中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

挨拶

2006-08-23 10:32:06 | 身辺雑記
 毎日のように出かけては、しばらく雑談して来る卒業生の店がある。その店に時々彼の娘が遊びに来る。彼と娘の母親は娘が幼少の時に別れていて、今は小学校6年生になるその子は母親に引き取られている。

 この子は人見知りする性質なのか、私と顔を合わせても挨拶をしたことがない。私は日常の挨拶と言うものを大切にし、そのように息子達も躾けてきたので、この子の態度がちょっと気にかかり父親である彼にそのことを話して、私を敬遠しているのか、それとも挨拶の習慣がないのかと尋ねてみると、人見知りするところがあるし、母親が挨拶をしないので教えられていないのだろうと言うことだった。その後店に娘が来た日に私が「こんにちは」と声をかけたが返礼がなかった。それで彼が「こんにちはと言ってはるやないか。こんにちはと言わんのか」と言うと娘は、「こんにちは」なんて学校では教えてもらっていないから知らない、「おはよう」と「こんばんは」しか知らないと少し反抗的な口調で答えた。私と彼は顔を見合わせ、私は「そんなものかなあ」と呟いた。

 お節介のようだが、もう6年生にもなって「こんにちは」などという普通の挨拶もできないのは何か可哀相な気がしたので、こちらから先に挨拶することにして、また娘が店に来た時に「こんにちは」と声をかけた。しかし娘はちょっと目を上げて私を見るとすぐに顔をそらし口を少し動かしただけだった。おそらく「こんにちは」と言ったのだろうが、まったく聞き取れなかった。普段父親と話している時はむしろ乱暴なくらいの話し方をしているから決して内気な性格ではないようだ。よくよく挨拶するのが苦手なのだろう。やはり家庭での母親の躾が行き届いていないのだろうと感じた。

 こんなことがあって思い出したことがある。もう40年以上も前、私が教師になって間もない頃のある朝、行きつけの理髪店に散髪に行った。椅子に座ってこれから始めようとした時に、奥から店主の息子らしい3、4歳くらいの男の子がちょこちょこと出てきた。私が「おはよう」と声をかけたが眠そうな目で黙ってぼーっと私を見上げているだけだったので、もう一度「おはよう」と言った。すると父親である店主はおかしそうに「先生、おはようなんて、そんな上品な言葉を言えますかいな」と言ったので私は苦笑して黙ってしまった。後日このことを生徒達に話し、「これまで、おはようが上品な言葉だとは知らなかった」と言うと皆大笑いした。生徒達は下町の子が多かったが、あの頃は今よりもずっと家庭や街の暮らしの中に人情があり、彼等も挨拶は当然のようにしていたから、彼等にとってもおかしく思われることだったのだろう。

 しかし、昨今では卒業生の娘もおそらく特別な例外ではないのではなかろうか。今は40年以上も前に比べると庶民の暮らしも格段に向上しているが、家庭の中でさえも挨拶が乏しくなっていると言うことを聞いたことがある。挨拶は家庭や社会での暮らしの潤滑剤とも言うべきものだと思う。挨拶と笑顔が乏しくなってくると、ぎすぎすした雰囲気になり暮らしにくい世の中になるだろう。