中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

ミャオ(苗)族-7-

2006-08-31 00:06:05 | 中国のこと
 六枝特区郊外に四印(Siyin)ミャオ族の村を訪ねた。その村がどこにあるのか、なかなか分からず探し回ったが、道路のそばにある民家の住人に教えられてその家の前の脇道に入り、それをたどって行くと行き詰った所の斜面に小さい村落があった。

 ちょうど通りかかった婦人に尋ねて、四印ミャオ族の村であることを確かめて村に入った。細い道を登って行くと民家があり、その一軒でガイドの馮彦が女主人らしい婦人と交渉して、ちょうどかまどの前で家事をしていたその家の娘が民族衣装を着けてくれることになった。娘は少し陰気な感じで17、8歳のように見えたが年齢は聞かなかった。

 四印ミャオ族の呼称は、その衣服の胸の部分に円形の模様が4つ印されていることに由来するとのことで、かつて抗争した明朝に帰順した印だということだった。娘が着て見せた衣装には前後と袖に円形の図形と四角い図形とを組み合わせた模様が染め抜かれてあったが、四印ということは分からなかった。


 この家の中は非常に暗く明かりはなかった。電線は引いてあったから電灯もあるのだろうが、外が明るいうちは使わないのかもしれない。その近くのいくつかの石造りの民家を道から眺めたが、どれもとても貧しいという印象だった。

ファッション

2006-08-30 00:02:23 | 身辺雑記
  私の前に腰掛けた知り合いの女の子(と言っても20代後半だが)のジーンズの左膝の部分がぱっくりと口を開けている。若い人達が好んでこういう格好をしていることは知っていたが、わざと「破れているじゃないか。修繕しろよ」と言うと「わあ、だめですよ。せっかくかっこ良く破れているのに」と言って穴を押さえた。重ねて「糸が出ているよ。切ってやろうか」と言うと、「だめだめ。なかなかこんなにかっこ良く破れないんだから」と言った。何が格好良く破れているのかさっぱり分からなかったが、こういう穴あきジーンズは街でもよく見かけるから、「そうか、若い子にとってはこういうのは格好いいと言うことなんだな」と思った。朝日新聞の水曜日の夕刊に「三枝の笑ウインドウ」と言う、読者が体験して投稿したユーモラスな話を桂三枝が選んで掲載するコーナーがある。その一つ。
 
 この暑さに閉口している母が孫息子のジーパンを見て「暑くないのかいな」
と言うので、「ジーパンは暑いよ」と答えると、「そうやろな。それで夏向きにあっ
ちゃこっちゃに穴あけてんのかいな」
 
 穴あきジーパンの他にも「ベルトかと思って見たら腹だった」とか「ボタンかと思って見たら臍だった」と言うような姿はよく見かけるし、ある時車の中から見かけた、地面に腰を下ろしていた女の子は尻を半分くらい出していた。私は運転しないからいいが、運転していてこんな光景を見たら久米の仙人じゃないが事故を起こすかも知れない。このように、かなりウエストの低いジーパンを穿くのもお洒落で格好いいことなのだろう。しかし、どう見ても尻を半分も出すようなことが格好いいとは思えない。どんなに化石だ墓石だと言われようと、爺さんにはこんなファッションは理解できない。格好いいとか綺麗だとか可愛いという基準が若い人達と私のような老人とでは違っているのだ。それでも、まあ、そんなものかと見過ごせるだけ、まだ世の中の変化に辛うじてついて行っていることなのかも知れない。

  しかし、今の娘達も中高年になると、その時の若い娘達の奇抜なファッションを見て「何がいいのかねえ」などと顔を顰めて言うかも知れない。はるか昔からいつも「今どきの若い者は・・・」なのだから。


ミャオ(苗)族-6-

2006-08-29 23:41:02 | 中国のこと
長角ミャオ族について、この女性達の民族衣装は既婚者も未婚者も同じものかという質問のコメントがあった。多分同じものだろうと答えたが、私が見た他のミャオ族は祭の主役は未婚の娘達だったから、長角ミャオ族もそうではないかと思う。
  貴州省黔東南苗族侗族自治州施洞鎮の姉妹飯節では、未婚者と既婚者の服装ははっきり違い、祭の主役の娘達の服装は豪華で晴れやかだった。


 
 既婚女性達。銀の冠はかぶっていない。胸飾りも未婚者に比べるとやや簡単である。


ミャオ(苗)族ー5-

2006-08-29 00:10:21 | 中国のこと
 今年3月、中国貴州省の西部、六盤水(Liupanshui)市六枝(Liuzhi)特区のいくつかのミャオ族の村を訪れた。その中の1つ、北部の梭嘎(Suoga)苗族彜(イ)族回族郷の長角ミャオ族は、その特色のある風俗で知られている。その名称が示すように長角ミャオ族の女性は祭などのハレの日には、頭の両側に突き出た大きな髪飾りをつける。村のある家で、2人の中年の女性と1人の少女にその服装をしてもらった。

 まず櫛で髪を梳いてから束ね、頭の後ろに木製の大きな櫛状の物を挿す。そこへ太く長い黒色の毛糸を束ねたものを巻きつけていくと、長角が出来上がる。それから民族衣装を着る。この長角にする毛糸の束には、母親や祖母など代々の女性の毛髪が撚りこんであり、母から娘へと伝えられるそうだ。。



写真を撮ろうとすると、腰に両手を当てるポーズをとった。どうやらこれが観光客向きのおきまりのポーズになっているらしい



 長角ミャオ族は有名になっているようで、村の入り口には説明板もあるし、博物館のような建物もある。それだけにかなり観光客ズレはしているようで、村に入って、民族衣装を着けてくれる者を探していたら、待ってましたとばかりに2人の女性に家に連れて行かれた。その家で着替えの様子を見ていると、他の家から手作りの刺繍をした布を売ろうとする女性がやって来たし、その後もみやげ物を売りつけようとする女性に付きまとわれ、絶えず「不要」(要らない)と言わなければならなかった。もちろん衣裳を着けてくれた女性達にはチップを払った。

冥王星

2006-08-28 00:35:49 | 身辺雑記
 先週の話題の1つは、冥王星が惑星の仲間から除外されたというニュースだった。



 小学生の頃、惑星の名称を覚えるのに太陽からの距離順に「スイキンチカモクドテンカイメイ」と暗記した。リズムがよく小学生にも覚えやすく、一度覚えると忘れることはなかった。近年1度、海王星と冥王星の軌道が入れ替わって「・・・ドテンメイカイ」となったことがある。

 冥王星は英語名Plutoでギリシャ神話の冥界の王の名、大きなカロン(Chron)と言う衛星がある。このカロンもギリシャ神話に出てくる黄泉の国への渡し守の名。地球から平均して60億キロ離れた暗黒極寒の空間にある星とその衛星にふさわしい名だ。もっともその名称はプルートの妻の名に由来するという説もあるらしい。カロンが発見されたのは近年の宇宙探査技術の発達の結果で、私の小学生の頃にはもちろん知られていなかった。この冥王星と言う漢字名は英文学者で天文に造詣が深かった野尻抱影氏の命名だそうだが、この名は中国でも同じように使われている。中国語の惑星名はすべて日本と同じだから覚えやすい。

 ところで、このカロンとの関係で、以前から冥王星が惑星であるか、カロンが衛星であるかについては専門家の間で議論があったようだが、8月24日のチェコのプラハでの国際天文学連合という団体の総会でのかなり激しい議論の結果、結論が出たと言う。門外漢の私には新聞の記事を読んでもよく理解できなかったが、とにかく1930年の発見から76年たって、冥王星は惑星の仲間から「除籍」されたわけだ。日本の教科書では2008年に惑星は8個と記されるようだ。これからの学校では「スイキンチカモクドテンカイ」と覚えるのだろうが、「・・・ドテンカイメイ」と呼び習わしていた者には、何かしら尻切れとんぼのような感じもしないではない。

 しかし人間があれこれ言おうと、これからも冥府の王は、地獄への渡し守を従えて、暗黒の空間を旅し続ける。

秋老虎

2006-08-27 12:37:00 | 身辺雑記
 今年も残暑が厳しい。いや、感じとしては「今年はいっそう」と言った方がいいかもしれない。中国語で「暑い」は「熱(re)」だが、この字を使う方がぴったりするくらいで、時にはまるでオーブンの中に入れられたように熱い。大学時代の友人が「同年輩の人と話すとみんな暑さに閉口していて、歳の所為かと悲しみながら話しています」とメールで書いてきた。歳のせいもあるかもしれないが、それだけではないようにも思う。

 若い頃は大汗をかいた後に物の陰に入ると、空気に爽やかさを感じたものだが、今はヒートアイランド現象と言うのか、街なかは殊のほか暑い。先日も陽の当る所に出した温度計の針は50度を超えていて、中国新疆のウルムチ並みだなあと恐れをなして家の中に引っ込んだ。幼い頃に東京にいたが、夕方になって玄関先や庭に打ち水をした後のひんやりした空気の中に混じる湿った土のにおいが懐かしい。

 中国では残暑を、やはり残暑と言い、秋熱、余暑とも言うようだが、面白い表現に「秋老虎(qiulaohu)」がある。なぜ老虎(=虎)なのか、インタネットで調べたら「残暑は厳しくて、虎みたいに猛烈に迫って来る様子」とあった。私はこの表現が好きでよく使う。「今年の虎は、なかなか立ち去ろうとしません」とか友人などにメールしたりする。

 いつも立秋を過ぎると、西安の李真からは涼しくなりましたと言ってきて、こちらはまだ秋老虎がのさばっているので羨ましく思ったが、立秋などの二十四節季は、元来は古代中国の黄河流域の農耕地帯で創られたものだから、西安あたりの気候が暦どおりなのは当然なのだろう。しかし今年は西安でも立秋の後も暑く、2週間くらい前からやっと涼しくなったそうだ。これも地球温暖化の影響なのだろうか。




トン族ー3ー

2006-08-26 11:01:35 | 中国のこと
 黎平県肇興村の民宿、侗郷渉外旅館に宿泊した夜、誘われて近くの鼓楼の広場で開かれたトン族の若い男女達の民族歌舞を見に行った。私はこの時もガイドの馮彦と2人だけの旅だったが、ちょうど日本からの観光グループが来ていて、そのグループが契約したものだった。

  約1時間、民族衣装を着た若者達の歌や踊りを楽しんだ。男性達は黒い布をターバンのように頭に巻き、腰にはピンクのベルトをしている。女性達は頭にきれいな色に染めた鳥の羽を飾った冠を被り、銀の首飾りを着け、袖に色がついた上着を着ている。この男女達が並んで向かい合って交互に合唱する、日本の歌垣のような大歌と言う歌を歌ったり、女性が棹の長いウクレレのような小さな弦楽器を弾きながら踊ったり、男性が芦笙と言う長い笛を吹きながら踊ったりと、見ていてなかなか楽しかった。最後は観客も呼び込まれ手をつないで輪になって踊ったが、私の両側の若い女の子の掌は硬くざらつき、日ごろ労働している農民の手なのだろうと印象的だった。



 若者達が着ていた上着は黒っぽい紫色で光沢がある。翌朝宿で目が覚めると、外でトントンという音が聞こえたので出てみると、広場を隔てた一軒の店先で1人の婦人が畳んだ黒紫色の布を台に置いて砧を打っていた。このようにして光沢のある布に仕上げる。高校生の頃、夜の水田で水鶏(くいな)が砧を打つように鳴いていると言う情景を読んだことがあり、何かしら心を引かれたものだった。実際に砧を打つのを見たのは初めてだったが「ああ、これが砧か」とすぐに分かった。


トン族ー2ー

2006-08-26 01:07:00 | 中国のこと
  風雨橋は鼓楼と同様トン族の優れた伝統的建築技術の結晶であり、川に架かる橋の上に屋根付きの廊下(回廊)や楼閣を乗せた構造になっている。鼓楼と同じく釘はまったく使われておらず、設計図もないと言う。この風雨橋は川を渡るためのものであることはもちろんだが、回廊の両側にベンチが設けられていて若い男女が語らうロマンティックな場ともなっているそうである。



  写真の風雨橋は黎平県地坪(Deping)にあったもので、清代の光緒8年(1882)に建造された。全長は56メートル。この風雨橋は、調査した専門家によると、この地方や近隣の地方にある300余の風雨橋の中でも「配置構成の謹厳さ、工芸の精緻さから総合的に比較して第一位にあるもの」とされていたようだが、惜しいことに2005年の夏、この地方を襲った洪水のため流失した。流された建築材を集めて再建するという話を聞いたので、やがてはまたこの美しい姿が見られるようになるだろう。

 この他にも、中国最大とされる三江侗族自治県程陽(Chengyang)村の風雨橋も見たが、さすがに雄大ではあったが回廊の両側は、観光客目当ての地元の婦人達の土産物売り場となっていて、いささか興醒めだった。


トン族

2006-08-26 00:58:51 | 中国のこと
 トン(侗)族は人口約250万人の少数民族で、主に貴州省東南部の黔東南苗族侗族自治州に居住している。彼らは古い時代から高度な建築技術を伝承し、鼓楼や風雨橋などの優れた建築物の建築技術を今に伝えている。

  鼓楼はトン族の村の象徴的な宝塔形の建築物で、車で移動している時に望見する村落にひと際高くこの鼓楼が見えたら、それはトン族の村だと言うことがすぐに分かる。杉の木を建築材として1本の釘も使わずに組み立てられると言う。また設計図と言うものはなく、伝承と経験で建てると言うことである。何年か前に、ある村で新しい鼓楼を建てる様子をテレビで放映したことがあるが、この伝承と経験で建てるという実際がよく分かった。以来、鼓楼を一度見たいという気持が強かった。2004年5月に黔東南苗族侗族自治州などのいくつかのトン族の村を訪れ鼓楼を見ることができたが、目の当たりにしたそれは非常に美しく雄大で、私は建築についてはまったくの門外漢ではあるが、実に驚くべき建築物だと感嘆した。



 訪れた村々の中でも黎平(Liping)県肇興(Zhaoxing)村はかなり大きな村で、鼓楼が5つもあり、それぞれ仁、義、礼、智、信を表していると言うことだった。どれもほぼ似通っているが、細かいところでは違っていた。写真はそのうちの第1の仁の鼓楼である。鼓楼は多層の建築物のように見えるが、それは外見だけであって、内部は吹き抜けになっている。この村の鼓楼は最下層の底楼が開放された空間になっていてベンチが置いてあったが、同じ黎平県の腊水(Lashui)村や、広西壮族自治区の三江侗族自治県馬安寨(Maan zhai) のものは、底楼は壁で囲われてホールになっていた。鼓楼は事ある時は住民が集まって衆議する場所であり、また喜びごとや祝いごとの日の娯楽センターでもあると言う。


部落格

2006-08-25 08:59:29 | 中国のこと
 週に1回の中国語教室、盆明けの講座で先生が盆休みには何をしたかと尋ねられた。私がブログを造りましたと言うと、先生は「部落格」と板書された。何?と思ったが、先生がピンインでbuluogeと書かれたので「ああ、ブログか」と納得した。その後は先生がコピーしてきた「小夏蒂(Xiao xia di)」と言う教材を読んだ。「夏蒂ちゃん」と言う題の童話らしいので、ざっと目を通すと「アルプスの少女ハイジ」を要約した話だった。皆で音読し、訳していくと「阿爾卑斯(Aerbeisi)」(アルプス)、「彼得(Bide)」(ピーター)、「克蘭拉(Kelanla)」(クララ)などのおなじみの地名や人名が出てきた。しかしハイジがなぜ「夏蒂(Xiadi)」となるのかは、先生の説明を聞いても私にはちょっと理解できなかった。よく知られているように、漢字の国中国では、すべて漢字で書き、表現するから、固有名詞も例外ではない。日本なら片仮名で表すところを漢字を使うから、私のような初学者にとっては一見して戸惑うことが多い。

 中国に行った時、ホテルで何もすることがないとテレビを見る。聞いてもほとんど理解できないのに、ドラマを一本見てしまったことも何回かある。何となく分かったような気になったのは、多くは字幕が入っているし、筋書きのある映像だからだろう。時事解説や経済ニュースなどはさっぱり分からない。ニュースはテロップを見て辛うじて分かることもできる。当然地名や人名がよく出てくるが、これがなかなか読めない。「克林頓(Kelindun)」(クリントン)や「布什(Bushi)」(ブッシュ)など、よく知られている人物の固有名詞はかなり簡単に読めるが、東欧などの人名は長いから、テロップを見ても何かなと思っているうちにすぐに消えてしまい、分からないままに終わったことは多い。今年の3月に貴州省の省都貴陽のホテルでニュースを見ていると、テロップに人名らしいものが見えたがとても読めない。すぐに画面には人物が写ったのでそれを見て「ああ、(ユーゴ大統領だった)ミロシェビッチか」と分かった。彼が急死したニュースだった。しかしそれでも、漢字ではその名がどう表記されていたのかはもう思い出せなかった。それほど私には判読が難しいものだった。ミロシェビッチならまだしも、例えばあまりニュースには出たことがないような国の人物で、時には長い名前が初めて出される場合はどうするのか。表記はしても、それを読んだ者はすぐに分かるのだろうかと思うのだが、普通の中国人ならおそらく分かるのだろう。

 人名でこれまでに、これは傑作だと思ったのは「活力門(Houlimen)」だった。これは世間を騒がせた例のライブドアの前社長堀江貴文の通称ホリエモンを表している。中国語の発音がホリエモンによく似ているし、活力はliveに通じ、門は中国語ではドアだ。意味と発音の二重の造語で、誰が考え付いたのかと呆れるくらい感心した。「可口可楽(kekoukele)」(コカコーラ)も音と意味がうまく合っていると言われている。「倶楽部」はわが国で造語されたもので、音と意味がうまく合っているが、これは中国でもそのまま使っている。発音はjulebuで合わないが意味を取ったようだ。最近はコンピュータ、IT産業の発達に伴って新語はどんどん造られているようで、北京で発行されている日本語の月刊誌「人民中国」には毎号紹介されている。日本のように「新語辞典」のようなものも出されているのではないかと思う。

 外国の地名や人名の表記法はいろいろあるようで、インタネットで「中国語における外国固有名詞の表記」を検索すると、要領よくまとめたものが読める。