本書を読んで、丸谷氏の基本的な考え方の底流には、「対置」「比較」といったコンセプトがあるように思います。
そのスタートは、「自己の立ち位置」です。
まずは自分自身の思考においての「基軸」をしっかりもつということです。
(p146より引用) 僕は常に、その人のホーム・グラウンドは何かを考えて、そこから分析と比較を始める。これが僕の方法なんですね。
その「基軸」=「ホーム・グラウンド」があるからこそ、ヴィジターとしてのチャレンジングな進出ができるわけです。
(p148より引用) ホーム・グラウンドがあるというのは、「何々学者」である、ということとは違うんです。・・・ホーム・グラウンドでの知識、経験を抱えて、専門外の分野へもどんどん出て行くわけです。ヴィジターとして他のグラウンドへ行って、そこで十分に戦うことができる、対等に戦える。そのことが大事なんですね。
同様の考え方の例として、「河上徹太郎氏の『評論』についてのコメント」が紹介されています。
(p149より引用) いつだったか河上徹太郎さんが、「一つの主題では評論は書けない、二つの主題をぶつけると評論が書ける」と書いてらした。僕は、これは実にいい教訓だなと思ったんです。
何かものを考える場合、常に複数の主題を衝突させて、それによって考えて行くとうまく行く、あるいは考えが深まることがよくある。・・・当面の対象と、自分のホーム・グラウンドとをぶつけることによって、新しいものの見方、発想が出てくるんじゃないかという気がします。
「比較する」ことは、「相似」と「相違」の発見による思考の深化プロセスです。
丸谷氏は、この比較という「方法」を、「ものを書く」ときにも適用しています。
その時の工夫が、「ひとりで対話する」というものです。
(p250より引用) 趣味の問題かもしれないけれど、僕はむしろ「対話的な気持で書く」というのが書き方のコツだと思う。自分の内部に甲乙二人がいて、その両者がいろんなことを語り合う。ああでもない、こうでもないと議論をして、考えを深めたり新しい発見をしたりする。そういう気持で考えた上で、文章にまとめるとうまく行くような気がします。
自己の内部で、反論したり同調したり、さらには論旨を転換させたり飛躍させたりするのです。
こういった「単一」よりも「対置」を重んじる姿勢は、「ロジックとレトリック」についての丸谷氏の主張にも現れています。
(p256より引用) ここで大事なのは、ロジックがしっかり通っているからこそ、レトリックが冴えるということなんです。つまり、ロジックとレトリックを組み合せて話を運ぶ-これが肝心なんですね。単なるロジックでは頭がこわばってしまって、中身が頭に入りにくい。そこにレトリックがあるお蔭で、ロジックが鮮明な形で入ってくる。
「ロジック」と「レトリック」は「相反」するものではなく「相乗」するものだとの考え方です。
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