11月も慌しく過ぎた。例年のように、11月に入るなりデパートではお節の予約、郵便局では年賀状の予約の開始、中旬を過ぎるとクリスマスツリーが飾られた。そんなこともあって今年もずいぶん短く感じる11月だった。上旬と下旬に2回中国に行ったので余計にそう思うのだろう。霜月とは言うが、暖かい日が多かった。
これもまた例年のように、年末年始の欠礼挨拶状が届く。今年は今日まで30通を超えている。私が年賀状を交換しているのは、卒業生にしても知人にしても年配者が多いから、欠礼の理由はほとんどが両親や義父母の死去のためだ。亡くなったのは80代、90代の高齢者が多く、中には101歳という人もあった。高齢者ではないが、ことに胸が痛むのは配偶者を失ったというもので、教え子と大学時代の友人のものがあった。それぞれ亡くなった直後に電話で悔やみを済ませているが、改めて挨拶状を受け取ると、自分がやもめであるだけにひと事とは思えない。特に仲人もした教え子の場合は、まだ50代だから辛いことだろう。義妹の従兄からは長男が46歳で亡くなったという挨拶状があった。義妹によると心筋梗塞で、まだ幼い子どもがいるそうだ。親としては諦め切れないものがあると思う。
いつかは我が身のことになるのだが、いつ頃のことになるのだろう。西安の謝俊麗とチャットして、息子の撓撓(ナオナオ)が可愛かった、元気に育つように毎晩祈っているよと言ったら、爺爺も元気で長生きして撓撓の結婚式に出てねと言われた。撓撓は2歳を過ぎたばかりだから、あと20年以上も先のことだ。その時には私は100歳近くなるから、これは到底実現しない夢だ。
息子達はどのような挨拶状を作るのかは分からないが、定型文のようなものではなく、私の感謝の思いなどが伝わるようなものにしてほしいと思うのだが、それなら今のうちに、早手回しに原稿を作っておかなければならないなとも考えている。
明日から師走に入る。好きではないが、街にはクリスマスの曲が流れて慌しさはいっそう募ることだろう。この1年も速く過ぎた。年々時間が速く過ぎていく様な感じで、どうも落ち着かない気分だ。