精華よもやま話   佐々木まさひこ議員のつぶやき

京都・精華町会議員佐々木まさひこのローカル日記

祝園弾薬庫をどうしたいのか

2011年06月14日 07時22分04秒 | 議会・地方自治

 昨日13日から「一般質問」がスタートした。
 震災があったためか、災害対策や避難に関する項目も多い。
 先日もアップしたが、今回は私たち以外の会派の議員が「陸上自衛隊祝園弾薬庫」に関する質問をした。弾薬庫に関して関心を持ったことは評価したいが、イマイチ弾薬庫をどうすべきなのかという「政策提案」は、残念ながら聞けなかった。
 ある議員は、質問時に「自衛隊大好き」と言っていたので、「撤去」ではなく「存続」「強化」が政治的立場なのだろう。

 先ほど「政策提案」はなかったとしたが、一般質問はそもそも、行政の一般事務関することを取り上げ、個々の議員が政策提案などをして、町長の方針に影響を与えることである。そこまで踏み込まなければ、ただの個々議員の「研究発表会」でしかない。

 今回「危険」という言葉が多用された。ただ、「危険だから撤去すべき」とまではなっていない。そこが政治家としては致命的。ある意味、逃げている。
 心情的には、「危険なものから遠ざかりたい、避けたい」と思うのは当然である。
 だが、よくよく考えると、私たちも日々危険を発生させている。質問した議員も同様である。
 一切の危険をなくそうと思えば、2階建以上の建物は建てず、車も運転せず、新幹線・高速道路・飛行機などは論外ということになる。実際、これら(新幹線はごく少ない)が原因で(墜落・追突)死亡事故や負傷者が出ている。
 だが、現在の社会でこれらのものは「有用」と判断され、推進されている。何が違うのか。それは、「自分たちでコントロールできる危険かどうか」である。「危険」だけなら、ハサミだけでも包丁だけでも危険となるが、包丁の使い方・管理方法が適切にされれば、きわめて私たちの暮らしを豊かにしてくれるツールとなるのだ。
 この点で原発は決定的に違う。
 それは、原発に使われている技術が未完成のものであること。コントロールできない、または特定の条件(福島の場合、冷却用電源が必ずあるということなど)の下だけでコントロールできるというもろいものである。しかも、放射能が大気中に出た場合の拡散防止や除染対策の方法すら確立していない。そして、使用済み核燃料をどこでどのように無害化させ処分するのかも決まっていないという「出たとこ勝負」という、極めて無責任なものだということだ。原発は「コントロールできない危険」なのだから、撤退は当然ではないか。
 すなわち、「危険」にもそれぞれのランク・レベルがあるし、その危険を取り扱う者の立場や資格・能力にもよるのである。典型的なのは、自動車運転免許である。

 誤解のないようにしておくが、私は「祝園弾薬庫」はない方がいいと考えている。だから、この間、毎年のように議会でもその他でも、その旨を主張している。
 他の会派の議員はどのように考えているのか。
 もし、私たちと同じように「いらない」「学研都市にふさわしくない」と考えているなら、署名なり、議会決議なり、政府への申し入れなりという政治的行動に出るのが政治家としての当然の結論だろう。
 危機感・危険論をあおるだけあおっておいて、その「危険」を除去する努力をしないなら、単なるパフォーマンスである。
 地方自治に責任を持つ議員として、「言動一致」は外せない原則である。


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