黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

里見系図の事付けたり落城の事・その5

2024-08-11 17:04:26 | 桐生老談記の世界

ひめちゃんは、赤柴の超老犬・プーちゃんの前を通って、沼下のヒマワリ畑を通って、岩神沼に到着です。

沼には、大きなアオサギさんがいました

彼は、まもなく弾丸のように横に飛び去っていきました。

 

2021年8月、ひめちゃんと獅子丸の岩神沼の写真を探しました

カモの姿があります。

残念ながら、アオサギとの遭遇はなかったみたいです。

今朝も、アオサギが飛び去った後、小ぶりのカモ(?)が数名出現しました

 

 

 

里見系図の事付けたり落城の事・その5

去る程に山越は里見の臣、懐かしむ者日頃の素懐を達しつつ、甚だ喜び限りなし。

御前へ参上仕り、合戦の物語、委細を言上仕れば、親綱聞こし召し、入道その心底ならば、和睦の筋もあるものをよしなき兵乱に及び諸人の夥しく、また水沼清水が討ち死にも不憫なり、

扨て(さて) 大貫一族は大剛のものなれば、源左衛門をも首をはね、一族ともに獄門にかけべし、不憫なれども入道をも生害申しつくべし」との御定なり。

人々罷りたち、源左衛門は荒戸村鷺沼の岸にて首をはね、親子兄弟の首、桐生峠にて獄門にかけられけり。

其の日の酉の刻ばかり、清水喜太郎を御使者、森下森下作弥御見使にて、入道に生害を仰せつけらる。

即ち首は石原申し請け、御老養を問い給う。

実に入道、仁田山の城にて自害してこそ、武士の本意たるべきと、谷山に逃げ下り、詰腹に及ぶ事、世上の口に懸かり、恥ずかしき事どもなる如し。

石原兄弟は桐生家人となり、養命の出城在城せしめおのが栄花撰びしはにくまぬものこそなかりけり。

 


あらすじでまとめます

総大将の山越は勝利を喜んで、桐生親綱の御前に参上し合戦の様子を報告します。
親綱は「和睦の道もあったのに戦を死戦死者が出たのは残念だ大貫一族は大剛のものなので、生け捕った源左衛門は首をはね、一族みんな獄門に懸けよ。里見入道には自害を申しつけよ」と指示します。
家臣たちは指示に従い、源左衛門は荒戸村鷺沼の岸で首をはね、親子兄弟の首は桐生峠にて獄門にかられました
その日の夕方(酉の刻)に、清水喜太郎を御使者、森下作弥を御見使として、里見入道に自害が申し付けられました
首は石原兄弟がもらい受けて供養ということに
入道は仁田山の城にて自害してこそ、武士の本意たるべきであったのに、谷山に逃げ下り、詰腹に及ぶ事は世間でいわれても恥ずかしきことでありました
石原兄弟は桐生家の直臣になり、養命の出城をまかされました。



「山越は里見の臣、懐かしむ者日頃の素懐を達しつつ」の部分は、よく分かりません
山越は親綱に、佐野から付いてきたのでした
里見家の家臣ではありませんね

親綱の「和睦の筋もあるものを」という発言も、唐突な感じを受けます
だったら、戦いにしないで呼びつけて問い詰めればいいのに

「大貫一族は大剛のものなれば」とは、確かに大貫一族は大軍にもひるまずに雄々しく戦いました
でも、源左衛門ていたっけ
生け捕られたのは、孫左衛門のはずです
書き写す時のミスか、はたまた最初からのミスか


処刑場の荒戸村鷺沼は詳しくはわかりません
けれど、荒戸村は後に桐生新町つまり現在の桐生の本町通りですね

「実に入道、仁田山の城にて自害してこそ、武士の本意たるべきと、谷山に逃げ下り、詰腹に及ぶ事、世上の口に懸かり、恥ずかしき事どもなる如し。」は、作者の強い主張です。

そもそも里見入道は親綱に諫言を繰り返すほどの人物だから、もっと太っ腹にお利口に行動ができたはずです
里見入道のキャラクターが、ちょっというかかなり弱すぎです

石原兄弟はご褒美に、養命の砦(出城)をまかされたのです。
養命の砦は、川内町3丁目の瑠璃光山永明寺(るりこうざんようめいじ)だということです。

渡良瀬川ぞいの小高い要害の地です


 

初稿  2019.06.15 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2024.08.11

 

(つづく)

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