これは、まだ私が「チーズと赤ワイン」派ではなかった頃の話である。
1993年、Jリーグが開幕した年に、私は東京都北区の高校で働いていた。駅から学校までの通学路にはひなびた商店街があり、パンや寝具、鰻、駄菓子などの店が並んでいた。昼間は閑散としていたが、夕方になると人通りが増え、惣菜の匂いが漂ってきたものだ。
「今日は急いでる?」
たまたま学校を出たところで会い、駅まで一緒に歩いていた事務室の主任、瀬田女史が唐突に聞いてきた。仕事ができるだけでなく、社交的なこの方は、当時20代半ばだった私にとって姉御のような存在だった。
「いえ、別に急いでいません」
夫はいたけれども、娘のミキはまだ生まれていないときだ。今のように、あわてて家に帰る必要はなかったが、このときばかりは「急いでいる」と返事するべきだった。
彼女はとたんに足を速め、道端の焼き鳥屋に飛び込んだ。
「レバーとモモと、ネギマを2本ずつね」
何が起きたのか、すぐにはわからなかった。
この焼き鳥屋は屋台ではなく、古びた民家の一階にある。中には小さなテーブルもあり、数人ならばそこに座って食べることができた。が、あいにくその日は、日雇い人夫風の男連中で満席となっていた。
「はい、これどうぞ。混んでるからここで食べちゃおう」
3本の焼き鳥を渡され、ようやく事態が飲み込めた。この人通りの多い商店街の道端で、一緒に立ち食いしようというのだ。
「ええっ、ここで……ですか……」
「いーのよ、いーのよ、アタシのおごり! 気にしないで食べて食べて」
気になるのは代金ではなく人目なのだが、豪快な瀬田女史には伝わらなかった。彼女は派手な色のパンツスーツがタレで汚れないように前傾姿勢をとり、ワンレングスの髪を耳にかけてネギマにかぶりついた。
なんと、ミスマッチな……。
かくいう私も、懐かしのソバージュを揺らし、プリント柄のブラウスにミニのタイトスカート、ハイヒールといういでたちである。通行人の不躾な視線が突き刺さり、見せ物になっていると感じた。
ここから一刻も早く立ち去るには、この焼き鳥をとっとと平らげなければならない……。
状況を悟った私は、瀬田女史に倣った。
「じゃあ、遠慮なくいただきます!」
まずはレバーから。もうすぐ冬を迎える時期だったから、ホカホカしていてありがたい。タレも私好みの味で、意外に美味しかった。
そのとき、遠くから、見慣れた制服の一団が近づいてきた。練習を終えた野球部の生徒たちだ。食べ盛りの男子らしく、鰻の蒲焼に目を奪われている。
私は背筋が凍りそうになった。こんなところで買い食いしている現場を見られたら、あっという間に言いふらされてしまう。とっさに後ろを向き、「見つかりませんように」と必死で祈った。瀬田女史は事務職だから生徒との関わり合いがないけれど、こちらはそういうわけにいかない。
どうにか野球部連中をやり過ごしたあと、2本めの串に入った。今度はモモだ。半分も食べないうちに、通りにはバスケ部の生徒が大声で話しをしながら現れた。
ええ~、またぁ!?
さりげなく立ち位置をずらし、瀬田女史の陰に隠れる場所へ移動した。ドキドキしながら会話に聞き耳を立てたが、連中はまったく気づかぬように通り過ぎていった。
柔らかなモモを口に頬張ったまま、私は後姿を見送った。
やっと最後のネギマにたどり着いた。これで終わりだと思ったが、安心するのはまだ早い。今度は教員グループがやってきた。
しかも、その中には意中のカレ、松村雄基似の聡先生もいるではないか!
「ゲッ」と叫びそうになった。しかし、隣の女史を見ると、隠れるどころか堂々と顔を上げ、彼らに話しかける気十分の様子だ。
こ、これは、まずい!!
飛び上がらんばかりにあわてたとき、突然、視界が遮られた。店内にいた人夫たちが一斉に席を立ち、ぞろぞろと私たちの前を通過したのだった。私とカレの間には運よく壁ができ、お互いの姿が確認できなくなった。
壁がなくなったとき、教員たちもまた立ち去ったあとだった。
私は心から安堵し、残りのネギマに戻った。こんな状況だというのに、今まで味わった中で一番イケる焼き鳥ではないか。いや、こんな場面だからこそ、スリルとサスペンスに味付けされた最高の焼き鳥になったのかもしれない。
以来、残念ながら、これ以上の焼き鳥に出会っていない。いくら有名な鶏肉を使っていても、秘伝と噂されるタレでも、何か物足りないのだ。
私が「ビールと焼き鳥」派にならなかったのは、禁断の味を知ってしまったからに違いない。
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1993年、Jリーグが開幕した年に、私は東京都北区の高校で働いていた。駅から学校までの通学路にはひなびた商店街があり、パンや寝具、鰻、駄菓子などの店が並んでいた。昼間は閑散としていたが、夕方になると人通りが増え、惣菜の匂いが漂ってきたものだ。
「今日は急いでる?」
たまたま学校を出たところで会い、駅まで一緒に歩いていた事務室の主任、瀬田女史が唐突に聞いてきた。仕事ができるだけでなく、社交的なこの方は、当時20代半ばだった私にとって姉御のような存在だった。
「いえ、別に急いでいません」
夫はいたけれども、娘のミキはまだ生まれていないときだ。今のように、あわてて家に帰る必要はなかったが、このときばかりは「急いでいる」と返事するべきだった。
彼女はとたんに足を速め、道端の焼き鳥屋に飛び込んだ。
「レバーとモモと、ネギマを2本ずつね」
何が起きたのか、すぐにはわからなかった。
この焼き鳥屋は屋台ではなく、古びた民家の一階にある。中には小さなテーブルもあり、数人ならばそこに座って食べることができた。が、あいにくその日は、日雇い人夫風の男連中で満席となっていた。
「はい、これどうぞ。混んでるからここで食べちゃおう」
3本の焼き鳥を渡され、ようやく事態が飲み込めた。この人通りの多い商店街の道端で、一緒に立ち食いしようというのだ。
「ええっ、ここで……ですか……」
「いーのよ、いーのよ、アタシのおごり! 気にしないで食べて食べて」
気になるのは代金ではなく人目なのだが、豪快な瀬田女史には伝わらなかった。彼女は派手な色のパンツスーツがタレで汚れないように前傾姿勢をとり、ワンレングスの髪を耳にかけてネギマにかぶりついた。
なんと、ミスマッチな……。
かくいう私も、懐かしのソバージュを揺らし、プリント柄のブラウスにミニのタイトスカート、ハイヒールといういでたちである。通行人の不躾な視線が突き刺さり、見せ物になっていると感じた。
ここから一刻も早く立ち去るには、この焼き鳥をとっとと平らげなければならない……。
状況を悟った私は、瀬田女史に倣った。
「じゃあ、遠慮なくいただきます!」
まずはレバーから。もうすぐ冬を迎える時期だったから、ホカホカしていてありがたい。タレも私好みの味で、意外に美味しかった。
そのとき、遠くから、見慣れた制服の一団が近づいてきた。練習を終えた野球部の生徒たちだ。食べ盛りの男子らしく、鰻の蒲焼に目を奪われている。
私は背筋が凍りそうになった。こんなところで買い食いしている現場を見られたら、あっという間に言いふらされてしまう。とっさに後ろを向き、「見つかりませんように」と必死で祈った。瀬田女史は事務職だから生徒との関わり合いがないけれど、こちらはそういうわけにいかない。
どうにか野球部連中をやり過ごしたあと、2本めの串に入った。今度はモモだ。半分も食べないうちに、通りにはバスケ部の生徒が大声で話しをしながら現れた。
ええ~、またぁ!?
さりげなく立ち位置をずらし、瀬田女史の陰に隠れる場所へ移動した。ドキドキしながら会話に聞き耳を立てたが、連中はまったく気づかぬように通り過ぎていった。
柔らかなモモを口に頬張ったまま、私は後姿を見送った。
やっと最後のネギマにたどり着いた。これで終わりだと思ったが、安心するのはまだ早い。今度は教員グループがやってきた。
しかも、その中には意中のカレ、松村雄基似の聡先生もいるではないか!
「ゲッ」と叫びそうになった。しかし、隣の女史を見ると、隠れるどころか堂々と顔を上げ、彼らに話しかける気十分の様子だ。
こ、これは、まずい!!
飛び上がらんばかりにあわてたとき、突然、視界が遮られた。店内にいた人夫たちが一斉に席を立ち、ぞろぞろと私たちの前を通過したのだった。私とカレの間には運よく壁ができ、お互いの姿が確認できなくなった。
壁がなくなったとき、教員たちもまた立ち去ったあとだった。
私は心から安堵し、残りのネギマに戻った。こんな状況だというのに、今まで味わった中で一番イケる焼き鳥ではないか。いや、こんな場面だからこそ、スリルとサスペンスに味付けされた最高の焼き鳥になったのかもしれない。
以来、残念ながら、これ以上の焼き鳥に出会っていない。いくら有名な鶏肉を使っていても、秘伝と噂されるタレでも、何か物足りないのだ。
私が「ビールと焼き鳥」派にならなかったのは、禁断の味を知ってしまったからに違いない。
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それって時代?
確かに憧れの男性の前ではさすがに・・!
だって美味しいんなら問題無いっしょ!
コンビニのコロッケの方がちょっと・・!
やっぱり抵抗ありますけどね。
後日談があります。
この聡先生、今は某鉄道沿いの学校にいるんです。
こないだ、某鉄道に乗って、聡先生が勤務する学校の前を通ったら…。
非常階段で喫煙している聡先生の姿が見られました。
結構ウケましたよ。