するのは理性心なのだが理性心には、 本能心を統御する力はない。本能心はわがままな学生で、理性心は家庭教師のようなものだ。
言うことなんか聞くかい。理性心で本能心が統御出来るならば何の苦労もない。
それが出来ないから「学んでいよいよ苦しむ、極めていよいよ迷う」という心の状態になるのだ。
一つの例を話す。神経過敏な人には為になる話だから良く聞きなさい。
知り合いに青山という患者思いのいい医者がいた。
常々「死ぬ時は心臓病かなんかでコロッと逝くのがいい、癌だけは嫌だ」と言って いつもそれを気にしていた。その医者が癌で死んだ。それも偽癌だった。
つまり、いつも「癌で死にたくない」「癌で死にたくない」と気にしていたら 本当に癌になってしまった。本人が自分は癌だと信じていた。
そして死後解剖をしたら脂肪瘤が出来ているだけだった。コブだった。
神経というものは恐ろしいものだなあとつくづくその時に思った。
本人が癌だと信じているということは、 大家といわれる医者でも本能心の中のつまらぬ事を気にするよくない心が残っていたんだね。
自己というのが出来ていなかったんだね。
それでは、自己陶冶の方法を教えるが、先ず第一にすでに教わっている観念要素の更改、 積極観念養成、神経反射の調節の3つをしっかり行うことである。
次に、言葉に注意すること。「俺は酒に弱い」なんて言う言葉も良くない。
「強くない」と言えばいいのだ。私はどんな場合でもマイナスな言葉は使わない。
私はあなた方が聞いていて心が暗くなるような事を決して口にしない。
ところであなた方はどうだい。言葉はどんなに気を付けても気を付け過ぎることは無い。
言わなくてもいい言葉を随分言っているぜ。
そして同時に必要なのは態度。芝居ひとつ見ても判る。
心中に行く奴がお祭りに行くような態度をとったら芝居になるかい。
同様に祭りに行く奴が心中しに行くような態度をするかい。
態度はそのまま心に映る鏡のようなものだ。
嘘でもいいから「真理に目覚めた人間としての態度」で生きろ。
「真理に目覚めて生きよう」と思ったらもう真理に目覚めて生きているのだという プライドを持っていきりゃいいんだ。
東京へ向かって歩くつもりで歩いていればいつかは東京に着くんだ。
そんな気持ちで5年、10年やってみろ。
態度によって暗示の同化を受けちゃうんだ。
笑ってご覧、決して腹は立たない。態度と言葉、これは大切だよ。
それからもう一つ必要なことは「つぶやき」の自己暗示法である。観念で独り言を言えばよい。
「こんな事で悲しくない。こんなのに負けるものか。」と独り言をつぶやけばよいのだ。
終わりにもう一つ、良い心がけを教える。平素努めて心の中で行う想像を積極的なものにする。
始終心の中を百花繚乱とする。
日常、一寸した時間がある時でも、自分が楽しめる、喜べる、楽しみを心に描くようにする。
やらなきゃ駄目だよ。自分の命に対して親切心を出しなさい。
他人の命じゃない。子供の頃から長い間何の手当もせずきたのだからサビついてしまった心の態度を なおすのだから大変だ。失敗しても悔やまなくっていいんだ。
100編に1回でも出来りゃ、そのうちいつでも出来るようになる。

天風先生の言葉②

2013-02-21 01:23:50 | いい話
心の重大性を悟っていない人が多い。世の中の人は知らずして生きている。
心の持ち方ひとつで積極、消極の両端に分かれてしまう。
心は生命の支配権を持っている。
心はその持ち方でその人の人生を良くも悪くもする力があるというのが気が付こうが付くまいが真実だ。
生きている以上、その刹那、刹那生き甲斐のある人生に生きようとするのが、 より価値高く生きようとするのが自然なのである。
その達成のためには生きている刹那の瞬間、瞬間の心の働きをどんなことがあっても消極的にしてはいけない。
悲しい時は悲しむ、問題が眼前に現れたら悩むのが当たり前だと思うだろうが、それは当たり前ではないのだ。
そんな場合でも、どんな場合でも心を積極的にする生活を実行すると、現実において健康も運命もよい方向に働く。何故そうなるかは心と神経系統の働きを理解すれば「あっ、そうか」と納得できるはずだ。
神経系統は心の支配を受けている。
神経系統は宇宙の力を受け容れて全身にくまなく行き渡らせる働きをしており、 その働きそのものが心の支配を受けているとしたら、如何に心の持ち方、思い方、考え方が お互いの人生に重大な関係を持っているものかということが理解できるはずだ。
宇宙霊と自己との結びつきを支配しているのは心なのだ。
人間の心で思う思い方、考え方こそ人生万事を支配している。
心の持ち方一つで宇宙霊との共同活動が出来るのだ。この荘厳な事実を理解しなくっちゃいけない。
判ったらこの法則に則って生きればたちまち理想の人生に生きられる。
人生を支配する法則。
然からばこの法則はどこにあるのか。因果律、即ちこれである。
撒いた種の通りに花は咲く。善因善果、悪因悪果である。
この消息を知ってこの法則を尊重して厳格に生きていけば運命や境遇に自分の力以上のものがでてくる。
考えてもみるがよい。宇宙霊はこの宇宙全体を作るぐらいの力があるのだから、 計り知れない霊知があるということを理解しなければならない。
春夏秋冬の移り変わり。宇宙霊の計り知れざる霊知の働きである。宇宙こそ偉大なる霊知の生命体である。
私は思う。宇宙の始まりは何も存在していなかった。宇宙霊という氣体のみであったと思う。
その氣体の働きで、今の宇宙が出来たと思う。
魚は水から出されて初めて、水がなければ生きていけないこと、水の存在に気付くだろう。
我々も又宇宙霊からの力を与えられて生かされているのが事実だ。
生かさせていただいているのが事実なのだが、それが無くなった時にしかその事に気が付かないだろう。
しかし、現実はそうである。
まさに、生きている世界である。この生きている世界に我々が存在するから、我々も生きているのだ。
人がものを思ったり、考えたりするとき、その背後に宇宙霊の力が働いていることを忘れてはいけいない。
我々の人生の後ろには宇宙霊が常に活動しよう、活動しようとスタンバイしている。
自分は少しも人生が良くならないと悩んでいる人の原因は自己認証にある。
つまり自分にはそれを実現する力があると思っていないからいけないのだ。
10年前と変わらないと嘆きながら、自分には変わる力がないと思い込ませていないか。
自己認証が極めておろそかにその心に施されていると、実現できるものもできない。
誰でもひとかどの人間になれるようになっているのだ。そのように出来ているのだ。
健康も運命も生きている限りは最高に生き甲斐のある人生を生きるためにも自己認証をベストの状態にし、 常に最高の自己認証を自分に与え続けるべきである。

天風先生の言葉①

2013-02-20 01:11:47 | いい話
今日は人生を完全に生きる上に大切な事を教えよう。病や不運におかされるとたちまち心配したり悲観したりする。
しかもそれが人間として当然のことだと思っている、これは、厳粛に真理からいったら大間違いだ。
悲観や心配はどんな場合であってもしてはいけないことだ。不愉快や、不満を感じている時の気分はいいかい?。
100年生きてもわずかな日数の人生だ。自分の人生を短くする以外に何の効果もない。人間はこの世に一生を明るく生きるために生まれて来た。進化と向上という偉大な宇宙真理を現実化するために来た。病や不運の時は、命の力を大事にしなければならない時なのだから、何よりも命の力を強くするために心を積極的にしなければならない。
日常生活に於いて陥りやすい、心配、悲観という心の状態から抜け出すには常日頃から勇気の渙発を心がけることが 必要だ。勇気というのは「頑張ろう」じゃ無いよ、それはとらわれる心なんだ。そうじゃなくてその勇気とはどんな状態かというと、つかず離れず、怖れもしなければ怖れまいとも思わない。淡々として流れる水の如き心境、即ち晴れて良し、曇りても良し富士の山。この心境が勇気の姿だ。
山岡鉄舟は腕は出来て、鬼鉄と言われていたが人間が出来ていなかった。情け無いほど自惚れが出てきた。遂に慢心の極みで辻斬りを始めた。10人、20人と斬られる者が出てくると街で噂になり誰も夜歩く人間がいなくなった。そんなある闇夜に鉄舟は道場を抜け出して吉原八丁堀へと出かけた。丁度上野不忍池にさしかかった時に闇夜に突然人の気配を感じ いつもの型で刀を振り下ろした。しかし、その自分の得意の技を行使したにもかかわらず、いつもはある手応えがなかった。逆に相手の剣先を目前に突きつけられ後ずさりせざるを得ない状況に追い込まれた。背に腹は代えられず一歩、二歩と下がる内にとうとう池の端まで追いつめられた。しかし、それでも相手の剣先の勢いは変わらない。遂に池の中に落ちてやっとの事で命が助かった。蓮の葉の間から、やっと顔を出して池の端を見やると、「腕だけで腹が出来ていないからこのような始末になるのだ、もう少し心を練れ、心が出来りゃ少しはものになるだろう」とだけ言い残して立ち去る姿が見えた。暗闇の中では相手の面相も判らない。急いで池から這い出して後を追いかけたが、遂に見失ってしまった。それから道場に帰ったがくやしくて眠ることもできない。翌日、道場の友にこの事を相談すると「お前より強い人間はこの江戸にそんなにいるものではない、千葉周作先生ならそんな手の込んだことをせずともこの道場でお前をこらしめることはできる。後は浅井先生だけだ」。そこで、鉄舟は「それならこれから仕返しに行く」と言った。するとその友は「浅井先生はお前のように、腹が立ったらすぐかっとなるような人物ではない。いつも落ちついてとてもお前の相手ではない、やめとけ」と言った。そこで始めて鉄舟は、昨夜の自分の相手は浅井先生であったことを知りおのれの未熟さを悟った。
その後は辻斬りなどやめて人間としての修行に励み、歴史に名を残す人物になった。
これは講談の一節だが、実際この話の中には面白さ以上の真理があることを悟らなければならない。
人間が勝負をする時も、何事もなく座っている時も、常に同じ気持ちでいれるようでなければ本当に強い人間とはいえない。どんなときにでも、とらわれず、つかず離れず、そんな気持ちになれるのが勇気ある心である。

失敗するのは

2013-02-10 14:24:01 | いい話
こんな言葉があります。。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人が失敗するのは、

「したい」とか、
「やるべき」とか
「やれたらいいな」

などと思っているからだ。


「絶対にやらなければならない」

と決める瞬間にすべてが変わる!

いつの日か、あなたの人生が終わる。
これは誰にも曲げようのない事実だ。

そこで問題になるのは、
いかにして死ぬかではなく、
いかにして生きるかなのである。

死ぬ間際になり、
自分の人生を思いきり生きていなかったと
ハッと気が付く人の何と多いことだろう。

あなたは思う通りの人生を送ることができる。

あなたは自由だ。
選ぶことができる。
決断することができる。

人間として驚くべき足跡を遺すことができるのだ。

それをするかどうか。
あなた次第というほかない。

あなたの決断以外にはないのだ。

決断はすべてを動かす偉大な力だ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

決断すると、未来が変わる!

おいらも同感です。。

決断とは、決めて、迷いを断つこと。

決めたらふらふら迷わず前へ進もう!

投げかけたものが返ってくる

2013-01-29 01:24:42 | いい話
小林正観さんの言葉。

いろいろ分かりやすい表現で教えてくれます。

以下の話も、なるほど事の本質をついているような気がします。

-----------------------------------------------

信じる、信じないは別として、宇宙人が言うには「宇宙を支配しているのはたった一つの法則」でそれは「投げかけたものが返ってくる」(投げかけないものは返ってこない)というものだそう。仏教では「動」と「反動」、物理学では「作用」「反作用」と呼びますが、同じことです。言葉を換えて言えば、「愛すれば愛される」「愛されなければ愛されない」、「感謝すれば感謝される」「感謝しなければ感謝されない」、「嫌えば嫌われる」「嫌わなければ嫌われない」、「憎めば憎まれる」「憎まなければ憎まれない」ということ。

水曜日は

2012-12-26 01:57:51 | いい話

水曜日は、なるべく、いい言葉を書いてみるようにしてるんです。
いい言葉というのは、心に響くような言葉のことです。
どう感じるかは、読んだ人次第です。。

で、今週は・・

太宰治の「人間失格」からの一節・・・

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世間とは、
いったい、何の事でしょう。
人間の複数でしょうか。
どこに、その世間というものの
実体があるのでしょう。

世間というのは、君じゃないか。
それは世間がゆるさない。
世間じゃない。
あなたが、ゆるさないのでしょう?
そんな事をすると、
世間からひどいめに逢うぞ。
世間じゃない。
あなたでしょう?
いまに世間から葬られる。
世間じゃない。
葬るむるのは、あなたでしょう?
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


ついでに、角田光代の「かなたの子」から・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人は変化を望まない、
変化するくらいだったら
不幸を選ぶ、
だから道理に添うことができる人は
じつは少ないんだ。

怒らず 恐れず 悲しまず

2012-12-19 01:37:37 | いい話
中村天風先生の言葉。

--------------------

今日一日
怒らず 恐れず 悲しまず
正直 深切 愉快に
力と勇気と信念とを持って
自己の人生に対する責務を果たし
常に平和と愛とを失わざる立派な
人間として活きることを
厳かに誓います

--------------------

ホントは毎日唱和するべきなのですが、

たまに思い出して、そうだそうだ・・・と反省してしまします。。。

天風先生の本に書いてありましたが、
天風先生も人間だから、怒るし、身内に不幸があれば悲しむということでした。
でも、それを引きずらず素早く平常心に戻ればいいんだということだそう。
それだったら、すこし実践できそうですよね!




法句経 第17章 227

2012-12-12 01:22:21 | いい話
法句経は原始仏典の一つです。

小乗仏教の経典ということであまり顧みられてこなかったようですが、明治以降に日が当たるようになったようです。

ブッタの言葉をそのまま書いている形態なので、日本語訳したものもけっこう読みうやすかったりもします。

その中の「第17章怒り、227」の一節を紹介します。

「アトゥラよ。これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。」

前向きな人には勇気を与え、後ろ向きな人には絶望を与える言葉ですね!

前向きに解釈してみましょう



マタイによる福音書 25章

2012-10-17 01:00:37 | いい話
おいらはクリスチャンではありませんが、

マタイによる福音書第25章35節以降にこんな言葉が書かれています。

------------------------------------------------------------------------

(キリスト)
あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである。

(右にいる人)
主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。
いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。
また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか。

(キリスト)
あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。


この後、左にいる人にも言います。


(キリスト)
のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。
あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである。

(左の人)
主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか。

(キリスト)
あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである
そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう。

-----------------------------------------------------------------------

う~ん。。。

要は、お天道様は見ているぞっ!ってことですね。
そして、エゴ丸出しだとバチが当たるぞっ!ってことですね。。

昔は、大事にしていた日本の道徳感です。

今は、見てなきゃ何やってもいい、人に迷惑かけなきゃ何やってもいいって風潮だけど、

お天道様は見ているってこと、おいらはホント信じてます