好きな歴史作家・中村 彰彦さんの「北風の軍師たち」が文庫本になったので早速買いに行った。最初に寄った神田駅前の本屋では上巻が売り切れ。やむなく大手町の丸善へ足を伸ばした。硬派?の中村氏の本がこんなによく売れていると思わぬ誤算だった・・・
「北風の軍師たち」は天保11年(1840年)に幕府が発令した三方所替え(国替え)を推進する老中筆頭・水野忠邦と反対する硬骨の南町奉行・矢部定謙(さだのり)の対決を頂点とする騒動を描いたものだ。
度重なる国替えで疲弊し多額の借金を抱える川越藩松平家は、十一代将軍家斉の息子を養子に貰い、将軍の寵姫達を抱きこみ、富裕な庄内藩(酒井家)への転封を画策する。家斉の命を受けた水野忠邦は何の落ち度もない酒井家と松平家の領国を交代させるのは余りに奇異だと考え、長岡藩牧野家を加えた三方所替えを発令する。すなわち酒井家を長岡に、牧野家を川越に、松平家を庄内に転封するという発令だ。
この発令に対し、酒井家の徳政を慕う庄内藩の農民たちは「借金にあえぐ松平家が来ると年貢が増えるなど苛政が行われる」ことを恐れ、幕閣など有力大名達に幕命中止嘆願の愁訴を行う。彼らを組織したのが、庄内・遊佐郷の文隣和尚だ。そして文隣和尚は遊佐郡出身の御家人・佐藤藤佐(とうすけ)の助力を請う。
佐藤藤佐という人は、源義経の家来として有名な佐藤継信・忠信兄弟の子孫で順天堂病院の礎を築いた佐藤泰然の父親だ。
佐藤藤佐から幕命の裏事情を聞いた正義漢・矢部定謙を水野忠邦を国政の中枢に置くのは幕府のためならずと排斥を決意する。やがて忠邦は藤佐と定兼の関係を知らないで、定兼に藤佐の吟味を申し付ける。裏工作の実態を克明に記した吟味記録は十二代将軍家慶の目に触れ、三方所替えは実質的に撤回される・・・・
これが小説の荒筋だ。
作家の中村氏はあとがきの中で「三方所替えを仕組んだ者たちと、その幕命を断固撤回させようと立ちあがった男たちの両面から叙述してゆく必要があったため、私としては初めてメリーゴーラウンド・スタイルを採用してみました」と述べている。
メリーゴーラウンド・スタイルというのは、回転木馬のようにさまざまな人物が登場しては去ってゆくことを繰り返すなかでテーマがあきらかになってゆく筆法のことだ。
登場しては去っていく男たちの中で印象深いのは南町奉行の矢部定兼だ。最終的には彼の身を捨てた義侠心があったから、三方所替えの悪策を阻止することができたのだ。矢部を逆恨みした忠邦は、矢部の過去の僅かな失策を理由に家名断絶の上桑名藩への永預けとする。桑名に護送された矢部はひとことも弁明せず食を断ち、忠邦への抗議の自殺を遂げた。
水野忠邦は江戸・大阪の大名・旗本の領地を収公しようとした上地(あげち)令に対する悪評がもとで失脚する。彼もまた回転木馬から去っていく運命にあった。
このような男たちのめぐり合わせの他、興味を引くことは江戸も後期となると農民が随分と力をつけ、幕閣・有力大名に対する愁訴なども丁寧に処理さていたという事実だ。けっして愁訴は切捨てご免ではなかったのだ。農民の愁訴を手助けする公事宿の活躍というのも、江戸時代にあるレベルの訴訟制度が確立されていたことを改めて思い出させる。
歴史公証のしっかりしている中村氏の小説だからこの辺りの描写は事実に近いと見て良いだろう。小説としての面白さに加えて歴史の勉強になる中々良い本である。
☆ ☆ ☆
滅多に訪れないが好きな土地というものがある。私にとって庄内地方はそのような土地の一つだ。夏に旅をすると目路はるかに青々とした田んぼが広がって心が洗われる感じがする。鳥海山と月山に代表される山々から流れ出る豊富な水が庄内平野を潤しているのだ。170年程前この豊かな土地を巡って江戸城の奥で陰謀が巡らされた。そしてそれに敢然と立ち向かった農民や武士がいた・・・・・
以前庄内を旅した時、不勉強にして「天保の快挙」と呼ばれたこの幕命阻止運動のことは知らなかったが、次に庄内に旅する時は「北風の軍師たち」の舞台に足を伸ばしたいと今から私は考えている。