園芸種の多様なつつじ、品種によって開花期が多少のずれがあるが彩り鮮やかに咲き始めた。各地にあるツツジ園の賑わいを報じられるようになった。我が家の生垣も今年も花付きが良く綺麗に咲いてくれた。
それに比べてサツキの方は、イマイチである。特に残念なのは一番の古木、天頂の方が元気がなく新芽の芽吹きに勢いがない。何が原因かわかればいいのだが、老木故回復力も弱いようだ。寿命かな?
園芸種の多様なつつじ、品種によって開花期が多少のずれがあるが彩り鮮やかに咲き始めた。各地にあるツツジ園の賑わいを報じられるようになった。我が家の生垣も今年も花付きが良く綺麗に咲いてくれた。
それに比べてサツキの方は、イマイチである。特に残念なのは一番の古木、天頂の方が元気がなく新芽の芽吹きに勢いがない。何が原因かわかればいいのだが、老木故回復力も弱いようだ。寿命かな?
このところ、毎日のように昼ごろになると強風となる。そのためせっかく開いた牡丹も風にもまれ無残な姿になってしまう。
そうした中で朝の穏やかな時に開いたばかりの姿は、花の王者にふさわしくゴージャスである。しかし、この風格も三日と持たないのがおしい。せめて今日一日で穏やかでありますように、、、。
我が家の花の王様、ボタン開花した。百花王といわれるように大きく「牡丹の花ここにあり」と言っているようだ。白花も咲き始めたので明日にはアップできそうだ。
ところで、地方選も終わりすっかり静かになった街だが、選良の民しっかり働いて欲しいものである。それにしても投票率の低さ気になる。何かいい方法はないものか。今の様に政治の劣化につながる。
五日前にアップした藤、あっという間に満開となる。早くも上部の方から萎れてきた。花の命は、、というが普段剪定や落ち葉掃きと手間暇かかる割には愛でる期間の短い木である。それでも我が家の古木、これから繁茂する弦など剪定をまめにして面倒見ていこう。それもまた愉しみでもある。
昨日は、語る会、戦中戦後の物不足について語り合った。当時についての話題から、親たちの苦労はいかばかりかと偲ばれた。次回のサロンは、戦争への協力について語り合うこととする。
園芸品種の様に色彩等の華やかさはないが、この山ツツジも好きな花の一つである。新緑の野山で木漏れ日を浴びながらひっそり咲いているのも趣がある。
田舎から移植したこの木も株たちとなり、今年もたくさんの花をつけてくれた。苗代作業をすり頃咲くので、苗代ツツジとも言っていた。今では苗代で育苗することもないが、水を張った苗代に籾を蒔く父の姿が懐かしい。
注 苗代ツツジはどうやらこの頃咲くツツジの総称か?
休眠していた多年草のガーベラ、葉も満足に繁らせないのに早くも花茎をのばし、小ぶりだが咲き始めた。充分に咲き切れないがアップしてみた。次々と咲いてくれるのが嬉しい。
大きくなった株もあるので、時期を見て株分けして殖やそう。因みに花言葉は花の色によって違うそうだ。赤は燃える神秘の愛・常に前進・チャレンジ等という。さてさて、今日は何に挑戦しようか。定期便の様に来ているチビ孫に振り回される一日になりそうだ。
山野草の一つ北米の高地に生えているオダマキ咲きだした。わずか2cmほどの小さな可憐な花である。こぼれ種であちこちに生えてくれるのが嬉しい。
ところで、語る会の資料収集で図書館に行くのだが、懐かしい国定教科書の復刻版を見ていると、ウタノオホンにこんな詩を見つけた。
日本よい国 きよい国 世界に一つの神の国
日本よい国 強い国 世界にかがやくえらい国
2年生で元気に歌ったのを想い出した。わずか70年前の教科書である。どこかの誰かが喜びそうな歌である。
♪ 鮮やかな緑よ 明るい緑よ
鳥居を包み 藁屋を隠し
香る 香る 若葉が香る
これは文部省唱歌で習った歌である。この歌のように我が家の狭い庭も雑然と植栽した木々が、あっという間に芽吹き鮮やかな緑よとなった。お隣の借景も得て、若葉の香りを暫し愉しむ朝である。
メールを開けると、いつもお世話になっている私のパソコンの先生Tさんから、「ビデオコンサートのお勧め」という嬉しいお知らせを頂いた。わが老人会の行事に願ってもない企画である。 有難いことにスクリーンやプロジェクターなどは用意してくれるという。早速役員会に諮り、実現したい。
実は先日レコード鑑賞をして、集いでも企画しようかと思ったのだが、ステレオを運ぶのは重いし迷っていたのである。
古木の藤、今年も頑張って咲いてくれました。
旬のもの食べると寿命が75日延びるという。昨日送られてきた新鮮な筍、早速食卓に載り感謝をこめて頂く。いつもありがとう。
さて今日は、語る会の第4回の編集会議だが、なにしろ当方素人集団なので試行錯誤しながら進めている。頭で考えているようにはスムースにいかないのはやむを得ない。。これも勉強である。
続々と玉稿を届けて頂いているのが有難い。