黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

桐生城主の事、並びに家中騒動の事・その3

2024-07-17 19:44:57 | 桐生老談記の世界

数日ぶりに雨がやみました

今日は、ひめちゃんもお外のサークルで過ごしました。

夕方のお散歩の後は、玄関にまっしぐら

夜は室内犬です。

お外のサークルに返そうとすると、「アタチはさまってまふ」をしそうで、やむを得ず許可します

 

2020年の7月、七海ママは16歳になっていたはずです。

でも、恋の季節が来ていたのです。

小次郎パパが、ラブコールをしています

 

ひめちゃんも、だいたいママと同じ頃に、恋の季節が来てました。

獅子丸とのお散歩は、危険な日もありました。

 

タバサねーちゃんと、東の牧場にも行ってました

東の牧場には、ヤギさん家族がいました

 

ヤギさん家族、かわいいかったね

 

 

 

「桐生城主の事、並びに家中騒動の事」、本日の検討部分です

根津、八木などは新田由良に随新す。其の外、心ある人々は当家を疎み、しりぞきしもの多いし。是、滅亡の後に思いしられけり。
年月を送る程、御家御勤仕の人も少なくなり、これに依り頃は元亀元年春、浪人を召し抱えらるべきよし、津布子、山越承まわり、伝を求めて尋ねけるに、去る永禄三年に駿州の太守、今川義元、信長の為に亡び、同十二年の春、義龝没落に依りて、両家の浪人在々所々に徘徊いたしけるを、津布子、山越が取りなしを以て、其の系図人柄の御吟味なく、数十人召し抱えられ、御譜代同前に召し上げ、高知行をあたえ、ご近所に召し抱えるこそ、他のあざけりと恥ずかしき計りなり。誠にひっぷの集りなれば、己の分限を知らず大者を面にあらわし、古参をそしり、他をにくみ、去るに依りて新、古の心、別心になり、良々もすれば座敷論をばお越し、慎まずに事をふへてらし、朋友をあなどり、ざん言勢しむるに依りて、毎日喧嘩口論は止む事なし。或いは分国公事沙汰、出入り軽重にかまわず、以て諸人の野心止む時なし。家に上一人の誤りは、下万民のわずらいなりと人の口に懸かり給う、あさましきことなり。

 


根津、八木などは新田由良に随新す。其の外、心ある人々は当家を疎み、しりぞきしもの多いし。是、滅亡の後に思いしられけり。

根津・八木などは、新田の由良にの元に付きしたがった。
人々(家臣)が離れていっているのです
そのほかも、多くの人々が桐生家を嫌って去って行った
そのことは、桐生家が滅亡してから思い知ったのであった



年月を送る程、御家御勤仕の人も少なくなり、これに依り頃は元亀元年春、浪人を召し抱えらるべきよし、津布子、山越承まわり、伝を求めて尋ねけるに、

家臣がたくさん去って行くと、家中が人手不足になって、桐生家の殿様は、元亀元年(1570)に浪人を召し抱える方針を津布子、山越に伝え、彼らが仕官希望者を探します

 

去る永禄三年に駿州の太守、今川義元、信長の為に亡び、同十二年の春、義龝没落に依りて、両家の浪人在々所々に徘徊いたしけるを、

永禄3年(1560)に織田信長の為に滅ぼされた今川義元の旧臣たち、永禄12年に義龝(よしあき)没落によって浪人した人々が、あちこちに徘徊していたのを、


今川義元は駿河の今川義元です。
義龝(よしあき)とは、室町幕府15代将軍足利義昭でしょうか
ちょっと、遠いかも



津布子、山越が取りなしを以て、其の系図人柄の御吟味なく、数十人召し抱えられ、御譜代同前に召し上げ、高知行をあたえ、ご近所に召し抱えるこそ、他のあざけりと恥ずかしき計りなり。

津布子、山越が仲介して、系図や人柄の吟味をしないで数十人も召し抱え、譜代同様に高知行を与えたのは、ほかからも嘲りを受けるような恥ずかしいことだった。

 


誠にひっぷの集りなれば、己の分限を知らず大者を面にあらわし、古参をそしり、他をにくみ、去るに依りて新、古の心、別心になり、良々もすれば座敷論をばお越し、慎まずに事をふへてらし、朋友をあなどり、ざん言勢しむるに依りて、毎日喧嘩口論は止む事なし。或いは分国公事沙汰、出入り軽重にかまわず、以て諸人の野心止む時なし。

人柄に問題のある人々が多かったので、家中の人間関係はめちゃくちゃになり、喧嘩口論は毎日の事になってしまった。
「或いは分国公事沙汰、出入り軽重にかまわず、以て諸人の野心止む時なし。」の部分は、ちょっとわかりずらいです
裁判沙汰になったり、みんな身勝手になったということかな?



家に上一人の誤りは、下万民のわずらいなりと人の口に懸かり給う、あさましきことなり。

「家中の上に立つ殿様一人の誤りは、その下にいる万人に煩いをもたらす」と人がいうのは、嘆かわしいことである。

 

 

『牢人たちの戦国時代』(渡邊大門 平凡社新書 2014)によれば、

戦国時代は文字どおり戦乱の吹き荒れた時代であり、主を失った武士が大量に排出した時代だといえる。~(中略)~牢人は必ずしも歓迎された存在ではない。村や町でも敬遠された。現在とは異なり、見知らぬ者が新たに村や町に住み着こうことは不気味がられた。村落や町では自治が行われる所もあり、すでに共同体が成立していた。見知らぬ牢人の存在は、強く警戒されたはずである。

 

牢人は歓迎される存在ではなかったのです。

素性のわからない牢人を大量に召し抱えるなんていうことはあり得なかったのです

実際問題として、あり得なかった事でしょう。

江戸時代になっての、ロマンかな?

作者(ナレーター)が、時々顔を出しています
まだちょっと不慣れなようです

 

 

初出  「FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」  2019.04.20

改稿  2024.07.17

 

( 桐生城主の事、並びに家中騒動の事 終 )

 

 

 

 

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