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金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

リーダーの器量(4)~恬淡

2005年10月26日 | リーダーシップ論

昨日私のブログを読んでくれている会社の先輩から「リーダーの器量はシリーズものの様だが、どれ位続けるのか?5回位か?」と聞かれた。答は10回程度である。つまり一回一つのリーダーの徳目を書くとして、10個位リーダーの徳目を上げたいと考えている訳である。ところで古来リーダーの徳目として5つ程度を掲げた書物が多いのではなかろうか?

例えば孫子は「将は智・信・仁・勇・厳なり」という(始計編)。また塩野七生さんの孫引きであるがイタリアの高校の教科書は「知性・持続する意志・類まれなる寛容・肉体の健全・説得力、この5つを兼ね備えたものは古来ジュリアス・シーザーしかいない」(徳目の順番については記憶があやふやであるが)と述べる。というようなことで10個の徳目は多いのだろうが、まあできるだけ書いてみたい。

さて本題に入る。私は時々前の会社の社長から飲みとか山登りに誘われることがあり、余程の用事がない限りまずご一緒させて頂いている。実のところ最初は「人を左遷しておいてよく誘うよね」という気が起こらないではなかった。もっともそういう思いは「人は自分のことを2割方過大評価している。俺もその例外ではないだろう。そう思えば左遷と考える程のこともない」という冷静な判断にすぐ打ち消されるのだが。ところでもし社長と私が立場が逆であったならば、私は社長の様に恬淡と振舞うことができるだろうか?と考えることがあるが、どうも私はそれ程恬淡と振舞えない様な気がする。つまり部下の処遇についてあれやこれやと考えたり、いわでもの説明をしそうな気がするのである。

ところが社長は実に恬淡として、そういった話題には全く触れることなく昔通り楽しいお酒を飲んでおられる。恬淡といえば社長ご自身余り地位に汲々としていないのではないか?と私からは見えることがある。勿論社長のご本心は分かる訳はないが、この「恬淡に見える」ということが大切なのではないだろうか?

サラリーマンはリレー選手の様なもので、ある区間を一生懸命走り切るとバトンを次の選手に渡さなければならない。人により多少走る区間が長かったり短かったりするが、いずれバトンを渡すことには変わりはない。バトンを渡すべき時に汲々とするのは誠に見苦しいし、往々に過ちを犯すものだろう。また人事にこだわり過ぎる人物は私からは見苦しく見えてともに仕事をしたいとは思わないのである。恬淡で余り私欲が強くないこと、少なくともそう見えることはリーダーの一つの徳目だと私は考える。

歴史上の人物では足利尊氏のことを大灯国師がその無欲さを勇敢さとともに誉めている。もっとも尊氏が気前が良すぎて、部下に領地を与えすぎたため足利政権は基盤が弱かったというマイナス面も大きいのだが。恬淡・無欲という徳目はプラス・マイナス両面があるというべきかもしれない。

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