中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

西安で(7) 雑記

2007-07-31 08:38:41 | 中国のこと
①西安の空
   西安の空気はいつもどんよりとしていて、これまで青空を見た記憶ははっきりしない。西安人もこの空気の悪さは好きではないようだ。明代の城壁に囲まれた市の中心部に鐘楼と言う楼閣があるが、この鐘楼を中心にして、東大街、西大街・・・と言う東西南北に走る広い道路があり、それぞれ城壁にある門に通じている。鐘楼に登って各道路を眺めたことがあるが、まるでスモッグのように空気は濁っていて、1キロほど離れた門は見えなかった。時折黄砂が降るようだが、その時には空港での飛行機の発着も止る。そのようなひどい状態でなくても、普段も黄砂のような微粒子が浮遊しているのかも知れない。今回は珍しく青空を見た。

鐘楼と青空。



② 誕生祝
 今年も邵利明の家に招かれた。去年のように彼女の母親の妹夫婦やその娘達の家族、それに近所の子ども達も集まって、賑やかに手作りの料理をご馳走になった。食事の最初に大きなケーキが食卓の中央に置かれた。1ヶ月早い私の誕生日祝いだと言われたのでびっくりした。小さな蝋燭に火が点けられると皆が「ハッピー・バースデー」を歌ってくれたので感動した。私の家では祖父の代から家族の誕生日を大切にし、貧乏で子沢山だった両親も、私達子どもの誕生日は必ず祝ってくれた。私の家庭でもそのしきたりは続けた。しかし、バースデーケーキで祝ってもらったのは初めてのことだった。異国の地でこのような心温まる経験をしたことは本当に幸せなことと思う。

利明(私の向かって右)と彼女の従姉妹。


料理はすべて手作りである。



③ 果果(Guoguo)と小雨(Xiaoyu)
 この2人は謝俊麗夫婦の友人の娘達で、昨年から俊麗がメールで送ってくれた写真で知っていて、ぜひ会いたいと思って今回は行く前から機会を作ってくれるように頼んでいた。約束の日には俊麗夫婦と予約してあった店に行き待っていると、まず小雨が母親に連れられて姿を現し、しばらくして果果も母親と一緒にやって来た。2人とも3歳で、果果の方が誕生日は早い。予想していたように2人はとても可愛い子で、俊麗は私を「肯基爺爺Kenteji yeye(ケンタッキーお爺ちゃん)よ」と紹介した。ケンタッキーフライドチキンの店は西安にもあるが、そのトレードマークのカーネル・サンダースの顔は私のひげ面とは結びつかなかったとみえて、2人ともきょとんとした顔をしていた。

果果                小雨
   
将来は美人になるだろう。   愛嬌があり、しぐさが可愛い。


おみやげにあげた小さいバッグを掛け、ウサギの人形を見せ合う2人。



④ 開心果
小雁塔の近くの園芸店で見つけた植物。面白い形なので買った。開心は「楽しい」の意味。




 西安には2000年以来、今回で8回訪れたことになる。市内や周辺の遺跡などにはほとんど行き、すっかり馴染みの町になった。何よりも友人が増え、家族とも親しくなったのが、西安に親しみの感情を抱くようになった大きな要素だ。

 西安は中国政府が進める西部大開発の拠点で、城外周辺の様子は行くたびに変化している。空港も最初に訪れた時にはまことに貧弱な地方空港だったが、今では立派なものになり、空港から市内に向かう道路も整備されている。
 西安咸陽空港

 20年前のNHKのテレビ番組の「シルクロード」に見られる西安の町は、今から見ると想像もつかないような鄙びた様子だ。開発は西安の発展のためには必要だろう。しかし、やはりあまり過度には変わってほしくないように思う。今でも初めて訪れた7年前に比べると車は非常に多くなっていて、ラッシュアワーの時の渋滞はかなりのものだそうだ。ある程度は仕方がないにしても、やはり古都の面影をあまり損ねてほしくないと思うのは、時折しか訪れない他所者の勝手な願いだろうか。

 



教育交流ツアー

2007-07-22 04:52:25 | 中国のこと
 私は、中国の貧困農村地区の子ども達に教育援助をする会に入っている(この会の紹介写真展のことは5月17日に書いた)。この会は毎年援助地区の寧夏回族自治区原州区と湖南省の桑植県、永順県を訪れて現地の子ども達や教師、教育局の関係者達と交流している。

 今日から30日まで寧夏に行く。寧夏には私が学費を援助している馬軍霞という娘がいる。中学に上がる時に援助を始め、この9月で高校3年生になる。来年行って会おうと思っていたが、このツアーは北京経由にしていて、来年は北京オリンピックがあるためホテルを予約することは困難だからツアーはおこなわないので、今年行くことにした。

 9日間の旅だが、軍霞はもちろん、顔馴染みの子も多いので会うのが楽しみだ。

 

 2006年7月






西安で(6) 炭市街副食品市場③

2007-07-21 09:12:13 | 中国のこと
乾物。干し蝦などいろいろなものがある。




 香辛料。唐辛子でも非常に種類が多い。中国料理には必ずと言ってよいほど唐辛子が入っている。辛い唐辛子を多く使う「激辛」料理は四川のものが有名で、四川料理は唐辛子の他に山椒も多量に使うので、昨年成都で有名な麻婆豆腐を食べたが一番辛いものではないと言うことだったが、唐辛子の味である辣(la)と山椒の味である麻(ma)は強烈だった。四川から東の貴州、湖南も唐辛子を多く使い辛い。五香と言われる山椒、八角、肉桂、丁子、茴香(ウイキョウ)は中国料理に特有の香りをつける香辛料である。


調味料も多彩である。


ドライフルーツの店が並ぶ。


 棗。各地で銘柄の棗を産する。西安が省都である陝西省の北部に産する大きな棗も有名銘柄らしい。蜜漬けにしてから乾燥させたものなど加工品は多い。


 乾燥ミニトマト。どういうわけか「聖女果」という名称で売られている。蜜漬け加工したらしく甘い。


 ナッツ類。中国人が好きな南瓜やヒマワリ、西瓜の種子はもちろん、見たこともないようなさまざまなものがある。マカデミアナッツのような外国産のものもあった。


野菜も豊富である。




桜桃、茘枝、マンゴー(芒果)など、どれも日本に比べると非常に安い。



 この他にも多種多様な副食品があり、市場を一回りすると中国人の胃袋の巨大さ、特異さにはつくづく感嘆させられる。


西安で(5) 炭市街副食品市場②

2007-07-20 09:27:06 | 中国のこと
  スッポン(鼈)。中国語で甲魚。字面からは想像できない。広州で食べたことがあるが、ぶつ切りにしたものを油と砂糖を加えて炒めて醤油煮込みにした、中国料理にはよくある紅焼(hongshao)と言う調理法で、日本の高級感のあるスッポン料理とはおよそ違ったものだった。なお中国語の俗語でスッポンを王八(wannba)と言うがこれは人を最大限に侮辱する言葉でもある。


ここまでは食材としても納得できるが、そのようなものばかりではない。

亀。いろいろなものがあり、飼育観賞用のように見え、とうてい食用とは思えない。




  蛇。中国人はよく蛇を食べる。とりわけ上海人はよく食べると言われる。私も空揚げにしたようなものと、ぶつ切りにしてスープにしたものを食べたことがあるが、どう料理しても蛇の形は隠せないものだ。


蛙。池の中でひしめく群れのようで、どうにも食欲が湧かない。


  蚕の蛹。遼寧(東北地方)産とある。たんぱく質は豊富だと思うが、どのようにして食べるのか。昆虫は蜂や蚕の幼虫のようなものを食べたことがあるが、どれも空揚げで美味かった。広州では好きな食材を選んで調理してもらう料理店があり、そこでスッポンを料理してもらったのだが、そこにも生きていて蠢いている昆虫の蛹があったが注文しなかった。その店には大きなゲンゴロウなどの水生昆虫も置いてあったが、昆虫標本のようで食欲をそそられるものではなかった。


大きなヤモリを開いて干したもの。漢方薬の材料のようだが、これも食材か。



何やらゲテ物のようなものを見たので、(私にとっては)まともなものに戻ろう。

燻製の豚肉。これは美味そうだった。


中国風ソーセージ(紅腸)。この他にも豚肉の加工品は多い。


炙った鶏や家鴨。これも食欲をそそった。


西安で(4) 炭市街副食品市場

2007-07-19 08:44:27 | 中国のこと
 私が西安で定宿にしているのは、東大街にある皇城花園酒店だが、このホテルの前の道路を隔てた正面に、炭市街副食品市場と言う大きな市場がある。日本では考えられないようなものなどありとあらゆる食材が売られていて活気があり、見て歩くと楽しくて西安に行くたびに歩き回る。

市場の入り口。いかにも中国らしい雰囲気である。


 市場内部。アーケードになっている。この写真を撮った時は10時頃だったので、まだ開いて店は多いが11時にはどの店も開店し、活気が溢れてくる。以前は道路の真ん中にも商品が溢れ、通り抜けるのもままならないことがあったが、昨年あたりからは規制されたのか道路で売ることはしなくなった。


 鮮魚店。日本では見ないような魚があるが、どれもぐんにゃりしている感じで、日本での店にあるような、体が光ってぴんとしたたような新鮮さを感じさせない。水を掛けたりはしないようだ。






  田鰻。日本では近畿地方を中心に水田に棲むが、珍しいのか以前テレビで、得体の知れない生き物が見つかったというような仰々しい紹介をしていた。食用にすることは知らないが、中国人はよく食べるようだ。店頭で泥鰌のように割いている。


 ザリガニ。中国語では小龍蝦と言う。龍蝦は伊勢海老である。日本でも珍しくないものだが普通は食用にしていない。どのように料理するのか、一度食べてみたいと思っているが、これまで機会がなかった。


シャコ。これは日本でも寿司のネタなどにして食べる。漢字では蝦蛄と書くが、中国語でも同じ。


  大きな爪の蟹。危険なのか、傷つけ合わないようにするためか、爪は縛っている。中国人も蟹は好きなようで、有名な上海蟹は淡水産だが、これは海産のようだ。


ワタリガニの仲間。これは美味そうだった。レストランのメニューで見たことはあるが、結構高いものだった。



西安で(3) 農家菜(農家料理)

2007-07-18 09:33:42 | 中国のこと
 李真が運転する車で、李真の両親も一緒に、西安の南にある終南山の近くに農家料理を食べに行った。中国でよく使われる「福如東海 寿比南山」と言う賀詞があるが、この南山が終南山だと言われている。形の良い山だ。

 西安の城壁を出ると、広々とした地区に出る。そこは大学などの教育施設が集まる所で、もう既に学生の姿が見えるキャンパスもあるが、これからもどんどん建てられていくようだ。西安市内からは離れているが将来的には交通機関も整備されるようだから、一大学園都市のようになるのだろう。とにかく中国は土地が広大だ。

 ここを抜けてしばらく行くと、これも広い農地が広がる。ちょうど麦秋の季節で、西安空港を出て市内に向かう途中、豊かに実った小麦が見られたが、このあたりではもう既に刈り入れは終わっていた。

 やがて目的地に着いた。農家料理を食べさせると言うから、鄙びた風景を予想していたが、広い道路のそばに大きな建物が並び、車も人も多く混雑していたので少々驚いた。この農家料理のことは前から李真や袁毅に聞いていたので行くことを希望していた。李真の両親も好きなのでよく来るらしい。近頃はかなり評判になっているとのことで、この日は土曜日だったので人出も多かったようだった。

 一軒の店に入った。どうやら李家の行きつけの店らしい。農家料理と言うから小さな農家で家庭料理を出すのかと思っていたが、これはもうレストランである。


中には個室が並んでいる。


 普通のレストランと違っているのは、入り口に立って「歓迎光臨(いらっしゃいませ)」と言ってお辞儀する若い女性はおらず、出迎えた主人らしい男性は普段着の庶民と言う感じで、にこやかに李真の両親と挨拶を交わしていた。

 やがてこの家の主婦と思われる中年の女性が注文した料理の皿を運んできたが、やはり中国料理らしく皿数はとても多い。皿にあるのは野菜や茸、豆腐などの料理で、これは名のとおり農家料理らしく、気取りも何もないごく普通の家庭料理のようなものだ。動物性の食材は使っていない。


どれも特に手の込んだものでなく、素朴な料理である。


  餅(bing)。小麦粉をこねて円盤状にして焼いたもの。中国の北部は北粉南粒と言われるように、米が出来ないから麺や餅などの粉食が常食である。



農民の常食と言ううどんが最後に出た。


 普段は動物性たんぱく質の多い食事をよくしている中国人には、かえってこのような素朴な料理が受けているのかも知れない。健康志向と言うこともあるのかとも思った。とにかく人出が多いことからも人気があることは判り、誰がどのようなことから始めたのかは知らないが評判になって儲かるようになり、大きな店を建てるようにもなったのだろう。

 支払いは李真の父親がしたので正確には判らないが、40元(700円足らず)とかでかなり安いようだった。どの料理もとび抜けて美味と言うものではなかったが、どれも口に合い満足した。






イチジク

2007-07-17 08:36:46 | 身辺雑記
 近くのスーパーでイチジクを売っていた。今年初めて見た。和歌山産とある。私はイチジクが好きだ。旬の時にはよく買って食べる。まだ時期は早く、おそらくビニールハウス栽培物だろうが一応は初物なのだろう。少し高かったが、とりあえず75日は命を延ばそうかと思って買って帰った。


この辺りではまだ実は小さく固い。


  イチジクの名の由来は「中世ペルシャ語anjirの中国での音訳語『映実果(インジークォ)』がさらに転音したもの」(広辞苑)とあるが、1日1個熟すから、あるいは実が生ってから1ヶ月で熟すから「一熟」と言われるようになったとも言う。後の方の説明は、何となくこぢつけのようにも思う。

 漢字では無花果と書くのは花が咲かないことからだが、実際には花はあって、果実の中に隠れている。食用部分は果肉ではなく花を着けている花托(花床)である。リンゴやイチゴのように子房以外の部分が果実になった偽果の仲間だ。

周辺の白い部分が花托で、無数の花を着けている。このような果実を集合果と言う。





 早速食べてみたが、十分に熟していないようで甘みが少なく、美味くなかった。イチジクは食べると中が軟らかく崩れそうなくらいのものが甘さも濃くて好きだ。どうもこれでは75日の延命は期待できそうにもない。近くにイチジクの産地として名が知られた所があるから、そこのものが出回るのを待つことにしよう。やはり旬のものに限るようだ。


西安で(2) 西安天龍宝厳素食館

2007-07-16 08:54:09 | 中国のこと
 いつも西安や西安を基点とした旅の企画やガイドで世話になっている西安中国国際旅行社(西安CITS)の友人達が集まってくれて、西安の観光スポットとして有名な大雁塔の近くにある西安天龍宝厳素食館で一緒に食事をした。

 この店は、西安CITSの日本語部に勤めていた斐海南と言う男性が共同経営者をしていて、友人達も後輩と言うこともあって時々利用するようだ。昨年も行って気に入ったので、今年も希望した。ここは名前のとおり素食(精進料理)の店で、なかなか良い料理を出す。味も良い。日本人の口にも合うだろうから、西安を訪れたらぜひ行けばよいと思うお勧めの店である。

 料理はどれも丁寧に作られ、彩りもきれいである。野菜や茸など植物性のものももちろんあるが、肉や豚、鳥などに似せたものもあり、よくできている。








肉のように見えるのも、すべて大豆などの植物性材料を使ったもので、食感や味もなかなか良い。






 今回集まってくれたのは若い女性達ばかりだったが、皆よく食べ、楽しそうに談笑していた。何を話しているのか解らないが、明るい様子に私までが楽しくなった。皆親しみをこめて私を「爺爺yeye(おじいちゃん)」と呼んでくれるので大きな孫娘のようである。
 
左から、謝俊麗(Xie Junli)、李真(Li Zhen)、私、張苒(Zhang Ran)、袁毅(Yuan Yi)、邵利明(Shao Liming)。



西安で  清真寺

2007-07-15 08:56:44 | 中国のこと
 5日間の成都の旅を終え西安に戻り5日間過ごした。観光ではなく友人達と会うのが目的だったが、1箇所だけ回教(イスラム教)の寺院を訪れた。ここには2003年に一度行ったことがある。清真寺は西安城内の北西の回民(イスラム教徒)街にある。この街は非常に活気がある。

イスラム教徒の女性はスカーフを巻く。





 イスラム教徒は居住している土地にはイスラム教の寺院(モスク)を建てて朝夕の礼拝を欠かさないが、西安に多く住む回族もモスクを建てていて中国風に清真寺と呼んでいる。清真は「イスラムの」という意味。いわゆるモスクは、大きなドームがあることで知られているが、西安の回族はその生活習慣が漢族化しているためか、清真寺もまったくの中国風建築になっていて、一見では回教寺院とは思えない。

青海省西寧の東関モスク。
 2005年6月20日


 清真寺に入ると牌楼がある。これから奥に向かってまっすぐに行くとさまざまな建物や門があり、一番奥に礼拝大殿がある。


境内は広く、緑豊かな静かな雰囲気である。




イスラム文字のレリーフがある。






 礼拝大殿。一日の朝から夕刻までの決められた時刻に、ここで西方のメッカに向かって礼拝する。中の正面が西で、この建物は東向きに建てられている。男性の信徒しか入れない。


  掲げられている額は清代のものだそうで「臨下有赫」とある。下をのぞめば勢いが盛んであると言うような意味か。


礼拝大殿に入る老人。イスラム教徒の男性はこのような帽子をかぶる。


礼拝の前に水で体を清める場所。女性は入れない。


 省心楼。本来はモスクの外郭にミナレットと言う細長い塔が設けられていて、礼拝の時刻に信者に呼びかけるが、この省心楼は中国風建築のミナレットである。


 清真寺の門前町。さまざまなものを売っている。多くはキッチュ(まがいもの)のようなものだが、見て歩くのは面白い。




 清真寺には日本人はあまり訪れないそうで、西安の他の観光スポットと違って日本語で声をかけられることはない。むしろ、欧米人が多いためか英語を話すようだ。


 イスラム文字、漢字、英語の3種類が書かれている。「伊斯蘭」は「イスラム」。3文字目は「蘭」の簡体字(現代中国の公用漢字)。


 ある店で、老人と幼児(孫らしい)の絵があってちょっと気を惹かれたら、早速店の女性に勧められた。いくらかと聞くと80元だと言う。高いと言うと、いくらで買うかと聞き返した。20元と言うととんでもないと言うようなことを言った。それからは中国で買い物をする時のお定まりの遣り取りを続けた。時にはもう止めたという素振りをして歩き出す (これも駆け引きのひとつ) と、さらに食い下がってくる。結局、老人と孫娘、老婆と孫息子の絵2枚で60元と言うことになった。最初の1枚80元からするとだいぶ負けさせたようだが、そもそも最初の値段はどうせ吹っかけたようなものだろうから、果たしてどちらが勝ったのかどうかは判りかねた。多分、向うの勝だろう。別れ際に「お幸せに」と言ったらおかしそうに笑った。
  

コブシの実

2007-07-14 08:26:33 | 身辺雑記
 コブシの木の下を歩いている時に、ふと見上げると葉の間に何やら変わった形のものが目に止った。よく見ると形はさまざまだが、実だった。


  帰ってから調べてみると、この実はパイナップルや桑の実と同じように1つの花にある複数の子房(めしべの基部)から由来した集合果というもので、コブシの場合は袋果というものが多数集合したものと言う。それにしても、普通の植物の実とは違って、それぞれの形も大きさも違っているのはおもしろい。

何かの幼虫のようだ


時間がたつと色づくのか、実によって色が違うのか。


まるで鳥のように見える。


 コブシの名の由来は花や蕾が拳のようだからと言われるが、この凸凹している実の形が由来だとも言う。何となくこの方が説得力があるように思う。

 実を割ると、中には白く丸い種子がある。「果実は秋に熟し開裂、白糸で赤い種子を釣りさげる」(広辞苑)そうだから、ぜひ観察しよう。