誰もが近頃は日がたつのが速いと言う。世の中の動きがそれだけ慌しいということか。数日前に、時折行くホテルのレストランで食事した後で支払いをする時に、応対したウエイトレスが最近結婚したと思っていたからから、「結婚されて初めてのお正月ですか」と尋ねると、「2回目になります」と答えたので、ちょっとびっくりした。「速く日がたちましたね」と言い合って別れたが、地球の公転や自転が速くなったわけでもあるまいのにこの1年は短かったと改めて思った。何か1年の間に2度大晦日が来たような感じさえする。
そんなことで、大晦日だ、正月だと言っても一向にその気になれない。最近ますます気儘な生活になっているから片付けするのも面倒だと思ってしまう。私にとってはどうやら年末年始は普通の日になってしまった。これも本をただせば妻がいなくなったからで、このような時には殊更に妻がいてくれた頃の家の中のぬくもりを懐かしく思う。独り住まいの高齢の男性でも家の中はきれいにしている人があることはよく聞くが、やはり私は妻に依存していたのだろう。妻が逝ってから11年、毎年年越し蕎麦と雑煮をつくり供えてきた。今年はもう止めようかとも一時は思ったが、それではいけない、せめてそれだけはして、妻と一緒に年末年始を過ごす気になろうと思い直した。
今日は、昼間は買い物に出るが夜は特に予定はない。「国民的行事」とやらの紅白歌合戦にはまったく興味はないし、それでなくてもテレビはとうとうまともな映像は出なくなった。除夜の鐘は音声だけでと思っている。
この1年、世の中の変化はいろいろあったが、これから先はどうなっていくのだろうか。これから先ということになると、私自身の先もだんだん短くなってくることは確かなことだ。今年を振り返ってみると先だって受けた後期高齢者検診の結果は問題なしと証明されたし、1年間風邪ひとつ引かなかった。だが軽い坐骨神経痛があり、歩くと脚が痺れるから壮健とは言えない。体力的には明らかに衰えてきている。とりわけこの頃は疲労感が強いのが悩みだ。いろいろな人からアドバイスを受けているので、来年はその1つでも実行するように努力したい。来年の抱負はと聞かれたら、答えは。ささやかだがこの程度だ。
そんなことで、大晦日だ、正月だと言っても一向にその気になれない。最近ますます気儘な生活になっているから片付けするのも面倒だと思ってしまう。私にとってはどうやら年末年始は普通の日になってしまった。これも本をただせば妻がいなくなったからで、このような時には殊更に妻がいてくれた頃の家の中のぬくもりを懐かしく思う。独り住まいの高齢の男性でも家の中はきれいにしている人があることはよく聞くが、やはり私は妻に依存していたのだろう。妻が逝ってから11年、毎年年越し蕎麦と雑煮をつくり供えてきた。今年はもう止めようかとも一時は思ったが、それではいけない、せめてそれだけはして、妻と一緒に年末年始を過ごす気になろうと思い直した。
今日は、昼間は買い物に出るが夜は特に予定はない。「国民的行事」とやらの紅白歌合戦にはまったく興味はないし、それでなくてもテレビはとうとうまともな映像は出なくなった。除夜の鐘は音声だけでと思っている。
この1年、世の中の変化はいろいろあったが、これから先はどうなっていくのだろうか。これから先ということになると、私自身の先もだんだん短くなってくることは確かなことだ。今年を振り返ってみると先だって受けた後期高齢者検診の結果は問題なしと証明されたし、1年間風邪ひとつ引かなかった。だが軽い坐骨神経痛があり、歩くと脚が痺れるから壮健とは言えない。体力的には明らかに衰えてきている。とりわけこの頃は疲労感が強いのが悩みだ。いろいろな人からアドバイスを受けているので、来年はその1つでも実行するように努力したい。来年の抱負はと聞かれたら、答えは。ささやかだがこの程度だ。