黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

由良長尾会合の事付けたり水論注進の事・その1 (元亀3年6月16日)

2024-08-22 22:32:56 | 桐生老談記の世界

強い日差しはありませんでしたけど、暑い暑い一日でした。

こんな日は、雪の日のひめちゃんに登場してもらいましょう。

2022年の2月18日、ひめの10歳のお誕生日は大雪でした。

 

 

 

 

大雪の中を、タバサねーちゃんと元気にお散歩しました

 

 

 

 

由良長尾会合の事付けたり水論注進の事・その1 (元亀3年6月16日)

前章の最後でいきなり武田信玄が出てきました。
まったく信玄関係なく、次の章が始まります

去る程に、其の頃、足利、館林両城は長尾但馬守平秋長領地なり。然るに男子なくして、由良家より養子をもらい請け、長尾新五郎平則長と改め、足利に据え置き、後に下野守と受領す。扨(さて)但馬守、館林に在城なり。元亀三年(壬申、1572)六月十六日、甚暑の振舞いとして則長公、新田へ御入りなられ、御揃いなるさ最中の折、藤生紀伊守、高橋丹波参仕し、関の水論の初中後を訴えければ、上下人々驚きにけり。



あらすじです。

そのころ、足利城・館林城は、長尾但馬守秋長の領地でした。
ところが彼には跡継ぎとなるべき男子がいませんでした
そこで由良家から養子を迎え、長尾新五郎則長と名を改め、足利に在城させ後に下野守を名乗らせます
そして但馬守自身は、館林城にいました。
元亀三年(壬申、1572)六月十六日、甚暑の振舞い(暑気払い?)のために、新田(金山城)へお入りになった
みんながそろっているところに、藤生紀伊守、高橋丹波が参上して、関の水論のいきさつを語ると、身分の上下にかかわらず驚いたという事であった



前章では、藤生紀伊守・高橋丹波守が派遣されたのは、元亀2年です



足利城とは、観農城のことですね。
2018年の9月に行って来ました
足利長尾氏の居城・観農城は、渡良瀬川沿いにありました
県道67号線でひたすら東に行き、福寿大橋を渡ります


山腹には観農城跡のポールと説明板があり、なんと赤城神社がありました

 

 

 

初稿  2019.07.08 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2024.08.22

 

(つづく)

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