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東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。
フランス、イタリアに留学。ハワイ大学、スタンフォード大学で教鞭を執る。
聖心女子大学教授(日本近代文学専攻)を経て、国際文学療法学会会長。文学博士。
毎日のように参拝に行く二人の弟子がおり、その弟子たちが、あるとき「神様にお参りに行くのに、今日は何か持っていったほうがいいでしょうか?」と先生に尋ねます。すると先生は「ニガウリを持っていきなさい」と答えます。
弟子たちは、言われたとおりにニガウリを持参して神様に捧げ、一生懸命拝んでから、そのニガウリを持ち帰ってきます。
神殿に捧げ、聖なるものとなったニガウリを持ち帰ったものの、それをどうしたらいいのか弟子たちには分かりません。
そこで、再び先生に尋ねると、「そのニガウリを煮なさい」と言われます。先生がなぜそのようなことを言うのか、深い意味は分からないまま、弟子たちはニガウリを煮て料理し、先生にも差し上げて一緒に食べました。
ニガウリを食べた弟子たちは、その苦さに思わず顔をしかめますが。その様子を見た先生は「このニガウリは、神様に捧げて一生懸命拝んだのに、やはりずいぶん苦いものだな」と言ったのです。
その言葉を聞いた弟子たちは一瞬のうちに悟るのです。ニガウリは、神仏に捧げても何をしても、決して甘くはならないし、口に入れればやはり苦いものであるということを。
つまり、「苦いものは苦い」と受け止めることが大事だと弟子たちは気づいたのです。「苦い」という感覚は食べてみて始めて感じられるものです。また、「苦いものは、ただ煮るだけでは甘くはならない」こと、しかし「苦い中にも甘さがある」ということも、食べてみてはじめてわかります。それを悟ったことが大きな喜びとなり、参拝に行ったことの大きな報いとなったのです。
この「苦いものは苦い」という悟りは、人生に置き換えることができます。人生もちょうどニガウリのようなものです。決して自分の思い通りにならないし、嫌なこと、辛いことも起こるけど、そのありのままを受け入れたときに甘さも感じることができます。生きる力も沸いてきます。苦い、甘い、辛いなど、いろいろな味を知ることで、人生の楽しみも倍増していくのです。
「苦い味」を受け入れることができれば、そこに調味料を加えて、自分の好きな味にアレンジする楽しみを見つけることもできるでしょう。
もし、はじめから困難や苦痛を避け、ラクな方へと逃げてしまった場合、苦い味も、苦さの中にある甘さも、ずっと分からないままです。色彩のグラデーションのように、苦さや甘さにもいくつもの段階がありますが、苦痛を避けたいがために飛びついた快楽からは、単調で変化のない甘さしか分かりません。さまざまな段階の苦さ、甘さを幅広く味わいつくすことは決してできません。
困難を避けてばかりいる人生は、「食わず嫌い」の習慣とも通じるものがあります。食わず嫌いの人生とは、面白いこと、楽しいことを自ら放棄する人生とも言えるでしょう。
たとえ、「食べてみたら本当にまずかった」であっても、「二度と食べたくない味」と感じたとしても、食べて実感するという、ただそれだけで人生経験が増えたことになりますし、その経験がいつかは貴重な財産になります。
いろいろな味に挑戦していくことで、人生は深みが増し、今よりも豊かなものになっていくものなのです。