この土日月(8月4-6日)ともとの会社の先輩達と鳥海山登山に出かけた。天候不順で鳥海山は中腹で引き返した。そのことは別のブログに書くが、山の天候が不順だったので庄内地方の里を随分見てまわることができた。
山形県には芭蕉の足跡が良く残っている。「奥の細道」の中に芭蕉は山形(当時は出羽)で幾つかの名句を残している。新潟や富山に対する素っ気なさに比べると山形に対する芭蕉の思い入れは相当なものだ。
五月雨を集めて早し最上川
最上川降りをしようかと思い、乗船口まで行ってみたが時間がかかるのでやめにした。梅雨や台風の雨を集めて最上川の流れは大きく早い。
暑き日を海に入れたり最上川
写真は最上川河口近くにある山居倉庫とケヤキの写真だ。この倉庫は米の保管倉庫として今も現役で活躍している。ケヤキは倉庫を夏の太陽の強い光から守っている。
酒田から芭蕉は象潟(きさかた)へ向かった。ここは当時松島と並び称された景勝の多島湾だったが、文化元年の地震で地盤が隆起し、現在は陸地となっている。象潟は秋田県だが、山形県の県境に極近いところだ。
芭蕉はここで 象潟や雨に西施が合歓(ねむ)の花の名句を残す。
奥の細道の旅の目的の一つは松島と象潟を見ることにあったのかもしれない。そう考える象潟から先の旅行記がまことにそっけないことも納得できる。
写真は芭蕉が訪れた干満珠寺(かんまんじゅじ)~奥の細道に出てくる名前~の境内に咲いていた合歓の花だ。このお寺の現在の名前は少し変わっている。
今回芭蕉の足跡を見たところはもう一つある。それは羽黒山だ。
涼しさやほの三日月の羽黒山
羽黒山は車でも登ることが出来るが、我々は参道を下から歩いて登った。真夏の昼間は蒸し暑く汗がボタボタ落ち涼しさとは縁遠い世界である。長い坂の中腹に茶店があったので、トコロテンを頂き汗をおさえた。店のおばさんに聞くと三百年位前からそこで店をやっていたとのこと。ただし芭蕉が立ち寄ったかどうかは聞き漏らした。