「親学」に関する緊急提言が見送られたそうですね。
批判の多い中、実は私は大賛成でした。 子守唄を聞かせ母乳を与える。
授乳中はテレビをつけない。5歳から子供にテレビ・ビデオを長時間見せない。
PTAに父親も参加。子どもと対話し教科書にも目を通す。
幼児段階であいさつなど基本の徳目、思春期前までに社会性を持つ徳目を習得させる。
──などがあり、このことに関してマスコミも批判的な意見を述べていましたね。
母乳が出ない母親には罪悪感やプレッシャーを与えるとか、テレビがそんなに悪いの? とか、当たり前の事ばっかりとか、政府が家庭の事に関与するなんて、大きなお世話だとか…。
政府が家庭の事に関与するなんて…と言いますが、実際問題、政府が関与しなきゃダメな状態になってるんだと思いますよ。
核家族化が増えた現代、子育ても親にとって都合のいいようにやってたりするじゃないですか。
テレビを見せていれば大人しいから…なんていう大人の都合で長時間見せたりするのって往々にしてあるでしょう?
昔あった“躾”が今は“なぁなぁ”になっちゃったりして、食事中にテレビをつけて、「早く食べなさい 食べないんだったらテレビ消すよ
」なんて怒ってる姿を見ると、「あんた、バカ
」と言いたくなる。
基本的に我が家は、夫婦でも食事中はテレビをつけません。付き合っていた時は当たり前のようにテレビを見てましたが、結婚してからは子供ができた時の為に…と、子供の“躾”前提で色々と修正しました。
自分の食べた食器を流しに持っていくのも、旦那から躾し直しましたし(笑)
おじいさんやおばあさんと一緒に住まなかったり、核家族化になったが故に、「自分ちだからいいよ」と、躾が甘くなってきたと思うんです。
食事中にトイレに行ったらダメだとか、そんな事を言う親、今は少ないんじゃないかな。
クチャクチャと音を立てて食べるなとか、寄せ箸や刺し箸、迷い箸などなど…言わないでしょう?
箸の持ち方さえ学校で教えて欲しいという親だっているんですよ。そんなことを言う事自体が本来恥しい事なのに、なんとも思わない親がいるってことです。
学校の授業中とかにトイレに行かせない事で責められたりする先生なんか可哀想ですよ。
私たちの時代は、トイレに行きたいというと怒られたものですもん。
子供を愛し子供の為に…とする事が本当に「子供の為」になっているのか、もう一度考えた方がいいと思いますね。
「子供の為」という言葉の裏には、「子供が将来恥しい思いをしないように」なんていう想いがあったはずで、だからこそ厳しくもなるんです。
そういう子育てに関して、「親はこういう事を気をつけましょう」とか「親としてこういうことが大事です」というのを教えられないまま親になっているのが多いんだと思うんですよね。
もちろん、「そんなの分かってる」って言う人も多いでしょうけど、じゃぁ、実際どれだけ実行できてるか…って事ですよ。
共働きで時間がないから…なんて、本当に経済的に働かなければやっていけないのなら仕方がないですが、そうじゃなければそんな理由で「できない」とは言って欲しくないです。
おかしな少年犯罪が増えている現代、その子供たちの家庭を取材して浮き上がってくるのは、コミュケーション不足が多かったりするじゃないですか。
仕事をしているのが悪いとは言いませんけど、「子供ができたからといって、今まで働いてき仕事は辞めたくないから、共働きを続ける…」というのはどうなんでしょうね?
「少子化対策」と「子育てしながら働ける社会」にする事は、どうも矛盾しているような気がしてなりません。特に、健全な子供を育てる為には。
「親学」ができても、それは「絶対」ではなく…そうですね、パイレーツ・オブ・カリビアンの言葉を借りれば「ガイドライン」ですよ。
今の子育てに大事な事を頭に入れて「心がける」ことが必要なんだと思います。
母乳が出なかったとしても、それは悪いことじゃない…ということも分かって欲しいと思いますね。
なんか話がまとまってないんですけど、要は今の時代にこそ「親学」は必要で、私はそのパンフレットができたら「欲しい」とさえ思っているってことです。
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親から子へと引き継がれるべき規範が、断ち切れてしまった責任は、
僕らのような「団塊の世代」にこそある。
と、読売新聞のコラムに書かれていました。
別に意図的であったわけではないのですが、
僕らの世代がつくった「友達夫婦・友達家族」という生き方は、
悪い面も色濃く影響しているということでしょう。
少々論点がずれるようですが、マスコミのあり方には、常に疑問を感じています。
批判すること、否定することが、マスコミの仕事だとでも勘違いしているかのようです。
悪いところを批判するだけでなく、よいところを肯定することもあってはじめて、ものごとは前に進むものではないかと、思うのですが・・・。
私は「親学」の内容そのものには、大いにうなづきますが
「オカミから強制される」感があって、そこは複雑です。
家庭でのしつけの弱体化は、夫婦が互いの自由に理解を示し
個人を尊重する生き方をするようになった。
それと裏表に出てきた部分があると思います。
共働きもねえ。生活レヴェルも一度上がってしまうと、
やっぱり貧乏には戻れないし。子育て中の夫婦だって
遊びには行きたいしねえ。
「親学」を親が実践すると「収入と自分の時間」が減ると。苦笑。
「~しないで~しよう!」というお題目より、もっと、
子供を産んで育てることの素晴らしさ、ひいては、
生きることの素晴らしさを、子供に訥々と語れるように、
そんな風になることが大切かと感じています。
だたそれが出来ないからこそ、オカミの「親学」があるんでしょうけどネ。
自分が苦労したことでは決して子供に苦労させたくないと思う親の気持ちは当然で、ただそう思うが故に“安全な道”を歩かせすぎた、もしくは歩いてしまったな…と思いました。
いろんな意味で自由になったのはいいことですが、マナーやモラルまで自由になったとういうか…そこが“なぁなぁ”になった事が“自由”だと思ってしまった人間が増えたのかも知れませんね…。
でも、今そういう事に気付く人が増えれば、またよき日本が復活するような気もします
私たち世代が、少しでも50年後の日本がよくなるよう努力せねば…
それから報道の件ですが…。
実は、私も同じことを書こうと思ってました。というか、実際書いたのですがあまりにも内容が上手くまとまらなかったので、消しちゃいましたが
政治でも芸能でも何でも…とにかく批判が多いですよね。
揚げ足取るような事も多いし…本来そういう意味で言ったんじゃないだろっ…って突っ込みたくなる事も多々あります。
批判するのって、実は簡単なんですよね~。そして、批判する事が“かっこいい”とか“頭がいい”とか“自分が絶対正しい”とか、そう思われると勘違いしているんじゃないかと思ってしまいます。
良い所も悪い所も、公平に報道する義務があるはずなんですが…。
何でもかんでも“悪い”というのはどうなんでしょうね
テレビは特に影響が大きく、あまり意味の分かってない事も、テレビで“それはよくない事だ”と報道されたら、“あぁ、悪いことなんだ”って思う人も多いですからねぇ~。もっと公平さを追求して欲しいです
生活レベルが上がると云々…というのも、ほんとそう思います。
同じ事を以前日記にも書きましたもん(笑)
我が家も休日出勤や残業で、いつもより多く給料が支給される時がありますが、“頑張ったでしょう”ということで、夕食を食べに出掛けるくらいで、基本となる生活費は毎月同じ金額にしてます。残りは貯金や目的貯金に回したりして…。
「今月は給料多いのに、生活変わらないよね~」なんて二人で苦笑いしたり(笑)
共働きになると収入が増える分、実は出費もかさむんですよね…。
疲れて帰ってきたのに、それからご飯なんて作りたくなくないし、そうなると外食だの出来合いのものが増えたりして…。
これから夏になって冷蔵庫の中にはお茶が常備されるでしょうが、面倒だというのと、金銭的に少なからず余裕があるのでペットボトルのお茶を買っている…なんていう家庭も多いと思いますもん。
二人が車を使えばその分保険料やらガソリン代やらがかかるし…。
節約する所は考えれば多々あるのに、一度その水準を上げると、「働かなかったら生活できない」って思い込んでる人も多いんんですよね
子供を産んで育てる事の素晴らしさ…というのも、その通りだと思います。今年の2月7日に、私も同じ事を書きました
ただ私的には、この「親学」が子供を育てる素晴らしさを子供に伝える「基礎」になるとは思うんです。
子供と一緒に過ごす時間が増えるという事は、女の子ならキッチンで一緒にご飯を作ったりもしますし、そういうので料理って覚えていくと思うんです。
その時間が楽しかったりすると、自分も大きくなってそういう風に接しよう…と思うでしょうしね。
外食とか出来合いのものが増えればそういう機会はなくなるし、散らかってしまうキッチンが嫌で手伝わなくていい、なんて言っちゃったりすることもあるんじゃないかなぁ、なんて。
しっかりと愛情を与え、躾をする事が、次第に子育ての素晴らしさが伝わるような気がします。
まぁ、一番いいのは、夫の生活費で普通に生活できるくらいの“手当て”──そんな沢山くれとは言いませんが(笑)──を手厚くしていただきたいな、という事でしょうか(笑)
そうすれば、父親の威厳も復活すると思うんですけどね