さくら・ことのは~川柳の部屋

言の葉はこだまことだまものおもひ…五七五の部屋へようこそ。

多読、多詠の誓い(?)と同想句

2015-12-27 | つれづれに
これまで定期的に読んでいる川柳誌は
豊橋番傘だけだった。

川柳をつくりはじめて10年ほどと言いながら、
はずかしいことに、
唯一の川柳専門雑誌である「川柳マガジン」を
目にし、手にしたのはつい最近のこと。

ひらくとそこには、
日本全国の、川柳を愛好する方々の
たくさんの句が。
読んでいて、とても楽しい。
解説や合評、意見の場など、
読み物もたくさんあり、勉強にもなる。

たくさんの句にふれて、楽しんでいるうちに、
あっと思い、ドキッとした場面があった。

自分がつくって、投句しようとしたものと
そっくりな句があったから。

川柳は五七五の十七音でつくる短詩型の表現。
そして、人間であれば、
誰しもおなじような経験や思いをすることがあり、
だからこそ共感もできる、ともいえる。
それだけに、同想の句ができても不思議はないし、
表現が斬新ならば、それもありなのだろうと思う。

けれど、ほとんど同じと思われる句ならば、
目にしてしまった以上、もう出せない。

そこで、
これまでの自分をふりかえって心配になったのが、
多くのかたが知っておられるような、
目にしたことのあるような句とそっくりなものを
自分がどこかに投句してしまったことはないだろうか
ということだった。

豊橋番傘に毎月投句する以外の大会、誌上大会には、
全部思い出せるほど、
数えるほどしか投句したことがないので、
まず大丈夫かとは思うが、
川柳誌をこれまでほとんど読んでこなかった自分は
無知ゆえの失敗をおかしているかも知れない。

これからは、
できるだけたくさんの人の作品を読むようにしよう。

そして、遅いペースではある自分だが、
できるだけたくさんの句を考えてつくろう。

そう感じたできごとだった。

ちなみに、目にしたのはこんな句だった。


  可愛いね誉められたのは犬でした


突然の難病で失明されたという、
丸山 あずささんというかたの句で、
パートナーである盲導犬・ニコを詠んだものだそうだ。

ショッキングな体験をされて、立ち直られたかたの句だと思うと
なおほほえましく、明るくほがらかなお人柄を感じる。


わたしがあやうく投句しそうになったのは、

  可愛いねなあんだいぬのことですか



わがやにこいぬを迎え、
いぬと一緒のお散歩にもまだ慣れない頃。
わたしも今よりずっと若かった??

ちょっといい感じの若い男性が、
わたしの顔をみてニコニコとしながら

 「かわいいですね!」

 「えっ!?えっ?」

一瞬のあとで、いぬのことだとわかったが、
一瞬でもどぎまぎした自分がはずかしい。

つくったのはその頃のことになるが、
最近になってどこかに出そうとしていた句だった。
出してしまう前でよかったと、
冷や汗をかく思い。

でも、そのことを別にすれば、
盲導犬と、ペットである飼い犬で、
状況はちがうのだけれど、
おなじようなことを経験し、おなじような思いで
それを句にしたかたに親しみを感じて、うれしくなる。
思わずくすっとさせられる。

川柳はたのしい。



   
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年賀状と訃報

2015-12-26 | つれづれに

毎年毎年、わかっていることなのに
この時期になっていつもあわてて書いている、年賀状。
ひどい時は、大晦日になってもまだ書いている。
書けたぶんから家族に頼んでピストン投函したり。

毎年送る年賀状のなかには、
何年も会っていない、
もしかしたらもう一生会わないかも知れない人あての
ものもある。

年賀状をやめてしまえば、
つながりがなくなってしまいそうな人もいる。
だからこそ送るべきなのかな、と思う。
ふだん顔を合わせる人以上に。

昨年は父の喪中で年賀状は書かなかったが、
いつものようにあわてて書く年賀状が必要ないのも、
それはそれでさびしいものだった。

こちらから送ることもなく、
届く年賀状もごくわずか。

喪中はがきが数多く届く年は、
親しい友人・知人たちにとって身近な方たちとの
お別れが多かった年。
避けられないこととはいえ、こころが痛む。

今年の喪中はがきの中に、
遠方に住む、学生時代の親しい友人のご主人からのものがあった。
この12月に亡くなったのは、
もう何年も会っていない、その友人だった。

毎年の年賀状だけが、ここ何年もの彼女とのつながりだった。

病気だったとも何とも聞いていないので、
事情がまったくわからない。
共通の友人たちにたずねてみたが、誰も知らないという。
ご主人は、12月に入ったこの時期のことでもあり
遠方であることもあり、
葬儀のタイミングでの連絡を遠慮なさったのかも知れない。

2年前の、母の入院時にも、
わたしは学生時代の親しい友人をひとり亡くしている。
それも、彼女にはもっともふさわしくないと思える、
いまも信じたくない、自殺というかたちで。

その彼女とは、何人かの友人たちとともに
年に1、2回は会っていたのだが、
彼女が来られなかったある時の理由が

 「今はみんなに会いに行く余裕が、とてもないので」

という内容だったので、
気になりながら過ごしていたところだった。

術後のトラブルで入院の長びいた母の回復にも
光が見えはじめてほっとした、
その年の夏が終わろうとする頃。
そんな時に届いた、突然の訃報だった。

覚悟しながら日々を過ごすお別れもあれば、
予期もせぬ突然のお別れもある。

いつどんなかたちでその時が訪れるのかは、
誰にもわからない。

これがさいごになってもいいように、という思いを
いつもこころのどこかにとどめておかなければ。

あえない日々が続くのもしかたのないことがあるが、
だからこそあえる時には感謝して、
悔いのない会いかたを、別れかたをしたい。

笑顔でありがとうの気持ちを伝えたい。



  不精さを悔いる疎遠の友が逝く

  だしぬけの訃報が時を凍らせる

  友が逝くいつもとおなじはずの朝






   
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第九

2015-12-24 | つれづれに

年の暮れが近づくと、
あちこちで第九の演奏会がひらかれる。

この時期に第九の演奏会が目につくのは
日本だけで、ほかの国ではみられない傾向らしい。

合唱をはじめたきっかけは、
ベートーヴェンの第九。

当時の職場の先輩に、

 「こんなのがあるのよ。歌ってみない?」

と、手渡された1枚のチラシ。

阪神淡路大震災復興のための第九を歌おうという
合唱団員募集のチラシだった。

原語であるドイツ語で、
プロの指揮者のもと、
これまたプロのソリストさんやオーケストラの方々と
アマチュア合唱団が共演する第九。

きちんと指導を受けて、
一度くらいこんな経験をするのもよいなと
直感的に思い、合唱団員となった。

それから何度第九を歌い、聴いたことだろう。

合唱の世界に足をふみいれてから、
18年ほどになる。
こんなに長く続けることになるとは、
そのときは夢にも思わなかった。

合唱をきっかけに、たくさんの音楽に触れ、
声楽を始めてドイツリートや日本歌曲、ミュージカルなどを
ソロやデュエットでも歌うようになった。

ちっともじょうずにならないながらも、
自分なりの歩みで歌いつづけている。

あのときの第九が、はじまりだった。
わたしの生きる世界を広げてくれた。

第九は、大きなパワーを秘めた曲。
歌うにも聴くにも、それなりのエネルギーを必要とする。

その反面、
元気がない時に歌うことで、聴くことで、励まされることもある。

どんな音楽も一期一会で、第九に限らないのかも知れないが、
何度歌ってもむずかしい。
何度聴いても新鮮。

不思議な曲だ。

天使のソプラノは、永遠にめざしつづけるはるかな高み。



  エネルギー第九にもらう十二月

  
  つもりだけ天使ソプラノパートです




               


   
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父のセーター

2015-12-23 | つれづれに

昨年8月に亡くなった父が愛用していたセーター。
その中で、わたしがもらって着ているものがある。

赤のVネック、
明るい緑のVネック、
紺のタートル。
どれもきれいな色だ。

父は、背丈は165cmほどだったが、
筋肉質で、広い背中をしていた。
そんな父のセーターは、
小柄なわたしにはゆったりと着られる。

メンズのセーターを女性がたっぷりと着るのも、
それはそれでいいものだと自己満足しながら
組み合わせを楽しんで着ている。

 「おとうさんには、いいものを身につけてもらいたいの」

 「また、何を着てもさまになる人なのよねえ」

常々そう話していた母。

…仲良きことはうつくしきかな。

そんな母が、
きっと奮発して買ったであろうセーターなので、
品質もよく、かるくてあたたかい。

生きて元気でいてくれたころの父が
身につけていたセーターを着ると、
父のあたたかさに包まれているような気がする。


   愛用のセーターぬくい形見わけ




   
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「川柳 とよばん」

2015-12-22 | 合同句集

  3年前のことになりますが、
  2012年(平成24年)に発行された、
  合同句集「川柳 とよばん」に
  載せていただいた 自選15句です。

  それまでに豊橋番傘へ投句したものを中心に、
  自分のすきな句を選びました。


   いてくれるそれだけでいいひとがいる

   寄り添えばきれいにハモるまるい音

   箸ならび今あるもので満ちたりる

   ひとりよりさびしいこともあるふたり

   生きてます時には嘘に救われて


   靴ひもを結びなおした九合目

   野の花は我流に咲いて調和する

   吠えられて吠え返さずにいるつよさ

   月の裏だれにもみせぬ顔がある

   手のひらでやんわり返す風の向き


   日々あらたこころの花を生けなおす

   すこしだけ遊びもあって折れぬ芯

   再生紙つぎは優しい絵を描こう

   いつの日かあなたとわたしおなじ土

   定型に生きて破調の夢をみる




   
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豊橋番傘 平成27年12月号 掲載句

2015-12-08 | 豊橋番傘

  <好句往来>(10月号から・丸山 進 選)

    もう上手く喜劇にできる嫉妬心


  <近詠>

    だれもその苦労を知らぬやじろべえ
    

    あの日からまだ終わらないかくれんぼ 

   
    イエスノー胸の振り子が止まらない


    遠吠えに返事があってほっとする



  <課題句>


   「謎」 (尾崎 千津子 選)


    まだ解けぬあのひとことにこもる意味


    孫の出すなぞなぞ今日も苦戦する 

          

   「チャンス」 (藤原 緑郎 選)


    あのときがチャンスだったとあとで知る         


   「しぶしぶ」 (鈴木 順子 選)


    同意書にサインするしかない背中


  <各・地・句・報> (森口 美羽 抄)

    アルコール今日いちにちの毒を消す


    

   
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