高松城が水攻めされて、清水宗治は自刃することが決まると、秀吉陣に小船を用意して欲しいと願い出て、6月4日朝、秀吉の用意した小船に兄の月清入道、末近信賀(毛利より加勢)、弟の難波伝兵衛、家来の白井与左衛門、高市之允、介錯人の国府市正と乗り込み、秀吉から頂戴した酒を酌み交し、誓願寺(舞)を舞った後、切腹。
宗治の首は秀吉の家臣である堀尾茂助に渡され、秀吉の陣へ届けられました。
時世の句は「6浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/e9/76d28595679c38f143b21693cec47e31.jpg)
宗治の首は秀吉の家臣である堀尾茂助に渡され、秀吉の陣へ届けられました。
時世の句は「6浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して」
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