中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

ネトゲ廃人

2009-09-30 09:19:11 | 身辺雑記
 この言葉自体は同名の本が出版されていて特に珍しくはないもののようだが、「ネトゲ」とはネットゲーム(オンラインゲーム)の日本人らしい省略形で、この方面のことについてはまったく無関心で無知な私はごく最近知った。

 これについてのサイトを検索するとさまざまなものが挙げられていて、読めば読むほど私などは混乱するばかりだが、要するにネットゲーム(オンラインゲーム)とは、インターネットを介して多くの人が一つのゲームに参加するもののようで、これに長時間はまり過ぎてゲームから抜け出せなくなり、会社の無断欠勤、不登校、失業、引きこもりなど健全な生活を送れないようになると「ネトゲ廃人」と言われるのだそうだ。昼夜逆転の生活を続けた揚げ句に、退学や退社、離婚に至る者もいるという。最近は小学生の参加が増え、金銭や時間を管理できない例もあるようだ。ネトゲ廃人の例を見てみよう。

 24歳の派遣社員の男性は中学3年から9年間、1日10時間以上ネットゲームをしていた。私立の中高一貫校だったが、夜中に起きているため遅刻が常習となり、勉強についていけず高1で退学。大検で私大へ進んだが、これも2年で中退しその後もゲームをやり続けた。彼はこう言っている。「最長で連続72時間やった。1人でやっていても楽しいし、仲間とパーティーを組んでも楽しい。利用料などで月に3万円使っていた。最後のほうはもう飽きていたけれど、それでもやり続けた。自分でもなぜだか分かりません」。

 従来のテレビゲームと違って、オンラインの特性を生かし、参加者がチャットと呼ばれる会話機能でコミュニケーションできる点に人気があるらしい。「ラグナロクオンライン」という人気ゲームにはまり込み、中2から高1まで1日11時間やっていたという18歳の男子予備校生は、「文章でやり取りするため、現実の会話より価値あるものと思える。ネトゲをプレイしながらゲームの住人たちと多くの会話を重ねてきた日々は中高生時代の財産の一つです」とまで言っている。この青年は現実の世界での会話によるコミュケーションというものにはまったく無縁の世界に生きていたのか。 (続)


コスモス

2009-09-29 09:51:06 | 身辺雑記
 ダリアを見た後、大阪府能勢町のコスモス園に行った。最近はあちこちにコスモス園があるようだ。群生して見栄えが良いし、管理も簡単だからだろう。

 このコスモス園は入園料500円で、ダリア園が無料だったのに比べると高いような気がした。おそらくは個人の経営なのかも知れない。コスモスはちょうど見ごろだった。

















 コスモス畑に案山子は何となくミスマッチな感じだが、一応の風情はある。



 

 コスモスとヒガンバナと稲田。色の取り合わせがいい。


ダリア

2009-09-28 10:41:22 | 身辺雑記
 いつもの顔ぶれ、Hg君夫妻とHr君といっしょにHg君の運転でドライブに行った。初めは京都府亀岡市のコスモスを見に行くつもりだったが、まだ時期が少し早いということで予定を変更して近隣の川西市のダリア園に行った。

 ダリア園は静かな里山のふもとに作られていて、さまざまな品種のダリアが育てられている。入園は無料。




 菊のようなもの、コスモスのようなものなど、形はいろいろで、驚くような大輪のものもあった。色彩もさまざまで目を楽しませてくれた。




































 川西市の市花はリンドウである。秋にふさわしいよい花だ。





イクラ

2009-09-27 10:07:07 | 身辺雑記
 Hr君からイクラの醤油漬けをもらった。彼の息子は結婚して北海道に住み、奥さんの母親が作ったのを毎年送ってくるようで、いつもおすそ分けに預かる。

 イクラに限らず、筋子、鱈子、数の子、からすみ、キャビアなど魚卵製品は何でも好きだ。魚卵ではないが雲丹も大好きだ。もっとも鱈子以外は高価なものだから、あまり(中にはほとんど)口にできない。

 イクラは元来、魚卵を意味するロシア語のикра(イクラー)で、魚卵なら何でもイクラだが、日本人の言うイクラは鮭や鱒の成熟卵を卵巣ごと取り出してその薄皮を取り、ばらばらにして醤油や塩に漬けたもので、日本以外では食べられないもののようだ。資源を無駄にしないという極北の住民のイヌイットも漁をしたその場でサケの卵は内臓と共に捨ててしまうようだ。栄養分が豊富だと思うのによほど口に合わないのか、それとも何か禁忌があるのだろうか。以前テレビで見たことがあるが、アラスカかカナダで漁師が獲ったばかり鮭の腹を切り裂いて卵巣を取り出し、それをぽんと投げ捨てて鳥にやっているのを見たことがあり、もったいないと思った。熊は川を遡上してくる鮭をつかまえると、卵巣だけを食べるらしい。栄養が豊富であることを知っているのだろう。

 Hr君からもらったイクラはさっそく丼にして食べた。期待通り旨くて堪能した。食べながらブログ友の北海道美唄のSさんは、これをいつもたくさん食べているのだろうと想像して羨ましくなった。




ガム

2009-09-26 10:44:06 | 身辺雑記
 奈良市の33歳の市長が市議会中にガムを噛んでいたとして議長から注意を受けて謝罪した。7月の市長選で全国で2番目に若い市長として当選したばかりで、就任後初めての議会でのことだった。

 この市長は、小さいころから気管支が弱く、長時間話すときは、薬用のトローチを携帯してなめていたという。議会では、前日からトローチを服用し、午前中で切れてしまったため、午後から代用としてガムを口に入れていたと言っているようだ。しかし市長は部課長ヒアリングの場でも机の上にガムが入った容器ごと置いてガムを噛み続けていて、職員らから「不愉快」との声が上がっていたというから、習慣だったのかも知れない。若さゆえのことなのか。

 数日前のことだが、電車の向かい側の座席で40歳前後と思われる夫婦らしい2人連れが談笑していた。明るく仲の良さそうな雰囲気なのだが、2人ともガムを噛んでいた。男性の方はクチャクチャ、女性の方はモグモグという感じで、どちらもひっきりなしに口を動かしている。最近は電車の中で、このようなおおっぴらなガムの噛み方を見るのは珍しく、やはり少し行儀が悪いという感じで、見ていて何やら落ち着かない気分になった。

 チューイングガムというものを日本にもたらしたのは、敗戦後日本にやって来たアメリカの占領軍の兵士達だった。彼らは絶えずモグモグと口を動かしていて、人前で物を噛むことははしたない行為とされていた日本人には奇妙な光景だった。それがガムというものだということはすぐに分かった。奇妙なものだが当時子どもだった私には、何か憧れのようなものだった。兵士達は戦場にレイションという携帯食を持参する。1度父がそれを手に入れてくれたことがあったが、その中にガムが入っていた。当時のアメリカのガムはガムの創始者のリグレイ(WRIIGLEY)社のものだったし、その後日本に輸入されたのはおそらくはすべてリグレイ製品だった。今でもあるのではないか。日本人のことだからすぐに模造品が出たが、噛むとまさにゴムというような代物だった。

 今ではガムはどこでも売っているし、いろいろな種類がある。一時ほどいかにもガムを噛んでいるというような姿はあまり見かけなくなったように思う。中国でもガムは売られているし友人達も噛むが、食後に口に入れる程度だ。その程度ならいいと思うが、やはり公共の場で口をモグモグさせるのは、アメリカ人ならいざ知らず、日本ではあまり行儀の良くないこととされている。プロ野球の選手がガムを噛みながらマウンドに上がったり、バッターボックスに立ったりすると非難の声も出る。奈良市長の問題については「ガムを噛むと、その刺激によって脳が活性化され、仕事の能率を上げることは周知の事実。合理性よりも様式美を重んじる日本では、ガムの効果よりも見た目の印象が重視されるので、なかなかアメリカのようには行かない」と言う声もあるようだが、アメリカでも公の場でガムを噛みながら話すということはあるのだろうか。やはりガムを噛みながら答弁するようなことは不快感を与えるのが普通ではないか。









生臭坊主

2009-09-25 08:10:55 | 身辺雑記
 埼玉県東秩父村の寺の52歳の住職が、暴行傷害の容疑で逮捕されたという記事を読んだ。

 この住職はスナックで64歳の男性と知り合ったが、その男性に「目がきれいですね」と言われて怒り出し、男性を店外に連れ出して押し倒し、殴る蹴るの暴行を加え、顔などに軽傷を負わせたと言う。調べに対してこの住職は「ばかにされたと思ったのでやった」などと供述しているという。

 詳しい事情は分からないが、とんでもない坊主もあったものだ。「目がきれいですね」というのは褒め言葉だと思うが、それに対して「ばかにされた」と激高したのは意味を取り違えたのか、何か聞き間違えでもしたのか。それにしても暴行を加えることでもあるまい。よほど虫の居所が悪かったのか、酒癖が悪いのか、50歳も過ぎてまるでそこらのチンピラのような行為だ。

 住職と言っても、今どきは聖職者と思うほうが無理で、生臭坊主はいくらでもいるだろう。スナックで飲酒するくらいは珍しくないのかも知れない。禅寺でもなければ「葷酒山門に入るを許さず」などということはないだろうが、それでもスナックに入ることくらいは遠慮してはどうなのか。僧侶と言えども人間なのだからと言われればそれまでだが、しかし暴力を振るうのは、どうあってもおかしい。あまりにも俗世間の人間の臭いがぷんぷんして、お釈迦様も「度し難し」と呆れているのではないか。これでは葬式の経読み程度で、信仰心などは無いだろうと言われても仕方があるまい。そもそもよほどの行い済ませた僧侶でもない限り、真に聖職者と崇められるにふさわしい人は少ないのではないかとも思う。






結婚仲介

2009-09-24 09:15:09 | 身辺雑記
 郵便受け函に封をしていない茶色の封筒が入っていた。宛名書きもない。開けてみると次のような文面だった。


 前略、突然のお手紙で失礼を致します。私は結婚の仲介をしております○○と申します。
 昨今の社会情勢の変化によって個々の結婚観も変化し、女性も働くことがあたりまえの時代、皆様日々お忙しく良きパートナーに巡り逢うチャンスも少ない様に感じております。
 私は結婚を真剣に考えておられる方の良きパートナーを見つけることを通じて、お二人の将来の幸せづくりのお手伝いができればと思っております。
 宜しければ一度お目にかかって、ご希望なりをお聞かせいただき、(後略)


 罫線のある便箋に墨書されているように見えるので、指先を濡らしてこすってみたら滲むので手書きのもので、コピーではないようだ。末尾に連絡先が書かれてあるが、ここから私鉄で3つ目の駅からしばらく歩くかなり離れた場所だ。

 いったいどうしてこのようなものが私の家に投函されたのだろうか。私が1人暮らしのやもめということを知っての上のことか。このあたりの家に手当りしだい入れて回ったのか。それにしては手書きのものを準備するのは面倒なことだろう。無視すればそれまでのことだが、暇に任せてあれこれ考えた。

 夕方、外で近所の奥さん達がいたので、こんなものは来なかったかと聞いてみたが、誰も来ていないと言う。1人が、朝男性が投函しているのを見たと言うから、それだろうということになった。私の家だけに投函していたということだ。他の奥さんは「詐欺やで。ほっとき」と言った。もちろん関わるつもりはないのだが、まだ見込みがあると思われたんだ、金があると思われたんだなどと、ひとしきり冷やかされた。

 それにしても遠い所から私の家まで来て、このような手紙を入れに来るとはどういうことなのだろう。知られて困るような大した個人情報は持ち合わせていないからどうでもいいようなものだが、どういう経路で私まで辿りついたのかにはちょっと興味を持った。

 「結婚ねえ・・・」と改めて思う。男女の仲には年齢はないとは言われるが、今の私にはまったくの興味関心の埒外にあることだ。いろいろ想像するのも楽しいことなのかも知れないが、妻を失って以来、結婚など考えたこともない。結婚というものは大変な「事業」だと思う。ほとんどは赤の他人だった者同士の協同作業だから、では結婚しようかと言うほど気楽なものではない。今では面倒だという気持ちのほうが先にたってしまう。もちろん妻がいてくれたら言うことはないのだが、それは繰り言。




稲刈り

2009-09-23 09:22:50 | 身辺雑記
 秋晴れの好天気、近くの稲田で稲の刈り入れがあった。

 田植えと同じで、この近辺の田の持ち主が共同で稲刈り機を使うようだ。作業員も請負いらしい。

 稲刈り機


 刈り入れ前に稲田の所有者の家族が稲の間に生えた雑草を抜き取る。


 刈り入れ機は稲田の周辺を回りながら刈り取っていく。


 前方で刈り取った稲は側面から内部に送り込まれる。


 内部で脱穀が行われ、不要な稲藁は裁断されて、後部から排出される。


 稲刈り機の中の籾は軽トラックに積まれた容器の中に集められる。


 刈り入れが終わった後には、稲藁の好い香りが漂っていた。


 昔に比べると稲刈りも簡単になったものだ。刈り取った稲を稲掛け(いなぎ)に掛けて天日干しにすることもない。脱穀した稲藁が利用されることもない。





稔りの秋

2009-09-22 08:44:26 | 身辺雑記
 秋は栗、林檎、葡萄などの果物で賑わう好い季節だが、「稔りの秋」と言うとやはり稲を連想する。豊かに稔り、穂を垂れる様子は秋の風物そのものだ。

 近所の稲田でも稲が稔りを迎えているが、今年のできはどうも良くないようだ。穂に付く粒が少ないようで、例年のようなずっしりした感じがない。今年は夏の日照不足で、あまり作柄が良くないだろうという予想があったが、この稲田で見る限りはそのように思う。



 3年前

 畦道には、今年も彼岸花(マンジュシャゲ)が咲いている。秋分の前後1週間が秋の彼岸だが、この花はまるで暦のように時期を違えず花を咲かせる。これも秋の風物だ。









 風が涼しく、夜には虫もすだき始めた。日が西に落ちるとたちまち夕闇が押し寄せる。空気は澄み、西の空の夕焼けが美しい。短いが一年中で一番風情のある好い季節が来た。



さんま

2009-09-21 14:22:18 | 身辺雑記
 Hg君の奥さんから電話があった。「さんまを食べに来ませんか」「嬉しいねえ。初物だよ」「そうだと思った」。そんなことで、夕方にHg君宅に出かけた。

 秋の味覚と言えばさんまが挙げられる。鮮魚店の店先で体を光らせ、いかにも脂が乗っていそうな姿を見ると食欲をそそられるが、自分で焼くのは少々面倒だし、焼いてあるものは家では冷えてしまって旨くなかろうなどと考えて、ついつい口にする機会がなかった。

 さんまは秋刀魚と漢字表記する。中国でも同じで「チュウダオユイ」と発音する。光った鋭利な刀を思わせる魚体から命名されたものだろう。中国ではどのようにして食べるのかは知らないが、日本ではさんまは何と言っても塩焼きが一番だ。刺身も良いが、これはよほど新鮮でないと口にすることはない。塩焼きには大根おろしが付くのがきまりのようなもので、これがないと物足りない。身は骨離れがよいので食べやすい。

 Hr君も参加して食べたさんまは期待通り旨かった。私は焼いたさんまの内臓が大好きで、その苦味が何とも言えない。それだけでよいと思うくらいだ。Hg君夫妻は内臓を敬遠して、2人とも私に分けてくれたので有難く頂戴した。栗ご飯も出た。栗も初物だ。食後には柿でこれも今年初めて。「初物七十五日」と言うが、これでしばらくは元気に過ごせるだろう。