今回は所属している会の用務で、中国湖南省張家界市の桑植(サンジィ)県に出かけた。張家界(ジャンジャァジエ)は湖南省の西北部に位置し、世界自然遺産の武陵源があることで知られ、桑植県はそのさらに北西の山地にある。関西空港から広州に入り、そこから張家界行きの国内線に乗り継ぐ。
広州に着いたのは30分遅れだったが、到着すると物々しい装備のインフルエンザ検疫班が乗り込んできて乗客一人ひとりの検温をした。関西空港で搭乗する前にも検温があり、特に問題なく出発したのだから、そのことを連絡していれば再度検温することもなかろうにとも思ったが、中国でも新型インフルエンザ感染者が徐々に増えているのでそうもいかないのだろう。検査は簡単に済むかと思ったが、私の3つ斜め前の席の初老の男性に手間取った。7度5分以上あると本人も含めてその周囲の乗客の何人かは留め置かれると聞いていたのでひやひやさせられた。結局は何事もなかったが30分はかかった。
広州白雲国際空港は北京第2空港に次ぐ非常に広大な空港で、国際線到着ターミナルから国際線出発ターミナルまではかなりの距離があるが、張家界行きの出発時刻までは十分に間に合った。ところがロビーにある20:25の出発時刻の表示がいつまでたっても変わらない。「遅延」という表示も出ない。そのまま時間が経過し、だいぶたってから搭乗口の表示板に22:11出発予定という表示が出たので驚いた。理由はまったく分からない。係員はいたが何の説明もない。私はこれまでに広州白雲空港から貴州省の貴陽や広西の桂林に向かう便に何回か乗ったが、3回ほどかなり遅れたことがあったので、またかと諦めた。中国南方航空はよく遅れるようだ。
そうこうしているうちに、服務員がカートに箱を積んで搭乗カウンターまで来たので、またもやまたかと思った。前にも経験があるが、出発が遅れて待機時間が長くなると飲料水や粥の缶詰などを乗客に配るのだ。夜の遅い便の場合のサービスらしい。これまでは1品だけだったが、今回は珍しく水と粥とクラッカーが配られ、同行のAさんは「まあ、許すとするか」と笑って缶を開けた。私はクラッカーを少し食べた。
結局22時を回ってからやっと出発したが、目的地の張家界荷花空港には午前零時を回って到着し、桑植県教育局の王さんと、通訳のために省都にある対外友好協会から来た曾さん(女性)の出迎えを受けた。それから車で1時間ほど離れた桑植県のホテルに着いたのは1時もかなり過ぎていた。
日本では天候不良の場合以外にはめったにないことだが、中国では飛行機の遅れはよくあるらしく、何年か前には中国南方航空ではあまり遅れた場合には運賃の払い戻しをすることにしたようだが、私は貴陽から広州に向かう便が3時間遅れても、その「恩恵」に浴さなかった。
それにしても中国人は辛抱強い。これまでもそうだったが、夜遅くかなり出発が遅れても文句を言わない。羽田空港で大きな声で係員を怒鳴りつけている男を見かけたことがあったが、そのようなみっともないことをする者はいない。辛抱強いというよりも、飛行機とはこんなものなのだと達観しているのかも知れない。それとも時間に対する感覚が、時間に追われている我々日本人とは違うのかも知れない。とにかく苛立った様子の者はいないのには、ちょっと羨ましくも思った。
広州に着いたのは30分遅れだったが、到着すると物々しい装備のインフルエンザ検疫班が乗り込んできて乗客一人ひとりの検温をした。関西空港で搭乗する前にも検温があり、特に問題なく出発したのだから、そのことを連絡していれば再度検温することもなかろうにとも思ったが、中国でも新型インフルエンザ感染者が徐々に増えているのでそうもいかないのだろう。検査は簡単に済むかと思ったが、私の3つ斜め前の席の初老の男性に手間取った。7度5分以上あると本人も含めてその周囲の乗客の何人かは留め置かれると聞いていたのでひやひやさせられた。結局は何事もなかったが30分はかかった。
広州白雲国際空港は北京第2空港に次ぐ非常に広大な空港で、国際線到着ターミナルから国際線出発ターミナルまではかなりの距離があるが、張家界行きの出発時刻までは十分に間に合った。ところがロビーにある20:25の出発時刻の表示がいつまでたっても変わらない。「遅延」という表示も出ない。そのまま時間が経過し、だいぶたってから搭乗口の表示板に22:11出発予定という表示が出たので驚いた。理由はまったく分からない。係員はいたが何の説明もない。私はこれまでに広州白雲空港から貴州省の貴陽や広西の桂林に向かう便に何回か乗ったが、3回ほどかなり遅れたことがあったので、またかと諦めた。中国南方航空はよく遅れるようだ。
そうこうしているうちに、服務員がカートに箱を積んで搭乗カウンターまで来たので、またもやまたかと思った。前にも経験があるが、出発が遅れて待機時間が長くなると飲料水や粥の缶詰などを乗客に配るのだ。夜の遅い便の場合のサービスらしい。これまでは1品だけだったが、今回は珍しく水と粥とクラッカーが配られ、同行のAさんは「まあ、許すとするか」と笑って缶を開けた。私はクラッカーを少し食べた。
結局22時を回ってからやっと出発したが、目的地の張家界荷花空港には午前零時を回って到着し、桑植県教育局の王さんと、通訳のために省都にある対外友好協会から来た曾さん(女性)の出迎えを受けた。それから車で1時間ほど離れた桑植県のホテルに着いたのは1時もかなり過ぎていた。
日本では天候不良の場合以外にはめったにないことだが、中国では飛行機の遅れはよくあるらしく、何年か前には中国南方航空ではあまり遅れた場合には運賃の払い戻しをすることにしたようだが、私は貴陽から広州に向かう便が3時間遅れても、その「恩恵」に浴さなかった。
それにしても中国人は辛抱強い。これまでもそうだったが、夜遅くかなり出発が遅れても文句を言わない。羽田空港で大きな声で係員を怒鳴りつけている男を見かけたことがあったが、そのようなみっともないことをする者はいない。辛抱強いというよりも、飛行機とはこんなものなのだと達観しているのかも知れない。それとも時間に対する感覚が、時間に追われている我々日本人とは違うのかも知れない。とにかく苛立った様子の者はいないのには、ちょっと羨ましくも思った。