大阪が、おかしい
教育の目的が歪められようとしている。
「人材」とは、材料を意味する。もちろん、結果として国際社会で活躍する成長をとげる人もあるだろう。でも、外国とは無関係で、地域で頑張る人や、純日本的な仕事に就く人もあるだろう。
つまり、教育の目的は、「人材育成」ではなく、「人格の完成」であり、「主権者として自分の頭かで考え行動できる」国民を育てることである。
また、教育は「強制」とも違う。「勉強」という漢字から連想する方もあるかもしれませんが、それなら「学校教育」ではなく「学校勉強」という用語か使われているはずだが、そうではない。橋下氏が言う「二万%強制」など論外だ。もし、あなたが子どもの時、無理無理「覚えろ」という方法で迫られたら、好きでない教科は大嫌いになっていただろう。そこを、教師や親が、あの手この手を工夫して「関心持ち理解」できるようにしてくれているのだ。
子どもたちは、決して「材料」ではない。
大阪の人たちも、そんなことは百も承知のはず。
マスコミも含め、ボチボチ気がつけばどうか
合格の方法を教える教育は間違っていると思いますが、それすらできていないのは、子供の責任でもあり、自称教師の責任でもあります。
2000年前から教師は人一倍の賞賛と罰があるといわれる通り、一般の職とは異なります。結果を出せない者をいつまでも使い続ける事は通常あり得ません。それは町の学校も同じです。
2校のの学力差は子供の責任ですか?違うと思います。どう是正されますか?