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精華よもやま話   佐々木まさひこ議員のつぶやき

京都・精華町会議員佐々木まさひこのローカル日記

戦争と平和を考える

2008年07月24日 10時49分42秒 | 平和・憲法9条
 19日のアレンさんの講演のことで一言書いておきたい。
 私は、主催者の1人として、アレン・ネルソンさんの著書など関連文献に目を通していた。だから、講演の内容はおおよそ見当がついていたのだが、それでもショックを受けた。この日、初めてネルソンさんに会い話を聞いた方は、より衝撃的だったに違いない。特に、ベトナムの戦場(といっても普通の村でのこと=非戦闘員ばかりが暮らしている)での描写は、話し言葉だが、その場面を創造すると気分が悪くなるほどだった。
 ジャングルの中からすべての死体を広場に集め、何人殺したか数を数える。その死体の山に幼い子ども達が自分の親や兄弟を見つけ、泣き叫んでいる光景などだ。
 誰かが攻めてくるので、それに備えて武力を準備する。その武力も日進月歩で技術が進歩し、相手よりより性能がいい武装をしなければ負けるのでさらに軍事に税金を投入する。MDといい、自国の領土防衛だけでは不安になったのか、宇宙空域まで防衛範囲を広げ、空中(といっても弾道弾はミサイルなので、ロケットと同じく宇宙での戦争となる)で撃ち落したいとの欲求=恐怖心が湧き、何兆円もの税金をまた無駄使いしようとしている。
 「国際貢献」という美しい言葉に騙されてはいけない。あの第2次世界大戦の時も、日本政府は「大東亜共栄圏」といかにも共存するための戦争と言ったが、実際は「共栄圏」に住む外国の人たちを殺したり見殺しにしたり、置き去りにしてきた。「共栄」するためには、軍隊ではなく医療・福祉・教育・建設などの民生部門が担うべきである。アレンさんも強調されていたのは、「軍隊は、福祉や教育のための組織ではなく、人殺しと物の破壊を主たる任務とする組織」である。
 東京で相次いで「無差別殺人事件」が発生した。利害が対立したわけでもなく恨みを買ったわけでもない無垢の(罪のない)人々が殺されることを許す人はいないと思う。しかし、ことが海外となり日本人でなくなると、「日米同盟があるから」「日本も国際社会に貢献する必要がある」という次元の違う理由で、自衛隊のイラクやインド洋派遣を許してしまうことは、矛盾していないか?
 イラクで航空自衛隊が運んでいる米兵や武器が、罪のないイラクの人々を殺すために使われていることを想像するのは難しいことではない。
 3週間後に敗戦記念日を迎えるこの夏に、今一度、軍隊の存在意味を考え直し、日本が進むべき道を考えて欲しい。
コメント
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