黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

一茶も立ち寄った本陣跡(境宿・織間本陣跡)

2020-10-31 19:36:34 | 群馬県・中毛

寒い寒い夜が明けました。

ひめちゃんたちには、昨夜から床暖マットが入りました。

ジャストタイミングでした

今朝は組み合わせを間違えたおとうさんに連れられて、先に獅子丸とタバサねーちゃんが出かけてしまいました。

ひめちゃんは、小次郎パパともお散歩です。

 

おや、ひめちゃんたちの足下に、霜が残ってます。

大分溶けているけど、残ってます。

夕べが寒かったわけです。

初霜です

もう、明日から11月ですものね。

昨日は冷たい風も吹きました。

干し柿ができる季節になりました。

残念ながら、ひめちゃんちの市田柿はほとんど実を付けませんでした

こんなことは初めてです。

甘柿の方は、いつものようにたわわに実をつけてくれました

 

獅子丸とタバサねーちゃんには、共通の性格があります。

まず、基本的にとてもフレンドリーです。

次に、ぬいぐるみを大事にします。

 

獅子丸は、今朝もぬいぐるみを持ってお散歩に行こうとしました

彼のお部屋(サークル)には、五体満足なぬいぐるみが健在です。

ハウス(小屋)は、かじっても、ぬいぐるみは傷つけていません

 

タバサねーちゃんは、このクマさんと何年暮らしているのかな?

くわえてウエルカムダンスをしますけど、振り回したりしません

 

これと同じクマさんは、ひめちゃんにもあげたはずです。

でも、ひめちゃんにとっては、獲物なのでしょう。

ひめちゃんのクマさんは、何度もくわえて振り回されて解体新書されて、まもなく昇天してしまいました

 

タバサねーちゃんも10歳過ぎましたけど、やんちゃな弟と元気にお散歩しています

 

 

 

旧佐波郡境町は、実家の隣町です。

昔、実家の親たちはよく境町まで買い物に出かけていました。

実家に行ったり深谷に行ったり、国道17号線の上り下りに、通過しても、立ち寄ることは有りませんでした。

地図を眺めていて、史跡や神社仏閣がいっぱいあることに気づきました。

ちょっと、境町の史跡を探訪してみましょう

 

国道17号線を、「島村渡船入り口」の表示のある、境交番前で降ります。

境交番、ちょっと抵抗があります。

合併前は、堺警察署だったのです

 

まず、旧例幣使街道・織間本陣跡を確認です。

大きなスーパーマーケット駐車場の一角にあります。

何もないということですけど、まあ何もありません

時鳥我身ばかりに降雨か 一茶  一七九一年三月 織間本陣にて

ですって

一茶って、あの小林一茶ですか

ここに来たのですか

 

説明板があります。

本陣は例幣使街道を上下する諸大名をはじめ、特に毎年四月京都より下向する例幣使や公卿問跡衆の休憩を主とした。

寛政三年(1791)四月十二日、小林一茶は江戸から信州に行く途中、織間本陣の家主である俳人専車を訪ねたが不在で会うことができなかったので ー時鳥 我身ばかりに 降る雨かー の句を残して立ち去ったことが残して立ち去った事が一茶の帰郷日記に書きとめられている。

 

一茶が立ち寄ったのは、碑の方は3月ですけど、説明板の方は4月12日です

時鳥(ほととぎす)は、夏を告げる鳥といわれていますね

もし織間本陣家主の俳人専車がいたら、俳人小林一茶のその後の人生が違ったかも知れませんね

 

ウィキペディアによると、

「この旅は、一茶にとって14年ぶりの帰郷であったと考えられる」とあります。

一茶の14年ぶりの帰郷は寛政3年3月26日(1791年4月28日)に、江戸を出発した。下総で一茶は同門の葛飾派の知己を廻り、餞別を集めて旅費の工面を図った。~(中略)~4月8日江戸に戻り、2日後、故郷へ向けて改めて江戸を出立した。一茶は基本的に中仙道を進み、碓氷峠を越え、軽井沢付近では前述のようにかつて見た光景と一変した浅間山周辺の荒涼とした光景を描写している。

 

基本的に中仙道でも、境宿に立ち寄っています。

ということは、深谷か本庄で北に向かい、利根川を渡ったことになります

もしかしたら、「島村の渡し」を渡ったかな?

 

 

 

 

 

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