自民党がなぜ曖昧な経済政策しか描けないのか?
社会の共通認識は政権よりの政治評論家もメディアもマンネリ化した経済政策であることは認識しているのだろう。おっ!こりゃいい、斬新だという論評は見たことも聞いたことも、読んだこともない。
長く続いた金融緩和とアドバルーンだけ高く掲げたアベノミクスで最低賃金は上がらず格差は拡大した状態から抜け出せていない。鉛のように重い状態化した負の足枷でも現状維持を礼賛する政権よりの勢力もやはり沈んでいることは認識しているのであろう。
空を見た。月が二つあるそんな馬鹿な。村上春樹のIQ84の斬新な異界表現、レオス・カラックスのボーイ・ミーツ・ガールのビノシユが月が二つ出ている!
これらに匹敵はしないが金はどんどん剃って良いとステファン教授が驚愕した理論を打ち出した。
しかし、自民党は安倍、高市のエセ右翼が飛びつきバラマキ政策と自分たちの利権循環に悪用しようとして、その斬新さを台無しにしている。
ケルトン教授はMMT理論は完全雇用を木底としていると主張する。
安倍、高市はもちろん岸田政権もその完全雇用の前に立ちふさがる本質の壁を認識していない、そして想像力が及ばない。
本質は以下だ。
世界経済フォーラム2025の予測。 事務職、工場労働者8500万人の雇用が失われる。
なぜ?デジタル社会の邁進と企業の利益追求の粋を容認する社会だからだ。
小欄は度々、厳しく巧妙なる企業のリストラの現実を指摘している。この企業の効率化を止めない限り中間層が下層階級に追いやられる流れは変わらない。
しかし、自民党が企業にどのように指示できるのだろうか?
どのようにして中間層の拡大をはかるのか具体策は何もない。拡大策どころか現状維持も無理なのだ。
利益追求、株価維持、有能社員のみの効率経営、今まで築いてきた企業活動の手法のさらなる洗練の歩みを止めることは政権、御用メディアには無理である。
足枷に引っ張られながら、現状維持の中で革新、改革をとなえる連中を攻撃してモヤモヤした思いの中で生活しているわけである。
そしてまだまだ多数派を占める中間層も選別の礫が当たらないことを祈りながら今日の無事に安住しているのである。
しかし下層に蹴り落とされて気づいた政権の無能ぶりは地獄の底の雲の糸を争いながら上に登ろうとする哀れな大衆であり続けるわけがない。
きちんとした底部からの脱出のための教科書がある。それは宇沢弘文教授登ろう社会共通資産のための経済学の理念である。
そして継続すべきは政権への執拗な批判である。
批判よりも対案という政権擁護の言辞は唾棄すべきである。