本郷三丁目交差点角に「かねやす」という洋品店があります。
ここにこんな看板が掲げてあります。
「本郷も かねやすまでは 江戸の内」
江戸時代は火事が多く江戸城からここ「かねやす」の土蔵までは町家でも瓦葺きの防火建築が許されていました。そのため江戸の街並みは本郷まで瓦葺が続き、ここから先の中仙道は板や茅葺の家が続いたということです。
だからココまでが江戸だってわけです。
でも、江戸の範囲に関する幕府の正式見解は、江戸幕府誕生から200年を過ぎた1818年に1度「江戸朱引図」を作成しただけだそうです。
江戸の範囲は、あまり行政的には関係がなかったんですね。
「かねやす」は、当時歯医者さんだったようですが、いまでも場所を変えず洋品店として続いていて、一つのシンボルとなっています。
ここにこんな看板が掲げてあります。
「本郷も かねやすまでは 江戸の内」
江戸時代は火事が多く江戸城からここ「かねやす」の土蔵までは町家でも瓦葺きの防火建築が許されていました。そのため江戸の街並みは本郷まで瓦葺が続き、ここから先の中仙道は板や茅葺の家が続いたということです。
だからココまでが江戸だってわけです。
でも、江戸の範囲に関する幕府の正式見解は、江戸幕府誕生から200年を過ぎた1818年に1度「江戸朱引図」を作成しただけだそうです。
江戸の範囲は、あまり行政的には関係がなかったんですね。
「かねやす」は、当時歯医者さんだったようですが、いまでも場所を変えず洋品店として続いていて、一つのシンボルとなっています。