金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

相続税対策の落とし穴にはまるのはリテラシーの問題か?欲の問題か?

2016年09月10日 | 相続

今月号(2016年10月号)の文芸春秋は特集「日本経済の常識を疑え・相続税対策の危険な落とし穴」という特集を組んでいる。

危険な落とし穴は色々ある。

「アパート経営は相続税の節税になると言われて、借金してアパートを建てたが入居者が決まらずローンが払えなくなった」

「現金をはたいて二世帯住宅を建てたが、親の死後残された二世帯住宅を巡って兄弟の間で遺産分割争いが激化した」

「相続税節税のために巨額の生命保険に入って老後の資金繰りが苦しくなった。保険を解約するとペナルティを取られる」

などの実例が挙げられている。

著者(税理士の板倉京氏)は「相続ビジネスで資産を減らしてしまった人は数多く存在する」「共通するのは相続をトータルで見なかった。自分でしっかり調べ、考えなかった」と述べ、「もし自力で解決策を見出すのが難しいと感じるなら信頼できる税の専門家に相談してみればよい」と結論づけている。

最後の部分は税理士さんのポジショントークとして、多少割り引いて考える必要があるが、概ね述べていることは正しいと思う。

同じく同号には橘怜氏が「言ってはいけない格差の真実」の中で「リテラシーの低い消費者がカモだ」と述べている。

記事は「金融業界では、金融商品の知識が欠落している顧客は『リテラシーが低い』と呼ばれている。『リテラシー』は読み書き能力のことだから、ありていにいえば”バカ”のことだ」と書いている。

リテラシーLiteracyとは「読解記述力」のことで「形に表現されたものを理解・解釈し、改めて表現する能力」を指す。橘氏がここで言っているリテラシーとは金融リテラシーのことだ。

確かに金融知識が欠如している消費者が不利な金融商品を買わされるリスクが高いことは間違いない。だが私は少々金融知識があっても、「ある種の常識を欠いた人は誤った金融行動を取る可能性が高い」ということを強調しておきたい。つまりリテラシーの前に人間の意思決定上ある種の常識と欠いているとあらゆる局面で過ちを犯す可能性が高いということだ。

ではそのある種の常識とは何か?一例をあげてみよう

  • タダより高いものはない。英語ではThere is no such thing as a free lunch.これは西部開拓時代にバーがビールを一杯頼むと無料で昼飯を提供して好評を博したことから生まれた諺だ。無料で提供される昼飯は辛いものが多いのでのどが渇き追加でビールを頼むことになる。無料のランチの料金はビールに上乗せされているから結局客は高い昼飯を食べることになるという仕組みだ。巷間は「無料相談サービス」なるものがあるが、それは結局自社が取り扱っている商品に誘導する仕組みである。不動産仲介業者に遊休不動産の活用方法を相談すると売却を勧められ、ハウスメーカーに相談するとアパートの建築を勧められるようなものだ。本当に自分のためになるアドバイスを受けようと思うとキチンとコンサル料を払うべきである。
  • リスクのないところにリターンはない。世の中はすべてリスクとリターンの組み合わせで成り立っている。医療技術が進歩しても完全に無リスクの治療方法はないと考えるべきである。体にメスを入れるにせよ、投薬を受けるにせよ、そこには何等かなリスクがある。完治後の快適な暮らしを手に入れるには何等かのリスクを取る必要があるのだ。金融商品もしかり。無リスクで高いリターンをあげる商品などありえない。要は「自分が取るリスクは何か?」「そのリスクが実現した時のマイナスはどれほどのものか?」を認識することだ。
  • 手段と目的を取り違えない。相続における節税対策は目的ではない。目的はできるだけ多くの資産価値を子孫に残すことだ。資産ではない。資産「価値」を残すことである。資産は個別の不動産などを意味するが、子孫にとって必要なものは個別の資産ではないはずだ。子孫が必要とするのは自分で活用できる資産価値なのだ。ところで激動するこれからの世の中で一番の資産は何か?というと知識なのである。しかもあらゆる局面で活用できるソフトスキルと呼ばれる知識力(平たくいうと人間力のようなもの)なのだ。これを残すことが一番子孫のためになる。つまりなまじ不動産を残すより、子孫に教育投資をする方が良いのである。
  • 渇愛を避ける。欲望は人生と社会の原動力である。少しでも良い暮らしをしたいから一生懸命働く。効率よく仕事をしたいからシステム化を図るという具合にだ。だが欲望には限りがない。限りのない欲望は時として人間を苦しめる。人間を苦しめるような欲望を仏教では渇愛という。限りある人生を有意義に過ごすためには、欲望をコントロールして渇愛をさけることである。

以上ざっと思いつく「常識」を挙げてみた。

このような常識に立ち戻って、相続税対策を考えると落とし穴にはまることはないだろう。簡単にまとめると「渇愛と無明(リテラシーのない状態)を避ける」ということを頭の隅に入れておくだけで随分違うと私は考えている。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クリティカル・シンキングと... | トップ | 二人の子供が共に女の子であ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

相続」カテゴリの最新記事