☆~Carefree Life~☆

HPの管理人 Sugaryが、日々の出来事から、趣味や宣伝まで勝手気ままに綴ります。

評価と判定

2007-09-15 08:54:44 | ニュースを斬る!?

人には評価してもらいたが、人に判定されるのは嫌いだ。


──矛盾しているようなしてないような、そんな微妙な気持ち。
それを痛感させられるのは世界大会やオリンピックなどのスポーツ判定。
シンクロナイズドスイミングや体操など、いろんな所で人の判定を必要とするものがありますが、その人の判定によって正しい事が覆されるならば、競泳やマラソン、槍投げなど、自分が行った行為がそのまま数字で表されるものの方が絶対にいい。
人の目なんか信用できるか、ってなもんですよ。

そんな怒りが湧いてくるのは、やっぱり昨日の柔道でしょう。
微妙な判定というのは難しい。
難しいけれど、それを正確に判定できないなら審判なんて止めちまえ。
ビデオという文明の機器があるなら、それを使えばいいじゃないか。
そういうところはアナログに頼るんじゃねっつーの。んでもって、たくさんの人の判定を仰ぎなさい。

そりゃね、井上選手の判定ではフィフティー・フィフティーかもしれません。でも、鈴木選手の判定はイカンでしょ?


ふらふら…と立ち寄った人のブログにも書いてありましたが…。
本当に審判は柔道を知ってるの? と、言いたくなりますよね。

有名になればなるほど、人気も出ればそれを否定するする人も出てくる。
スポーツ界も同じで、オリンピックなど、世界に進出すればするほど、本来の部分が失われていくものだと思います。

その人のブログには、そういうことを懸念して、剣道はオリンピック種目にはならず、日本の剣道の伝統と精神を守り続けている、と書いてありました。
そして、そんな組織(世界大会やオリンピックなどの組織をさしていると思われますが…)を脱退して、真の柔道の組織を作って欲しい、とも。

それを読んで、大いに納得しましたよね。
──ってか、あまりにも本来の柔道と離れていくんなら、「日本は出場拒否」を掲げたら、どうなるのかな…と数年前から思っていたんですよ。
まぁ、日本がいなかったらいなかったで、「ラッキー」と思う人がいるだけで、それほど影響はないんでしょうけどね。
ただ、オリンピックとかって目標にする比重が大きいでしょう?
そこでメダルを取る事が最終目標に掲げる人も多いし、そこで「出場拒否」とか「撤退」なんてことになったら、それはそれであとの人がかわいそうなんですけどね…。なので、オリンピックにも出るが、日本主催でオリンピック以上に「この試合に出れるだけで光栄」だとか、オリンピック基準じゃなく、「この大会に基準を合わせる」くらいの質の高い柔道大会みたいなものを作って欲しいです。
あくまでも日本人中心。そこに出るにはさまざまな試合内容から、この人は美しい柔道をしている…と選ばれた人だけ出場できるとか。
オリンピックで優勝するより、この試合で優勝した人の方が誇りが持てる、本当の強さがある、とか…そういう大会が開ける組織を独自に作って欲しいですね。

コメント (2)
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