さくら・ことのは~川柳の部屋

言の葉はこだまことだまものおもひ…五七五の部屋へようこそ。

エッセイ「母の着物と、生まれ変わった振袖」

2022-09-29 | エッセイ
すずか川柳会でお世話になっております、
会長たかこさんの「たかこの世界」11号に
またエッセイで参加させていただきました。
10号に続き2回目の参加です。


「母の着物と、生まれ変わった振袖」 

 何につけ捨てられぬ性質である私の、捨てられぬもののひとつが、
若かりし頃の母が着ていた着物。
そして、私のためにと作ってくれた着物たち。

 私が幼い頃には、普段にもよく着物を着ていた母。
着物姿の母に、父がひとめぼれしたとかなんとかいう話もある。
 私の幼い頃の記憶でも、着物を着た母はきれいだった。
 ほっそりした体型がふっくらになり、
四十を過ぎてから出産した、年の離れた私の弟の子育てもあったりで、
それ以降ほとんど着なくなってしまったのだが。     
 私も、着る機会は少なかったが、着物は好きだった。
いつも母に着心地よく着せてもらっていた。
なんとか自分で着られるようになって、長くたいせつに着ていきたいと思っている。

 母の残した着物は、どれもきちんとたたまれ保管されていたが、
みんな古いもので、中にはとれない染みのついたものもある。
 けれど、古い着物こそ貴重なのだと、教えてくださる人がいて知った。
 昭和五十年代以降の絹は、昔の絹とは違うらしい。                       
 それ以前は桑の葉を食べさせて育てたお蚕さんだが、
今は人工飼料で育てるそうで、以前のような強い絹ではないものだから、
化学繊維を混ぜないと、たやすく切れてしまうのだとか。
 それでも、「正絹」の表示が許されるらしいのだ。
長く着物に親しみ、たしなみ深い、敬愛するおかみさんは、

「むかしの着物は、もう作れないものだから、絶対に捨ててはだめよ。
 たいせつにね」

と言われた。

 着物は、着る人さえいれば、何代でも着られるものだそうで、
手直ししてまた着物として着ることはもちろん、
どうしても着られなくなった着物や羽織、帯は
他のものに仕立て直して身につけたり、
いろいろな雑貨にリメイクしたりして、いつまでも生かしていく
という姿勢を教えられた。

 ところで、私には、父母が買ってくれた、愛着ある振袖があった。
成人式、お正月、謝恩会、友人の結婚式、
そして沖縄・宮古島の従兄の地元での結婚式では、
新郎である従兄の自宅で三々九度の盃のお酒を酌む巫女役?
を仰せつかったとき…              
 何度も着せてもらい、若かった私の晴れの日を彩ってくれた、
思い出ぶかい絞りの振袖。
 袖の下部にきれいな刺繍があり、それを切ってしまうのが惜しい気がして、
また、誰かあとに着てくれる人がいるかも知れないとの思いから、
ずっと袖を切る決心がつかなかった。               

 が、このたびついに一大決心。
 娘も孫娘も、どうやら姪っ子も授からないめぐり合わせとなったらしい私。
 それならば、もういちど自分で着られないだろうか。  
袖を惜しんで振袖のまま置いていても、箪笥で眠らせておくしかない。
だったら、自分が着られるかたちにしてもらえたら。
そんな思いから、その袖を切り、今とこれからの自分が着られるよう、
お直ししてもらった。
 切った袖からは、可愛い手提げがふたつできた。
同じく切った長襦袢の袖部分は、余すところなく裏地に使われている。

 姿を変えて、生まれ変わった振袖を、これからも着物として着たり、
手提げの袋として使えるしあわせ。

「おかあさんが残してくれた着物、これからもたいせつに着てあげてね。
 きっと喜んでくださっているわよ」

 おかみさんや着物の先生がた、お仲間のみなさんから、
いつもいただくうれしい言葉。
                         
 まわりにモノが多く、それをえいやと捨てることができない、
断捨離にはほど遠い自分を反省してはいる。
いつかは、これらを手離すときが来るのだと覚悟もしている。                       
 けれども、もうしばらく、もうしばらくの間、
父母が私にのこしてくれたものや、まだ捨てられぬ愛着あるものたちとの暮らしを楽しんで、
生きていたいと思う。


 母辿るように和服に袖通す さくら        




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« たかこの世界 11 | トップ | 川柳マガジン 2022年10月号... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

エッセイ」カテゴリの最新記事