龍の声

龍の声は、天の声

「ジョン万次郎という人物②」

2021-11-23 09:41:49 | 日本

◎社会的影響

・嘉永5年(1852年)、土佐藩の絵師・河田小龍(川田維鶴)により漂流記『漂巽紀略(ひょうそんきりゃく)』がまとめられた。

・坂本龍馬も中浜万次郎から聞いた世界観に影響を受けたと言われ、激動の幕末における影の重要人物である。

・アメリカの様々な文物を紹介し、西洋知識を貪欲に吸収しようとしていた幕末の志士や知識人達に多大な影響を与えた。


◎人物

・おごることなく謙虚で、晩年は貧しい人には積極的に施しを行い、役人に咎められても続けていたという。

・甘いものや、うなぎの蒲焼が好物だったという逸話が残っている。 

・外国の文物を説明する際、鉄道など言葉に置き換えて説明することが難しいものは絵を描いて図解を試みたものの、絵が不得意で幼児並の絵を描くことしか出来ずにずいぶん苦労したようである。

・アメリカ人について、背が高く、力量強く、智巧であって気性は豪邁の者が多いが、相撲などは敏捷でなく、2〜3人ずつ投げ飛ばした事があると語っている。

・刺客に襲われる可能性があったため、常にピストルと仕込み杖を持っていたとされる。

・画家の高橋由一が無名の頃に、彼の救助金を募ったとされる。


◎日本初

・『ABCの歌』を日本に初めて紹介した。
・日本で初めてネクタイをしたともいわれる。
・初めて鉄道・蒸気船に乗った日本人でもある。
・日本人で初めてアメリカの学校に正式に通った。
・日本人で初めて近代式捕鯨に携わった。
・日本人で初めてアメリカのゴールドラッシュといわれる金の採掘に携わった。
・『亜美理加 合衆国航海学書(英語版)(Bowditch's American Practical Navigator)』を和訳している。
・日本人で初めて地球を2周した人物だと思われる(ホノルルを起点に2周していると言える)。日本人としては津太夫の次に地球を1周したと思われる(万延元年遣米使節よりも早い)。
・ホーツン事件で、初めて外国人を逮捕した日本人になったと思われる。


◎アメリカとの交流

・日本にいる中浜万次郎の子孫は、アメリカのホイットフィールド船長の子孫と代々交流を続けている。

・また出身地の土佐清水市はアメリカでの滞在先となったニューベッドフォード、フェアヘーブンの両市と姉妹都市盟約を締結し、現在も街ぐるみでの交流が続けられている。

・フランクリン・ルーズベルトの祖父のワラン・デラノ(英語版)がジョン・ハウランド号の所有者の一人で、また万次郎がアメリカ滞在時にはデラノ家(英語版)と近所付き合いがあり、これに因んで万次郎の子供中濱東一郎に大統領から、1933年に手紙が送られている。

・1918年7月4日、駐米大使石井菊次郎を介して息子中濱東一郎がフェアヘーブンに太刀を贈呈し、献刀式が行われた。フェアヘーブンのミリセント図書館(英語版)に保管されていたが盗難にあい、シートンホール大学の菊岡正教授の尽力で別の刀が贈られた。


◎ジョン万次郎と英語

・ジョン万次郎は、英語を覚えた際に耳で聞こえた発音をそのまま発音しており、現在の英語の発音辞書で教えているものとは大きく異なっている。中浜万次郎が後に記述した英語辞典の発音法の一例を挙げると、「こーる」=「cool」・「わら」=「water」・「さんれぃ」=「Sunday」・「にゅうよぅ」=「New York」など。実際に現在の英米人に中浜万次郎の発音通りに話すと、多少早口の英語に聞こえるが、正しい発音に近似しており十分意味が通じるという実験結果もあり、万次郎の記した英語辞書の発音法を参考に、日本人にも発音しやすい英語として教えている英会話教室もある。

・武士階級ではなく漁民であり、少年期に漢文などの基本的な学識を身に付ける機会を得ずに米国に渡ったため、口語の通訳としては有能だったが、文章化された英語を日本語(文語)に訳することが不得手だったとされる。そのため西洋の体系的知識を日本に移入することが求められた明治以降は能力を発揮する機会に恵まれなかった。

・晩年にアメリカ時代の友人が訪ねてきたが、すでに英語が話せなくなっていたといわれる。


<了>