前にも記したかもしれないが、爺の子供時代は暖房をとるのも煮炊きするにもすべて山でこれらの物はすべて調達していた。 つまり幹は薪炭として、小枝は柴として燃料にしたのである。そういう中で育ってきた者にとってアップしたような「ほったらかし」の光景を見ると、勿体ないなぁとつくづく想うのである。朽ちていく様、、、、。
燃料革命が起きて以来、こうした木々は全く利用されなくなリその価値は今やゼロに近い。運び出しての労力を考えたらマイナスになるという。ウッドショックの波は、こうした雑木にはおよんでこない。パルプの原料になるというのに、、、、。