差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

立ち直ったモチノキ

2023年08月31日 | うんちく・小ネタ

 数年前、モチノキがすす病に侵され葉も小枝の幹も黒い煤のようなものに覆われ見苦しくなってきたので思い切って坊主のように剪定した。その後元気に新芽が萌えてきて左の画像のように綺麗な緑葉に覆われてきたのである。今朝、涼しい内にと樹形がくずれないように刈り込んでみた。背丈も爺が出来る範囲と切り詰めたのである。(右の画像

 ところで、この地に移り住んで間もなくこのモチノキは、街内のNさんからプレゼントされたものである。彼は、庭木の三大樹木としてモッコク、モチノキ、モクセイがあると教えてくれ勧めてくれた木である。Nさんはこの6月に旅立たれたが、剪定しながら40数年前の昔を想い出した。

 N先輩は、今何処を旅しているだろういか、、、、。

 


桃栗三年とは言うけれど、、、

2023年08月30日 | うんちく・小ネタ

 趣味の園芸と言うことでいろいろな植物と関わってきたが、「もう少し若いときからやっていれば、、」とか「早くその愉しみ知っていれば、、、」との想いが多々ある。己の齢を感じてのことだが、この頃とみにそう思うのである。

 ところで、「桃栗三年柿八年、梨の馬鹿野郎十六年」などと子供の頃そう言っていた。アップしたのは、昨年美味しかったプラムの種を蒔いてすくすくと成長している様である。30㎝ほどになっただろうか。諺どおりなら2年後には花が咲き実を付けると言うことだが、果たしてどうなることやら、、、まあ、愉しみに待つこととしよう。

 間もなく人生百年時代の到来と言われている今日、あまり齢を意識せずその時そのときの今を愉しんで歩もうか

 


しんがりに咲くギボウシ

2023年08月29日 | うんちく・小ネタ

 暑い暑い八月も残すところあと二日となる。地植えのギボウシ達は花も終わり葉も見窄らしい姿となってしまったが、花も小振りのこの株だけは、ようやく開き始めてきたのでアップしてみた。淡い紫地に白の縦縞模様は、如何にも涼しげな雰囲気を演出しているように見える。

 早朝散歩では、涼しさを感じるようになってきた。そろそろ虫の音もおおきくなることだろう。

 昨日、娘が婿殿が造った葡萄酒を持った来てくれた。早速試飲してみる。味は可も無く不可も無くと言うところだが確かに葡萄酒の香りがする。我が家の葡萄がお酒になったというころか。

【語り部】78年前に敗戦し、戦後の大きな変化とあの苦難に充ちた生活などの日々を爺史の記録として思い起こし、しばらくは記してみよう。

バラック小屋 敗戦で生活の貧しさは、衣食住のすべてに於いて困窮を極めていた。 戦災で家屋を失った人々は、一時しのぎのような粗末なバラック小屋(当時そんな表現をしていた)が延々と続いているのを街では目にしたのである。 また、田舎に疎開して来た人達は、林に粗末な掘っ立て小屋を造り住んでいたのである。故郷に帰ると今でもそうした廃屋の痕跡となって目にすることが出来る。

 今起きているロシアのウクライナへの侵略戦争の例を挙げるまでもなく戦争は、人々を死に追いやり困窮の生活へと引きずり込むのである。そのことを為政者に強く強く訴えながら爺の語り部も一旦お休みとする、、、。


頑張っているコチョウラン

2023年08月28日 | うんちく・小ネタ

 洋蘭や和蘭などいろいろ木株に着生させ愉しんでいるが、越冬したコチョウラン今期2度目の花をつけてくれたのでアップしてみた。それも花茎を2本伸ばし開花している。これまで何度、越冬管理に失敗し枯らしてしまったことかと、頑張っているコチョウランの花を愛でながら想い出しているところである。

 一足先に咲いたカトレアも頑張っている。

【語り部】78年前に敗戦し、戦後の大きな変化とあの苦難に充ちた生活などの日々を爺史の記録として思い起こし、しばらくは記してみよう。

混沌とした時代 敗戦で世の中は乱れ多くの事件も数多くあったことを記憶している。メーデー事件、松川事件、平事件、三鷹事件、国鉄総裁の不審死、、、etc.。特に松川事件(列車転覆)などは郷里福島で起きた事件と言うこともあって関心が高かった。有罪判決(死刑も含めて)を受けた被告人達は、結果的に皆無罪になった不可解な事件であった。今日でも冤罪事件はあるが、当時如何なる力が働いて起きた事件か未だに迷宮入りとなっている。三鷹事件や総裁の死も、また然りである。子供心に理解しがたいと義憤を感じたことを記憶している。

 


ブルーベリー移植と剪定

2023年08月27日 | うんちく・小ネタ

 今朝は早朝散歩の後、涼しい内にと頂いた鉢植えのブルーベリー2本のうち1本だけ日当たりのいい所に移植した。大きい木で混み合っている枝葉が気になり適切な時期ではないが、自己流で剪定してみた。果たして来年の実の付き方は如何にというところである。小振りの木の方は、また機会を見てやろう。

 ブルーベリーの栽培、初挑戦試行錯誤しながら愉しんでいこう。

【語り部】78年前に敗戦し、戦後の大きな変化とあの苦難に充ちた生活などの日々を爺史の記録として思い起こし、しばらくは記してみよう。

阿弥陀籤 子供の頃は、戦争で疲弊しあらゆるところで物資不足の時代であった。今でも想い出すのは、学校では配られた品物の絶対数が少ないので阿弥陀籤かじゃんけんで決め、先生が配ったりしたことである。それらは鉛筆、ノート、ゴム靴、ズック(運動靴のこと)などであった。ズックなどは、大きさが9文だろうが10文半だろうが関係無い。手にした子は、靴に合わせて履いていたのである。くじ運にもじゃんけんにも弱い爺などは、幾度悔しい思いしたことか。先生方も苦労したことだろうなと今想うのである。

   注 子供の頃は、靴や足袋のサイズの呼び方が文(もん)だった。


楡の取り木のその後

2023年08月26日 | うんちく・小ネタ

 楡の取り木のその後をアップして見る。

 取り木した株も、親株も元気いっぱい、今盛んに新葉を芽吹かせている。親株の方は、頭を切られてしまったので「こりゃーたまらん」という事でい新芽を萌えさせすくすくと延している。目下一枝だけであるが、出来ることならあと数芽、芽吹かせたいものである。今期は無理かも知れないが来春に期待しようと愛でるところである。

【語り部】78年前に敗戦し、戦後の大きな変化とあの苦難に充ちた生活などの日々を爺史の記録として思い起こし、しばらくは記してみよう。

勤労奉仕 小学生でも勤労奉仕させられたことがある。例えば、戦争にかり出され戦死し働き手の大黒柱を失った農家に学校ではお手伝いしたのである。今でも忘れないのは、田んぼの隅に盛ってある馬の堆肥を素手で田んぼにまき散らす作業である。先生の命令、いやいやながらの作業であったが、どの農家でも心を込めた精一杯の昼食でもてなしてくれたもので楽しみの一つであった。どの家も白米だった、、、。

 また、全校あげての蕨がりもあった。山と積んだ蕨を大きな釜で茹でて干し、カマスに詰めたりした。あれはどうしたのだろう。売ったのか寄付したのか定かでない。後に学校では、少ない予算を補うために備品購入の一部資金にあてたという噂を聞いたことがあるが、、、、、。勉強など二の次、遊びほうけていた時代の話である。


俳句と季語

2023年08月24日 | うんちく・小ネタ

 凡才にして俳句の世界も詳しく無いが、朝顔の季語は秋と言うことになると言う。暦からしてずれているようにも思えるが、季語は旧暦で決められているからと言う。

 しかし、旧暦とは関係無く我が家のこぼれ種で芽を出した朝顔たちは、秋の季語にふさわしく今から本番というか花芽をつけ始めている。涼しくなって咲く花は、夕刻まで萎えることなく咲いてくれるので愛おしい、時には翌日まで開いているのもある。そんな花を見ると秋の季語というのも納得する。我が家にしては、早咲きの一輪をアップしてみる。

 ところで好きな句の一つに「朝顔や つるべとられて もらい水」というのがある。子供の頃の井戸は、近くに柱を立て竿を天秤状にして一方につるべ、反対側に石をくくりつけてバランスを取り井戸水をくみ上げる仕組みだったということから、、、。

【語り部】78年前に敗戦し、戦後の大きな変化とあの苦難に充ちた生活などの日々を爺史の記録として思い起こし、しばらくは記してみよう。

新しい歴史学習 5年生になると国民学校から新制小学校となり、歴史学習も兄たちの習ったものとは全く違った「くにのあゆみ」という教科書が配られた。そこには天皇や神話の世界はすべてなくなっていた。貝塚や石器や土器のことが歴史勉強の始まりとなった事を覚えている。
 因みに、ほとんど記憶にはないが、調べてみると「くにのあゆみ」下巻には、昭和21年1月の詔書より引用して

 「 天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ」という天皇陛下のお言葉が載っている。(復刻版より引用)下巻は、配られた記憶が無いが、、、?
 


勿体ない!!

2023年08月24日 | うんちく・小ネタ

 今、多摩湖を囲む林ではナラ枯れ病に痛めつけられ枯死してしまった木が至るところでみられる。そうした木々は、伐採され刻まれて使われることもなく放置されている。伐採するにも周りの木々に気を配ることなく元気な樹木まで枝葉を傷つけている。こうした光景を目にするにつけノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんの言葉ではないが「勿体ない」という語が浮かんでくる。

 昔は、山の樹木は無駄にする事無く利用していた。幹は薪炭として枝葉は柴として燃料に使っていたし.枯れ木になっても薪としてつかっていた子供時代を想い出すと当に勿体ない話である。今日もあのチェンソーの音が響くだろう、、、モッタイナイ、モッタイナイモッタイナイと

【語り部】78年前に敗戦し、戦後の大きな変化とあの苦難に充ちた生活などの日々を爺史の記録として思い起こし、しばらくは記してみよう。

変わり身の早さ 鬼畜米英と教わってきた子供時代 戦後は世の中がらりと変わってしまうことに馴染むまで子供でも反発したことがあった。爺は、例えば岡晴夫の歌に ♫ 向こう通るはジープじゃないか、、と明るく歌っていたが、敵国の車を歌うなんて、、、と、

 戦後はあらゆる層が、180度転換し大きな流れとなって民主主義を唱えることとなり、戦前を否定する流れとなったが、その変わり身の早さは見事であった。その反動であろうか一時反発した少年時代もあった。今では面映ゆい想い出の一つであるが、、、


ブドウの収穫

2023年08月23日 | うんちく・小ネタ

 大粒のぶどう藤稔や安芸クィーン、収穫はとうに終った。続いてのナイアガラの収穫熟するのを待っていたが、スズメバチが連日やってくるのと、ぽろぽろ落下してしまうので昨日すべて採ってみた。剪定が旨く行ったこともあって今年も豊作と言うことか。先日は婿殿が葡萄酒に挑戦すると言うことで採って行ったが、たくさん採ってくれれば良かったか。昨日は、近所の方にも見栄えは悪いが甘いこのブドウ持って行って貰った。

 さて、このブドウの山どうしたものか、、、、。 

【語り部】78年前に敗戦し、戦後の大きな変化とあの苦難に充ちた生活などの日々を爺史の記録として思い起こし、しばらくは記してみよう。

粗末な教科書 戦後新しい教科書を手にして驚いたのは、粗末な紙に印刷された新聞紙のような大きさのものだった。それを自分たちで分割するように切ってこよりで綴じて使ったものである.そこには、天皇陛下のことを現人神とか、現御神との記述など何処にもなかった。日本は神の国と教わったり、唱歌ウタノホンで「神国」なども姿を消したことを覚えている.大昔の話ではない.僅か77年前の話である。


タカサゴユリ№2

2023年08月22日 | うんちく・小ネタ

 朝から時々の驟雨、そんな訳で早朝のルーティンワーク中止となる。雨戸を開け何気に外を見ると枝垂れ桜の枝葉の間でタカサゴユリがたくさん花をつけているのが見える。花弁を数えてみると、多くは1輪か2輪しかつけていない中で背丈より高く延びて7輪も咲かせているタカサゴユリである。一部は萎えている花もあるがアップしてみる。

 因みにこの百合は台湾原産の帰化植物である。昔台湾を高砂族が治める国と言うことで高砂国と言っていたことに由来するという。この高砂という言葉を耳にすると謡曲「高砂」を想い出し、何故か目出度い祝事を連想する。これは蛇足か、、、、。

【語り部】78年前に敗戦し、戦後の大きな変化とあの苦難に充ちた生活などの日々を爺史の記録として思い起こし、しばらくは記してみよう。

配給制度 戦中戦後の物資不足の時代は、お米、タバコ、砂糖、お酒、、etc.。何もかも配給制度が敷かれていた。子供の頃、それに纏わるたくさんのエピソードを耳にした。十分なお酒が手に入らずメチルアルコールの飲んで失明や亡くなった人の話や、こっそり代用品として「どぶろく」を造って飲んだりしていたことなどである。実家でもそれを造っていたのを記憶している。それをたくさん造り密造酒故摘発された家もあった。

 不足する砂糖の代用品として想い出すのは、戦後サッカリンやズルチンという人工甘味料の普及である。米粒の5分の1ほどのそれを手のひらに載せて舐めたりした。砂糖の何倍もの甘さを愉しんだものである。また、サツマイモを何回も蒸かしたあとの蒸し器の底にたまった水は甘い、それを飲んで甘いもの不足に対処した懐かしい想い出もある。物不足時代、今では考えられないことの数々であった。