「名刀の主」
訴訟の評議を行う鎌倉殿の13人。
いっこうに進みません。
正治元年6月、三幡が、亡くなります。
政子は、結局、4人の子供全員に先立たれるのですね。
母としては不幸な人でしたね。
実衣は、琵琶を結城朝光に習い、親しくなります。
朝光から、悩み相談され。
相談の中身は、朝光がつぶやいたことばが、鎌倉殿に謀反の意思ありと思われ謹慎となったこと。
頼家は、安達景盛の妻をもらい受けたいと無理難題。
安達親子に受け入れられないと知ると、親子の首をはねよと命じます。
政子が現れ、頼家の無理難題をいさめます。
政子を導いたのが、梶原景時。
頼家って、わがまま放題に見えます。思うようにならないと、鎌倉殿権限を振り回す。母には頭が上がらないと。
梶原景時は、結城朝光に死んでもらうと。
景時に対する訴状。なんと66名が集まります。
そんなに嫌われていたのか。
訴状のことは頼家の判断に任されることに。
頼家は、景時に、謹慎を申しつけます。そして、奥州へ流罪。
頼家は、あれほど景時を頼りにしていたのに、きるときは、あっさり。
景時は、東海道で討ち取られます。
景時失墜の回。
頼家を想ってしたことが、裏目に。
一番の策士は、三浦義村なのかもしれません。
鎌倉殿の13人。
妻が乳母であった三幡が亡くなったことで、中原親能が、出家。
梶原景時が、追い出され。
鎌倉殿の11人になってしまいましたね。
これから、また減っていきます。